本編・第5話
学院入学後初めての連続休養日に託けて領地に帰ってきたヨナは、開口一番「私は他の女も、男だって嫌だからね! テルダ以外は嫌だ!」と雄叫びを挙げた。聞けば兵舎で出来た縁に頼って男同士の痴情を垣間見、即座寝込んだらしい。馬鹿正直さに侍女が死んだ目をしているが、テルダとしてはよければもっと詳しく聞きたいくらいだった。まあ良薬口に苦し、毒とならずに幸いである。
更に学院で勝手な恋の鞘当てに巻き込まれてひどい目にも遭ったらしく、ほとんど人間不信じみてもいた。なるべくしてなった事態だけれど避けては通れぬ道だったし、子供ではないからどう対処するかを選択出来るだけましだろう。
「そうそう、第二王子に御目通りしたよ。私を取り巻きにご所望でね」
やっぱりと頷いて仔細を聞けば、あまりにも偏執的に望まれるものだから兵舎でヒネビニルに相談したのだという。その上でヒネビニルを連れて改めて挨拶に行くと「デレッセントの子か!」と逃げを打たれ、以降声もかけられないらしい。第二王子はヨナの兄、つまりヒネビニル・デレッセント将軍が大層苦手だそうな。確かにとてつもない強面で厳しいひとではあるが、その実私的な部分では穏やかなひとなのに残念なことだ。
ちなみにヒネビニル、生まれとその力量で職を奉ずる男であるわけだが、肝心の王家には怖がられているらしい。顔が夫人の兄である皇帝にそっくりだそうで……なるほどなるほど。
「面倒を避ける為にも休みも兵舎にいるんだ。寮なら部外者は入れないしね」
家名くらい把握しておけ馬鹿王子と胸中で貶しつつ、テルダは「いいと思うわ」とヨナに向かって大きく腕を広げた。
「?」
「頑張った可愛いヨナにご褒美よ」
途端ぴょんと心持ち跳ねたヨナがそろそろと窺うように寄ってくるので、その頭を胸に抱いていつかのように隙間なく抱き締める。こうした触れ合いは昔からヨナが好きなもので、大喜びでテルダの腰を抱き返してきた。遠く、側仕え達が渋い顔をしているが、頑張っているヨナなのだからこれくらいのご褒美は許してあげなければ。
そうこうして三年、十八歳になったヨナはすっかり身体つきも変わり、しなやかな筋肉に覆われた美丈夫となった。癖っ毛と黒子に色気を感じると男女問わずの人気に陰りがない。そんな理由もあって粛々と兵舎で努め続けたヨナは準騎士の身分ながら将軍の弟に相応しく、兄弟揃って流石デレッセント公爵家の双剣よと評価されている。
だというのに、日々テルダへの手紙は欠かさないし、連日の休みとなれば馬を駆って領地に戻りでれでれとした顔でテルダに引っ付くのだから何ひとつ代わり映えがない。皆はすっかりこの腑抜けた次男を生温かく見つめており、テルダもいつだって笑顔で彼を受け入れた。
「テルダ、テルダ」
「ええ、どうしたのヨナ」
ヨナの特等席たるテルダの胸元はいつでもふかふかだ。だってヨナが喜んで縋りつくものだから! 完全に自前!!
ヨナが喜ぶからテルダはむちっとしているし、色白でふかふかしている。お胸が大きく育ってよかったわあと安心しているが、それ以外は努めて令嬢としての許容限界ギリギリだ。テルダは十五歳、花の盛り。綺麗に着飾りたい時に如何に肉を付け、如何に柔らかく、如何に白いかに固執している。方向性に歯軋りすることもあるけれど、それもこれもヨナの為である。
テルダはヨナに見出された女だ。夫人がどうとでもしてくれるだろうが、それでもここまできたのだから出来るならヨナに添いたい。ヨナの愛を失わない為に全力を尽くすのもテルダにとっては当然なのだ。
ふわふわに整えた髪に触れ、ヨナは「やっぱり私のテルダが一番綺麗だ」とご満悦だった。学院の女性達はいまだヨナを諦めておらず、ことあるごとに侍ろうとするのだという。それを避けていたお蔭ですっかり女嫌いで通ってしまっているが、それもまたよしと受けているそうな。屋敷に帰ればこんなにデレデレの男だというのに世の中は不思議なものである。
「そういえばアルファーク子爵令嬢を見たよ」
「あら」
アルファーク子爵令嬢、つまりいつか別れた姉が話に出てきたが、衝撃が微塵もないことにテルダは一番びっくりした。
(すっかり他人ね)
もうあの存在に振り回されることはないのだ。何せもう、生きる世界が違いすぎる。
