第25話「弱さを知れば、強くなる」

 ときを告げる鐘の音ゴングが、駅前の広場に響き渡る。

 時計塔の下に今、黒き女王が佇んでいる。

 まるで喪服もふくのような黒い和装は、周囲のプレイヤーたちをとむらうかのよう。自らが蹴散らした敗者たちは、そこかしこでうなだれながらオプティフォンを見詰めていた。

 その数、ざっと数十人……そこだけ夕暮れに闇が澱んでいた。


「あっ、ユウユウじゃん! ほら、斗馬とうまっち! ユウユウとまことっちだよ!」


 沈み込んだ空気の一角で、見知った声が響いた。

 こっちを指さし、少年の手を引いてやってくるのは塔子とうこだった。

 勿論もちろん、もう一人は斗馬である。

 瞬時にゆうは察した。

 リベンジを挑んで、斗馬のオルトロスは再び敗れたのだろう。

 敗者にかける言葉は少なく、優も逆の立場なら受け取り難い。

 でも、幼少期の因縁を超えて今、斗馬は大事な友人の一人だった。


「お疲れ、斗馬」

「……おう」

「全部、出し切れた?」

「まあな」


 いたわりも、同情も、無用だ。

 そして、敗北は恥ではない。

 対戦すれば、必ず二人は勝者と敗者に二分される。それを承知で皆、勝者を目指して挑んでゆくのだ。だとすれば、優もこれ以上の言葉を必要としない。

 だが、意外にも斗馬の方は逆だった。


「お前もやるのか? 優」

「うん」

「勝算は?」

「わからない。けど、やらない理由にはならないよね」

「だよな……フッ」


 小さく笑って、最後に斗馬が耳元につぶやいてくる。


「優、一つだけ……いいか、


 それだけ言うと、ポンと優の肩を叩いて斗馬が去ろうとする。

 その背に、飛びついてしがみつくように塔子が引っ付いた。あれは抱き着いたというんだろうか、体格のいい斗馬が流石さすがによろけて振り返る。


「あーもぉ、斗馬っち! あーしがなぐさめてやるから! 泣くなし!」

「いや、泣いてねぇし……ってか、重いっての」

「あ? 今なんつったコラ」

「……重くはないけど、その、ですね」


 斗馬の背中に張り付いたまま、塔子は首に腕を回して頭を撫でた。


「よしよし、斗馬っち頑張った! あーしの胸で泣きなよ。男の子だって、泣いていいじゃん?」

「いや、それは……あとでに、する」

「おうっ! それとさ、何度負けたっていいと思うよん? 負けた数だけ立ち上がればいいじゃん」


 軽く言ってくれるなあ、と優は思った。

 同時に、真理だとも思うし、自分にもそう言い聞かせてきた。

 勝負の世界の外にいるからこそ、それを口に出せるのは塔子だけかもしれない。


「このゲームさあ、HPヒットポイントとか体力の表示、ないじゃん? 立ち上がれたら全然OKなんしょ? それって現実も同じだって」

「塔子、お前……」

「負けて終わるな、立ち上がれっての! そしたらまた戦えるし、最後に立ってりゃ勝ちっしょ!」


 それだけ言って、ニパッと塔子は笑った。

 斗馬のことは、塔子に任せておけば大丈夫そうである。

 そして、次はいよいよ優の番である。

 意気込む優を今、腕組み見詰める視線があった。

 吉乃よしのは何故か、フラットな表情で斗馬と塔子をすがめている。あきれたような、うらやむような、微妙な空気が少しだけ女帝の覇気を和らげていた。


「なにあれ、アオハルですか……う、羨ましくなど」

「吉乃さん。次は僕と対戦、お願いします」

「来ましたね、少年。そんな気がしてました……今日の最後の相手は、君にします」

「でも、ちょっと待ってください。対戦は5分後、吉乃さんも少し休みませんか」


 吉乃は意外そうに眼を丸くして、そして笑った。


「軽く50連戦ほどこなしましたが、わたくしは疲れてなどいませんよ。トップランカー、十伯爵テン・カウントともなれば、いつでも数百戦は連続で戦うものです」

「それでもです。……指、赤くなってますよ、吉乃さん」

「……わたくしがもし、万が一負けて……その時、疲労を言い訳にするような女とでも?」

「いえ、それは全然。ただ、僕は僕でもう少し時間がほしいから。僕のわがままで、5分だけ待ってください。それまで、対戦も負けるのもナシってことで」


 吉乃は今度こそはっきりと笑った。

 失笑のような、でも愉快そうに声を上げて笑う。


「面白い子ですね、本当に。少年、そちらのアセンブルになにか問題でも?」

