破章の本筋である梶火と熊掌についての補足と解説



 ここで少し、本章のメインである熊掌ゆうひ梶火かじほの物語について解説していきたいと思います。



 舞台は瀛洲えいしゅうの外に拡大しました。

 その様子は邑のものとは大きく異なります。



 ***



 ねり色に、所々薄紅うすくれないを刷毛で刷いたような天球には、宝玉が散りばめられ紫雲が棚引いている。ここまでは、白玉の間と同じだ。あの祠の内にある寝殿の天空も、これと同じ空を頂いている。


 が、その先がまるで違った。


 果てなき遠景には銀の砂漠に金の河がある。更にその果てを、金剛の如き荒々しいいわおの山脈が囲っている。そして、それらの煌びやかな自然を借景とし、尋常ならざる広大な宮城が、そしてそれを取り巻く城郭都市が、こうこうしく白銀の屋根を輝かせていたのだ。



 ***



 この描写が、舞台となる国の統治地区を示す風景となります。


 本作『白玉はくぎょくそら』の主な舞台となるのは月の表側です。この国は国号こくごう姮娥こうがといいます。国姓をげつ。国号というのはつまり国の名前で、国姓とは王の姓を指します。この一人の君主が治める期間の事を「ちょう」といい、現在は月朝という区分になります。現在の皇帝はげつ如艶じょえんで、その統治は五百年を数えます。

 五百年前までは、はくこうはく瓊環けいかん)が統治していた白朝で、国号は国でした。

 瓊環は月の裏側に位置する妣國ははのくにと長きにわたって戦争をしており民は疲弊していました。このため如艶の簒奪は当初好意的に民衆に受け止められていましたが、如艶が異地より持ち込んだ白玉の死屍散華が国土全域を汚染し、飲食にまで難を生じさせる事態となった現在、その評価が大きく二分しています。


 肯定側は主に、宮廷側、瓊高臼、禁軍、黄師、貴族などとされていますが、その中には臨赤(赤玉帰還を望む信仰集団)の信徒が多数紛れ込んでいます。よってその実質は定かではありません。


 倒朝祈願側は廂軍を主体とした臨赤、民衆とされていますが、彼等の感情は月如艶に対する叛意に合わせ、死屍散華を持ち込み広げる原因となった五邑に対する敵視が主である層も含み、やはり一枚岩ではありませんでした。



 この感情的な問題を改善したのが、本章で描かれた通り、臨赤の頂点にまでのぼりつめた梶火かじほ(梶紫炎びしえん)です。



 五邑である彼が成りあがることに成功したのは、最初にコンタクトをとったのが危坐きざ州の州長の娘である騎久瑠きくるであり、彼女と危坐の後ろ盾を得られたという点が大きかったと言えます。もちろん彼等が関わった段階で、熊掌の命令によって長鳴が死屍散華の解毒薬調合に着手および成功していなければ、これもまた成しえない事でした。

 本人自身の努力と成長もさることながら、周囲から与えられた環境と条件によって自らは作り上げられたカリスマだと彼は理解しています。故に、臨赤の長として成り上がった彼はおごることはありません。

 しかし、そんな彼の駆け上がってゆく様子を目の当たりにしながら、自らは人質同然となった父・東馬や瀛洲を護るべく、隷属の立場に身をやつしていた熊掌ゆうひの中に積み上げられた無力感と嫉妬心は並大抵のものではありませんでした。それが自ら梶火に頼んだ役割とその結果であると理解はしているものの、感情面はついていきません。客観的には、明らかに二人の社会的ステータスの上下は入れ替わっています。



 結果、熊掌は梶火から向けられる尊崇と恋愛感情を利用しました。

 決して自分から離れないよう、裏切らないよう、より強固な結びつきであるという形を作るために男女の関係になってゆきます。



 これがある種の打算を含むものであることは梶火も理解しつつ、それでも忠誠と感情を示すために関係を進めずにはいられませんでした。

 打算から始まったものは、やがてその性質を変えてゆきました。熊掌は梶火に対して執着と愛情を育てて行きますが、反対に梶火は悟堂不在の隙をついて、熊掌を横取りしたという罪悪感と、所詮自分は熊掌にとって唯一無二の存在ではなく、悟堂の代わりに置いた有意義な戦力に過ぎないという鬱屈をつのらせます。

 結果、芙人ふひとによって強制された関係断絶の時に、熊掌が告げた告白を梶火は受け入れる事ができませんでした。


 実力人望共に、頂点に立つに相応しい人物である熊掌と、その片腕たらんと研鑽した梶火の二人は、その思いをすれ違わせたまま、時代が大きく変わる瞬間に向かってゆきます。




 『自らの立場を護るために、男と権力を利用する女。』




 熊掌が作中で瑠璃に対して抱いた侮蔑と嫌悪は、一言でいえばこれに尽きるものでした。そしてこの論は正しく熊掌自身にも向くものでしたが、彼はまだその事に気付いていません。


 なぜなら、熊掌自身の自認は男性であるからです。

 女として社会的に扱われる事、その枠にはめられる事を不当と受け止めるのは、結局自らは男であるという認識が彼にはあるからです。

 これは転じて言えば、熊掌の中には『自らは男であるから(この扱いは)不当である』という無自覚な女性蔑視があり、『女性ならばこの隷属に甘んじる事もあるであろう』という思考があるからです。


 『自分は違うのに』というのは『自分が女性として受け止められるのは間違っている』と考えているという事です。これは『男性』として扱われ育った自らと、しかし実際の自分の身体は女性の形をしているという実情の乖離も大きく原因としてありますが、なによりも熊掌の中には、



 『男性』は尊厳を持ちうる『人間』であり、『女性』は尊厳を持ちうる『人間』ではない。



 という社会的価値観があるという事実を反映したものとなります。


 熊掌は決して完璧で公平な人間ではありません。『女性』とは自認できず、『女性』として扱われたくないと思いながら、彼が梶火に対しておこなってきた事は、瑠璃が芙人と朝廷側に対して行ってきた『自らの立場を護るために、男と権力を利用する女。』とまるきり同じ事です。


 どちらも『人間』が社会的生存戦略として行っている事です。


 しかし熊掌は自らが『女性』として見なされる事に対する忌避意識から、瑠璃の行為は女性特有の汚さずるさと見なしていました。自らのそれとは違うと。

 しかし同じ事です。

『女性』を『人間』として見ていないという偏見です。


 これは、熊掌という人間個人の価値観というものではなく、社会的価値観とはこうして個人に植え付けられ広がるものだという事を意味します。



 本作は社会的強者と弱者のヒエラルキーが変動する様子を描いたものとなりますが、それは多分に男性原理的なものです。この基本構造に対して、裏に隠されがちな『歴史的な女性の扱われ方と見なされ方』を浮かび上がらせるために登場人物のドラマを配しました。

 空気感だけでも伝わっていればよいのですが、と願います。







 なお、梶火と騎久瑠を結び付けたのが儀傅ぎふであったという点も大きく関わりますが、こちらは急章解説にゆずりたいと思います。



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