笑顔で先を促せば、どうやら学院の教養課程、つまり三年制のそれに入学していたらしい。良縁を求める選択肢のひとつだろうなあと思ってはいたが、入学金はどうやって工面したのだろう。それに入学には基礎教育済みであることが必須だが、公爵家からの教師から逃げていたくせにどう教育を終えたのか? 疑問は尽きないが、ともかく。
「なんだか視界にちらつくのでずっと無視している」
「それでいいわ」
無駄なことには関わらずにいて宜しい。テルダはヨナの癖っ毛をくるくると指で巻いて弄んだ。
テルダは姉アルデのように美しくは生まれなかった。だが肉付きもよくふわふわとしてよく笑うようにしているので、ヨナは「私の天使だ」と言ってくれる。なお、笑わずに不貞腐れていても「私の天使だ」と言ってくれる。目が小さくて細いから笑みを浮かべていた方が受けがいいだけだが、それはともかく恋は盲目。ヨナの目の緞帳は一生上がらないでいていただきたい。
とにもかくにも、いつものように真っ赤な顔をして蕩けるように見つめてくれるヨナは本当に可愛い。テルダは二人の側仕えがそっと引き離してくるまで、その赤い頬に小さなキスを送り続けたのだった。
それから数ヶ月、ヨナからの手紙に変化が出ていた。アルデの妙な行動がやまないという。ヨナの視界に出てきては逸らせないようなところで丁寧な礼をするのだと。
『とはいっても付け焼き刃の、見るも無惨な礼なのだけれど』
本物に適当なものを見せるからこういう評価を得るのだ。それにつけても、わざわざ礼をねえ……。
(見せたいのは、ヨナではない……?)
次いで、第二王子の動きである。ガザール王子は将軍を嫌いヨナを退けたが、「兄と袂を分かつなら私の下に付けてやるぞ」と再三言ってきたそうな。
(……公爵家を分ける……)
否、相手は馬鹿だしそこまで考えてはいない筈だ。それでも、悪くすればそうなる未来は十分にある。現状強固であるがゆえに、公爵家の力は大いに削がれるだろう。
「そもそもヨナを側近にしたら女性は全部ヨナに集中するけれど。そうしたら今度は不敬だって怒り出さないかしら?」
「考えてはおられないでしょう」
きっぱりとした侍女の言葉にテルダは呆れた顔をして頷いた。
「そうよねえ。アレな王子ですものねえ」
勿論ヨナは断ったが、それからしばらくしてガザール王子がアルデと近しくなり、見せつけるような態度を取ってくるようになったらしい。ヨナには全く関係ないことだが気味が悪いと結んであった。なかなか興味深い状況である。
「面白いわ」
テルダはもう一通届いていた手紙を広げた。几帳面な字で書かれたその手紙には、限定的な場所で故意に広げられた噂話が踊っている。
公爵令息に見初められた子爵令嬢、長じて発生する不和、そこに現れる一人の王子──。
その内容を軽やかに教えてやれば、侍女は「なんです? 街中で流行っている類の物語ですか?」と困惑を隠さない。
「そんなお話、奥様に知られたら大変です」
「ところが知られないのよ。だってね、このお話、低位貴族の中のごく限られた集団の中で回っているのだもの」
「ごく限られた、ですか?」
「ええ。ごく限られた、よ」
うふふ。テルダは二通の手紙を綺麗に折り畳み、ふるふると扇ぐようにした。それぞれ別の、しかし好ましい香りがする。テルダにはもうとうに馴染んだ香りだ。
「この話は大分広まっているらしいの」
侍女は殊更顔を顰めた。当然だ、公爵家に公然と楯突くような話なのだから。
「だのにどちらの家の方も注進に来ない。お抱えの子爵男爵との繋がりが悪い、もしくは状況を軽んじて静観しているというところかしら」
「そんな!」
「今回、理由の一端はわたくしよ」
所詮子爵家の娘だと侮っているのだ。ならば我らもと、無駄で安い夢を見始めた。それが叶うのならとっくにこの国の貴族制度は崩壊しているだろう。
「覚えていて? 昔、わたくしを侮ったおうちをたーくさん懲らしめたわねえ」
「……そういえばあの時もお嬢様がゆえに侮った方が多くいらっしゃいましたね……」
「舞台は違えど同じことよ」
以前は高位貴族の舞台、今回は低位貴族の舞台。そこに、今回はたまたま王族が一枚噛んできたわけだけれど。
丁寧に手紙を置いたテルダは扇子を広げて穏やかに笑う。
「売られた喧嘩は、遥かに高値で買って差し上げなくてはね」
テルダは最早羽虫に興味はない。しかし羽虫は根絶やしにせねば集るものだと、教え込まれている。
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