第24話「託された、牙」

 外に出るともう、春の空気が熱気に燃えていた。

 もう日も傾いているというのに、まるで真夏のように感じる。

 国津市くにつし全体が、ファイティング・ギグⅦのイベントバトルで盛り上がっている。

 それはゆうも同じで、いよいよ本当の戦いが始まる。

 早速まことと駅へ向かおうとした、その時だった。


「優くん、まことくんも。よかったら乗っていくかね?」


 ふと、二人を呼び止める声。

 振り返ればそこには、恰幅かっぷくの良い中年男性が立っていた。

 それは誰であろう、刹那せつなの父親、翔吾しょうごだった。

 かつて、最強レスラーと呼ばれたマスク・ド・ケルベロス、その中の人である。正確には、マスク・ド・ケルベロスだった人、だ。

 ライトバンの運転席に戻りつつ手招きしてくるので、優とまことは駆け寄る。


「こんにちは、おじさん。でも、いいんですか?」

「ああ、いいからいいから。こっそり刹那の様子を見に来たんだが、その……君たちに渡したいものもあってね」


 お言葉に甘えて後部座席に乗れば、ゆっくりとライトバンは走り出す。

 徒歩でもそんなに掛からない距離だが、内心優は幸運に恵まれたと思う。優もまたこの国津市で戦うプレイヤーだ。当然、誰かに対戦を挑まれたら引き下がる訳にはいかない。

 だから、駅前で高ランクのプレイヤーとの対戦前に、無用なエンカウントを避けられる。これはとてもありがたい。

 ちらりと窓から外を見れば、そこかしこで対戦が盛り上がっていた。

 安全運転でハンドルを握りながら、翔吾はぽつぽつと喋り出した。


「刹那は、減量に苦戦しているようだな。まあ、いい経験だ……コンディション管理はどんなアスリートでも基本だからね」

「家でもほとんど食べてないんですか?」

「ああ。四苦八苦しながら忍耐力で耐えている。さっきの動きはでも、少し悪かったみたいだが」


 どうやら翔吾は、ジムの外から見ていたようだ。

 直接中に入って会わなかったのは、父親なりの気遣いだろうか。親一人子一人、男手一つで女の子を育てる家庭特有の、繊細な距離感があるのかもしれない。

 でも、優もまことも知っている。

 刹那は、ファザコンを疑うレベルのパパ大好き少女なのだった。

 だからこそ、苦しい今こそ距離を取る、そういう親心もあるのだろう。


「それと、刹那から聞いたんだが……君たちのやってるゲーム」

「あ、はい。ファイティング・ギグセブンっていうんですけど」

「詳しくはないが、大人気のシリーズもの、だったかな」


 そこでまことが身を乗り出してノートパソコンを開く。


「そうなんです! それで、刹那にモーションキャプチャーしてもらったキャラがこれで」

「ほう。そっくりだな。……少し懐かしいよ」


 ちらりとだけ見て、それ以上は余所見せずに翔吾は車を走らせる。

 懐かしいという言葉は、少し意外だった。

 そして、意外な言葉が飛び出てくる。


「実は、そのゲーム……大昔に、俺も技を色々取ったことがある。まだ現役時代、メーカーに頼まれてね。その、公式のデフォルトキャラの一人になる予定だったんだ」


 初耳である。

 しかし、シリーズを重ねるごとに進化するファイティング・ギグは、現在七作目だ。以前から、すぐにプレイできるように数人のデフォルトキャラが最初から用意されている。

 マスク・ド・ケルベロスはかつて、その一人に選ばれていたというのだ。


「確かあれは、十年以上前だったから……スリーフォーあたりだったか」

「すっ、すす、凄いですよおじさん! それって、トップレベルの格闘家しか選ばれない奴ですよね!」

「ハッハッハ! 直後に例の負け試合で引退したから、没になったんだけどね!」


 なんとも切ない、驚きの裏話だった。

 優も初耳で、同時に説得力のある言葉だと感じる。当時のマスク・ド・ケルベロス人気はすさまじく、老若男女を問わず大いに盛り上がっていた。

 空前のプロレスブームが到来し、お茶の間には試合中継が帰ってきたのである。

 しかし、その全てを背負っていた英雄は、衝撃的な敗北と共に消えた。


「やはり、メーカー的にもゲームを売らなきゃいけないからね。悪い印象のある格闘家は、外されてしまうんだよ。……それで、だ」


 丁度、車が駅前商店街の入り口で止まった。

 すでにもう、かなりの盛り上がりで歓声が聴こえてくる。

 そんな中、翔吾は振り返るとポケットから一枚のSDカードを取り出した。


「俺には不要なものだからな……優くん、そしてまことくん。よかったら役立ててくれ」

「こ、これは……」

「現役時代にモーションキャプチャーしたもので、俺の……一番の必殺技が入っている」

「一番の、必殺技?」


