12.青空の便箋

 一組の夫婦は顔を見合わせる。ヘンリクの両親だった木で出来た家の中で。どこかで狼が遠吠えし、梟が独り言を呟き、木々がかさかさ噂話に興じる夜に。


「ヘンリクさん、どうしてそんなに細かく覚えてるんですか?」

「……木の年輪と同じ。人木種は、思い出を覚えておくのが……得意なんだ」


 ラーレは手元の木のカップに視線を落とす。艶やかなカップの表面に浮かぶ年輪。年月をその身に刻む木のぬくもり。生きた証が躍っている。年輪は無口な語り部だ。耳をすませば思い出が聞こえる。


「それじゃ、もしかして私たちが初めて会った日のことも覚えてるんですか……?」

「……うん。熱で林檎より真っ赤な顔した……綺麗な魔力の女の子が、野イチゴを食べたら……元気になって……」

「やだやだ、恥ずかしいです! もう言わないで!」

 

 そうやって言いながら、ラーレはヘンリクに駆け寄った。話を続けようとする彼の口を手で塞ごうとするけれど、背の高い人木種はゆらゆら揺れて避けてしまう。バタバタ動き回るラーレは、大きな両手でひょいと持ち上げられた。ヘンリクの腿に座って後ろから抱えられると、やっと落ち着いて息をつく。今の光景も、きっとヘンリクの年輪に刻まれる。大きな手を指で辿りながら、ラーレは気付く。


「……そっか。ヴァレオさんが残したいのは“顔の記録”じゃないんですね。残したいのは、記憶、思い出……。言葉にこだわると、ヴァレオさんに不思議がられそうですけど」

「……それは、ヴァレオには出来ないことだから。……ラーレさんが、こだわってあげて」

「もちろん! そのための代筆屋ですから!」


 ヴァレオを思いヘンリクは微笑み、ラーレはペンを握る。かつて寂しさの底に居たヘンリクを、やっぱり強引に救った男の物語。救った二人を夫婦にして、救った二人に影響される男。それに抗うことなく面白がる男。やがて自分の顔を忘れる男。

 きっとこれからも、彼は自分をガラクタだと思い続けるだろう。それでも彼の人生は美しい。未来の顔をしたヴァレオに、その美しさを見て欲しい。



『二十三歳からの顔:ミルクパン

 容量は一リットル、全長三十センチ。


 艶やかな黒のミルクパンは、自分と人を救うために選んだ形。十分な容量があれば、行き倒れた友人にたっぷり水を与えてやれる。薬の調合にも便利だ。診療の後に飲む紅茶だって淹れられる。

 だから毎日手入れをした。いつでも人鉄種として万全の働きが出来るように。医者としての判断が鈍らないように。

 おかげでミルクパンには傷も凹みも見当たらない。三年間、ミルクパンは人を救い続けた。もちろん、自分も。


 今回こうした記録を残したきっかけは、コーブルク育ちの人人種の患者に移住を勧めたことだ。特殊体質が発覚した彼女はルスヴァルトへ移住、人木種の伴侶を得て心身共に回復した。まるで、思い出と言う名の靴を履き、新しい人生を逍遥しょうようしているかのように。

 彼女の変わり様に興味を持ち、『もし自分が昔の顔を覚えていたら、自分はどう変わっていたのか・世界をどう認識したのか』を確かめる実験を行うことにした。これは実験のための思い出の記録だ。

 新しい顔を得た後、自分がこの記録を読んでどう考えるのか。眼前の世界が急に変貌を遂げることはないだろう。しかし、何かを感じればそれでいい。それだけで、この実験は成功だ』



 ミルクパンは何を思うのか。怒るだろうか、破り捨てるだろうか。それとも、胸ポケットにそっと仕舞うだろうか。ラーレにはわからない。だけど、この“顔の記録”を読んだヘンリクは微笑んだ。


「……ヴァレオが絶対に……書かなそうだね」

「背筋がぞわぞわするでしょうね」

「……見たいね。ヴァレオがぞわぞわ……ってなるところ」


 二人は郵便局に手紙を託す。広場に出ると、ラーレを大きな手が包んだ。ヘンリクは肘を曲げ、抱き上げられたラーレはその上に腰かける。子どもが親に運ばれているみたいだけど、ラーレはもう気にしなかった。他人の目より、二人が一緒に居る喜びをヘンリクと分かち合う方が大事だ。


