本編・第3話
*
瞬く間に一年が過ぎた。
テルダは八歳になり、日々公爵家で磨かれたその身は玉のように美しくなっていた。まぁ貧乏子爵家での生活と比べる方が愚かという話で、見合った生活をすれば見合った身なりになるということである。顔はさておくので無視していただきたい。女はその内化粧でどうにでもなるのだ。
そして三歳上だったヨナは十一歳になったが、いまだにテルダテルダと喧しい。なんでも傾国の美姫と呼ばれた先王妹である祖母にそっくりの美しさであるらしかったが、テルダにしてみればいつでも元気に喧しいだけの少年だし、テルダと共にいればそれだけで満足なのだから可愛いものではないか。
たったの一年だったが、テルダは日々を嵐のように過ごしていた。教育は元よりダンスに刺繍、話術。教わることは多くあり、しかしどれもが楽しい。根を上げずに貪欲に励む姿勢を教師達は素晴らしいと評価したし、公爵夫人も満足げに見つめている。
「テルダの隣に座ってもいい?」
「ヨナはもうおわったおべんきょうなんじゃあないの?」
「お復習いするのはいいことだって」
真っ赤な頬で言うヨナが可愛らしい。視線を向けた先、教師がにっこりと笑うのでテルダはヨナと一緒に座学を受けることが多くあった。
ヨナは顔立ちの所為で昔からよく狙われ、すっかりと怯えた子供であったらしい。テルダと共に拐かされたあれも初めての誘拐ではなく、なんなら周りの使用人にすら注意深く気を配って生活していたそうだ。
ところがテルダと共に生活するようになってヨナはすっかりと変わった。快活になったしいい意味で我儘を言うようになり、テルダを餌にすれば勉強も剣の稽古も真面目に行う。テルダといるとヨナが落ち着くというのは家族の贔屓目でもなんでもなく、ただの真実だったのだ。その証拠に今のヨナには怯えたところなどひとつとてない。
つまり公爵家は今まで持て余し気味であった諸々の問題をほとんど解消し、実に円満に回っていたのである。反してその傍ら、たったの一年の間にアルファーク子爵家は公爵家の庇護を決定的に失っていた。
「公爵家からの支援を打ち切り、貴女と妹を引き上げ、他家と縁組致します」
ある日公爵夫人にそう告げられ、テルダは頷きながら(むしろよく一年ももったなあ)と失礼なことを考えた。聞くに、デレッセント公爵家が派遣した教師からの教育をほとんど受けもせず、しかし公爵家の名をちらつかせてはあちこちで無駄な浪費、妄言を繰り返したとのこと。きっとアルデを着飾るのにも多く消えたのだろうなあと尋ねてみればそのとおりで、僅か八歳の身ながらテルダはげんなりした。
そもそもテルダが公爵家で暮らすとなって、両親が一番にごねた理由が「どうしてアルティラーデではいけないのですか」だったのだ。俗な話として子供一人公爵家に見初められたのだから十分素晴らしいことだろう。けれど両親の観点はそこではなく、あくまで『長女アルティラーデか否か』でしかなかったのである。
「必要ないからです」
公爵夫人の冷え切った言葉にも果敢に食い下がる両親にはある意味恐れ入ったが、ならばとヨナが呼ばれた時にテルダが両親の手で押し退けられたことで全ては決定的に終わった。
この二人にとってテルダは娘などではないのだ。ましてやいつしか家の財に代わるものですらなく、無駄な何かでしかない。
テルダは大人しくあまり感情を出さない。けれどその時は確かに地獄に落ちたような気持ちになった。それを救い上げたのはヨナである。
「大丈夫?」
ヨナは押し退けられて転びかけたテルダに寄り添い、アルデを一切顧みなかった。ヨナに擦り寄ろうと猫撫で声を出すアルデを子供らしくない冷ややかな目で見つめ、「なんだお前、新しい使用人か? お母様、これは駄目です。育ちが悪い」などと散々に扱き下ろすまでしたのだ。
公爵家の御眼鏡に適わず泣き喚くアルデを抱え、いつか両親だった筈の子爵夫妻は急くように帰っていった。これ以上公爵家の不興を買ってしまってはテルダも返されてしまう。そうすると支援すら水の泡だと、カラカラの頭でそれだけは考えたのだろう。
テルダは呆然としながらヨナを見た。じっと見つめていると真っ赤になってテルダを見つめ返してくれる、たった一人の可愛い男の子を。
テルダにはヨナがいる。確かにヨナがいるのだから……、きっと大丈夫だ。
その日、テルダは公爵夫人に談判してロビーを子爵家から離してもらった。ロビーにはテルダにとってのヨナのような誰かがいない。あの両親の〈無感情〉から拾い上げてくれる誰かがいないのだ。
「宜しい。あの娘は貴女にはよく懐いているようです。いつか貴女の為になるように致しましょう」
こうしてテルダとロビーは子爵家から切り離され、一年。正式に縁さえ切り離され、それぞれ公爵家派閥の伯爵家に養女に出された。
娘二人が幼くして他家に、しかも公爵家の介在で養女に出されるなどどうしたって普通のことではない。テルダだけならばまだしも、ロビーすら引き上げられたのだから。
しかし全ては正当に処理されて司法記録にも載ってしまい、子爵夫妻はひたすら沈黙した。──その代わりに好き勝手した分の負債を帳消しにしてもらえたからだ。
世間一般には子爵家令嬢が公爵家令息に見初められたのだと、そんな夢物語のような話だけが残った。裏にある間抜けな事実には蓋をして。
更に四年後。
テルダは公爵夫人の薫陶を受け、十二の歳にして流石夫人の育てた令嬢だと社交界で誉めそやされるようにまでなっていた。
「ヨナビネルが駄目でもヒネビニルが未婚ですしね。テルディラがあの厳つい顔が嫌だというのなら別の子息を見繕って、必ずわたくしから離しませんからご安心なさい」
夫人はテルディラを大層可愛がり、己の手の届く範囲に置くと決めていた。更に籍を伯爵家から侯爵家に変えてヨナと正式に婚約させ、専属侍女も付けたほどだ。
全てが夫人の勝手に思われるが、夫人はただの貴族ではない。元は隣国、大皇国の第一皇女である。元々こちらの王に嫁ぐ予定だったが子爵令嬢に横入りされて破談となり、その代わりに実は一目で惚れていた公爵と縁を繋いだ。この縁が繋がれなければ国は戦火に見舞われたであろう。
故に醜態を晒した王家はこの夫人には強く出れずにいるし、社交界を牛耳られても文句も言えない。それ以上に舵を取り返すだけの能力もない。鷹揚な公爵はこうした事態に対して特になんの文句もなく、夫人のやりたいように任せているのだ。
テルダはこの夫人を大切に思っている。目をかけてくれるからこそ目をかけ続けてもらえるよう努めるばかり、実の親より親らしい夫人をテルダは真摯に敬愛していた。そうして努力するテルダは更に夫人に愛されたわけで、愛に対して愛を返され、二人は実の親子以上に親子であったのだった。
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