最終話「塩谷さんはやっぱり甘くない!」

 あの激闘から数日、ゆうは休日の体育館に来ていた。

 丁度催し物イベントの昼休みで、外に出てオプティフォンを取り出す。初夏へと向かう日差しは日々強くなってゆくが、まだまだ風は涼しかった。

 先程もらったメールを、もう一度確認。

 差し出し人は、あの吉乃よしのだった。


『ごめんなさい、少年。わたくしにも師匠の行方はわからないのです。ある日突然、ふらりといなくなってしまって』


 昔、世界最強レスラーのマスク・ド・ケルベロスを秒殺した男……謎の古武術使いの行方は結局、わからないままだった。

 だが、今はそれでいい。

 復讐の気持ちは、優たちにはないからだ。

 ただ、刹那や斗馬には整理したい気持ちもあったろうし、同時にわだかまりが軽くなっているのも事実だ。何故なぜなら、その男の分身たるユキカゼを、カナタは倒したから。

 それも、これでもかというくらいにプロレスな勝利だったのだ。


『あのあと急いで対戦しまくったので、わたくしも今は世界ランキング318位まで戻ってきました。また是非、少年と対戦したいですね』


 今はちょっと、しばらくはゴメンだと優は苦笑を浮かべる。

 まだ左手は包帯でぐるぐる巻きだし、あれ以来ファイティング・ギグセブンのプレイは控えている。まだまだ試したいことが沢山あるのだが、片手がこのザマではままならない毎日だった。

