無限劣等感

小狸

短編

 *


「君の作品にはさ、劣等感が足りないんだよね。きっと人生順風満帆に過ごしてきたんでしょ。だったら、こんな小説家なんていう仕事じゃなく、もっと普通の、どこにでもいる会社員のような仕事に就いた方が良いよ。向いてないから。何の後ろ盾もなく、トラウマもなく、卑下も卑屈もなく、君の作品は、ただ平然として流行をなぞっているだけに過ぎないんだよね。異世界転生して、それで何かしらしいたげられて、そいつらを見返す? って、水面上をなぞっているだけなんだよ。君はこれで良い物を書けたと思っているかもしれないけれど、本当に上手い人は、もっと工夫する、努力する――そしてその中に、自分を入れ込むんだ。君さ、何か表現したいこととかないの? って、思ってしまうな。流行りのものを無理矢理詰め込んだお徳用パックみたいなものなんだよ、君の小説って。だから読まれないし、見向きもされないんだと思うよ。もっと露骨に、露悪的に自分をさらけ出してみたら? って言っても、多分そういうのがないんだろうけれど。小説家は、小説家である以前に、表現者なんだよね。だから、何かを表現したいという気持ちがあってこそ成り立つし、続けられると思っている。ひるがえって君はどうだい。更新もまちまち、自作品の拡散も何もしていない、ただ面白いものは読まれるなんて時代はもう終わっているんだよ。見てご覧よ、今やネットで、一人の呟きが世界中に広まる時代でしょ? だから、それぞれ皆努力をして、苦労をして、苦心をしながら書いている訳。君の作品には、そういうものがない。だからウケないんだよ。もう一度言うね。向いていないから、小説家を目指すの、辞めたら?」


 小説の書評が終わると同時に、私は店を飛び出していた。


 *


 書評なんて頼んだのが間違いだった。


 ぽつぽつと雨が降って来たけれど、傘はあの店に置いてきてしまった。


 彼の下へ戻りたくないのでそのまま駅の方で進んだら、雨はもっと強くなってきた。


 濡れるのは嫌だ。


 駅までは屋根のある商店街を迂回していった。途中すれ違う人々は、傘を持っていて、良いなと思った。


 劣等感が足りない――ね。


 じゃあ――いじめでも受けて良かったのだろうか。


 家庭内で不和がなければいけないのだろうか。


 何か病気を患っていれば良いのだろうか。

 

 私には、分からなかった。


 確かに、現役小説家の彼に、私の小説の書評を頼んだのがそもそもの間違いだったのかもしれなかった。


 実際彼の言うように、私の小説の閲覧数はここ最近、伸び悩んでいる。


 大衆に迎合して――皆に合わせて、異世界転生やら悪役令嬢やらに色々と手を染めてみたけれど、続かないのだ。


 完成したとしても、平平凡凡としたものができ上がってしまう。


 そしてそれらは、誰にも読まれることなくネットの海に沈んでいっていた。


 その現状を打開するべく、彼に書評を頼んだのだが。


 いやあ、キツイキツイ。


 言葉選びが昔からキツイのだ。


 彼と私とは、中学時代からの同級生である。


 彼の生い立ちの酷さというのは、もう彼の口から耳にしている。


 自分を置いて、両親が蒸発して、継母となった従兄弟の家で虐げられながら育ったという。


 中学時代も、いじめというほどではないけれど、距離を置かれていた彼が成人式に来た時は、びっくりしたものだった。


 あ、来るんだ、と。


 そう思った。


 気付けば彼は小説家になり、一躍有名になっていた。


 そういう彼から見れば、私の書く小説など、ミジンコ以下にしか見えないだろう。


 分かっている――でも、劣等感って、何だ。


 表現したいものって――何だ。


 小説家なんて、お金儲けしたいから――仕事としたいからなるものじゃないのか。それを、まるで高尚なもののように、表現がどうだのこうだのとのべつまくなしに立て板に水に口八丁手八丁を並べ立てて、好き放題言いやがって。そんな風に忌憚きたんない意見をすらすら言ってしまうから、友達ができねえんだよ――と、口から出かけて、止めた。


 流石に公衆の面前で愚痴を吐露する愚か者になりたくはない。


 羞恥心がある。


 そう、羞恥。


 結局私は、私を曝け出すことに、一種の羞恥を覚えているのだ。


 己という個を見せたくない、曝け出したくない。


 だってそれは、自分の四肢を舐めるように眺められるようなものだろう?


 帰りの電車の中で、私はずっと悶々としていた。


 そして一人暮らし先の家について、玄関の鍵を掛けて――、



「あーーーーーーーーーー!」


 

 と言って、ソファへとダイヴした。


 好き放題言われた。

 

 好き勝手言われた。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 悔しい!!

 

 くそ、危うく泣きそうになってしまった。

 

 あんな奴のために、私の涙を流したくない。

 

 悔しいけれど、彼の指摘は的を射ている。

 

 私には、表現したいと思えることが、何一つない。ただ、知っている言葉を繋ぎ合わせて、小説めいたものをそれとなく置いているだけだ。難しい言葉を並べて、それっぽい形を成しているだけで、中身はスカスカの骨粗鬆症なのだ。


「はぁ」


 パソコンに向かおうかどうか、迷う。


 今の自分に、何ができる?


 今の自分に、何が書ける?


 書きたいことって、そもそも何だ。


 それ以前に、好き放題言われた苛立ちが、私を支配していた。


 そこで――ふと。


「あ」


 そうだ。


 


 そう思った。


 歯に衣着せぬ物言いをされた悔しさを、小説に昇華させればいい。


 確かに私の人生は、平凡であった。


 何かと突出することはなかったし、家族も当たり前にいた。


 骨折はしたことはあるけれどそれ以外には大きな病気には罹らなかった。


 いじめとも虐待とも、無縁だった。


 だけれど。


 それでも。

 

 今の私が、何も思わないわけじゃ、ないだろう。

 

 そう思って――気付いていたら、私はノートパソコンを起動していた。

 

 そうだ、私にも感情はある。

 

 それを火種に、燃え広がらせれば良い。

  

 そしてその焼野原から集めた煤で、物語を作ろう。

 

 小さな欠片も、残さず集めて。

 

 そしてそれが、きっと、大きな物語になる。

 

 なぜかは分からないけれど、今日、私は初めて、小説を書くような心地がした。

 

 MicrosoftのWordファイルを新規作成し、縦書き表記にし、レイアウトのページ設定から、四〇行×四〇字へと変更した。


 こうして。


 こんな風に。


 今日も私は、小説を書く。



She developed intense feeling of《Infinite Inferiority Complex》.

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無限劣等感 小狸 @segen_gen

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