第十一話 王子が下す鉄槌

「アレクさま……」


 ポツリと落とした呟きに反応して、彼の黄金に変化した瞳が私の顔を映し、ゆるりと細まって笑む。


「……これで解っただろう? 何も心配することはないと、どうして僕がそう言ったのか」


 こくりと緩慢に頷く。

 明かされた衝撃たる彼の正体。


 ――雷神ウルドスからの神罰でサンドロックが壊されることはない。

 それは、そうする気がないからだった。


「馬鹿な……っ」


 天井が雷撃によって破壊されて、床に落下した物に巻き込まれてその下敷きとなっている瓦礫の中から、急いた否定の声が発せられた。


 下敷きになった者たちがそこから抜け出そうと身動ぎすることで、細かな砂塵が舞う。

 伏した状態の国王の顔がこちらを向いている状態でその顔を先程と違って青褪めさせながらも、爛々とした暗い光を宿した瞳で私達を強く見据えていた。


「一国のただの王子が、我が国の守護神であるウルドス神だと……? ならば、ならば何故! この地を守護するべき神が、守って然るべき我々リーフロフトの民にこのような仕打ちをするのかっ!?」


 口角泡を飛ばして喚く国王を、黄金の瞳が一閃する。


「エリー」


 その視線が刺し貫いているのは国王なのに、私の名を呼ぶ彼。


「君が恐れていた神罰――<アグニの終焉>と人間から呼ばれたあの事象は、神罰などではないよ」


 目を見開く。これから更なる驚愕が齎されることを感じ取り、本能で恐れを抱きながらも真実を知るために、私は彼へと問うた。


「では、何だったのですか。七百年前に三ヵ国を未曽有の混乱に陥れた、あの火山噴火は」

「あれは――……」


 フッと瞼が下がり、その目許に影を落とす。


「……人間はとんだ傲慢な思い違いをしている。四神は創造主である“父”から土地を生かし続けるために、その守護の任を与えられた存在だ。決して人間を護るためではない。エリー。だからこそ神は、土地を生かし護るためにしかその力を使えないんだ」

「土地を護るため……? ですが、」

「答えは明白だよ。神々が守護する土地に、人間という不完全でありながらも社会を築き上げるという点で、頂点に立つ生物が生まれた。神は人間を『隣人』と呼び、自らの力を加護として分け与えることで、人間にも土地の守護を任せたのさ。ただ、神は自分が気に入った人間でないとその加護を与えない。見ての通り人間にもこんな風に色々いるからね。だからアグニも気に入った人間に火の加護を与えた。彼女は苛烈な性格でありながらも、四神の中では一番隣人を好意的に思っていたんだ。それを…………ウルドスの守護する土地の隣人が、破壊した」


 ――バチリッ


「アグニが加護を与えた王女には平民の恋人がいた。密かに逢瀬を重ねていた二人だがどちらも最後に別れる道を選び、別れの時までは共に在り続けたいと願っていたんだ。だが当時のリーフロフトの王族はアグニの加護を持つイグニケルの王女を得て、他国よりも国力を高めようとしていた。そして王女の愛する人を浚ってリーフロフトにおびき寄せ、恋人の解放を願った彼女の目の前で――――首を刎ねて殺したんだ。平民の男であるからと、何の躊躇いもなく。神であるからこそ……ウルドスは見ていることしかできなかった」


 ヒュッと喉が鳴る。それは私だけでなく、瓦礫の下敷きになっている国王もだった。


「自身が苛烈だからこそ、心優しき彼の王女に加護を与えていた。そして王女は目の前で起こったことに精神が耐え切れず、心を壊してしまったんだ。彼女は自らを酷く責め立てた。『私が加護持ちだから、こんなことになってしまったのだ』と。そしてこうも責めた。『私さえ生まれてこなければ、彼が死ぬことはなかったのに』。彼女のそんな声を聞いてしまったのはその土地にいたウルドスと、王女をずっと見守っていたアグニだった。そうして起こったのが、<アグニの終焉>だ」


 彼は顔を上げて頭上にある青天を見つめた。

 雲一つなく、空いた穴から入り込んだほんの微風が彼の黄金に輝く髪を浚う。


「怒りじゃない。あれは人間への罰などではない。――――壊れてしまった王女の心を救済するための、アグニの嘆きだった」


 私の頬を涙が伝う。胸に様々な感情が溢れてくる。

 それは守ることが叶わずに愛する人を目の前で失ってしまった、彼の王女への悲哀か。

 烏滸おこがましくもアグニ神に対して抱いた同情か。それとも別の何かなのか。


「溶岩は愛し子を失った神の流した涙。隣国まで及んだ噴石は悪しき人間どもからこれ以上愛し子を傷つけさせないために、王女の魂を愛する者と添わせるために神から愛し子へと与えた、最後の守護だった」


