本編・第4話

 さて、十五歳になるヨナは五年制騎士課程で学院に入ることになったが、何よりテルダと離れるのを嫌がった。社交シーズンでもないのに領地を離れ、現在兄だけが住まう王都に居を移さねばならないからだ。

「でも、学院に入ってネビお義兄様から剣技を学ばれるのでしょう?」

 学院と近しい国軍兵舎で、ヒネビニルは将軍の地位を戴いて勤めている。武の家系である公爵家の息子としてヨナもそこに侍ることを求められたわけだ。王都に屋敷はあるものの、準騎士として寮住まいになるのは全騎士課学生に課せられた倣いである。

 とはいえ、実のところヨナは将来的に剣ではなくペンで働くことを希望していた。いつか公爵家の持つ爵位のいずれかと領地を継承して田舎に引っ込み、顔立ちでとやかく言われず穏やかに暮らすのが理想であるらしい。

(無理だと思うけど)

 大体にして夫人がテルダを己の後継者として育てている。いずれ社交界に君臨せねばならないテルダが早々にして田舎に引っ込むなど出来るものか。否、完全に無理というものである。

 今公爵家一家が領地で暮らせているのだって、公爵領が王都からほど近いから出来ることなのだ。そうでなければ夫人は王都で、公爵は領地でと別居生活を送っていただろう。

「ヨナ。わたくし、お義母様のお言いつけでいつかお義母様の跡を継ぐ予定なのよ? その時貴方に剣の腕がなかったら、安心して貴方の隣にいられないわ」

「なんで!?」

「だって貴方が弱かったら、わたくし、誰かに奪われてしまうかもしれないもの」

 ヨナはその美貌ゆえに我が身を守れと問答無用で剣技を学ばされていた。嫌々行わされていたそれをテルダの為と考えたことはなかったようで、明らかに驚いた顔をしている。

 しかしそれも一瞬のこと、何かにピンときたらしいヨナは真面目な顔でこう言った。

「……そうか、テルダは私のテルダでもう公爵家の人間だけれど……罷り間違えたら王家に奪われるかもしれないのか……」

(いや、多分王家に望まれるのはヨナの〈顔〉の方だけれども……)

 今やヨナはめきめきと美しさを増し、どの顔も平等に芋に見えるテルダとて祖母であるという女性の肖像画を見ながら「ヨナとそっくりねえ」と思えるくらいには輝いている。女であれば実母から続く皇国の血として今度こそ王家に望まれただろうし、王女のいない王家とはいえ男でも望まれるかもしれない。

 ──そっちの方面に進まれて無惨に捨てられるのは困るわね……お義母様がついているから最終的には大丈夫だと思うけれど。

 そんな思惑など知らず、とにかく誘導に従って誤解しやる気を見せ出したヨナに、テルダは駄目押しのように囁いた。

「本当にわたくしを幸せにしてくれるのなら、出来る限りネビお義兄様に鍛えられてきて。それと……わたくしもヨナが行ってしまうのは不安なの。学院や兵舎でわたくし以上に素敵な誰かを見つけるかもしれないもの」

「学院でそんなこと、……ん? 兵舎で?」

「あら。殿方同士はそういうことがあるというお話よ?」

 部屋の隅に控えている侍従と侍女が眉間に皺を寄せて微かに首を振っているが、敢えて無視する。あとで下手なことを覚えられても困るし、進む道が違うのならさっさと示していただかないとテルダとて困るのだ。お義母様に新しい嫁入り先を準備してもらわなければならないし!

「男性でも女性でも、わたくし心配だわ」

 美しく保たれた唇をぽってり開いて溜息を吐けば、ヨナは血相を変えて叫んだ。

「そんなこと絶対にあり得ないから!」

 ぎゅうとテルダを抱き締めるヨナは本当にちょろい。侍従も侍女も頭が痛い……みたいな気配を醸し出している。実際頭痛がするだろうけれどこれが公爵家次男でその婚約者ですよ、諦めなさい。

 そうこうしてヨナは渋々、本当に渋々と後ろ髪引かれるようにして王都に向かっていったのだった。なお、テルダは家庭学習で夫人の求める程度は既に修めている為、学院入学の予定はない。貴族令嬢は間々、こういう風に育つ。昨今社交の関係で学院に進むことが多いけれど、テルダに限ってはほとんど意味がなかった。特に専門的に修めたい分野があるわけでなし、夫人の傍らに侍っていた方が実があるのだ。

 そんな頃合い、子爵家嫡男である実兄とガーデンパーティーで会うことがあった。そうそう顔を合わせることもない間柄となってしまったからか、折を見ては公爵夫妻がそうとは知られぬようにして実兄を呼び寄せてくれるのだ。彼はテルダにとって悪い家族ではなかったから、現状を聞き出すにもいい機会である。

「子爵夫妻と長女とをどうにか出来なければ、いずれ家はなくなりますわよ」

 幼い身なりながら当然のことを言うテルダに、しかし実兄は動揺も反発もしない。公爵家に相応しい教育を確かに受けているのだなと頷いて「あれは駄目だ」と断言するばかりだ。

「何をどうしても駄目だ。あれらをどうにかするくらいなら、犬に躾けた方が早かろう。私もこのまま不良債権を引き受ける羽目になるくらいなら独立を考えていて……、今官吏をしているよ」

