本編・第6話




 後日のお茶会の席でテルダは近しい仲の侯爵家、伯爵家令嬢と顔を合わせた。これらの令嬢達は我が身に足りぬと王都の学院、つまりヨナと同じ学舎にて研鑽を積んでいる。学院は学問の為、そして社交の為に存在するので、大事な社交があるとなれば欠席もよくあること。彼女達も今日のお茶会の為に学院を欠席して臨んでいるのだった。

「第二王子殿下と子爵令嬢の件ですわね、確かに見聞きしてございます」

「隠す気がございませんのよね。きっと公爵子息様にわざと見せる為でございましょう?」

「わざと見せてどうするのかは、まぁ下々にはわかりかねますけれども」

 少し尋ねただけなのに誰にも彼にもわかられている。もうちょっと裏で画策するような……頭はないのだろうなあ……。気弱の虫の王太子と我儘な第二王子、足して二で割ればまだましであったろうに。

 王家が公爵家を目の上のたんこぶ扱いしているのだって、既に世間では知られ尽くしていることだ。それでも公爵家からひとが離れないのは、近々で王家の血が流れている家柄であり唯一大皇国直系の血も流れていること、そして何より見合うだけの実力と益があるからだ。逆を言えば、今の王家には王家であるという以外取り柄が何もない。国だって王家だけで回しているわけではないのだから。

 そう、この国は絶対君主制国家ではない。政治は貴族院で行われ、王は責任者としての立場を持つのである。この数代においてはそうした当然の責務を王族こそが忘れかけているようであるけれども。

 ……せめて公爵夫人を予定通り娶っていればこんなことにはならなかっただろう。男女の仲だけで国が上手く差配出来るなどと、所詮は夢物語にすぎないのである。

「親が親なら子も子、歴史の浅い子爵家並みの考えでいらっしゃるのです。……テルディラ様なれば悪く思わぬと愚考してのこと、お許しくださいませね」

「勿論ですわ。生まれがどうであれ、立場に見合うよう努めるもの。それをせぬ時点で侮られてもやむなしでしょう」

 テルダは常に努力している。周囲もそれを理解し、その結果を以てテルダを次のまとめ役であると受け入れている。元子爵令嬢として、王妃とテルダの違いは正にそこなのだ。

「少しばかり考えがございますの。お義母様にご許可いただけましたらお手紙致したく思います。その際はご協力をお願いしても?」

「勿論ですわ」

「なんなりと」

 今周囲に侍る令嬢達はテルダに従う者だ。テルダは過去、歯向かう者を全て完膚なきまでに叩き潰してきた。そうする術を教え込まれ、実際にそうした。そうでなければ舐められて潰されるのが社交界なのである。

 蝶よ花よ、茶と菓子を含んで笑っていればいいだけなどとは片腹痛い。女の社交もまた情報戦であるし、根回しも縁も作れない女は脱落するだけ。そんなことも知らない男はなんの情報も得られない馬鹿であるし、つまり今のテルダの立ち位置にすら到達出来ない程度の人間なのだ。

 テルダはこの国を裏から掌握する。既にそう決まっている。

「心強いですわ。有難う」

 にっこりと笑みお茶会を終えたテルダは、棚からとある手紙を取り出した。テルダは今でもロビーと仲がよく、頻繁に会うことが叶わぬ代わりに手紙のやり取りを続けているのだ。それと今までのヨナからの手紙も幾つか合わせて一纏めにすると、さらさらと書き付けと共に侍女に手渡した。

「お義母様へ渡して裁可を。貴族院への連絡を取ることは可能か、判断を仰ぐと伝えてちょうだい」

 事態が動いたのは、それからたったの半月後のことである。

「テルダ!」

 焦るようにして玄関ホールへ駆け込んできたヨナに、テルダはいつもと変わりない笑顔を見せて「おかえりなさい」と柔らかく告げた。

「本当にテルダだ! 本物だ!」

「ええ本物ですよ。これからこちらにおりますとも」

 ここは王都にある公爵家の屋敷で、そこにテルダは当然の顔をして佇んでいたのだ。学院からの帰り道、侍従にこの旨を伝えられたヨナは取るものも取らず慌ててやってきたというのがことの次第である。

「私もこちらに住む!」

「駄目です。お義母様がヨナは規則通り寮にいるようにと」

「くそ!」

「あらまあ、お口が悪いわ」

 公爵は堅実に領地を治めているから王都の屋敷は主人もなく、催しの会場になる以外は静かなものだ。そもそも高貴な身分の為に王都に屋敷を持つものの、今住まうべき嫡男は楽だと兵舎から離れないものだから、屋敷はほとんど熱もなく穏やかな時が流れている。

 そこへ突然公爵夫人の肝煎りで次男の婚約者が住まう旨、連絡が入ったのである。新年早々の思わぬ報に屋敷内は俄に活気付いた。

 この屋敷内でテルダが特段の問題もなく使用人達に受け入れられているのは、今までも公爵一家と共にやってきては過ごしてきた年月があるからだ。テルダは年齢が達していないから王家主催のパーティーに出席することがなかっただけで、それ以外の夫人の主催するお茶会やパーティーにはいつだって同席していた。既に女主人たる基盤は出来ており、使用人達は喜び勇んでテルダに礼を尽くし、飛び回っている。

 ヨナも同じように喜び勇んで、毎日屋敷に帰ってきては寮の門限に合わせて後ろ髪を引かれつつ戻っていった。朝も昼も夕も来るのだから相当で、住まい始めて三日と経たずヒネビニルが「何かあったら、なくても早馬を出していいからな」と言いに来るほどだ。

