本編・第2話




(きのうはすごかったわあ)

 そんなことをぼんやりと思うテルダはデレッセント公爵家の客間で朝を迎えていた。

 夜半に公爵家お抱えの騎士団に救われそのまま公爵家医師による診察を受けたのだが、途中で体力が切れて泥のように眠ってしまったのだ。起きたらふかふかのベッドでお姫様のような寝間着を着ていて驚いた。流石公爵家、寝具も超一流であるらしい。

(もうちょっとねてもいいわよね)

 てんやわんやの玄関先で喚く己の両親を見た記憶があるが、まあ十中八九心配ではなくて芝居だろう。なんなら今も別の客間にいるかもしれないけれど、つまりどれだけの損害賠償を引き出せるかの勝負所なんだろうな〜と判断する程度には既に親に対して情がない。そんな両親などさておきロビーはどうしたのかしらと心配するばかりであるが、流石にあちらは幼児だし自宅に帰されているのかもしれなかった。

(おうちにかえったらロビーをだっこしてあげなくちゃ)

 きっと驚いて泣いているに決まっている。だってロビーの落としたフォークを追いかけたまま消えてしまったのだから。

 でもその前に、と布団を引き上げてくわわと欠伸をした、刹那である。

「おはようございます。申し訳ございませんお嬢様、失礼致します」

 使用人達が医師を引き連れてどやどやとやってきた。ああ二度寝〜と恨めしく思いつつぼんやりしていると、さっさかと顔を拭われ落穂のような髪を梳かれ、上着を着せられしてほいほい部屋の外に出されてしまう。

「?」

 待って、きちんと着替えもいないけれどこれで追い出されるのかしら? 綺麗な寝間着をこのままいただけるなら嬉しいんだけれどもと目をぱちくりさせたテルダに、一人の使用人が本当に申し訳なさそうにこう言った。

「申し訳ございませんお嬢様。坊っちゃまが起きた途端に興奮されまして」

「ぼっちゃま……」

 坊っちゃまなぞテルダは知らなかった。が、選択肢に上がるだろう人物を先達て一人知ったばかりである。

「ぼっちゃま、はい」

 途端しゃっきりしたテルダは寝起きの状態ながら、先導に従って脇目も振らずに歩いた。

 ふかふかの絨毯を踏み締めて辿り着いた屋敷の奥、使用人が多く立つそこは如何にも物々しい。その上、部屋の中からは子供の金切り声が響いているではないか。

(あのこのこえだわ)

 テルダはその声を聞くなり、誰に何を言われるより先に部屋の中にパッと足を踏み入れた。広くて大きな部屋にドーンと据えられたベッドの真ん中で、案の定昨日見知った男の子がわんわんと喚いている。

「テルダ! テルダは!」

「ここよ」

 多くの大人の視線を集めつつ、テルダはスタスタとベッドまで歩を進める。その顔を見た瞬間、男の子はしかめていた表情を緩めた。

「テルダ!」

「ええ、テルダよ。あなた、あさからさわいでつかれないの? おかおがまっかよ」

「つ、疲れるし眠いよ……。でもテルダが心配だったんだ……」

「ありがとう。ちょうどいいからにどねしましょう? わたし、もうちょっとねようとおもっていたところなの」

 言うなりテルダはベッドに乗り上がる。使用人達があっと手を伸ばすのもなんのその、男の子が先んじて布団を捲り上げてしまうものだから出遅れ、テルダはぬくぬくでたっぷりとした布団に沈み込んだ。

「ほら、きのうみたいにしてあげる」

 小さなテルダの手が男の子の頭を目一杯に抱き込む。すると男の子も嬉しそうにその胸元に抱き付いて、そうして……、

「……寝てしまったわ」

 誰かがそう言うのも彼方にすやすやと、まるでなんの憂いもないかのように二人は一二の三で眠りに就いてしまったのだった。

 それから数日は怒涛であった。巻き添えに遭ったことの補償は後日、という態で帰宅したものの翌日には使者に呼ばわれテルダだけ公爵家に緊急招集、結局二度と子爵家に帰ることはなかったのだ。

 何せ男の子が泣くのである。

「テルダ!」

「なぁに」

 口を開けばテルダテルダと喧しいこの男の子、勿論デレッセント公爵家令息で次男のヨナビネルは視界にテルダがいないだけで騒ぎ立てること戦火の鐘の如し。泣き虫で過敏な子供ではあったけれど、まさか夜泣きの頃にまで戻るとは誰も思わない。とはいえ、テルダがいれば喚くことはなかったし、むしろ以前よりも落ち着いてさえ見える。

 デレッセント公爵夫妻、ならびに歳の離れた嫡男ヒネビニルもあの手この手でどうにかしようとし、最終的にテルダの存在に助けられ、全てを諦めざるを得なかった。

「テルディラ嬢。本当に申し訳ないのだけれど、うちで暮らしてほしいのよ」

 流石に男女の仲では他人の目がある。テルダは公爵夫人から教育を受け、身になるようであれば縁故の伯爵家辺りの養子となりヨナビネルと婚約する道筋を提示された。

「おべんきょうができるんですか」

 テルダは何よりそれに惹かれ、夫人の提案を受け入れた。実家では放置されていたから教育も中途半端だったし、この分では家庭教師はおろか学院入学とてないまま適当なところに嫁に出されるかもしれなかったのだ。何故そんなことを知っているかと言えば、夜半に兄と執事が頭を抱えて呻いていたのを見ていたからである。

 知識は力だ。姉に劣るかんばせのテルダとて、何かを掴むことが出来るだろう。

 顔を輝かせたテルダに思うところがあったのか、夫人はふむと扇を畳んでこう言った。

「その代わり、アルファーク子爵家の支援を致しましょう」

「いらないとおもいます」

 即答である。したところであの両親に姉なので無駄に消えて終わるだけだと、テルダだからこその判断で断ったのだ。しかし、

「あの、そっちではなくて、よければいもうとのロビー、ロベレッテにもおべんきょうをさせてもらいたいです」

 テルダと同じく、ロビーにも力が必要だと判断の上で希望を述べた。両親は頼りにならず、兄は嫡子としてあの両親と長女とをどうにかして生きていかなければならない。テルダは外に出される女の常としていつまで付いていられるかわからないのだから、ロビーはロビーでどうにか立つ術を持たねばならないのだ。

 夫人はふむふむと扇を弄ぶなり、「支援は致しましょう」とはっきりと繰り返した。

「すぐに始末はつきましょう、気にせずとも宜しい」

「そう、ですか」

「そういうものです」

 無駄だと思うけれどもなあ、とテルダは顔に書いて頷く。たかだか子爵令嬢の身で公爵夫人に盾突く気はないし、それくらいの分別は付いているつもりだ。

 そんなテルダを夫人は面白そうに眺め、「貴女は随分と自分のことがわかっているようですね。それに、思うよりずっと賢い」と言う。

「わたしが?」

「『わたくし』が」

「わたくしが」

「宜しい」

 これは楽しみだわと笑う夫人にテルダは小首を傾げるも、刹那聞こえた「申し訳ございません、坊っちゃまがテルダお嬢様をお探しで」という使用人の声に全てを切り替え、「はい」と朗らかな返事を返したのだった。

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