 暗に縁を切ろうかと考えていると言う。まさか後継者である実兄がそこまでと思いつつ、しかしそこまで考えるほど壊れた家族ではあろう。

「テルダ。もう私のことはいいからね」

「……」

「私はもう成人しているし、自分のことは自分でどうにか出来るだろう。だからね、テルダはテルダが掴んだ幸運を手放さないように努めなさい。それで、ちょっと余りがあるようならロビーに向けてくれると嬉しい。勿論、あの子がアルデに似ていなければでいいから」

 実兄はそれだけ言って、穏やかに会場から去っていった。苦労ばかりの実兄は本当に凡庸で、ゆえにあの家族に振り回されて、そんな中でもテルダ達に出来る限り心を割いてくれた。テルダ達を抱き締めてくれることも撫でてくれることもなかったけれど……、それでも精一杯、テルダ達を見つめてくれていたのだ。

 テルダはパーティーが引けてから公爵夫妻に実兄とのやり取りを詳らかに知らせた。

「子爵夫妻は長女に家を継がせられるのならそれはそれでよいと考えそうです。それとは別に、いい縁組は絶対諦めませんが」

「そうだろうね」

 そう頷くのは公爵である。深く腰かけたソファは一級品だが、それ以上に作法がなっているから無闇に音が出ない。こうしたことも公爵家では幼い時分から叩き込まれる。それが高位貴族というものだ。

「子爵家はとりあえず放置で宜しいでしょう。とうに無関係なのですからね。兄の方は使えるか様子を見ましょうか。使えるのであれば婿を求めている家もありましょうし、そこそこでも領地の代官にはなりましょう」

 夫人が言うのに、公爵もあちらの家こちらの家と即座浮かぶものがあるらしい。実兄が心を配ってくれたから最低限暮らせていたテルダとしては、これで彼に能力さえあれば今後なんの憂いもなく過ごすことが出来る。せめて無能でないことを祈るばかり、これに関しては他に出来ることもなかった。

「テルディラ」

「はい」

「子爵夫妻は夢を見すぎたのです」

「夢を……?」

「ええ。思わぬほど美しい娘を得て、自らの立場の枠を越えて欲を出してしまったのでしょう」

 美しい娘を得たと喜ぶだけであればよかったのです。子爵家として相応の教育をして育てていれば、いつか確かに日の目を見たかもしれません。

「けれどあれでは駄目です。親も本人も、自ら何も努力していないにも関わらず『成り上がって然るべし』と思い込みすぎている。既にただの害悪ですが、それにすら気がつけていない。……普通に暮らしていれば美しい娘であったでしょうに、最早顔に性質の悪さが滲み出ております。将来性がありません」

 夫人が切って捨てるのに公爵も口を挟まない。つまり、本当にそういうことなのだ。


「テルディラ。貴女はひとつも悪くない」


 ──己の要領以上に欲をかくからこうなったのだろう。子爵夫妻も、元は実兄のように平々凡々な人間であったのかもしれない。手元に来た金の卵をどうにかすれば、或いは自分達も金の卵にと……なる筈がないではないか。

 人間に必要なのは頭で以て手足を使うことであって、無闇に卵を抱き続けることではない。それでは卵が腐るだけだ。

 人間は己で考え、動いてこそ人間として光る。立ち止まれば、それこそ一瞬で汚泥と化す。そうした現実から目を背けた子爵家にはもう先がないも同然だろう。

「敢えて悪かったとすればあの二親の元に生まれてきたことくらいだろう。とうに長女に固執した親の元にね。しかし親が子を選べないのと同じく、子も親を選べないのだ。全てはくじのようなもの。だからテルディラ、君の所為ではないよ」

「とはいえテルディラ、貴女はヨナに選ばれたのです。あの時はどうなることかと思ったものですが、正しい選択でした。胸を反らして背を正しなさい。貴女は貴女にこそ相応しい場所に引き上げられ、今きちんと立っているのですから」

 つ、と美しい手で直にクッキーを分け与えてくれる夫人は、もうすっかりテルダと近しい。

「はい」

 テルダはにっこりと笑ってそのクッキーを受け取った。公爵家のテーブルに供されるに相応しい、細かな細工のなされたクッキーを。

 テルダはもう、捨てた実家のことで悩まない。やるべきことをし、なすべきことをなす。そうして一人のテルダとして社交界に立ち、多くの人間に『テルディラ』という女の存在を認めさせるのだ。そのテルダは子爵家のテルダなどではなく、公爵家のテルダである。

 テルダは然して美しくない。それでも、整えられ切った美しさと培われた優雅さで全ての女性の上に立つ。立つことが出来るのだと、示してやる。その為にも歩み続けるのだ。

 それにつけても夫妻は、特に夫人はいつでもひとの差配が素早い。感心するテルダに「貴女もいつか、わたくしの跡を継いで同じことをするのですよ」と夫人はにこやかに言う。若かりし頃の愛嬌が残るばかりで手腕のない王妃に代わり社交界を牛耳る女は、王太子妃候補達の中にも己の後継者がいないと判断した。ゆえに、テルダは高みを求められている。

「勿論、畏まりまして」

 教え込まれた礼は、美しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る