第8話 大団円
自分が好きになった妹への思いは日に日に強くなっていった。今までの思春期のSMに対しての感情や、自分にとって、今まで気にもならなかったと思っている人の顔が急に浮かんでくるのを思うと、
「俺は思ったよりも、女性を意識していたのかも知れないな」
と感じていた。
彼女ができないのは、自分が表に発散させる男としての感情、一種のオーラのようなものが醸し出されていなかったからではないだろうか。
それを思うと、
「恋愛というのは、やはり片方向だけでは成立せず、お互いに相手を意識するところから始まるものなんだ」
と感じたのだ。
もちろん、そんなことは当たり前のこととして、頭の中では分かっているつもりだった。しかし、相手が示したオーラを自分では感じることができず、自分が人を好きになったとして、そのオーラを発散させ続けたとしても、
「きっと、相手は気付いてくれない」
と思うのだ。
それはあくまでも、考え方の基本を自分に置いて考えているからで、
「自分が感じることもできないものを、相手が感じることなどありえない」
という極端な思いがあるからだ。
だが、逆にものによっては、
「自分にできないことであっても、他人ならできるんだろうな」
という思いに至る時もある。
時間が違って同じ相手であったり、同じ事由について感じるのであるから、それだけ自分の考え方が一定していない証拠なのだろう。
そう思うと、会社では、さすがに社内恋愛というのはご法度だと思っているので、最初から考えていなかったが、近くのお店などで気になる女性がいなかったのかと言われると、実際にはいたような気がして仕方がない。
そういえば、一人、とても気になる人がいた。
その人は、近くのカフェでアルバイトをしていたが、素朴な表情があどけなさを誘い、笑顔に引き付けられた気がした。
カフェという場所なので、髪の毛の扱い方には制約があり、
「髪の長い人は、ポニーテールにするか、団子にして、帽子をかぶる必要がある」
ということになっていた。
髪が長くない人であっても、帽子をかぶるのは当たり前のことで、髪の毛を後ろで結んでいると、小顔に見えてくるような感じがしてきたことで、活発な雰囲気に似合っているのが分かったのだ。
彼女は他の男性客からも人気があったので、早々と諦めていた。
彰浩には、自分が好きになった人に、他にライバルがあると、
「俺ではかなわない」
と勝手に決めつけて、うまくいかないことばかりを想像するという、悪い癖と持っていた。
そのあたりが、
「自分は両極端な人間だ」
と考えてしまうところであり、自分では遠慮だと思っていたが、実は逃げであるということを分かっていない証拠でもあったのだ。
そんな両極端を考えると、自分のことを、
「二重人格なのではないか?」
と考えるようになった。
「片方が表に出ている時は、決してもう一つは表に現れない。もう片方が出ている時も、同じで、決して両方の性格が表に出ることはない」
と思われた。
そもそも、両極端な性格は合字に表に出るとどうなるのか? ということを誰も分かっていないであろう。
だから、人によっては、
「二重人格というのは、虚空の幻であって、そんなことはありえない」
と考えている人がいるのも事実であろう。
ただ、自分に分からないことを他人だと分かることもある。
自分の姿を見ることができるのは、鑑に写すか、あるいは、何かの媒体を使わなければいけない。
だが、他の人は対面で普通に見ることができる。だから、相手の方が自分の性格を理解していることもあるだろうということも決して無茶な発想ではない。
鏡に映った姿を見て、何か不思議に思わないだろうか? 科学的に証明されていることではないが、素朴な疑問として、
「鏡には上下では、逆さにならないが、なぜ左右対称の時は、左右に映っているのだろう?」
という問題である。
だが、考えてみると対面に映っているのだから、左右が対称なのは当たり前ことである。自分の下にある本当の身体と、対面では当然対称なのだろうが、上下においては、どうして違わないのか?
