ヒューロイの話・後編

「……」

「……」

 顔合わせとなった初日、ヨナビネルはまるで敵のようにヒューロイを見ていた。子供って初対面の人間に対しては結構こうだよね……。ヒューロイは諦め気味にヨナビネルを見下ろす。

(しばらくは様子見だから好きにしろと言われたし……)

 侍従なんて初めて勤めるヒューロイに出来ることは多くない。特に、今この段階で出来るとすれば剣の稽古だろうか。子供への手加減は少々考えつつもヒューロイは思いきりヨナビネルを小突き、振り回した。

 公爵邸は城も同然の広さで、私設の兵団も所持している。だからそれ相応の運動場も併設されていて、二人で稽古するに不足はなかった。とはいえヨナビネルはヒューロイの言うことを聞かないし、なんなら運動も好きではなく施設を利用することもほとんどなかったようだ。だが、今のヒューロイにはこれくらいしか出来ないのだ。折角なので嫌だと駄々を捏ねて首にしてくれないだろうか。俺は兵舎に戻る。

 問答無用で侍従に引っ張られた腹いせとばかり問答無用で一週間稽古ばかりをしていたら、稽古の合間にヨナビネルが憎まれ口以外で初めてまともに口を利いた。

「お前、僕のこと、変な目で見たりしないな」

「変な目」

「あと、触りたがったり」

「どうして……」

 とてつもなくいらんことを聞き始めている気がする。慌てて止めようとするも、ヨナビネルは「二人でいると近寄ってきて触ったり」とか言い出してしまい、ヒューロイは額を叩くように覆って棒立ちした。

「本当に……本当に勘弁してください……。俺はおっぱいが好きなんで……」

「僕も柔らかいおっぱいの方がいい。わざと押しつけられるやつ以外」

「その歳で押しつけられるおっぱいを知る悲しさー。俺は適度なおっぱいが好きです」

「僕は母様のふかふかのが好き! あとテルダもふかふかなんだぞ!」

「お嬢様か!? お嬢様のことか!? 俺にお嬢様の胸の話をするな! その前のは聞かなかったことにするから! あと俺はどちらかっていうと尻派なんで!! 小動物のようなもちっとしたタイプ!!」

「テルダじゃん!!」

「お嬢様は狩る者の目をしてんだろが!!」

 誰にも聞かせられないネタでぎゃあぎゃあ喚いていたら、そそくさとやってきた侍従に引っ張られ、つまり公爵夫人に呼び出された。面接から二度目となるわけだが元々皇女殿下であらせられる殿上人であるからして、ヒューロイはもう吐きそうである。

(首切ってくださ〜い!)

 びっしびしに固まって直立不動のヒューロイに、夫人は厳かに口を開いた。

「見習いは卒業、これからは侍従兼護衛として真面目に勤めなさい」

 真面目に勤めたくねえ〜〜! でも勤めないと殺されるのだろう。ヒューロイに返事は求められていないし。

「ヒューロイ・ラムデル、お前はヨナビネルの生涯唯一の侍従となるでしょう。ですから教えておきます。もしヨナビネルが公爵家の瑕疵となるのであれば軟禁される予定です。これからもその指針は変わらず、その際にはお前もお付きとして生涯軟禁されることになりました。心に刻んで勤めなさい。万が一そうなって事足りぬとなっても、くれぐれもヨナビネルは傷つけないよう。傷つけるくらいならお前の尻を差し出しなさい」

 そういう事は足りなくならないでほしいし嫌で〜〜す!! なんで親にこんなことを言われてんの俺。げんなりとした顔を貴族らしく腹の中に隠し、ヒューロイは夫人の話を粛々と聞き続けた。

「質問を許しましょう」

「これから、ご子息が瑕疵とされる可能性の指針は何になりましょうか」

 この質問に夫人の瞳がきらりと光った、ような気がする。どうやらヒューロイの問いは正解であったらしい。

「婚約者のテルディラを見捨てること、或いはテルディラに見捨てられること。テルディラはヨナビネルの軸です。テルディラがいなければヨナビネルは社交界に出すことが出来ない」

