第27話「eファイターの矜持」

 ピヨりスタン

 連続して強力なダメージを叩き込まれると、キャラクターが行動不能になってしまうことがある。今、ゆうのカナタはまさにその状態だった。

 そしてそれは、近代の対戦格闘ゲームにおいては……屈辱くつじょく

 高レベルのプレイヤー同士では、滅多めったに起こらぬ現象だからだ。


「何やってんだ、優ぅ! いいから早く回復しろっ! レバガチャだろうが!」


 斗馬とうま怒鳴どなる声で、なんとか優は我に返った。

 動揺の中で、敗北の危機を悟る。

 そして、あらがう気持ちはまだ折れていなかった。


「やってくれるね、まったく……起きて、カナタッ!」


 優は瞬時に捨て身の選択を決断した。

 その間、僅か一秒にも満たぬ機転、英断だった。

 十字キーを操作する左手を、オプティフォンから放す。

 そして、こぶしを握って猫の手に。

 そのまま優は、束ねた指をオプティフォンに押し当て、激しくこすった。

 一昔前のゲームセンターでよく見られた、という奴である。

 皮膚が熱く痛みを伴って、指の千切れるような思いに血飛沫ちしぶきが飛び散る。

 構わず優は、無数のでたらめな入力で回復を促した。


「っ、悪あがきですね!」


 吉乃よしののユキカゼが、無防備なカナタへ襲い掛かった、その瞬間だった。

 辛うじて回復したカナタを幸運が救う。

 流血のレバガチャから復帰したカナタは、その時偶然入力されたコマンドに従ってガードを固めた。トドメのコンボが初手から防がれ、すぐにユキカゼは連続技を中断して下がる。

 その時にはもう、感覚のない左手で優はオプティフォンを持ち直していた。


「確定状況でのコンボでも、ヒット確認してくる……なるほど、これが十伯爵テン・カウントレベル」

「……少年、指が」

「ああ、大丈夫ですよ。もう痛さは感じませんから」

何故なぜ、そこまで」

「あなたならわかる、わからずとも感じると思いますけど」


 周囲を歓声が包んだ。

 ギャラリーたちの足踏みで、駅前の広場が揺れる。

 間一髪かんいっぱつで優のカナタは、ピヨりから再びファイティングポーズを取った。直後にガードできたのは、これは偶然である。擦り連射のランダムな入力の、最後がたまたま後ろ方向……単純にガード入力だっただけである。

 だが、そこからの反撃は容易ではなかった。

 左手の痺れるような痛みが、かつてない恐怖を連れてくる。

 ほんの一瞬のミスで、あっという間にピヨりまで持っていかれた……これは優にとっては、初めての経験だった。


「反撃に出る! ――ッツ!」


 血で、オプティフォンが滑る。

 それでも優は、カナタに前に出るように念じて操作に集中した。

 だが、繰り出した逆水平チョップをかいくぐるように、ユキカゼがタックルを放つ。低く這う影のような一撃で、あっという間にカナタはマウントポジションを取られてしまった。