誰もそのことについて疑問に感じたことはないような気がする。誰かが話題にしているのを聞いたこともない。
逆にいうと、こんな当たり前の疑問が打ち消されるほど、膨大な情報に包まれて、世間は時間というトンネルの中を歩んでいるということなのだろう。
時間というのも、考えてみると、スパイラルのようなものだという本を読んだことがあった。
時間という渦のトンネルの中を進むというタイムマシンの発想は、あながち間違っていないような気がするのは、彰浩だけであろうか?
らせん階段のようになっていて、そこからたまに時間が、いわゆる、
「時空を飛び越える感覚」
というワープと呼ばれるものがあり、それを使えばタイムトラベルも、理論的には可能だと言えるのではないだろうか。
そしてらせん情になっている以上。同じ空間にいくつもの世界が広がっているという、
「パラレルワールドの発想が息づいていると言っても過言ではないだろう」
と言えるではないだろうか。
遺伝子であったり、生物の生命というのは、
「エネルギーと言えるのではないだろうか?」
と言われているが、電気を発生させるものに、コイル状のものがあるというのは、らせん状の発想と酷似しているようで、当て嵌まっている発想ではないだろうか。
その発想が遺伝子と関わりあって考えられるようになると、
「近親相姦の何がいけないのか?」
ということを考えるようになった。
そもそも、肉体的な障害者が生まれるということからの危惧だったはずなのだが、歴史を見てみると、昔などは、近親相姦をすることで、家を保ってきたという歴史も存在するくらいで、
「家を守るためなら、近親相姦もやむなし」
と考えている人も実際にはいたのだろう。
果たして、近親相姦でどれだけの障害者が生まれてきたのかということを考えると、どこかにデータはあるのだろうか?
確かに、説得力のある回答を得ることができたのだが、そもそもの考え方として、
「近親相姦は悪いことだ」
という発想は、何か根本的な話としての、問題の筋が散っているのではないか。
近親結婚と混乱しているからではないだろうか?
問題は、
「できた子供に障害者が多くなる可能性があるから」
というものであるとするならば、
「避妊してさえいれば、まったく問題なのではないか?」
ということである。
「愛し合ったことで、近親交配をする。そのために子供が生まれて、その子に障害の可能性がある」
という発想があり、どうして、避妊ということを考えないのか? と誰も思わないのだろうか?
避妊さえしていれば、子供が生まれることもない。誰にも黙っていれば、後ろめたいという気持ちにならなくてもいいはずだ。
それなのに、誰も避妊という発想を持たないということは、近親相姦というものが決して、
「障害者が生まれるということ」
に対しての問題だけではないということなのだろうか?
そこで考えられrのは、宗教的な教えという問題である。
基本的に法律に定められていることは、主うきゅでもご法度と言われることが多い。
「人を欺いてはいけない」
「人を殺めてはいけない」
などと、言われる戒めは、今の詐欺罪であったり、殺人罪などという、
「人間が犯してはならない罪」
ということではないだろうか?
ただ、これらの基本的な罪は、太古の法律から育まれてきたもので、形を変え、品を変えてきたものが、今の法律になっている。
その中に、
「血が交わってはいけない」
というものがあるのかどうか分からないが、実はギリシャ神話などでは、結構血が混じり合っている者が多かったりするだろう。
しかし、基本的に神話の世界は、神であったり英雄であったりする特別なものが出てくる世界であるので、そんな連中には、下々の一般市民とは一線を画することで、近親相姦などのような曖昧なものは、タブーとされてきたということなのかも知れない。
それがいかに伝わって、近親相姦は悪だということにしてしまい、
「近親相姦では、障害者が生まれる可能性は高い」
ということと、ひょっとすると政治的な含みで、わざと近親相姦を悪として考えるようになったのかも知れない。
彰浩は、そんな風に考えれば考えるほど、今までの思い込みが何だったのか? と疑問に感じるようになってしまった。