 どんだけだテルディラ嬢。ヒューロイは震えを押さえつつ首を縦に振るしかなかった。もう引き返す道はないのだから。

 そうこうしてヒューロイはヨナビネルの専属侍従として正式に勤めることとなった。ヨナビネルは日々やることが増えていく。けれどそれは年齢を考えれば遅いくらいであるらしい。表に出せなかった子息を、ヒューロイという美貌に全く靡かない侍従兼護衛を得てこそようやく出せるようになったということなのだろうか。

 それにつけても、ヨナビネルとは裏腹にテルディラは非常に忙しいようだった。ヨナビネルの求めにはいつでも応じるだけの重要度があるらしいが、しかしそれ以外はいつでも家庭教師とつきっきりだし夫人ともあちらこちらと出張っている。

 一番驚いたのは食事だ。少しばかり痩せたからと、侍女達に促されながら「あと一個です! あと一個でいいです! ケーキを! このケーキにしましょう!」と無理無理食べているのだ。うっかり食堂を過ぎった際に見たそれを何事かとあとで侍女に確認したら、「ヨナビネル様がお嬢様のふくよかさを気に入られているので体重を落とさないようにしている」ととんでもないことを言われた。

 痩せるどころか現状維持? 少女のやること??

「お嬢様のご指示です。女とは大変なものなのですよ、男性にはわからないでしょうが」

 全くわからない。わからないが、あの恐ろしいテルディラも苦労して今の立場にいるのか。

 ヒューロイはこの公爵家で、そのまま生きていたらわからなかった様々な事柄を知らされている。それらはヒューロイにどうこう出来ることではなく右から来て左に去っていくのだったが、しかし確かに何がしかの命運を握っていたのだとあとで気づくものであった。




 休日、ヒューロイが実家に顔を出すと大抵きょうだい達が揃っている。いつも思うが暇なんだろうか。とにかく、ヒューロイはその場で日々のことを喋れる範囲で喋りながら、肩を落として「女性は大変なんだなって思って、姉さん達を尊敬した」と呟いた。

「うちのテルディラ様が日々そうしてるもんだからさあ。姉さん達の教育もそんなに大変だったのかあって今更だけど感心した。俺にはそういうの無理」

 姉達は顔を見合わせて問う。

「御令嬢の御家、伯爵家ではなかった?」

「義理だけどね。あ、でも今度寄親を変えられることになって、ザムーレスク侯爵家と縁を結ばれるよ。もう認可出たからすぐ周知される筈」

 途端だ、きょうだい達は顔を見合わせることなく三々五々に散ってしまうではないか。ついていけないヒューロイに、一人残った長兄がソファに腰を下ろしたまま言った。

「ヒューロイ、伯爵家の令嬢はそんなことをしない。侯爵家だろうと公爵家だろうとしない。……ただ、王家の姫はするかもしれない」

「……」

 流石のヒューロイも黙るしかない。ん〜、これは余計なことを言いましたかね……。

「公爵夫人は皇女殿下でいらした」

「はい……」

「夫人が御令嬢に力を入れていることがわかった、それだけで十分だ。我々ラムデル伯爵家は、お前を軸にしてデレッセント公爵家に付く」

「なんでェ!?」

「なんでもだ。公爵家は公爵家で終わらないだろう。控えることをしないのであれば、のちに見えるのは王座だ」

 ざ、と顔色を変えるヒューロイを長兄はどう見たのだろう。表も裏もないボンボンだと考えたかもしれないけれど、ヒューロイは毒にもならない四男として育てられたのだから仕様もない。

