第26話「リアルバウト・スピリッツ」

 誰もが息を飲む中、緊迫感だけが高まってゆく。

 電子音声が告げる戦いの始まりは、とても静かなものだった。

 カナタもユキカゼも、大きく動くことはない。

 いな

 その片方を操作するゆうは、言い知れぬ初めての恐怖に小さく震える。武者震いだと言いたいところだが、十伯爵テン・カウントの№7、吉乃よしのの見えない気迫に飲まれかける。

 静寂に沈んでいた周囲も、ざわざわと騒ぎ始めた。


「お、おい、動かねえぞ……?」

「いや、動いてはいる、けど」

「動けてない……いや! 動けないんだ!」


 そう、下手に動けず優は攻めあぐねていた。

 一方で、吉乃には余裕が感じられる。

 両者は互いの相棒を前後に歩かせつつ、牽制のパンチやキックを放つ。それは相手に触れることなく、ガードさせるにもいたらない。

 攻撃のとっかかり、起点になるアクションを優は迷った。

 どうしても、リスクを感じれば踏み出せなかった。


「どうしました、少年? 受けに回るほど、余裕のある身でもないでしょう」


 吉乃の言う通りだ。

 さりとて、確信に近い予感がある。

 吉乃のユキカゼは、当て身投げという珍しい技を使う。打撃を無傷で受け止め、そのままカウンターで投げる高等技術だ。そして、ひとたび大地に伏せられてしまうと、そこからはグラウンドの攻防になる。刹那せつな仕込みのサブミッションに心配はないが、謎の古武術を扱うユキカゼは底が知れない。

 よって、試合はゆっくりと互いの読み合いで停滞してゆく。


「優っ! 弱気になるなって! 多分、フィジカルじゃ刹那が、カナタが上だ!」

「わかってる、まこと。わかってるけど……ふふ、れるね」


 ふと、口元に笑みが浮かんだ。

 それで少し、余裕を取り戻す。

 そして思い出す……何故なぜ自分が、このステージに立っているかを。

 ランキングの上位に立ちたい? それは結果だ。

 その過程にこそ、優は夢中で情熱を注いできたはずだった。

 そして、電子の格闘家たちに変化が訪れる。


「ほう、ディレイですか。少年、誘っても無駄ですよ?」

「無駄かどうかは最後に決まるんです。……いくぞ、カナタッ!」


 カナタが立ったり屈んだりしながら、上体を揺すりつつ距離を詰める。

 ユキカゼもまた、掌打しょうだを出す素振りを見せたり、蹴ろうとした脚を引っ込める。カナタも同様で、技のモーションを中断させたり遅らせるディレイというテクニックを駆使していた。

 相手をふところに飛び込ませないための、牽制。

 そして、牽制の打撃を気取らせないためのディレイでモーションをキャンセルさせる。

 ひりつくような攻防の中で、最初に動いたのは優のカナタだった。


「あっ、見ろ! デカいの方が」

「ダッシュ!? 短い! そして速いっ!」


 周囲が一瞬で沸騰した。

 屈んでの素早い足払いの連打から一転、カナタは一瞬で距離を殺した。その瞬発力は刹那譲りで、踏み込む速さは酷く短いステップイン。

 だが、これでいい。

 これがいいから、まことに調節してもらって移動距離を最短にしてもらってるのだ。

 その時にはもう、優の左手は親指に一回転のコマンドを入力させている。


「む、投げキャラでしたね、そういえば」


 戦いは瞬時に、静から動へ。

 キャラ一人分ほどまだ距離があったのに、あっという間にユキカゼは吸い込まれた。広い間合いの投げ技に掴まったのである。

 まずは一撃、カナタがユキカゼの両腕をねじってロックしつつ、回転し始める。

 そのまま天高く舞い上がって、そして受け身不能のケルベロスドライバーが炸裂した。

 どよめく「おお!」という声に乗って、優はさらなる追い打ちを仕掛ける。

 ――ように見せて、間合いを保ってカナタを止まらせた。


「やりますね、少年っ! 久々に面白くなってきました。躊躇ちゅうちょなく当て投げ、投げハメしてくるなんて……いいですね、とてもいい」

「ジャンプで避ければ投げられませんよ、吉乃さん」

「っ、わたくしに教えを! そういう立場では、ないでしょうに! 釈迦しゃか説法せっぽうですよ!」


 僅かに吉乃が語気を荒げた。

 彼女にとって当然の知識を、えて優は口にしたのだ。同時に、吉乃が気付いているとも知っている。投げを避けようと飛ぶキャラの頭上に、あらかじめ打撃を置いておく……そういう選択肢もあって、単純ながら強力な二択攻撃を迫った形だった。

