記憶の行方


「暑いよねー。」


「週末やばくなかった!?」


「それな。マジで暑すぎる。」


「学校休みになんないかな。」


「ニュースでも危険な暑さって言ってるくらいだしね。」


海の日を経て聞こえてくるのは、

夏に対しての愚痴がほとんどだった。

3連休を思い思いに過ごしたらしい

クラスメイトたちは、

旅行に行っただとか

はたまた何もせず家にいただとか、

お土産話を数多携えていた。


「結華ちゃん。」


時折一緒にいて話しかけてくれる子が

ふわりと前の席に座る。

前の席の人はまだ登校していないようだった。


結華「あ、おはよう。」


「おはよう。暑すぎて嫌になっちゃうよね。」


結華「わかる。学校に行きたくない。」


「ねー。」


どれほど行きたくなくても

行かなきゃいけないのだけれど。

そう心の中で注釈を加えた。


「そういえばさ。」


結華「ん?」


「悠里ちゃん、最近どう?」


ああ、またそれか。

まさかこの子まで口にしてくるとは

思っていなかった。

これまでそんなこと聞いてこなかったのに、

どうして今更聞いてくるのだろう。

あれか。

周りが聞くから自分もそれに沿っただけか。

流されただけなのだ。

そうに違いない。


結華「前行った時は、話すことはできてたよ。色々管がついてたけど。」


「く、管…!?それ、結構重傷なんじゃ…。」


結華「体は割と早くに治るだろうって。幸か不幸か、めちゃくちゃになってるわけじゃなかったし。」


「そっか…。今度はいつお見舞いに行くの?」


結華「今日だよ。」


「おお。タイミングばっちしだね。」


結華「そうだね。」


「…。」


わずかな沈黙が体を突く。

ぼうっと自分の手を見つめていると、

前の子がつん、と手の甲を突いた。


結華「…?」


「あんまり大きな声で言えないんだけどさ。」


声を密かに私へと飛ばす。

元々よかった耳はその声を

しっかりと掴んでいた。

ふと喧騒が遠のいてゆく。

その声だけに焦点を当てた。


「私、悠里ちゃんのことあんまり好きじゃないんだよね。」


結華「…え?」


「その、姉妹にこんなこと言うべきじゃないんだろうけど、ほら。悪い噂もあるしさー。」


結華「悪い噂…。」


「うん。いじめ、とか。」


結華「…!」


「噂っていうか、私、1回それっぽいところ見ちゃって。なのに普段はいい人ぶってるから、どうにも苦手で。」


その子はらしくもなく

人の悪口を言っていた。

少なくともその子からは

先ほどみたいな暑さに対してなどの

愚痴を聞くことはあっても、

人の悪口を耳にしたことはなかったのだ。


はっとして耳を離す。

未だに耳に言葉がこびりついているような

錯覚がしてしまって、

ぱっぱっ、と耳をはたきそうになった。

流石に無礼に当たるので

そんなことはしなかったが、

刹那、その子は真っ当な人間に見えた。


そうだよね、と同情していた。

人間って、悪の心だってあるよね。

それって当たり前のことだよね。

だから、私が悠里のことを

どう思っていたとしてといいわけで。

だから。

…だから。


だから、多少悪口を言っても

許されるはずなわけで。

それで私だけが許されないのであれば、

自由がないと言うことを

再認識するだけだから。

私だけがずっと生きづらいだけだから。

悠里みたいなやつはいつだって

人前でも悪口を言ってよくて、

私みたいなやつにはその権利すらない。

そのことを思い知るだけだから。


結華「私も嫌い。」


「え…?」


結華「私も、悠里のこと嫌いなんだ。虐めてるって知ってた。」


「そうだったんだ。てっきり仲良いのかと。」


結華「人をいじめるようなやつと仲良くなんてできないよ。」


その時に、もしも

「じゃあなんでいじめの現場を見たのに

止めなかったの?」

と聞かれたら何にも答えられなかったと思う。

誤魔化すように、

「それならあなたもそうだったじゃん。」

と言うしかできなかったと思う。


その子は別の子に呼ばれ、

じゃあねと小さく手を振った。

手を振り返したけれど、

心の奥底に蟠りは溜まるばかり。


さっきの子と話していてよくわかった。

見ている人はちゃんと見ている。

そしていつかちゃんと罰が行き届く。

やったことは変えられないのだ。

たとえ記憶がなくなったとしても。


結華「…悠里ってほんと、嫌われ者なんだろうな。」


一部の人にとっては、相当。

虐められていた子からは恨みを

買っているに違いない。

…それは見過ごした私もかもしれないけれど。


私と悠里を別々に考えたいが故に

自分を見失いかけているなんて。

なんだか皮肉だなと思う他なかった。


結華「…行きたくないな。」