一度、タガが外れてしまうと、今までの感覚とは違った目で、いちかを見るようになった。
しかも、どこか後ろめたさはあるのだが、それは決して、
「悪いことをしている」
という感覚とは違ったものであったのだ。
だから、後ろめたさや自己嫌悪だと思っているのは、単純にときめきであり、好きになった人に対する純粋な内に籠った性格の表れではないかと思うのだった。
実はいちかも同じようなことを思っていて、いちかは、彰浩を見ながら、
「鏡のように感じていたのよ」
というではないか。
それは自分を写す鏡であり、
「鏡がなくても、お兄ちゃんを見ていると、そこに鏡があるような気がして、そうね、お兄ちゃんの瞳に映っている私を感じることができると言えばいいのか。でも不思議なことにね、お兄ちゃんの姿は、上下にでも左右と同じような対照が見えてしまうのよ」
というのであった。
「お兄ちゃんも感じていたんだ。どうして鏡に映る姿が、左右は対称なのに、上下は対称ではないのかな? ってね。考えてみれば、左右対称とはいうけど、上下対称とは言わないものね」
と、いちかは言った。
「俺はいちかのことが好きだ。理由なんかなくてもいい。近親相姦、近親交配などと言われて罵られてもいい」
と、その時は完全に、どうなってもいいという思いでそういった。
その気持ちで言わないと、自分の気持ちにウソをつく気がしたので、そういったのだ。
「お兄ちゃん、嬉しいわ。私もお兄ちゃんが好きよ」
と言って、いちかは、私にしがみついてきた。
彰浩は口が腫れ上がるくらいに唇を吸ったが、
「ああっ」
という声が漏れてくるのを聞くと、
「私がお兄ちゃんの目の中に映っているのね」
と、気持ちもとろけてしまうかのような声を、彰浩の耳元に掲げた。
「ああ、そうだよ。逆さまに写っているかい?」
と聞くと、
「ええ、逆さまに写っているわ。きっと、これは私たちにしか起こらないことかも知れないわね」
といちかは言った。
「ああ、そうだね」
と同調したが、本心は違っていた。
「俺たちだから、そんな風に写るというよりも、近親交配だから、そうなんだと俺は思うんだ。そう思った方が、近親交配ということに対して、自分たちの信憑性を表しているようで、それが俺の望んでいることだと思うと、罪悪感が少しずつ消えていくからな」
と言いたかったが、さすがに言えないと思った。
では、いちかには罪悪感があるのだろうか?
彰浩は必死になって、いちかの瞳の中の自分を探した。
だが、見つからない。どういうことなのだろう?
「いちか、いちか」
と言って、表にいる自分は、必死になって妹をまさぐった。
「お兄ちゃん」
と、いちかも、彰浩にしがみついてくる。
その時、
「待てよ?」
と感じた。
いちかも、今の彰浩のように、表に出ているのは別の人間で、本当は彰浩のことをハッキリと分からずに探し求めている自分を感じていたのかも知れない。
「お兄ちゃんの瞳に私が映っているなんて言ったけど、あれはウソ。本当は分かるわけないのよね。そういえば、私もお兄ちゃんも、少しは罪悪感から逃れらっるかも知れない」
と感じていた。
しかし、実際にこれから訪れるであろう、
「近親交配」
という時間であるが、そこに対しては一縷の背徳心も、罪悪感もなかった。
いちかも、自分の気持ちの中で、近親交配というものに対して、
「一体何はいけないというのか?」
ということを感じていたようだ。
その考えは奇しくも彰浩とほとんど変わりのないものだった。
「避妊さえしていれば、何が問題なものか」
ということであった。
いちかの場合はさらに冷めた考えを持っていた。
「パイプカットさえすれば、子供が絶対に生まれないようにさえしておけば、いくらでも近親交配をするのに、何の問題があるというのだろう?」
と思っていたくらいだ。
ただ、そうなってくると、結婚できない人で、つまりは、相手に配偶者がいるなどした場合、絶対に妊娠などしないということが確約されていれば、それで何が問題なのかと言えるのではないかという、明らかに孝弘と同じ考えが根底にあったのだ。
だから、妊娠しないように、しっかりとお互いに準備しておけばそれでいい。いちかは彰浩を愛しているのだ。