「それもあります。あとは、吉乃さん……ベストな状態のあなたと戦って、勝ちたい」

「ふふ、かわいい顔してエゴイストなのね。いいわ、さっさと準備を整えなさいな」


 吉乃はオプティフォンで別のアプリを立ち上げつつ、一歩下がった。

 同時に、まことがノートパソコンを片手に駆け寄ってくる。

 どうやら、例の超必殺技が実装できたみたいだった。

 だが、妙にまことの表情は逼迫ひっぱくしている。

 声を潜めて、彼は額を寄せるようにささやいてきた。


「優、アセンブル完了した。区分的には、投げ技になる」

「間合いが広いといいよね。吸い込む感じで」

「そこは、微妙。実戦で使ってみるしかないかな。ただ」

「ただ?」

「これ見て、コマンド入力方法なんだけど」


 ノートパソコンの画面を覗き見て、一瞬優も頭が真っ白になった。

 瞬時に落ち着きを取り戻したが、理解が追いついてこない。

 そこには、おおよそが並んでいた。

 ファイティング・ギグⅦの公式アセンブルAIが判定した、威力や性能に相応しいコマンドがそこには表示されていた。


 弱パンチ > 強キック > うえ > した > 中パンチ > 強パンチ


 ……訳がわからない。

 通常、ゲームのコマンドは『レバーを操作して、最後にボタンを押す』というものである。そのレバー操作には波動↓↘→コマンドとか竜巻↓↙←コマンド、ヨガ←↙↓↘→逆ヨガ→↘↓↙←等、大昔の元祖格闘ゲームから受け継がれてきた総称があった。

 普通は、レバーをぐりぐり操作して、最後にボタンを押す。

 しかし、隠し技のトライアン・ファングはその常識の埒外らちがいにあった。


「普通に通常技が出ちゃうね、これだと」

「昔さ、大昔……まだゲームが2Dだった頃、こういうコマンドが一時期あったんだ。なんだっけ、えっと……ダクネス系? 瞬獄殺しゅんごくさつとかいうのもあったかな」

「まこと、公式のAIがこれを?」

「うん。しかも見て、途中でレバーを上に入力するから」

「ジャンプしちゃう、か……うん、わかった。投げ技だってわかってれば、それだけでOKだよ。ありがとう、まこと」


 予想外だったが、想定外だとは思わない。

 そして、その難解なコマンドを内包して今、真に完成したカナタがオプティフォンにアップデートされた。

 まことのアセンブルは完璧だと信じられる。

 そして、優に戦う姿を与えてくれた少女のことを思い出していた。


「あとで刹那せつなにも教えてあげなきゃね。お父さんの秘密の必殺技」


 自然と笑みが浮かんで、優はその時を迎えた。

 きっちり5分、再び吉乃の前に立つ。

 その姿に、誰もが「おお!」と息を飲んだ。異様な熱気が周囲を包んで、不気味な静寂が訪れる。道行く車さえ、ドライバーの視線が釘付けで渋滞し始める。

 吉乃は懐から紐を出すと、たすき掛けに結んで着物の袖を整えた。

 どうやら、本気中の本気ということらしい。


「準備はいいですか? 少年」

「お待たせしました。宜しくお願いします」

「礼儀正しい子は嫌いではありません。が、手加減はできませんよ?」

「望むところです」


 そして、夕闇迫る街の一角に二つの影が浮かび上がる。

 雌雄を決すべく、カナタとユキカエは向き合い身構えた。

 こうして並べてみると、カナタの方が体格はいい。長身ムチムチの刹那をそのまま落とし込んだ、すらりと痩せマッチョな美少女がそこには立っている。

 対して、小柄なユキカゼには不気味なオーラが感じられた。

 黒い道着姿が、何倍も大きく見えるかのような錯覚が襲う。


「それが少年の性へkせいへk……ん、んんっ! ん! ……少年のキャラですか」

「大事な人たちが、大切な女の子が協力してくれて、ここまで仕上がりました」

「いいですね。それでこそです。ではかかってきなさい。十伯爵が一人、世界ランキング7位のわたくしがお相手します!」


 かくして、戦いの火ぶたが切って落とされた。


Session.1セッション・ワン! Readyレディ……Goゴー!!』


 試合開始が宣言された瞬間、優の指が滑るように動く。

 液晶パネルを叩いてこする、その熱さえ忘れる激闘が優を飲みこんでいった。

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