第五話 公爵令嬢は逃避する

 ゆっくり安全運転で王子と公爵令嬢を乗せた馬車と護衛一行が向かった先は、とある町宿。

 辺境の地から王都までの距離は私ことエレイン=カレンベルクが幼少期まで暮らしていたエーベルヴァイン公爵領よりも日の廻りをプラス二回超す程の距離なので、当然の如くその日中には帰還など果たせない。


 日の廻りを十回越してやっと辺境の地まで私が忍んで来た道をそのまま引き返すようにして進み、夜が更ける前に辿り着いた町にある宿へ宿泊することになったのはまあ別にいいというか仕方ないというか、それはそれで構わなかったのだが。




 ――パチッ チカッ パチッ チカッ パチッ チカッ ∞



「…………」


 シーツを頭の上まで引っ被っても耳が発光パチパチの音を拾い、点滅頭光灯とうこうとうが閉じているまぶたを貫通して眼球に主張してくるほどの光量を放ってくるので、一向に就寝することができないでいた。何て近所迷惑系王子(加護付き)だ。


 ベッドからガバリと起き上がり目を三角に吊り上げて近所迷惑パチチカ野郎がいる場所を睨みつけると、隣人である私の受けている被害も知らずに睡眠妨害を無意識でやってのけている本人は、一人ソファの上で健やかな寝息を立てている。ずっと頭を点滅発光させながら。クソである。


 そう、私は町のお宿で自身の婚約者であるアレクサンダーどぐされ王子さまと同室で宿泊している。

 馬車で甚大なセクハラ被害を受けた後で同じ部屋に寝泊まりとか断じて認められなかったが、警備の観点から考慮すると私とどぐされが固まっていた方が、一番安全性が高かったのだ。

 か弱い乙女の貞操問題より優先されることがこの世にあるのか。世も末である。


 決してお飾りの護衛ではないが、護衛対象である私達自身にもそれなりの攻撃力を所持しているからこそのこの状況。

 何かの手違いで授かっただろう、向かい国の守護を司る雷神ウルドスの加護を持つアレクサンダーはその身に宿した雷電の力で襲撃者など難なく蹴散らせるし、私も公爵令嬢ながら武の名門貴族家出身の母からの武闘教育により、大抵の輩は武闘術でなぎ倒せる。


 馬車の中では不埒な行いをしてきたアレクサンダーであるが、意外なほど素直にベッドを譲ってくれたし、あれ以降接近しようとしてはこなかった。

 ……それだけ蹴られたすねが痛かったということだろうか。自業自得だけど。


 ベッドを降り、ソファで寝ているアレクサンダーの顔を見下ろす。

 馬車の中、私を間近で射貫いてきた琥珀の両眼が今は閉じられている。瞳で訴えてくることのない分、頭での自己主張が激しいが。


 イラッとしたのでお腹辺りまでしか掛けていない毛布を頭の上までしっかりと被せて遮光した後、すっかり目が冴えてしまったので外の空気を吸おうと思い、部屋の窓に近づく。


 音を立てないように開けた窓は、人一人が通れるほどの大きさだった。

 考えが変わって左右上下を確認して問題ないことを判断し、窓枠に足をかけ力を込めて屋根の上へと飛び乗る。お母様の教育は主に足を重点的に鍛えるものだったので、私もお兄様も足技が十八番であった。


 既に町が寝静まった刻。

 隣国イグニケルから輸入している煌火石こうかせきがポワポワと小さく輝いて、とばりが下ろされた町の中を照らしている。少しだけ散歩しようかと思ったけれどあまりに辺りが静かすぎて、このどこか静謐せいひつな空気を壊したくないと感じた。


「……あと一年」


 意識して小さく口にする。それが私とアレクサンダーのタイムリミット。

 それまでに婚約を無くさなければならないのに、すべてあのどぐされ近所迷惑王子に潰されている。



『あとどれだけ君が頑張って僕から逃げようとしても今回のように、僕は必ずエリーを捕まえるよ』



 捕まえてどうしようと言うのか。私とアレクサンダーの間には何もないのに。

 あるのは“政略”という、子どもの力ではどうにも出来ない鎖だけだと言うのに。


「早くしないと、このままじゃ……」

「このままだと風邪を引くよ」


 バッと後ろを振り向くと同時にファサッと肩に毛布が掛けられる。

 アレクサンダーはフッと笑って、人一人分の距離を開けて隣に座ってきた。


「……気配なんてしませんでしたわ」

「エリーに負けず劣らず僕も鍛えているからね。夜更けに愛しの婚約者が窓から出て行くんだから、そりゃ追い掛けないと」

「狸寝入りでしたの?」

「はははっ。意識がないのに髪が光るのはあり得ないことだと言っておこうか。……僕の意識がある状態で君と二人きり。その上で僕の髪があんなにパチパチ光ったこの意味、君はどう考える?」


 問いには答えず、前だけをまっすぐ見据える。

 私はこの王子との婚約を無くさなければならないのだ。私の人生のために。だから――……



「――話をしようか。エレイン=カレンベルク」



 前に引き合わせた毛布をギュッと握る。

 何を言われようが変わらない。私は絶対にこの勝負に打ち勝つ。


「何でしょうか」

「辺境の地に来るまでに色々町を通ってきただろう。君の目から見てどう思う?」

「……華やかな王都や我がエーベルヴァイン公爵領とは暮らしにかなり差はありますが、それでも民草は皆、生き生きとしておりましたわ」

「そうだろう。これも王陛下や王妃陛下、そして支えてくれる忠臣が傍にあってのものだ。もちろん宰相、君のお父上であるエーベルヴァイン公爵もな。……さて、エレイン。君はいつ、を知った?」


 ――嫌な跳ね方をした心臓は無視する。

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