無味

数日前まで体が焼けこげるかと思うほど

熱風に攫われていたというのに、

昨日からころりと反転して

涼しい日が続いた。

とはいえ28℃はある。


ふと家から出ると、世界が人を養うのを

やめてしまったかのような

虚無感が吹き荒れていた。

空気もまるで秋と冬の狭間のようで、

タイムスリップしてしまったかと思う。

もしも今年の秋に、冬に飛んだら。

…。

悠里は、どんなふうに暮らしているのか

見ることができるのだろうか。


気づけば家に帰りついており、

両親2人とも外に出ているようで

随分とがらんとしていた。


どこに寄ることもなく

すぐさま自分の部屋に向かって

鞄を放り投げてみる。

時刻はまだ…いや、もう16時ほど。

部活をしていないから

こんな時間に帰って来れてしまう。


悠里がもし学校に行っていたら

もう3時間は遅く帰ってくるだろう。


結華「…そのくせして課題したり音楽したり…。」


私よりも時間はないはずなのに、

私よりも上手く時間を使って

有効に使っていたような気がする。

ベッドに寝転がると、

自分がどれほど無力か思い知る。

その時よぎるのは決まって

何故悠里が私を助けたか、だった。


結華「…馬鹿馬鹿しい。あいつなんていなくなって正解なのに。」


悠里は、確かに手際はよかった。

愛嬌もあった。

しかし、非人道的だった。

人を見下し、騙し、いじめた。

その全てをひた隠し、

表ではいい人ぶっていた。


世論としては私の方が

正しい人間であるはずなのに、

悠里の方が正しいとして

見られることが多かった。


私は。


結華「…。」


思い立って布団を蹴飛ばし、

上体を起こした。

立ちくらみなのだろうか、

妙にじんと頭が痛む。

鞄から課題も筆箱も

スマホすら出すことないまま、

ふと悠里の部屋まで向かった。

先日、悠里の部屋を調べるようにと

アドバイスをもらったのだ。

本人は病院にいて、

意味がないとわかっているのに

ノックを2度した。


中は相変わらずがらんどう。

エアコンが付いていなかったからか

蒸した空気がこもっている。

今日は涼しい方とはいえ

悠里の部屋は日当たりが良かったからか

仄かに温かさに呑まれていた。


結華「…。」


何度も見た部屋。

何度も立ち入った部屋。


どこに何があるかも大体

頭には入っている。

あそこには楽器があるだとか、

向こうには教科書があるだとか。


ふと目についたギターをぴんと弾く。

短い短い呼気が空気に漂う。


結華「…チューニング。」


音はあっている。

ちゃんと整備していたらしい。

部屋も、床に物が散らばっておらず

随分と綺麗になっている。

悠里は一体何を考えているのか

全くと言っていいほどわからない。


ベッドの近くには

トランペットが仕舞われていた。

思わず開いてしまう。

そこには、手入れの行き届いた

トランペットが横になっている。

最後に触ったのはいつだろう、

そっとそれに手を触れた。


結華「…あいつ、意外とうまかったんだよな。」


呟いてみてはまた閉じる。

そしてベッドの横に立てかける。


そして最後。

机の方へと向かった。


ここの引き出しの中に

悠里がいつも使用している

タブレットがしまってあるのだ。

そう。

通常であれば、の話。


結華「…。」


引き出しを引いても

タブレットはそこにはなかった。


結華「…用意周到、か。」


あれほど素行は酷い悠里だけれど、

選ばれて以降のことは知らない。

それ以降、どのような指示があったのか

何が行われているのか、

私は全く知らない。

知ろうとした時もあった。

それこそ、この前早朝に

部屋に入った時だってそう。


けれど、全て阻まれた。

上の人たちの防衛なのか

悠里自身の行動なのかまで

私は知ることはできなかった。


タブレットがないことは

悠里が予め隠し去ったのか、

上の人が持ち去ったのか。


結華「…私に知る権利はない。」


槙結華に知る権利は用意されていない。

私はあくまでおまけだ。

悠里が記憶喪失になった中、

私に任されるなんて話もない。


もし。

もしもの話。

記憶を失ってもなお

悠里を頼ることを選ぶのだとしたら。


私は空っぽの人間より

利用価値がないと言うことだ。


結華「……。」


この部屋はもういらない。

今度来るのはきっと相当

先のことになるだろう。

悠里の部屋にさよならを告げ、

そっと自分のタブレットに

手をつけるのだった。

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