夏の午後、ちいさな余興。

壱単位

夏の午後、ちいさな余興。


 たまたまその公園の駐車場には、ポップコーンを売りながら道化師のかっこうで踊るという屋台がでていたのだ。


 だから、公園のなかでかれが演じる手品も、その屋台のなかまだろうというような見立てで、幼児はもとより中学生くらいだろうとおもわれる子供たちもたくさん集まってきていた。


 親まで含めれば、五十人からの人数がかれらを取り囲み、そのパフォーマンスに釘付けになっていた。


 かれにとってみれば、そう大したことをしているつもりもない。まったく初心者向けの、ごくかんたんな手技しか披露していないのだ。道具も、コートのポケットに入るくらいしか持ってきていない。


 もともと大仕掛けは得手ではないし、かれの師匠もまた同様だったから、たとえばトランプをつかったいたずらのようなことが好みだった。が、こうした開けた場所では、たしょう派手なやりくちが求められるものなのだ。


 ズボンの裾からちいさなステッキを取り出した。ちょうどオーケストラで指揮者がつかう、指揮棒のようなものだ。それを、目の前でゆらゆらと振る。こどもたちも歓声をあげて、おなじように、左右にくびをふる。


 かれは笑って、その棒をあたまの上で二、三度振った。周囲に銀のかすみのようなものが湧き立つ。こどもたちが瞳を輝かせる。と、足元から風がおこり、彼の大仰な紫色のコートの裾がふわっともちあがる。周囲のこどもたちのあしもとに、不思議な魔法陣のようなものが描かれる。歓声。手を叩いてよろこぶこどもたち。


 どうということはない。人体に無害で、大気中の成分と反応してひかる薬剤を杖に仕込んでいたのだ。さらにその薬品は、あらかじめ地面に描いておいた無色の紋様に反応し、あざやかな朱色の図形が浮かび上がるという寸法だ。


 裾がふわっとなったのは、かれの得意とする体術によるものだ。だが、こどもたちのみならず、その親たちもかれのパフォーマンスに目を奪われ、拍手をしていた。


 その理由のひとつは、かれの端正な顔立ちにも求められたはずだ。時刻は昼下がり、公園にいるのは幼いこどもと、その若い母親が多い。彼女たちは、かれがあいまあいまに自分のほうをみて微笑むたび、感嘆のため息を漏らした。


 いくつかの手品を披露し、あいまにステップダンスなどの余興をはさんで、三十分ほどのパフォーマンスは終了した。最後にフィギュアスケートのような大仰な動作で舞い、片膝をついて、礼をとった。


 拍手が起こる。こどもたちもその親も、みな笑顔で離れてゆく。おひねりを置こうとするものまであったが、かれの趣旨はそういうことではなかったので、丁寧に礼をのべて断った。


 コートの襟をただす。ステッキを、ふところにおさめる。


 後ろにたつこどもに、話しかける。


 「……たまには、感想を聴きたいもんだな」


 こどもは、年齢でいえば五歳ほどか。男児とも女児とも判断がつかない。生気の感じられないしろい顔に、膝裏までの、まったく奇妙なながい金髪をゆらめかせて、甲高い声で嘲笑った。


 「なんの感想だ。このあいだ喰らったこどもの肉の味か。それとも今日の、きさまのへたくそな手品もどきへの、クレームか」


 金髪のこどもは、耳のすぐ横まで裂けたくちから鋭い歯をのぞかせた。


 「馬鹿のひとつおぼえだな。わしがこどもの集まりを狙うから、誘き寄せたつもりなのだろうが……わしはな、貴様を追ってきたのだよ。なにせ貴様の棲み家には、くせえくせえ、八百万やおよろづのやつらがたむろしてるからな」


 いいながら、なにげない様子で足を踏み出す。


 金髪のこどもには、影がない。しかし、踏み出した足跡にはくろい染みがこびりついている。染みからは、地上のものではない虫のたぐいが無数にわき、のたうっている。


 かれは答えず、懐に両の手を入れる。


 こどもは、跳んだ。


 指と同じ長さの鋭い爪がかれを襲う。が、空を割いた。


 かれはすでに、こどもの頭上、足を上にして、さかしまに跳んでいる。


 その右手には、金の、そうして左手には銀の、巨大なリボルバー銃。


 銃身は二の腕ほどの長さがある。それぞれ、複雑な紋様が刻印されている。刹那にそれを目視できたものがあったとしても、読み取ることはできなかったはずだ。


 かれ自身にも、完全には理解できていない。


 八岐大蛇を討った刀が発掘されたのは二十年前のことであり、その刀身に刻まれていた呪禁が解読できたのは、わずか半年前のことである。


 その呪禁は、かれが相対する鬼神を滅するためには不可欠であり、だからかれはいま、その銃身を撃ちあわせ、生じた鋭い音が暗喩する、古代ののろいを発動したのである。


 金髪のこども、喰人鬼神はみとじは、瞬時かおをしかめたが、怯まない。空を切った爪を引き寄せ、膝をおり、地を蹴った。


 地上四メートル。かれは頭を下にしたまま、跳躍してきた鬼神に右の膝を蹴り出す。鬼神はひじでうけ、左の爪を、開いた相手の右脇腹にくりだした。かれの左腕の、黄金のリボルバーがそれを拒む。拒んだ勢いでうでを振り抜く。それは鬼神の顎を打ち、ふたりの身体が離れる。


 弧を描いて同時に着地したふたり。


 鬼神は左右の手を組みあわせ、ぶん、と振る。


 無数の、くらい、邪なひかり。


 腕のまわりで漂ったそれらは、数千にのぼる暗黒の矢を形成して、かれに向かって殺到した。


 かむろぎかむろみのみこともちて……!


 小さく呟きながら、かれは、両腕を回転させた。銃が描く軌跡が、巴の紋様を映し出す。紋様の周囲が輝く。鬼神の矢はそれを貫くことができず、消失した。


 足をひく。両腕を前に出す。撃鉄をおこす。弾倉が回転する。次弾が射出軌道に据えられる。銃弾の底部が撃ちつけられる。左右の排出口から炎が噴き出す。金銀の銃口が、過剰なまでの咆哮をはなつ。


 銃身と同様に金と銀に塗り分けられたふたつの銃弾が、たんなる火薬のちからではなし得ない速度で、鬼にむかう。鬼は目をみひらき、両手のひらをかざす。銃弾はその表面で爆裂した。


 鬼が破片に目をすがめる。次の瞬間、かれのすがたは鬼の横にあった。


 銃身を右腕につかみ、銃床で鬼の腹をえぐる。下からもちあげられた鬼の身体は宙にうく。かれはそのまま身をひねる。上半身、つづいて下半身が反時計回りに、音速をやや上回る速度で、鬼を直撃する。


 鬼はその膝に喰らいつく。背筋を、あり得ない角度で、海老反りに曲げる。踵がかれの頭部を打つ。


 が、かれ自身も背をまげ、そこに乗る形になった鬼を中空へ弾き飛ばす。二メートルほど浮いた時点で、身体をひねる。地に背をつけ、両手のリボルバーを空に向ける。


 鬼の表情は、いまだたかい太陽を背に、しかし逆光によってだけとは思えない暗黒を湛えて、怨念にゆがんだ。


 その表情を、首筋を、胸を、腹を、腿を、膝を、脛を、足先を、全身を、一秒の数十分の一の頻度で射出された金と銀の銃弾が、襲う。


 崩壊した鬼の肉体は四散し、夏の空に消失した。


 かれは地面に寝転んだまま、しばし、休んだ。


 気づけば、セミの声もかしましい。


 と、その顔を、だれかが覗き込んだ。


 さきほど手品を見ていたこどものひとりだ。


 「おじちゃん、これ、あげる。手品のお礼」


 研究所の試作品である認識阻害装置により、鬼神との、およそ十秒間にわたる戦闘は、公園のたれにもみえてはいない。みえたとしても、通常の人間の能力では、なにが起こっているかを判別することができない。


 が、かれは、こどもが差し出したそれを見て、苦笑いをした。


 かれと鬼神の戦闘をえがいた、クレヨンの、愛らしい絵。


 こどもは、微笑んだ。


 公園のあちらこちらで、かれをじっとみている、無数のこどもたちと同様に。




  

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