 そして、立ち上がるユキカゼが反撃の前蹴りを蹴り出し、そして、


「っ! 少年……やってくれますね」

「不用意じゃないかな、吉乃さん」


 突然、ヒットマークのエフェクトと同時にユキカゼがのけぞる。

 優は、。相手に攻撃を出させて、当り判定と一緒に突き出されたやられ判定を叩く。

 技を出させて、それを潰す。

 そして再び、カナタは地を蹴った。

 電光石火のスピアータックルだった。


「このままテイクダウンして! 一気にダメージを稼ぐっ!」

「このユキカゼにグランド勝負を? なんていけない少年!」


 優は息を止めて、そして全力集中。

 永遠にも等しい一秒、その何分の一かの数フレームがゆっくり流れる。

 塩漬け最強と自負する刹那そのままに、カナタは小さなユキカゼをタックルで倒すと、そのままサイドへスイープ、抑え込む。

 筈だった。

 だが、ぬるりとユキカゼが捕縛を抜けて立ち上がる。


「なっ、なにが……投げ抜け? じゃない、今のは」


 思わず驚愕きょうがくを小さく呟いた。

 息苦しい。

 鼓動の音が鼓膜を叩く。

 極限のコンセントレーションで、先に立つユキカゼの一瞬前を思い出す。

 そして、優は急いでカナタを立たせようとした。


「ちょっとちょっと、まことっち! あんなのアリなの!? 斗馬とうまっちも!」


 塔子とうこが驚きの声をあげている。

 ゲーマーではない彼女から見れば、確かに反則技のような気がするだろう。

 だが、現実だ。

 ゲーム内に再現された操作は、全て正当なものである。

 だから、吉乃のプレイングは反則ではない……反則級のイレギュラーだったとしても。


「じっ、!」

「そんな抜け方があるのかああああああああ!?」

「まずい、起き攻めを喰らうぞ! デカい娘、早く立っ! ガードだ、ガード!」


 ギャラリーに言われるまでもない。

 慎重かつ迅速に、優はカナタを立ち上がらせようとした。

 そして、かすかに見え隠れするチャンスの光を掴む。

 先に立ち上がったユキカゼは、両のてのひらを突き出すように発勁はっけい……確か八極拳の奥義で、白虎双掌打びゃっこそうしょうだという技に似ていた、激しい震脚しんきゃくにARの表示が揺れて背景がぶれる。

 明らかにタイミングを外していた。

 起き上がるカナタに重ねて当てるには、速過ぎるモーションだった。

 つまり、吉乃は焦ってミスをした……そう思った瞬間に声が走る。


「優っ! まだ寝てろ、立つな! その技は――ッ!」


 斗馬の絶叫で優も気付いた。

 その時にはもう、入力に従いカナタは立ち上がろうとしていた。しかも、立つと同時に起き上がりをキャンセル、いわゆるリバーサルで投げ技を入力し終えていた。

 そして思い出す……どんな投げ技も、入力成立から投げ判定の発生までに、僅か数フレームの隙がある、どんなに速いジャブやキックでも割り込めない、まさに刹那のとき

 だが、すでにそこに攻撃判定があれば話は別だ。


「気をつけろって言ったろ! 28!」


 斗馬の言った通りだった。

 立つと同時に投げを打とうとして、突然カナタは大きく揺れた。そのまま腹部を抑えて、膝から崩れ落ちる。ユキカゼはもう技のモーションを終えていたが、放たれた見えない攻撃判定だけがそこに残っていたのだ。

 吉乃はミスを犯してはいない。

 遅滞して漂う見えない攻撃を、あらかじめ起き上がりに置いておいたのだ。


「終りですね、少年。なかなかに楽しめましたよ……そして、思い知りなさいな。これが十伯爵、トップランカーの真の力です」


 カナタは、動けない。

 そこへと、ユキカゼがゆっくり歩み寄る、

 肘打ひじうち、そして同じ左の裏拳うらけん、流麗なる二段技。からの、高い高い蹴り上げ。サンドバッグにでもなったように、カナタの長身が天高く浮く。

 重力に捕まり落下したそのAR画像は、巨大なヒットマークと共に画面端に吹き飛んだ。

 無防備に宙を漂うカナタへ、ユキカゼは容赦なく鉄山靠てつざんこうを放ったのだ。

 立体映像が揺らいで霞み、ノイズに塗れて止まる。

 それでもカナタは立ったが、それだけだった。

 そして、珍事にも等しい状況でギャラリーたちが絶望を歌う。


「駄目だ、ピヨスタンったあああああああ!」

「棒立ちじゃねえか! オワタ!」


 立ち上がってはくれたが、カナタは全く優の操作を受け付けなくなっていた。

 その頭上には、無数の星々がきらめき回っているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る