 急いでガードポジションに戻そうとするが、優のコマンド入力がワンテンポ遅れる。

 その間に、ユキカゼがパウンドマウントパンチの拳を振りかぶる。

 慌てて顔面を防御しようとした、その隙を狙われた。

 パンチはフェイントで、顔を守る右手が腕ひしぎ逆十字固めに取られそうになる。

 セオリー通りカナタは両手をフックしたが、徐々に右腕が伸び切ってゆく。


「ここまでですね、少年。このゲームにギブアップはありません……その腕、折ります!」


 吉乃はあくまで冷静だったが、その語気が熱く尖ってゆく。

 ほお紅潮こうちょうあらわで、彼女も本気なのが自然と知れた。

 絶体絶命のピンチ、徐々にカナタの右肘が極められていった。

 そして、したたる血と共に優の左手も感覚を失ってゆく。

 そんな時、声が走った。

 その言葉が、優にプロレスを思い出させる。

 そう、カナタというキャラクターは総合格闘技の技術も持つが、プロレスラーなのだ。


「優っ! 負けるな、優! 力だ、力こそ――」


 チラリと視線を走らせて、その少女の姿を網膜に拾う。

 僅か数フレームの邂逅かいこうで、優は刹那せつなと通じて一つになった。

 否、最初から一つだった……優の操るカナタには、刹那の魂が込められている。

 突然駆け付けた刹那の声援に、優は己を奮い立たせた。


「そうだ……力こそ! !」


 落ち着いて深呼吸し、シャツで血を拭う。

 そして、すぐに優のカナタは息を吹き返した。

 もうすぐ完璧に極まる腕ひしぎに抗い、その場でブリッジする。強靭な腹筋で人間橋にんげんきょうを描いて、そのまま倒立で頭側に縦回転、うつ伏せに体勢を入れ替えた。

 一瞬のことで、軽量級の小さなユキカゼも一回転。

 その時もしっかりと、カナタの両手は互いにロックされていた。


「ば、馬鹿な……少年、どこにまだそんな力が」

「柔よく剛を制す、だとしても! 剛もまた柔をあっする! 勝負です、吉乃さんっ!」


 うつ伏せのまま、カナタがユックリ四つんばいに身を起こす。

 すかさずユキカゼがポジションを入れ替え、両脚で三角締めを仕掛けてきた。しっかりと頸動脈を捉える、それは完璧な柔術のテクニック。

 だが、そのテクニックを圧倒的なパワーが制圧する。

 首に絡まるユキカゼを、極められた腕ごとカナタは高々と持ち上げた。

 これが、パワー。

 そして、受けの美学を真髄しんずいとするプロレスだった。

 刹那が叫んで、優も応える。


「そのまま叩き付けるんだぞ、優っ!」

「わかってる、バスターで仕切りなおすっ!」


 慌てて離れようとするユキカゼを、そのままカナタは地面へと叩き付けた。激しい衝撃に、まるで実際に揺れたような錯覚。一瞬AR映像がノイズに波打つ。

 受け身を取り損ねたユキカゼは、それでも後転で距離を取って立ち上がった。

 その時にはもう、優は力強く相棒を押し出す。


「あれを使う……問題は、どう仕込んで、どこで吸い込むか」


 一気に勝負は五分と五分に戻ったかに見えた。

 だが、すでにカナタのダメージは相当なものがある。こういう時、可視化されていない残りの体力がもどかしい。

 それでも、いや、だからこそ。

 敢然かんぜんと優はカナタを攻めさせる。

 逆に、残り時間を気にする時期になってて、ユキカゼはガードを固めてきた。


「もうおよしなさい、少年。それよりも、指の治療を」

「……しょっぱいなあ、もう」

「は?」

「トップランカー、十伯爵ともあろうプレイヤーが、タイムアップ狙いですか? それじゃあ……僕の! 僕たちのプロレスには勝てない!」

「言わせておけばっ!」

「言わせてもらった! あとは、見せるだけ……せてやるっ、僕たちの力を!」


 ワンツーの掌底しょうていからローキックのコンビネーション、そして鋭いエルボー。

 打撃をつむいで繋ぎ、どんどんカナタは連携攻撃でユキカゼを追いこんでゆく。

 そして、足を止めさせて投げる。

 だが、吉乃もまた一流プレイヤー、すぐに受け身や投げ抜けコマンドを駆使してきた。ガードを崩せる投げにも、回避方法はあるのだ。

 それに、果敢に出の速い打撃で連携に割り込もうとしてくる。

 既にもう、互いがガードを捨てた乱打戦で殴り合っていた。


「くっ、わたくしのユキカゼがこうも……しかし! わたくしは十伯爵、ランキング7位! 負けません……いえ、絶体に勝ちます!」


 その時、えて優が大ぶりな強撃きょうげき、ハンマーフックを振り下ろす。

 それを黙して見て反応、吉乃は最短最速で当て身投げを入力して見せた。

 その一瞬が見るものの時間を凝縮、そして長くながく引き伸ばす。

 当て身投げで決着かと思われた、その時だった。

 真っ赤に染まって加熱する指で、優は正確にあのコマンドを入力する。

 突然、大ぶりなテレフォンパンチが引っ込んだ。

 次の瞬間には、カナタはユキカゼの背後に吸い込まれていた。

 否……


「なっ……からキャンセル!?」

「これだけスローな技なら、その数フレーム内にコマンド入力は完成する。技の途中だからジャンプもしないし、他の技も暴発しない! そしてこれが!」

「タ、タイガースープレックス!? いえ、これは」


 天国の三沢さんよ、御照覧ごしょうらんあれ。

 しかして刮目せよ、これが、これこそがプロレスだった。

 カナタはユキカゼの両腕を背後に束ね、その両肘関節を逆に極める。無理に逃れようとすれば,確実に骨が折れる強い極めだった。同時に、相手を拘束する両腕はそのまま、背中へと左右のエルボーを零距離ゼロきょりで同時に叩き込んだ。

 腹へと衝撃が突き抜け、ユキカゼが浮き上がる。

 そしてそのまま、カナタは背後へとブリッジして大地へと叩き付けた。

 投げる、打つ、そして極める……三位一体、三つ首で唸る地獄の番犬がすさんだ。


「なっ、なな、なんだあの技はっ!」

「は、初めて見る技だ……けど! けどよぉ、みんなあ!」

「とんだジャイアントキリングだぜっ! っしゃあ、カウントォ!」


 ギャラリーが一つになった。

 皆で叫ぶ中で、刹那も大声を張り上げているのが見えた。


 ――1ワン


 ――2ツー


 ……3スリー


 ない筈のゴングが聴こえて、優はその場にへたり込んだ。同時に、ブリッジしたままフォールしていたカナタが立ち上がる。

 ユキカゼは身動き一つできず、消えていった。

 勝利のポーズで拳を突き上げる、そんなカナタと同じ姿に優は抱きすくめられるのだった。

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