お見舞い、行きたくない。

その時、ふと机の上に

置きっぱなしにしていたスマホの画面がつく。

触っていないのにどうして、

と思うも束の間。

そこには1件の通知が来ていた。

触れると、TwitterのDMが開かれる。


なんと珍しいことに、

奴村さんからの連絡だった。

挨拶部分を読み飛ばし、

重要そうなところをピックアップする。



陽奈『悠里さんのお見舞いに行こうと思うんです。お花を少し持っていこうと思うのですが、病院の住所をお聞きしても大丈夫ですか…?』



結華「…どっちが後輩なんだろう。」


奴村さんはきっと自信のない人なのだろう。

丁寧なのはいいけれど、

文章から弱々しさが伝わってきていた。


結華「…。」


ため息を吐きそうなのを抑えて、

返信するための文章を打つ。

確か悠里のいる病院は、

お花の持ち込みは大丈夫だったよな、

と考えながら。


それと同時に、奴村さんの文章を見返す。

こうはなりたくないな。

無意識だろう、人を見下している自分に

気づいてしまってぞっとした。


授業には当たり前の如く

集中できないまま放課後を迎えた。

学校に残ればお見舞いの

予定をなくすことだって

できるなんて考えたけれど、

子供のわがままにしかすぎない。

そもそも、選択肢などないことを

思い出さなければならない。


結華「はぁ…。」


いつまでこんなことを

続ければいいのだろう。

悶々としたまま病院へと向かった。


病院は平日だというのに

…いや、だからこそ混雑していた。

老若男女問わず様々な人が

行き来しているのを見て、

いろいろな人間がいるものだなと

思うことしかできない。


結華「…。」


誰が私のことを認知しているのだろう。

誰が私のことを見抜いているのだろう。

誰も、私を見つけてくれないのだろう。


かつん、と靴音が廊下に響く、

音を抽出する。

それだけが頭に響く。


最近頭の中は常に動いていて

延々と何かしらを話している気がするのに

気づけばぼうっとしていることが

幾度となくあった。

この事故ひとつでこんなにも

恨みから分岐した感情が

生まれるなんて知らなかった。


そっと扉を開く。

すると、窓を開けた時のような、

わずかに強く、けれど優しい風が

頬をなぞっていった。


悠里「あ、結華さん!」


嬉しそうにこちらを向く彼女に寒気がした。

悠里であれば確実に

しなかったであろう表情だった。

口角を嫌味なく上げ、

目を細めるその奥の瞳には、

曲がっている私が映っている。

今や悠里よりも私の方が

曲がり切っているのだ。


近づくと、幾つもの管がすでに取れており、

夏休みが始まる前までに

学校に復帰することは難しそうだが、

夏休み以降であれば容易に

復帰できそうな見た目をしていた。

顔色だって前に比べて

少し良くなっているように見える。


悠里「こんにちは。さっきまで奴村さんが来てくださってたんです。」


結華「…奴村さんが。」


悠里「はい。ちょうど入れ違っちゃいましたね…。」


残念、と眉を下げる。

不意に吐き気が押し寄せてくるも

音を立てずに悠里の近くに向かい、

カーテンに隠れていた椅子に座った。


奴村さんが去って、

ほんの少ししか経っていないのだろう。

花瓶の縁についた水滴が

風で囁くように揺れている。

花は上を向いており、

これでもかと思うほど

光を取り入れようとしていた。

上を向いていて、心の底から

明るくなるような色合い。

勇気と元気をもらえるような、

不思議な感覚に陥りかけた。


悠里「あのー…。」


結華「…何?」


悠里「えっと、私たち姉妹…らしいじゃないですか。」


結華「そうだよ。」


悠里「その、敬語じゃない方がいいですか…?」


結華「…。」


これまでの悠里からは

発されるはずのない言葉たち。

あの、えっとなんて言い淀まなければ

こちらを伺うような真似もしない。

別の人間。

別の人間だ。


…そんなこと、わかりきっているわけで。

わかりきっているはずなのに、

まだこいつは悠里であると思い続けている。

…思い続けなければ。

思い続けなければいけないのだ。

そうじゃなきゃ、これまでの恨みや苦しみを

どこにぶつけたらいいかわからない。

これまで悠里にあてていたものを、

劣等感を、どこにぶつけたらいいのか

全くわからないのだから。


結華「好きにしてよ。」


悠里「そう…ですよね。そしたら…うーん…結華さんが決めてくれませ」


結華「少しくらい自分で決めろよ。」


悠里「…!」


ぴり、と風が鳴った。

肌にひびが入ったような気がした。

少しくらい。

これまで自分勝手に決めていったじゃんか。

それが、記憶喪失になったらこれ?