「……可愛い」


 突然の言葉に、ラーレは驚いてヘンリクを見上げた。彼は目を蕩けさせて、ラーレの手元に視線を注いでいる。彼が見つめていたのは、ラーレの薬指を温める真新しい木の指輪だ。納得したラーレは思わず笑顔になる。


「可愛いですね、指輪! 今日は天気がいいから、お日様の光が当たってきらきらして」

「……僕が作った指輪つけてくれてる、ラーレさんが、……可愛い」

「えっ! え、ええっ!」


 ラーレは素っ頓狂な声を上げ突沸みたいに顔を赤らめ、ヘンリクには花が咲いた。小さな頭に口付ける彼の薬指で、お揃いの指輪が呆れるように笑っている。

 夫婦それぞれの髪に似た色の木が重なる指輪は、ある朝、目覚めたラーレの薬指で輝いていた。ラーレはそれに気付くなり、「嬉しい」と泣きじゃくりながらヘンリクに抱きついた。彼の頭が一気に満開を迎え、数えきれないピンク色の花びらがベッドの上を舞う。

 何の記念日でもなかったのに、花びらの中で迎えたあの朝のことは、これからも忘れられそうにない。


 広場の向こうから二人の名前を呼ぶ声が聞こえた。声の先に居たのは、手を繋いで歩くマリッサとビイノだ。


「ラーレさん、ヘンリクさん、こんにちは」

「うわ! またいちゃいちゃしてる!」


 駆け寄って来るなり、マリッサはお行儀よく微笑み、ビイノは声を上げた。それを諫めるようにマリッサが羽根でビイノの肘をつつく。恋が実った二人は光を放つ。


「マリッサさん、ビイノさん、こんにちは。すっかりお似合いの二人になりましたね」

「はい! 村一番の恋人同士です!」

「もー、ビイノってば恥ずかしいでしょ?」


 ラーレの言葉に反応して、すぐに二人で会話を広げる。仲睦まじい姿は微笑ましくて、ラーレとヘンリクは顔を見合わせた。この二人を繋ぐ手紙を代筆出来たのは、ラーレにとって誇りだ。他でもない、初めてのお客さん。希望を見せてくれた眩いランタン。


「マリッサさんのおかげで、代筆屋も順調です。本当にありがとうございます」

「いえいえ! わたしはなんにもしてないです。ね、ビイノ」

「オレたちは、ラーレさんのおかげで幸せになれましたから!」


 瑞々しい二人はよく似た仕草で手を振って、広場の反対側へ追いかけっこしながら駆けて行く。これから川遊びでもするのだろう。その明るい背中を眺めながら、ヘンリクはラーレの頭を指先で撫でた。


「……いつか僕も、……ラーレさんに手紙を書くよ」

「その際は、ラーレの代筆屋をご贔屓に!」

「……ラーレさんは、自分が代筆した手紙……もらって嬉しいの?」

「うーん……。どうでしょうね。わからないから、いっぱい書いて下さい」


 ラーレの頬を、大きな指が撫でる。彼女は暖かなヘンリクの指に身を寄せた。


「私もいつか、ヘンリクさんのご両親の物語が書きたいです」

「……それって、本屋さんに売られちゃう?」

「売りませんよ。私たちの本棚に大事に仕舞って、時々読み返すんです」

「……そっか。……それなら、ラーレさんに書いて欲しいな」


 知らないこと、わからないことをもっと知りたい。それが彼のことであればなおのこと。ラーレは陽だまりのようなヘンリクの指を抱き締めた。爪の先に口付けると、彼の頭にぽんとピンク色の花が咲く。


「もう。また花が咲いてますよ」

「……だって、……咲く時が来れば、花は、咲くんだ」


 彼の広い胸に頬を寄せ、ラーレは深く呼吸する。インクと紙の香りはしないけど、ここにはどこまでも続く二人だけの森がある。だからラーレはペンを握れる。一人ぼっちではない証拠に。

 澄み切った青空を見上げると、誰かからの手紙のように真っ白な雲が流れていた。

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物語屋、移住する ~人人種と人木種の類まれなる理想的な結婚 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai

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