11.新しい友達
――仲睦まじかったヘンリクの両親は、二人揃って静かな眠りについた。ヘンリクはアーベルトやルスヴァルトの村の人たちと一緒に、二人の体を庭に埋めた。すると、あっという間に小さな芽が土から顔を出し、みるみるうちに二本の木が空に向かって伸びた。大きな大きな二本の木。ヘンリクの両親は木に戻った。
呆然と空を見上げるヘンリクを、アーベルトが肩を抱いて慰めてくれた。
「家、建て替えるんだろ? 手伝おうか?」
「……ありがとう。でも、一人で……作りたいんだ」
「無理すんなよ? いつでも手伝いに来るからさ」
村の誰もがヘンリクを気遣った。それからの一週間は、毎日誰かが差し入れを持って来た。ルスヴァルトの風習だ。ソーセージ入りのスープ、茶色のケーキ、ハーブの香りが漂うパイ……。結局一人では食べ切れなくて、一週間の終わりにヘンリクは残った料理を二本の木の根元に埋めた。
その時ふと、思い立った。しばらくは来客もないだろう。人生で一番たくさん食事をし続けたから、腹ごなしがしたかった。
「……お父さん、お母さん。……ちょっと、散歩してくるね」
着の身着のままあてもなく出かけた。戻ったら、三人で暮らしていた家を解体しながら、新しい家を組み立てる。出来上がった家は、きっと今までに作ったものの中で一番美しいだろう。やがてヘンリクは家庭を持つかもしれないし、友達と一緒に暮らすようになるかもしれない。そんな人生を両親が見守ってくれる。彼らに見せてあげられる。人木種にとって、家族だった木で家を作るとはそういう意味だ。
ただ、両親はもう人木種ではない。声も笑い声も二度と聞けない。両腕でぎゅっと抱き締めても、抱き返してはくれない。全く寂しくないと言ったら嘘になる。ヘンリクは家族が好きだった。一人で居るよりもずっと。
ヘンリクは涙一つこぼさなかった。ただ足跡が、彼の代わりに泣いていた。
両親を思いながら歩いていたら、いつの間にか風が涼しくなって来た。足元がふらつくな、地べたが柔らかくなったのかな。そんなことを考えているうちに、ヘンリクはその場に倒れ込んだ。家を出る前の一週間で、腹いっぱい食べていたからこんなに歩いていられたのだろう。もし、ルスヴァルトにあの習慣がなかったら。ヘンリクがヴァレオに出会うことはなかった。
「あー、もー、疲れた! スプーンなんてこりごりだ!」
息が乱れた叫び声と共に、ヘンリクの顔に水の大群が落ちて来る。何事かと思って跳ねるように起き上がると、口に水が飛び込んだ。ヘンリクが激しく咳き込めば、次に聞こえた声は心配するでも労うでもなくこう言った。
「ちょっとアナタ! こんなところで何してるんですか!」
声の主は、座り込んだヘンリクと同じくらいの目の高さ……に居そうなものだが、首から上がないので本当の背丈はわからない。ただ、声と体格からして彼が青年であるのはわかったし、手に持った大きなスプーンが黒い金属製だったから、この男は人鉄種なんだとヘンリクは理解した。
「……散歩、してました」
「散歩ォ? 行き倒れるまで散歩って、人木種はそんなにヤワな種族じゃないでしょう?」
「……今、何月ですか?」
「はあ? 十月ですよ、十月」
ヘンリクが散歩に出て、三ヵ月が経っていた。そう伝えると、青年は自分の首にスプーンを取り付けながら笑い出す。
「なんですかァ、それェ! 冗談でしょう? そんなの散歩じゃなくて行方不明ですよ。今頃、ご家族が役所に通報してるんじゃありません?」
「……大丈夫です。……もう、誰も居ないので」
すると、跳ねていた青年の腹の動きがぴたりと止まった。多分彼は、笑うのを止めたんだろう。その代わりに大きくため息をついて、芝居じみた様子で肩を竦めた。
「まったく、困った人ですねェ! とにかく、家までご一緒しますよ。人木種が魔力切れを無事に乗り切るのは、少々骨が折れますから。生活のコツを教えて差し上げます」
「……有難いですけど、……どうしてですか?」
「どうしてって?」
「……僕たち、友達でも……ないのに」
「では逆に伺いますけど、友達だったら納得出来ます?」
ヘンリクが頷くと、青年はため息交じりに答えた。
「じゃあ、そう思えばいいんじゃありません? ボクは医者です。つまらない症状でも、行き倒れの患者を放っておくわけには行かないんですよ、残念ながら! これ以上、ボクをガラクタにしないで下さい」
「……ガラクタ?」
「細かいことはいいですから、とっととボクをアナタの家まで運んで下さい」
ヘンリクは言葉に流されて、強引な医者を抱えて自分の家へ帰った。あんな言い方をしていたけれど、ヘンリクの体に流れる人鉄種の魔力は暖かく、冷え切っていた体を温めてくれた。
その道中でやっと二人は名乗り合い、ヘンリクは自分の事情を説明した。ヴァレオは憐れむでも同情するでもなく「そうでしたか」とだけ応える。散々憐れまれ同情され続けたヘンリクには、その大雑把な対応は心地よかった。彼の前では、自分が“悲しみに暮れる可哀想な男”であることを忘れられる。