自分じゃ何も決められないの?

決められる権利があるのに?

そんなの、私に対しての

当てつけのようにしか見えない。

今だから選ばせてあげるよ、と

見下されているようにしか見えない。

それがたとえどんなに卑屈で曲がった

認知の仕方だなんて罵られても、

ちょっとのことじゃこの頭は

考えを改めてくれないんだ。


だから悠里はいじめをやめなかった。

悠里だって頭が狂ってしまってたんだから。

もう何を言っても無駄だった。

あいつは、もう。

もしかしたらよかった頃に、

仲が良かった頃に戻るかもなんて

思った時もあった。

違う。

そんなの違う。

もう無理だったんだ。

もう狂ってたんだ。

人を見下すその快感に、

人をひれ伏せさせるその悦に。


2年前からおかしかった。

それはもう戻ることなどないと

知らないふりをしてきたんだ。


悠里「……そう……ですか…。じゃあ…少しでも自然を装いたいし…敬語話でどうでしょうか。」


結華「……別に、どっちでも。」


悠里「…!ありがとう。そしたら、今からスタートね。」


口調も指摘した方が

いいのだろうかと考えて

ふと思ったのだ。

思ってしまったのだ。


記憶が元に戻るかどうかについて。

今更にも程があるが、

自分でも驚くほど失念していた。


悠里の記憶がないままなら。

周囲の人間は驚きつつも

これまで通り…にはならないか。

いざこざを抱えながら

学校生活を送ることになるはずだ。

何人もの恨みを買ったんだ。

虐めた人は1人や2人じゃない。

つるんでいた人たちだって

引いている時はあった。

だから、今度は悠里がいじめられることだって

容易にあり得てしまうのだ。


もし記憶が戻ったら。

変わらず、いじめを繰り返すだろう。

非人道的な態度を取り続けるだろう。


どちらが良いか。

それは、私が選べることなのだろうか。


悠里「どうしたの?結華。難しい顔をしてるね。」


結華「悠里は、どうしたい?」


悠里「ん?」


結華「記憶、取り戻したい?」


わずかに目を見開いては、

呼吸と共に落ち着いていく。


悠里「記憶…?」


結華「そう、記憶。今はまだ現状にいっぱいいっぱいで考えられないかもしれないけど。」


悠里「…そうだな…。」


結華「…。」


悠里「取り戻したい…かな。」


結華「…そう。」


悠里「ねえ、私ってどんな人だったの?」


結華「…。」


悠里「あ、言いたくなかったら言わなくていいからね…!」


結華「…。」


何故だろう。

なんとなく、自分の手に力を込めていた。

なんとなく、深く息をついた。

本当のことを言うべきか、

酷く悩んでしまったのだ。


真実を言って、もしそのように

戻ろうと思うことがあったら

全力で止めるだろうし、

その可能性があるのであれば

わざわざ伝える必要はない。

前の悠里のようになりたくないと

思っていたとしても、

いつか、不意に思い出してしまうことだって

あるのかもしれない。


可能性をあげてもどうしようもない。

今聞かれているのは悠里の性格だ。


でも。

私が答えられることなんて…。


結華「……。」


悠里「…?」


結華「…最低なやつだったよ。」


悠里「え…私が…ですか?」


結華「そう。それでも戻りたいの?」


悠里「それでも…。」


悠里は目を見開いた後に、

じっと自分の手を見つめていた。

指にはいくつかペンダコがあり、

これまで頑張ってきた証が刻まれていた。

そこに、トランペットをしていたからこその

痕跡は見当たらなかった。


悠里「…わからない…です。」


結華「…急ぐことじゃないよね。ごめん。」


悠里「いや、結華さんが謝るようなことじゃ」


結華「今日は帰るよ。じゃあね。」


悠里「待って。」


悠里はらしくもなく声を上げる。

こんな声、してたって。

こんな声を上げたことあったっけ。

そんな感傷に浸りながら、

耳を傾けることなく

そのまま病室から去った。

扉を閉める時、悠里がこちらに

手を伸ばしたままの姿が脳裏に焼き付く。


まるで、全てを返せと。

奪うな、と言っているようにも見えた。


それを、無視した。

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