 マスク・ド・ケルベロスの必殺技といえば、ケルベロスドライバーだ。

 それはもう、刹那の完璧なモーションで取り入れている。

 そのことを伝えると、翔吾はニヤリと笑って首を横に振った。


「実は、異種格闘技戦をやる前から、考えていたんだ。投げる、打つ、そして極める……今の総合格闘技にも通ずる、あらゆる格闘技の基本だ」


 ――その三種の神器を、全て一つの技に込める。

 その言葉に、思わず優は驚き目を見張った。

 まことも同様で、何度も瞬きを繰り返している。キャラクターのアセンブルを担当する彼にとっては、目の前のSDカードは伝説の秘宝みたいなものだった。


「え、でもおじさん……そんな技、現役時代に見たことないよ! それに、打撃と投げと関節技、この三つをミックスさせるなんて無理じゃないかな」

「……まこと、僕は少しわかった。多分、それはもうプロレス技じゃないから、だから使わなかったんだ。現役時代、ずっとね」


 優の言葉に、翔吾は静かに頷く。

 プロレスとは格闘技である前に、ショーであるべき。エンターティメントなのだと翔吾は語った。リングの上に見る夢、一夜限りのロマンなのである。

 だからこそ、プロレスラーには『受けの美学』がある。相手の大技を受けて見せて、そこから立ち上がる強さをお客さんに見てもらうのだ。

 ただ勝つだけでは、三流である。

 一流のプロレスラーは、相手の力を100%出させて、その上で勝たねばならない。

 相手にも見せ場を作って、ちゃんと技を受け合ってこそのプロレスなのだ。


「あの技は……トライアン・ファングは、強力過ぎる。そういう技はね、プロレスの世界ではあまり必要ないんだよ。一発で相手を再起不能にしてしまうからね」


 ――

 三つ首の番犬が隠し持つ、地獄の牙。

 その名の通り、格闘技の三要素……投げる、打つ、極める、これが全て組み合わさった技だという。地獄の番犬の三位一体技、それはプロレスの技としては強過ぎた。

 そのデータが、SDカードに入っていると翔吾は言うのだ。


「現役時代、ゲームのメーカーさんに強請ねだられて、どうしてもと言われて一度だけモーションを取ったことがある。その時は」

「その時は?」

「危険なので、人間相手ではなく機械の人形みたいな装置を使ってね。ハハ、それで……一発でそれが壊れてしまって、相当高い機材だったらしくてね、ハ、ハハハハ」


 なんとも危険でいわくつきの必殺技だ。

 だが、もしかしたら優の操るカナタの新たな力になってくれるだろう。

 ただし、古いバージョンのファイティング・ギグなので、コンバートには手こずるかもしれない。そこは優は気にしてなかったし、まことを信じていた。

 そのまことだが、可憐な女装姿を忘れるくらいに瞳が燃えていた。


「おじさん、ありがとう! これ、大切なもんなんじゃ」

「いや、いいんだ。ラーメン屋の親父おやじにはも必要ないものだからね。ただ」

「ただ?」

「ゲームでなら、誰も怪我をしない。それに、一度も日の目を見ずに封印されていた技だ……少し、もったいないと思ってね」


 優とまことは、再度御礼を言って車を降りる。

 翔吾は「これからも刹那をヨロシク!」と言い残して、笑いながら去っていた。

 そして今、二人の手の中に究極の一撃が託された。

 そう、託された……悲運の最強レスラー、マスク・ド・ケルベロスの隠し超必殺技を手に入れたのだ。


「優、10分……いや、5分頂戴。今すぐこの場でデータをコンバートしてフィクスする!」

「うん。頼むよ、まこと」

「ゲーム内でどういう扱いになるかはわからないし、最大の懸念が残るんだけど」


 珍しく神妙な顔をしつつ、ノートパソコンを歩きながら片手でまことは歌わせる。

 もう、商店街のそこかしこで対戦が行われていた。

 有名なプレイヤーも沢山来てるし、ひょっとしたら世界中から十伯爵テン・カウントクラスのランカーもいるかもしれなかった。

 世界同時開催のイベントがスプリング・デスランブルだが、この国津市はある意味で聖地、プレイヤーたちのメッカだからだ。


「わかってるよ、まこと……入力するコマンドのことだろう?」

「基本的に、強い技程コマンドが長く難しくなるからね」

「逆ヨガ波動竜巻はどうたつまき、みたいな? まあ、なんとかなるよ」


 商店街を進むと、やがて駅が見えてくる。

 駅前ロータリーの大きな時計塔が、夕方の4時を告げて鳴った。

 その下に、無数の敗者がうなだれ集まっている。誰もが皆、敗北に塗れて心を折られた直後のようだった。

 そして、優は見た……黒い着物姿の女性が、はんなりと微笑みこちらを見詰めているのを。

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