第六話 どぐされ王子の防衛戦
私は努めて単調に、平淡に答えた。
「何のお話のことだか、私は存じ上げません」
「僕と君の婚姻まで残り一年。出会って以降君はずっと僕から逃げていたが、それは可愛いものだったよ。けど、ある時期から君の逃げ方は変わった。まったく可愛くない方向にね」
――パチッ
「君は僕を売るのか」
「……」
「宰相から聞いたんだろう? 何故陛下夫妻の第一子である、加護を神から与えられた第一王子である僕が未だ、立太子していないのか」
「……」
「王家と宰相家という国内でも強い権力者同士が婚約を結んだのは、このサンドロックで強い意味を持つ」
違う。
違う。私とどぐされ王子との間には何もない。あってはならない。
「……君の僕へ抱く気持ちが変わったように。僕の君へ抱く気持ちも変わったのだと、何故思わない?」
逃げなければ。この勝負に勝たなければ。
そうでなければ、私は。
「エレイン」
いつの間にか視線は屋根のレンガに落ちていた。まっすぐ前を向いていた筈の顔は俯いていて、毛布を握る手が冷え切っている。
逃げなければいけなかったのに、温もりが近づいてきても私はそこから動くことができなかった。
――パチッ
自分のものとは違う、厚みのある手の平に頬を包まれる。
上げさせられて再び近くに琥珀と合わせさせられるが、馬車の時と違ってまるで降り注ぐ月明かりのようにそれは、優しい光に満ち溢れている。
「――――ただの政略が君の中で“愛”に変わったのは、いつからなんだ?」
モフくんを燃やしたアレクサンダーが嫌いだった。
すぐ人に触れてくるスキンシップ過多なアレクサンダーが嫌いだった。
突然先触れを送ってきて、こっちの都合も関係なく訪れてくるアレクサンダーが嫌いだった。
私が自分から逃げるのが気に入らなくて、私のお気に入りを燃やすアレクサンダーが嫌い。
いつの頃からか、私を見つめる瞳に口先だけじゃない優しさを灯すようになったアレクサンダーが嫌い。
モフくんを燃やした後、金のリボンをつけたテディベアを贈ってきたアレクサンダーが嫌い。
何度蹴りつけてもそんなこと忘れたとでも言うように、腕の中に閉じ込めてくるアレクサンダーが嫌い。
私に会うために頑張って時間を作って来訪したのに、けどすぐに時間だと帰っていくアレクサンダーが嫌い。
その瞳に優しさを灯すのに。
今まであんな風に抵抗できない状態で、強引に触れてくることなんてなかったのに。
――――それなのに私の
「…………つがっ」
「うん」
逃げたいのに。この琥珀からは、私はいつも逃げられなくて。
「このまま、婚姻したらっ、神罰が」
「どうして?」
「貴方の加護が、リーフロフトのものだからっ。返すべきだと……っ」
私とアレクサンダーの婚約は、リーフロフトの守護を司る雷神ウルドスの加護を宿す彼を、彼の国の王女の伴侶とするとして要請してきたリーフロフトの要求を、突っぱねるためのもの。
国王夫妻にとって何の神の加護を宿していようが、アレクサンダーは彼等にとって可愛い第一子。
ただ他国の加護を宿しているだけで息子を物のようにこっちに返せと言ってくるリーフロフトに、王家の血を引いた自分たちの元に生まれた可愛い息子を渡せる訳がなかった。
息子を渡さないためにはどうしたらいいのか。――そうして白羽の矢が立ったのが、防波堤が私。
サンドロック王国で長らく筆頭公爵家の地位を守り続け、不動のものとしたエーベルヴァイン公爵家。
お母様と出会うまでのお父様はどんな美女にも靡かない美貌の公爵として有名だったらしいが、二国会談のために我が国に訪れたイグニケルの女王の筆頭守護騎士として帯同していたお母様に一目惚れし、女王の目の前で求婚をブチかましたそう。
国の宰相が他国の筆頭守護騎士と婚姻するまでにも色々騒動があったが、その筆頭守護騎士たるお母様は騎士を辞した今でも女王とは親交がある。しかも伯爵家とは言え、お母様の生家であるローゼンダールはイグニケルで武の歴史を誇る名門中の名門貴族家。
そんな二人の娘である私しか、国内でリーフロフトの王女に対抗しうることが可能な令嬢がいなかったのだ。
けれど。結局それは、無駄なことだった。
「その地の神の加護を返さなければ<アグニの終焉>のように、神の怒りに触れることになります……!」
――<アグニの終焉>
イグニケルで起こった稀に見る未曽有の火山噴火。
だって、誰が思うのだ。自然災害のそれが、本当にイグニケルの守護を司る火の女神アグニの逆鱗に触れたから、起こったものだったのだと。
「この国の王子として陰で努力してきたことを知っています! コントロールができなくて本当に間違って私の物を燃やした時、貴方が私以上にショックを受けていたことも! そんな貴方が、どぐされな性格の貴方が国王夫妻に憧れて、立派な国王と王妃の息子として、愛するこのサンドロックを守りたいと想っていることも……っ!!」
手は冷え切っていた筈なのに、頬が熱いのは何故なのか。見つめる琥珀がゆらゆらと揺れているのは何故なのか。
「<アグニの終焉>が起こったのは、加護を授けた王女が国を顧みることなく逃げたからですっ。“愛”を取って、彼女がアグニ神の守護する国を捨てて、愛する人と共に生きたいと願ったから……っ」
「エレイン」
「だから貴方が私と生きたいと願ってはいけないのです。私は貴方から逃げなければ。今度は、雷神ウルドスがサンドロックを壊してしまう」
「エレイン、」
「だから、だから私は、私も、貴方と共に生きたいと願っては――」
――宵闇の帳は下ろされたまま。
瞼を貫く程の光量を発していない貴方はいま、一体どういう気持ちでいるのか
「んっ……」
触れるなと。これ以上近づくなと馬車で言ったのに。
どうして貴方はいつも。いつも。
「エレイン…………エリー……」
決して強くはないのに。逃れられる力しか加えられていないのに。
ただ触れているだけなのに、どこよりもそこが熱くて。
「ぁ……やまち、です。くらやみに……まぎれて、おきた……わたし、たちの、」
重なっては少し離れて。離れては隙間もないほどに重なって。
追いついたと思ったらするりと逃げていく。
それは私の方か、彼の方なのか――……。
「――――もう、終わらせようか」
黄金が光を失う。
銀色の一閃が、彼の背後でその帳を切り裂いた。
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