いちかのその思いは、彰浩よりも強かった。
「お兄ちゃんは、引っ込み思案で、なかなか行動に移さないけど、移すとその行動力には節操がない。抑えが効かないと言ってもいいのだろうが、そんな状態で、よくここまでこれたものだ」
と思うくらいで、そういう意味では、彰浩が入社してすぐの苛めに遭っていた時期があったことは、いちかにとっては想定内のことだった。
いちかは、彰浩が思っているよりも、彰浩のことを分かっていた。
「お兄ちゃんのことは、自分のことを感じようと思うよりも簡単に分かるのよ。きっと自分と理解しようと思った時の、一つの段階にすぎないと言っても過言ではないかも知れない」
と、いちかは感じていた。
彰浩は、いちかがそこまで考えているとは知らないまま、自分の抑えが聞いていないことを危惧しながら、いちかの身体を貪っていた。
だが、彰浩のコントロールはいちかができていた。身を任せているつもりで、いかに相手に違和感を感じさせないかのように振る舞えるだけの技量がいちかにはあった。
それは相手が彰浩であろうがなかろうが関係のないことで、これが、いちかの才能であり、長所でもあり、短所でもあると言ってもいいだろう。
彰浩としては、いちかは、
「自分の前では、どんなことであっても、本音で向かってくれて、そこにはウソもなければ、言い足りないこともないに違いない」
という、最高級のイメージを抱いていたが、いちかというのは、そこまでの聖人君子ではないのだ。
しかし、彰浩のことだから、これくらいのことを考えているということくらいは、ちゃんと読み通しだということは分かっていたのだ。
「お兄ちゃん、私は自分の気持ちに忠実になりたいの。そのためには、お兄ちゃんの考えていることが知りたい」
という。
彰浩は、自分が近親交配について、いい悪いの判断はあくまでも、妊娠することにあるかないかだと思っていること。
法律的には結婚はできないが、愛し合うことは問題ないと思っていること。もちろん、そこには、倫理的な問題は残っていると思っていること。
そして、自分がいちかを好きなのは、いちかの瞳に自分の顔が映っていて、いちかがいうように、上下も逆さまに写っていること。これはいちかが最初に言い出したから気付いたことではあるが、本当は前から分かっていたことだということを、自分で悟ったということ。
それらを鑑みると、やはり自分がいちかを愛していて、その思いを隠すことはできないと思っていること。
それらの話を聞くと、いちかは目から一粒の涙が溢れていた。
「お兄ちゃんの今言ってくれた言葉、私も同じ思うだよ。二人は愛し合うべくして生まれた二人ではないかと思うの。私もお兄ちゃんもすでに禁断の果実は食べているのよ。私は禁断の果実は、食べてはいけないものではなく、ある時期がくれば皆食べるものだと思っているの。その時期をお兄ちゃんも私も、ちゃんとした時期に食したことで、すでに恥じらいや善悪を知っている。知っているからこそ、近親交配について真剣に考えられるようになったんだって思う。だから、お兄ちゃんを愛してるし、私のことも愛してほしい」
というではないか。
彰浩も、自分から何かを言いたいと思っていたが、口からその言葉は湧いてこない。ただ、いちかを抱きしめるだけだ。
「いいんだね?」
そんな言葉もいらないはずなのに、つい言葉に出てしまう。二人はまるでドラマの主人公になっていた。
実際に抱き合っていると、気持ちは次第にもう一人の自分たちを想像し、他人事のように感覚がマヒしてきた。
この状況の時、善悪への意識はなくなり、やっと禁断の果実の効果が出てくる。
「まさかとは思うが、禁断の果実というのは、善悪を承知の上で、悪だと思っていることを、どれか一つ善だと思わせる効果のあるものではないか?」
と思うと、目の前のいちかの瞳に映っている彰浩の姿が、今度は左右対称ではあるが、決して上下対称ではなかった。
本当はそれが当然のことであるはずだと分かっているはずなのに、いまさら驚かされることになろうとは思ってもいなかったのだった……。
( 完 )
逆さに映る 森本 晃次 @kakku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます