月とネックレス
待居 折
10回目の日
「あら、もう…いつも気を遣わせてしまって、ごめんなさいね」
困った様に、それでいてどこか嬉しそうに笑うお義母さんに、私もいつもと同じ様に笑顔を返す。
手渡した花を仏壇の手前に置いたお義母さんは、少し遺影を眺めた後、台所へと戻っていった。
「いえ、お義母さんこそ、どうか気になさらないで下さい。こうしてお邪魔させていただけるだけで、本当にありがたいですから」
リビングの隣の部屋にある仏壇の前に、私は正座する。
最近の仏壇は、随分とデザインがカジュアルになっている。しかもコンパクト化が進んでいるらしい。
パッと見、シンプルなデザインの棚の様なその中には、金色の仏具が並んでいる。初めて見た時には随分感心した覚えがあったけど、今はもうすっかり慣れていた。
ひと月ぶりに見る彼の写真は、生前と同じまま、苦手な笑顔を精一杯、頑張って浮かべている。
親戚の集まりで無理矢理撮ったものだとお義父さんから聞いていた。そうだろうな、と私はその時苦笑いした。
無理矢理でなければ、彼が写真を撮らせてくれるはずがない。
線香に火を点ける。
手で仰ぎ消す。
おりんを二度叩く。
黙って手を合わせる。
もう一年も続けてきたから、一連の動作に戸惑う事もなくなった。
でも、手を合わせて目を瞑っていると募る寂しさにだけは、少しも慣れない。
「おぉ、亮子ちゃん…来てくれてたんだね。いつもありがとうな」
帰ってくるなり声をかけてくれたお義父さんに向き直る為、私はこみ上げてくる涙を慌てて隠した。
仕事と休日が不規則な私が、彼の月命日丁度に伺える事は、ほとんどない。
それでも、お義父さんとお義母さんは、いつも嫌な顔ひとつしないで、私を家族の様に迎え入れてくれている。
「こないだ出たあの新曲、亮子ちゃんの事だからもう聴いたよね?」
お義父さんは感性が若い。
五十もとうに過ぎているのに、若い頃バンドマンだった事が影響しているのか、流行りの曲も幅広く聴いている。
それでいて無理に若作りしている空気もないので、純粋に音楽が好きなのだろう。
きっと彼の音楽好きは、お義父さんの影響に違いない。
「えぇ、聴きましたよ!なんて言うんでしょう…今回は別の方向に凄く尖ってて、本当におしゃれですよね」
お陰で、私も随分流行りの曲に詳しくなった。
「今日の餃子はどうかしら…少し焦がしちゃったの。苦くないと良いんだけれど」
不安そうに言うお義母さんの手料理も、何度もご馳走になっている。だから、お義母さんの失敗は一般的な失敗とはレベルが違う事も、私は知っていた。
箸でつまんで口に放り込むと、じゅわっと野菜と肉の旨味が口中に広がる。
「全然苦くなんてないですし、凄くジューシーで美味しいです。…これ、お野菜、何が入ってるんですか?」
「あぁ良かった、苦くなかったらそれで良いの。お野菜はね、キャベツの代わりに白菜を使ってるのよ。あと、ニンニクの代わりにニラね。
実はね、味付けにちょっとした秘密があってね?」
お義母さんは安心すると、いつも満面の笑顔で滑らかに喋り出す。
本当に、良く似ている。
「へぇー…こんな風に仕上がるんですね。今度家でもやってみます」
そう答えてはみたけれど、きっと家では作れない。
二人でキッチンに立っていた頃を思い出して、手がすぐに止まってしまうから。
仕事で前後する私の予定に合わせて、彼のご両親は食事を振る舞ってくれる。
私は買った花を仏壇に供えて、ご厚意に甘え、食べて飲んで笑う。
月命日の食事会は、いつもこんな風に過ぎていく。
彼の話題は、勿論出ないわけじゃない。
でも、話題が出なくても、この食事会は、彼への思いで溢れている。
お義父さんが聴いているあのアーテイストは、彼の影響。
お義母さんが作る餃子にニンニクが入っていないのは、彼が嫌いだから。
私が持ってくるアレンジメントの花が白と青でまとまっているのは、彼の好きな色に合わせて。
食事をしながら、お義父さんにビールを注ぎ、お義母さんと手を叩いて笑う。
ここに彼がいてくれたら、どんなに楽しかっただろう。
何かと気難しい人だったけど、ここにはご両親と私しかいないのだから、きっと彼も穏やかでいられるに違いない。
…なんて言うと、少し調子に乗り過ぎか。
私はコップの底に残ったビールを、勢い良く流しこんだ。
「亮子ちゃん…これ」
帰り際、お義母さんが私に差し出したのはネックレスだった。円筒形のペンダントが付いている。
「お墓が出来ちゃったから、納骨しなきゃならなくなってね…私は嫌なんだけど、親戚がどうもうるさくて」
弱った顔でこぼすお義母さんの後ろから、お義父さんがその続きを口にする。
「かあさんと二人で話して、少し手元に遺しておく事にしてね…いわゆる分骨というものだよ。それで…もし迷惑じゃなかったら、亮子ちゃんにも分けようかという話になったんだ」
「でも…勘違いしないで欲しいの」
お義母さんは私の両手をしっかりと握った。温かい温もりが伝わってくる。
「これで亮子ちゃんの人生を縛ろうとしているわけじゃないの。亮子ちゃんはまだ若いんだし、この先、素敵な人に出会う事だってきっとあるだろうし。
…それでもね?もし嫌じゃないのなら、どうか貰って欲しいの。あの子が亡くなってから、ずっと毎月来てくれて、寄り添い続けてくれてるんだもの…きっと、あの子も喜ぶと思うの」
断る理由なんてなかった。
私は、彼の最期の恋人でしかない。結婚の約束をしていたわけでもない。
彼は生きるのが少し下手だった。ほんの小さな光さえも見つけられず、ずっともがいていた。
私は彼が大好きだった。だから、この世の全てから彼を守ろうと思った。
そんな私が、彼を失ってからどれだけ悲しみに暮れていたかを、二人は全部知っている。
それだけに、ご両親から向けられる気持ちが嬉しかった。
丁寧にお礼を言うと、ありがたくそのネックレスをいただいた。
静かな夜の住宅街を、駅まで数分、ほろ酔いで歩く。
「…今日は頑張ったなぁ…」
そう呟いたのがいけなかったのかもしれない。抑えていた悲しみが湧き上がってきた。自分でもびっくりするほど、突然涙がこぼれる。
まずい。こうならない為に、今日はずっと気を張っていたのに。
焦ってハンカチを取り出そうとバッグを開けると、さっき貰ったネックレスが、月明かりを反射して輝いていた。
貰ってからすぐ、首に下げておくんだった。こうして見てしまったら、現実に目を向けなきゃいけない。
私が何も出来なかったばかりに、彼は小さなネックレスになってしまった。
残念ながら、もうなにもかもが間に合わなかった。
悲しさや虚しさ、やりきれなさが押し寄せて、それに抗う事も出来ないまま、私は足を止め、しゃくり上げながら嗚咽した。
うつむく私を、月が照らして影を作っている。
今の私なんかを照らさなくていい。
生きているうちに、彼を照らして欲しかった。
月とネックレス 待居 折 @mazzan
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