エピローグ 子供の時間

 晶と凛太郎は、塾の最寄駅前、円形のベンチに座っている。そろそろ木陰が恋しい時期だ。昼間だったらとてもこんなところに座っていられないだろう。夕方の涼しい今くらいの時間だからのんびりしていられる。


「あの先生、当日に警察を呼んだんだって? 気が早いよな」


「まぁ、が効いているうちに自首させたかったんだろう。ああいう手合いは喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ」


 あのお化け屋敷作戦からまだ3日しか経っていない。決行が金曜日、翌日の土曜は榛菜とさくらが塾を休んで、日曜日は塾がない。月曜日の今日が、あれ以来の初顔合わせだ。


 メッセージで連絡は取っていたが、学校の様子は特に変わりないらしい。保護者宛に何か連絡が来ていたみたいだ、とのことだった。


 そして勿論、中村は来ていない。


 家斉響子は月曜日は普段通り出勤していたとのこと。いつもと変わらない様子で、にこやかにしていたらしい。ただ、早朝の職員室で2人きりになった時には、警察の事情聴取が面倒で仕方ない、と榛菜に愚痴をこぼしたそうだ。


「大人は大変だね」


 凛太郎の素直な感想だった。


「……たしかに、大変そうだ。しかしあの先生はちゃんとやってくれた」


 晶は大人を信用していない。子供の期待にちゃんとこたえてくれたことは、彼にとっては意外だったのかもしれない。


「兄に聞いたんだが、重い刑にならない可能性が高いそうだ。過失致死が適用されるかどうかなんだが、10年以上前ではっきりした証拠もない。……まぁ、そこは本当に大人に頑張ってもらうしかないな」


「苦労の割には、ってところだな」凛太郎は苦笑いする。

「でも、花田さんは喜んでくれたらしいから良しとしようぜ」


「そうだな。それは本当に良かった」


 知世の母、花田律にはすでに警察から連絡が入っているとさくらからメッセージが来ていた。土曜日の昼頃に花田邸へ赴いたときには、すでにおおよその話を聞いていたらしい。『お化け屋敷作戦』は警察には話していないはずだが、何かを感じ取ったのか、さくらにお礼を言ったそうだ。


 晶は相変わらず缶コーヒーをちびちびと飲む。缶コーヒーは香りは楽しめないが、この時期はさっぱりとして飲み心地がいい。


「ちょっと、不思議に思うことがある」残り少ないコーヒーを眺めながら言う。

「あのマウスピース。花田さんの家にあった、潰れたほうの」


「ああ……時間差トリックに使われた?」


「うん」また少し、飲んだ。「なぜ、あのケースに入ってたのかが分からないんだ」


「なぜ知世さんが抱きかかえていたケースに入っていたのか、か。誰かが入れたんじゃないか?」


「誰かが入れた。確かにね。正直、中村が破損したマウスピースの処理に困って、考えなしにケースに入れたってこともあり得るんだが、基本的には証拠を残すようなことはしないと思うんだ。教室に忘れているはずの、きれいな状態のマウスピースならともかく。


 それに、僕らが試したトリックではマウスピースは「みんなのトイレ」の内側に飛ぶんだよ。そうセッティングしないとホースの水が廊下に大きく飛び散るから目立ってしまう。もちろん、何かの偶然でマウスピースが室外に飛び出して、知世さんの近くに転がって行ったということも、なくはない。それを誰かがケースに入れた、と。


 ただ、そもそも単純な時間差トリックなら、マウスピースを使う必要さえなかったかもしれない。使ったとして、あとで適当なタイミングで回収して捨てればいい」


 晶は一息入れた。凛太郎は晶が話したいことが分かるような気がしていた。


「あのマウスピースはとても重要なヒントになった。時間差トリックを示唆し、の存在を決定的なものにした。本来は失われるはずだったあれは、誰が見つけて、ケースに入れたのだろう? 楽器を調べた警察か。花田家に届けた西園先生か。あるいは学校関係者か。今では確認しようもない。本人たちだって覚えてないだろうし。


 考えてみれば、一番最初の下駄箱の事件から不思議だった。あれは言ってみればただの偶然だ。たまたま部活勧誘事件に山岸さんが居合わせていて、その場で幽霊になりすますことを思いついた。


 あの二人との出会いだってそうだ。お前、何故あの時に山岸さんたちの会話に入ったんだ?」


「なぜって……面白そうな話だと思ったからさ」


「お前が心霊話に興味を持っているところなんて見たことないんだが」


「女兄弟が多いからその手の本はウチに沢山あるぜ。だけど、まぁ確かに外ではそういう話はしたことないかもな」


「外ではそんな話をしないのに、何であのときはしたんだ?」


「んー。なんでだろうな」


 一気に残りのコーヒーを飲み干した。


「何故か、ね。誰かに導かれてる気がするんだ」そして、相変わらず空の缶を見つめている。

「あの時の音声を聞いた。まだ二人には確認してないんだが、中村の自白の前に『どうして』って犯人に問いかけていた、あれは誰なんだ? 予定にはなかったセリフだ。アドリブかもしれない。だけど、2人のどっちの声なのか、いまいち判断がつかない。最後の『許さない』、も、声が被ってる」


 目を瞑って、口元を隠した。彼は幽霊なんて信じない。偶然が折り重なっただけだ、ということも分かっている。分かってはいるのだが。


「いるのかもな、ってことさ」


 凛太郎が答えた。


「まぁいいじゃないか、そういうのはお前が将来研究でも実験でもすれば」立ち上がり、背伸びをする。

「まだ俺たち中学生こどもなんだからさ」


 「来たぜ」という凛太郎の言葉につられて晶が顔を上げると、地下鉄の出口から出てきた榛菜とさくらが二人に手を振っているのが見えた。


 晶は小さく手を振って応えた。凛太郎は大きく伸びをするついでに全身で応えた。


 事件が幕を閉じ、4人はまた今までの生活に戻っていく。


 これまでと違うのは、少し仲良くなったこと。勉強で分からないところは教えあえること。それぞれの学校やクラスで起こった他愛ない話で笑いあえること。


 そして世の中は思っていたよりも複雑で、見たものが見たままではないというのを知ったこと。


 そんな些細な変化が、彼らにはとても大事なことのように思えたのだった。

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となりに立つ少女 井戸端じぇった @jetta

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