 神は己が守護する土地から離れられない。だからその力が及ぶ土地を利用するしか、女神の加護を与えた彼女の愛し子を救うことができなかった。


 お父様は仰っていた。過去、<アグニの終焉>が齎した被害は甚大だったのだと。

 サンドロックは三ヵ国の中でも被害は最小だったが、火山が噴火し溶岩が流れたイグニケルよりも、劫火ごうかの炎を纏った噴石が落石したリーフロフトの方が甚大な被災を負ったのだと。


 未曽有の火山噴火はその被害の規模から、七百年の時を経ても各国の歴史に残されるほどの有名な自然災害だと残されている。

 けれどそれがただの自然災害ではなかったと知ったのは、アレクサンダーとの婚約の意味を知った数日後、屋敷に遊びに来られたお母様からイグニケルでしか継いでいない秘話を聞かされたからだ。


 王子との婚姻まであと一年。宿伴侶となるのなら、隣国で起きたあの大災害の真実を知っておく必要があると。

 ――アグニ神の加護を授かった王女には平民の恋人が存在し、国を守るよりもその恋人との愛を取って隣国リーフロフトへ駆け落ちをしたから、神罰として王女をみすみす逃した国と二人が逃げた先の地へと、怒りの鉄槌を下したのだと。


 お母様はイグニケルの女王の信頼を受けた筆頭守護騎士だった。アレクサンダーとの政略の意味はお母様もご存知のことではあったが、裏では幾度となく婚約に反対していたそうだ。

 けれどその話はイグニケルの王族とその傍に在る者にしか明かしてはならないとされていたため、反対の声を上げるのにも限界があった。だから当事者である私にだけお話して下さったのだ。


 サンドロックのアティラー神ではなく他国の神の加護だからこそ、どうなるか判らないと。本当にウルドス神が手違いで王子に加護を授けたのだとしたら、彼の国の王女の伴侶となるのを彼の神は望むのではないかと。

 そんなことを聞かされては、もうその時にはアレクサンダーへの想いを芽生えさせていた私にとって取るべき選択肢など、一つしかなかった――……。



「……本当に、我が国の守護神、ウルドス神なのか……。『四国旅行記』にしか記されていないことを、知っているということは……」


 生気のない声が国王の口から漏れる。

 『四国旅行記』。私が婚約解消の材料とするべく必死に探して結果、アレクサンダーに燃やされた……。


「ああ、機会があって僕も読んだよ。だからあれを見て理解した。何故ただの吟遊詩人の伝記とも言える書物をリーフロフトのみ……それも王家と名門公爵家しか所持しないようにしていたのかをね。あれにはあの時代に在った真実のみが記されていた。吟遊詩人は歴史の伝道者だ。リーフロフトの企みを知ったその著者は各国にいる同業者に送り、悪しき企みを隠蔽させまいとしたんだろう。だがその内の一冊を手に入れたリーフロフトがそれを阻止し、闇に葬り去ろうとした。イグニケルの種は王女の過失で神罰が下されたと誤認し、またリーフロフトの種は自分たちに神罰が下ったと誤認した。リーフロフトにとって真実を記されている書物は在ってはならない物で、けれど同じ過ち――加護持ちの愛する者を殺してはならないと後世に残すため、自分たちのみが所有することにしたんだ」

「ですが、私が見つけた『四国旅行記』は本物だったのでしょう?」

「それは単純に漏れだろうね。今となっては相当古いものだし、文字の幾つかは当時のものとは異なる字体だった。歴史学者くらいにしか解読できないだろう。……それでも、君には知って欲しくなかったんだよ」


 当時の真実が記された貴重な書物を燃やしたことを責めている訳じゃない。彼にとってもそれは目にしたくない、己の無力の証明だっただろうから。


 アレクサンダーが私の手を離し、国王の眼前まで歩を進める。

 そうして自らの守護を司る土地で罪の歴史を繰り返そうとした隣人の王へと、冷たく吐き捨てた。


「神の身では隣人に対してまことに無力だ。だから僕は人の身に生まれ落ち、貴様らリーフロフトの種を見極め、赦しか罰かを与えることにした。……僕はアレクサンダー=ヨアヒム=サンドロック。今の僕は雷神ウルドスじゃない。だからこれもまた、神罰ではない」


 アレクサンダーの全身が輝きを増す。

 再び空から空気を引き裂くような雷鳴が轟き、青天だった空が黒雲で覆われた。


「これは誰かの愛する者を奪おうとした、愚者どもへ下す――――人間ぼく怒りだ!!」


 閃光が視界を奪う。

 耳をつんざくような轟音を立てて、リーフロフトの王城は巨大な雷撃に飲み込まれた――――。


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