「大丈夫ですよ。近々学院にも参ります」

 なんの為に? そう尋ねてくるほどヒネビニルは疎くない。

「……なるほど。騎士は必要か?」

「貴族院の書記官が派遣されます由にて」

「なるほど、相わかった」

 即座事態を判断してにっかりと笑うヒネビニルの顔は……申し訳ないが本当に悪かった。つくづく性格に合わぬ男で損であるが、この義兄が頼りになることはとっくのとうに知り尽くしている。テルダは彼に沢山の土産を持たせ、笑顔でその背を見送ったのだった。

 ヒネビニルが兵舎に戻ったのち、更に客人があった。テルダはゆったりとソファに座り、その客人を迎える。

「裏口から来たのですって? 用心深いのね。いいことだと思うけれど、姉としては少し寂しいわ。今度は表から堂々と来れるようにしておきますからね」

「姉様」

 さらりとした黒髪は昔と変わらない。そう、荒れずに変わらないことが何より嬉しい。この為にテルダは夫人に談判し、彼女の人生を拾い上げてもらったのだから。

 テルダはいつものように大きく腕を広げ、笑顔を見せた。

「ええロビー、姉様よ。いい子ね、顔をよく見せてちょうだい」




 ある日のことだ。学院の門前に豪奢な馬車が停まった。デレッセント公爵家の家紋を背負うその車を前に、学院の上位に位置する侯爵家と伯爵家の令嬢達が居並んでいる。物々しい光景に数多の生徒達が視線を奪われるそこ、馬車から下りるのはテルダだった。

「皆さん、おはようございます」

「おはようございます、テルディラ様」

「お久しゅうございますわ、テルディラ様」

「こちらでお会い出来るようになりますとは、本当に嬉しゅうございます」

 次々と高位貴族の令嬢が挨拶をするのに、テルダはふわふわとした笑みを浮かべたまま「舞台はどちらが宜しいかしら」と零した。

「カフェテリアが宜しいかと思いまして、用意させてございます」

「誰もが使えるということで身分の制限もございませんし、外に向かって広く開けておりますのよ。一目瞭然ですわ」

「それは重畳ですわね」

 テルダは令嬢達に伴われ、三人の侍従を引き連れてカフェテリアへと向かった。さながら女王のように。

 その光景が勿論学院中を駆け抜けたのだろう、然程経たずして「テルダ!」と息急き切って現れたのはヨナである。周囲はテルダを何事かと見つめており、つまり衆目が多くあった。そこに突然慌てて現れたヨナは彼らに更なる驚きを与えることになる。

「ああ、テルダ、どうしたんだこんなところに!」

 オープンテラスのカフェテリアで侯爵・伯爵令嬢を侍らせてお茶をいただこうとしていたテルダは、そんな彼を見てにっこりと笑んだ。

「今日からこちらの特別教養課程に失礼するのよ」

「特別……一年課程の?」

「ええ」

「嬉しい……私が卒業する時に一緒に卒業してくれるのか!」

 ヨナは令嬢を掻き分けると、テルダの横にいた侯爵令嬢が席を空けるのに黙礼して腰を下ろし、その手を当然のように取った。

「こんなに嬉しいことがあるだろうか……」

「他にもいっぱいあるわヨナ」

 いつも女生徒に冷淡なヨナ。その彼がこんなに女性に甘かったことがあったろうか? 生徒達が驚くそこへ、まるで空気を読まない罵声が飛んだのだった。

「見損なったぞデレッセント!」

 やってきたのは尊大そうな男──ガザール王子である。得意そうな顔をした女生徒の肩を抱き、ずかずかと近づくなりヨナを無礼にも指差した。ここまで無礼だと王家の教育係に怒りどころか哀れさが浮かぶほどだ。きっと教育の成果は微塵も発揮されてはいなかろう。

「婚約者を差し置いてこんなにどこの誰とも知れぬ白豚を相手にするなど言語道断! 私なら美しきアルデを悲しませるようなことはしない! 貴様より私の方がアルデには相応しい!」

「ガザール様……!」

 おおー……堂々と言ったもんだな……というのが周囲の胸の内だが、勿論ガザール達には伝わる筈もない。というか白豚? 白豚と言ったわね? 青くなった令嬢達とざわつく周囲を勝手に味方と取ったか、彼らは自信満々に宣言を続ける。

「私はこのアルデをデレッセント公爵家の魔の手から守り、我が元に迎えることとした! これは王家の総意である!」

「王家の総意でございますね」

「そうだ! 社交界に名高きかのアルファーク子爵令嬢をデレッセント公爵家次男の妻などではなく、このガザールの妻、王子妃にするのだ! ……なんだ白豚」

 自らに酔うように高らかと宣言していたガザールは、聞いたこともない声音に眉を上げた。許しもせぬのに声をかけた女、テルダを見てしかめ面をしている。テルダはといえば白豚と連呼されたことはさておいてその宣言に拍手をし、「よく言われました」と笑顔を見せた。

「下賤の身より失礼致します。社交界に名高きアルファーク子爵令嬢をデレッセント公爵家次男婚約者の地位から離し、つまり婚約を破棄させ、第二王子殿下の妻になさる。これにてお間違いはございませんでしょうか?」

「無論だ! このガザール、二言はない!」

 なあアルデ! ガザールはきりりとアルデを見るが、アルデは妙に青い顔をしていた。……当然だろう、知らない話がぽろぽろと出ているのだから。

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