 だが、今の優は世界ランキング7位……晴れて十伯爵テン・カウントの仲間入りだった。

 そんな優への吉乃のメールは、物騒な言葉で締めくくられていた。


『そうそう、十伯爵の№8と№10が日本入りしたそうですわ。お気を付けを……でわでわ』

『――PS;今度は私的に、対戦以外の時間を御一緒したいですね』


 なんとも、二重の意味で波乱を呼びそうだ。

 やれやれとオプティフォンをしまえば、背後で呼ぶ声。

 振り向くと、斗馬とうまが親指で体育館を指さしている。


「おい、始まったぞ。応援してやんだろ?」

「うん。ありがとう」

「……いいって。なんか、お前結構変わったよな」

「斗馬もね」


 幼少期の因縁も、今は友情のきっかけに感じられる。

 そのことを噛み締めつつ歩けば、ガシリ! と長身の斗馬が肩を組んできた。


「今朝、俺もポイント稼いでランキング上げといたからよ。981位」

「あ、凄いね。世界の千人の一人になったんだ」

「うるせえ、世界第7位がなに言ってんだ……なあ、優。またやろうぜ、対戦」

「いいよ、是非。怪我が治ったらね」


 体育館の中は、熱気に包まれていた。

 ショーアップされたプロレス会場とはまたちがって、緊迫感がある。

 まさに試合会場、競技場の空気だった。

 そう、今日は総合格闘技MMAの大会がある。刹那が減量の末に、とうとう試合本番の日を迎えているのだ。午前中は順当に勝ち上がったが、午後からはベスト4の戦いになる。

 応援に駆け付ければ、いつものお馴染なじみの仲間もそろってた。


「あ、7位が来た。なにやってんの優、彼氏だってのに」

「え、そなの? 7位っちってせつなんの彼ピ? なにそれエモみー!」

「なんだ塔子とうこ、知らなかったのか? 7位様はリア充なんだよ」


 まことに塔子、そして斗馬……いじりが最近、やたらと板についてきた気がする。でも、悪い気がしない優だった。

 それでと試合に目をやれば、セコンドの咲矢さくやが大声を張り上げている。

 どうやら刹那は、準決勝で苦戦しているようだった。


「こら、刹那ちゃん! 気を抜かないで、スタンドに戻して! 負けてもいいから攻めて、最後も攻めで終わるように!」


 流石さすがに準決勝ともなると、相手も強い。

 優の視線の先で、珍しくあの刹那が苦戦していた。相手は小柄だが、柔術をベースに刹那を圧倒している。ポイントでも負けてて、このままでは敗北は必至だ。

 ちらりと時計を見やる咲矢にも、僅かな焦りが見て取れる。

 床に敷いたマットの上で、何度も何度も刹那は転がされ、極められかけ、苦しまぎれのディフェンスを続けていた。

 優は、息を吸って、吐いて、そしてまた吸って叫ぶ。


「刹那! 勝ったら焼肉行こうね。祝勝会は焼肉だよ!」


 その時、瞬時に刹那の動きが変わった。

 バックマウントからスリーパーホールドを極められかけていたが、なんとそもままスクッと立ち上がる。会場がどよめき、背中におぶられた形の相手も若干引いていた。

 ちょっと、信じられないくらいのフィジカルだ。

 同じライト級なので、70kgの人間をまるまる一人背負っている計算だ。しかも、その荷物は真剣勝負で刹那の首を締めあげているのである。

 だが、物理法則を無視したように立った刹那が、腕力でスリーパーをひっぺがす。


「んぎぎぎぎ……力、こそ、パワーだぞ! 焼肉デートなんだぞ!」

「あ、いや、みんなで行くんだけど」


 優の突っ込みも聴こえていないのか、そのまま刹那は相手を一本背負いの形で床に叩きつける。そしてすかさず上を取って、サイドにスイープしてから抑え込んだ。

 いわゆる塩漬け、刹那の最も得意な時間だった。

 だが、今は残りの試合時間が少ない。

 悠長にポイントを取っている場合ではなかった。


「ちょっと刹那ちゃん! 動いて! それ得意なのわかったから!」

「んあ、そうだったぞ……ええと、勝つには、KOしかないんだぞ」


 刹那はすぐに離れて立ち上がった。

 ように見えた。

 なんと、相手を抑え込んだまま、そのまま持ち上げて立った。会場がどよめき、いよいよ相手選手の顔が混乱にまばたきを繰り返す。

 当然だ、スタンドに戻るのではない……無理矢理立たせて、戻してしまったのだ。


「よし、KOするぞ、っと……もう時間がないんだぞ」


 相手が目を白黒させながら、立たされたゆえにおろおろと構える。

 そこに刹那は、容赦なく打撃を叩き込んだ。

 咲矢が言うには、もう残り時間は10秒を切っている。

 けど、流れは完璧に刹那のペースになっていた、


「せつなん、がんばえー! もう、ブン投げちゃえし!」

「相手びびってるよー! ……なんか、相手がかわいそうになってきた」

「あれを、昔の俺は……ぼてくりまわしてたのか。知らなかったとはいえ恐ろしいぜ」


 セオリー通りのワンツーパンチも、試合後半の疲れを全く感じさせない。唸る空気を沸騰させて、まるで相手の表面を削るように繰り出される。

 刹那が意図的に上段を激しく打っているのが、なんとなく優にはわかった。

 そして、レガースが肌を打つエグい音が乾いて響く。

 強烈なローキックに、思わず相手が片膝を突きそうになる。

 が、それを両手でわざわざ刹那は立たせた。ダウンで試合が止まるのを避けるため、無理矢理むりやり首相撲くびずもうで抱えてスタンドをキープする。

 そこからの膝蹴り、膝蹴り、そしてトドメの真空飛膝蹴り。

 相手が気の毒に思えるくらいのKO劇だった。


「っ、は、はあ! や、やったぞ……焼肉デートなんだぞ!」


 刹那も疲れでよろけたが、失神して担架たんかで運ばれてゆく対戦相手に深々と頭を下げる。

 そうして面を上げた刹那の、真っ白な歯を輝かせた笑みが眩しかった。

 そこに優は、唯一無二の相棒の姿を見る。

 刹那が明日の彼方に見やる未来……そこにもう、優のカナタの姿がある気がする。それを借りて優もまた、新たな戦いの日々へと夢と野望を進めていくのだった。

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塩谷さんは甘くない! ながやん @nagamono

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