 だから、何を求められても返すものはない。ヒューロイに出来るのはあるがままにあるだけ。ただ、ヨナビネルの侍従であることだけだ。

「覚えておけ。機を読み、長いものに巻かれて生き残るのがラムデルだ」

 頭の追いつかないまま公爵家に戻ったヒューロイはその後、姉の一人がテルディラの護衛騎士になったことを知る羽目になる。

「なんで!!」

「元々家政は合わなかったのよ。夫とも別れたわ」

「そこまでェ!?」

 聞けばこのしばらくの間に姉達が離縁して実家に戻ってきていた。次男などは離婚を嫁に拒絶され、むしろ嫁を引き連れて婚家と縁切りしてまで帰ってきたのだという。

「ヒューロイ、貴方という公爵家との縁を頼りにしようという家々を切ったの。ラムデル家は公爵家にとって害があってはならないわ。ゆえに、切り捨てるべきを切り捨てた。公爵家に擦り寄ろうという欲を出さない家は少ないものなのよ」

「……俺の所為?」

 問うヒューロイに姉は快活に笑った。そうだ、姉は独身時代、こうして快活に笑って動き回る人だったではないか。学生時代だって体術の評価が高くて、結婚の予定さえなければ女性騎士の道に進んでいただろう。いつの間にか元気に笑わなくなったが、穏やかに過ごしていたから不思議にも思わなかった……。

「違うわよヒューロイ。私達は家族が好き。そして一族を大切に思っている。だから、これからの為に公爵家に付いたのよ。むしろ私にこの機会をくれて有難う」

 護衛騎士としての姉はテルディラに気に入られたようで、のちに本人からお褒めの言葉を戴くことすらあった。褒められるべきは姉であり、ヒューロイではないのに。

 そう言うとテルディラは楚々と笑って返した。

「貴方はとても家族に愛されているのね」

「そう、でしょうか」

「そうでしょう。でなければ貴方の為に家族は動かない。羨ましいわ。わたくしは子爵家の生まれだけれど、兄以外に構われなかった。そもそも人手もなかったわ、子爵家なのに。片手もいないのよ」

「子爵家で?」

「ええ、子爵家で。男爵家や下町の商家の方がよほど金持ちだったでしょう」

 わたくしは労苦を知る、ゆえに勤める。その傍ら、ヨナの隣を貴方に任せます。ヨナの為に。

「これからも励んでちょうだいねヒューロイ・ラムデル。貴方が正しく勤めるのであればこそ、わたくし達はそれに報いましょう」

 テルディラはまだ歳若い。だというのにこの貫禄ときたら、苦労が彼女を育てたとでもいうのだろうか。それでも、それでも彼女がいれば。テルディラがいれば、ヨナビネルは。

「……勿論でございます」

 既に道筋は出来ている。ヒューロイはそれに逆らうことを許されないだろうし、そもそも逆らう気もない。わざわざ家の旗印になる能力はなくただ流されるばかりであるが、それで十分だろう。

 ヒューロイとヨナビネルはきっと、それなりに生きていける筈だ。

「何かあり次第、テルディラお嬢様にお伝えすれば宜しいでしょうか」

 問うヒューロイにテルダは満足そうに頷いた。

「罷り間違ったら揃って軟禁になると思うから気をつけてちょうだいね。万が一の場合は貴方の尻を差し出しておいて。あくまでもヨナは傷つけないこと。守ることが出来れば胸の小振りな尻の大きい女を探してあげるわ」

「奥様と同じことを言わないでいただけますか!! でもいい女性がいたらお願いします!!」

 全ては公爵家が、そしてテルディラが完璧に回すだろう。それでいい。ヒューロイはひたすら家に使われ、ヨナビネルを前に前にと蹴り上げて進めばいいのだ。




 こののち、ヒューロイは死ぬまでヨナビネルの隣に侍ることとなる。侯爵の位を戴きながら公爵代理としてほとんど一門を差配するヨナビネルと社交界をまとめるテルディラの傍らで「こういう仕事をする予定ではなかった……」と思いながら、日々忙しく。

「ところで、ヨナビネル様を芋と同等に見られているとヒネビニル様が仰っておられましたが」

「芋じゃないわ、ヨナは猫ちゃんよ」

 その献身に報いられたのかどうなのかはさておき、遠い国から来たささやかな胸と豊かな尻を持つ小さい女を妻に出来たことが彼の幸いであった。

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