家に帰ると、ドアにはたくさんの紙が貼られていた。どれも書き方は違うけれど、言っていることは同じだ。
『どこへ行ったの? みんな心配してる。戻ったら連絡して!』
これから全員の家へ足を運んで、生きていますと言わなくては。ヘンリクがそんなことを考えていると、ヴァレオは心底呆れた調子でこちらを見上げた。
「この村、どこか住民が集まるようなところはないんですか? 教会とか集会場とか」
「……広場なら」
「じゃあ、そこへ行きましょう。アナタくらい背が高ければ、誰かしらが見つけて言いふらしてくれるんじゃありません? その方が効率がいいです」
ヴァレオの提案にヘンリクは感心していた。ヴァレオはコーブルクから来たと言っていた。都会の人は、効率が大好きらしい。
ヘンリクが初めて話した都会っ子は、広場に着くなり大声で叫ぶ。効率のための手段は原始的だ。
「皆さん! ヘンリクが帰って来ましたよ! 散歩です、ただの散歩から帰って来ました!」
あまりの大声に、木々で休んでいた小鳥は飛び立ち、ヘンリクを見つけて足に絡み付いていた子どもたちはあんぐりと天を仰ぐ。広場に面した建物のドアと言うドアが開き、あっという間にヘンリクの周りには人だかりが出来た。こんなにたくさんの人が、今この時だけでも自分を気にかけているなんて。ヘンリクは驚きながら、集まった人たちに「心配をかけてすみません」と謝った。
すると、肉屋のバステオが人だかりの中から声を上げた。
「ヘンリク、そのでけぇスプーンの兄ちゃんは誰だ?」
ヘンリクが答えるより先に、ヴァレオは大声で答える。
「ボクは彼の友達で医者のヴァレオです! 今日からしばらくの間、ヘンリクの診察と健康維持のために付き添います。幸い彼は無傷ですが、人木種が魔力切れを起こした後は調子を整える必要があるんでね! ご心配には及びませんが、しばらく無理な仕事はさせないで下さいよ! 養生した後、彼は自分の家を作るんですから!」
少しの躊躇もなく、ヴァレオはヘンリクの友達だと言い放った。友達になるのには、もっと時間をかけるものだと思っていたのに。これも、都会の人が好きな効率なんだろうか。
それでもヘンリクは新しい友達が出来て嬉しかったから、足取り軽く帰路につく。帰り道で話しているうちに、気付けば本当に友達に語り掛けるような口振りで話している自分に気が付いた。
ヴァレオは滞在中の三日間、口酸っぱくヘンリクに生活のコツを言い聞かせた。魔力切れの後に必要なのは、食事、睡眠、外出、人との会話。どれも人木種がうっかり忘れてしまうものばかりだ。料理も食事も苦手なヘンリクに、ヴァレオはキノコと豆のスープをたっぷり作る方法を教えてくれた。この医者は久々の休暇を全てコーブルクで過ごしていたけれど、この時のヘンリクはまだそれを知らない。
ヴァレオが帰る前最後の夜、ヘンリクは彼に木のカップを贈った。二人で夜の庭に出て、木のカップで紅茶を飲む。庭には両親だった木が二本立っていて、三ヵ月前と変わらぬ様子を見せる。
「なるほど。人木種だった木は、もう成長しないんですね」
「……うん。木になった時のまんまで……ずっと居る」
「道理で青々しているわけだ。お二人とも、お邪魔してますよ! アナタ方の息子さん、ちょっと抜けてて心配ですから、ちゃんと見ていて下さいね!」
夜の中でスプーンが声を上げる。本当に、この暗闇で葉の色が見えているんだろうか。それとも、前々から気にしていたことを今言っただけだろうか。どちらでもいいとヘンリクは思った。ヴァレオが木に向かって叫ぶ声色は、生きている人に語るのと全く同じだったから。
ヘンリクは小さな疑問符を最後の夜に浮かべる。
「……僕が起きた時、どうして『スプーンなんてこりごりだ!』って……叫んでたの?」
「だって、どんなに大きくてもスプーンですから。浅すぎて水が全然入らなくて、アナタに水を飲ませるのに川まで何往復もしたんですよ!」
「……そうだったんだ。……ありがとう」
「まあ、そんなことはどうでもいいです。あーあ! 次の顔は絶対に深さのあるものにします。カップだと小さすぎるからー……片手鍋にでもしましょうかね」
「……ミルクパンは?」
「ミルクパンがいいんですか? それならそうしますよ、友達のよしみで」
深くて自分の金属量に合うなら何でもいい。そう言いたげな口振りで、ヴァレオは木のカップから紅茶を飲んだ。
「アナタが言ってた星のお砂糖、ボクには味がわかりませんけど、そういうものがわかる人って、どんな風に世界が見えるんですか?」
スプーンの表情が見えればよかったのに、どれだけ覗いても、見えるのは曲線に歪んだ暗闇だけだった。――
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