本編・第7話

「思わぬほど早い展開、私大変感動してしまいましたわ」

「そうかそうか。話のわかる奴だな。名を名乗ることを許そう」

「有難うございます。遅ればせながらわたくしはザムーレスク侯爵家長女テルディラ。元テルディラ・アルファークという名の子爵令嬢でございました」

 ほほ、と扇子を開いて笑うとガザールは「アルファーク……?」と意味のわからぬことを聞いたような顔をする。勿論、その横でギョッとしたのはアルデだ。

「テ、テルダ!?」

「ええ、そうでございますわ。お久しぶりでございます、恥知らずのアルティラーデ・アルファーク子爵令嬢」

「お前……!」

 口汚く罵りかけたアルデは隣にいる男を思ってか思わず口を噤んだ。しかし空気を読まぬのがガザールという男である。

「恥知らずとはどういうことだ白豚!」

「そのとおりでございますわ。わたくしをデレッセント公爵家次男に近く置くことによって公爵家の庇護を受けた瞬間、己の立場を過信して公爵家の名の下に散財妄言を繰り返し、怒りを買って公爵家の庇護を一瞬で失っておきながら今もなお『公爵家に望まれた娘がいる子爵家』という低位貴族の中でだけ回っている夢物語に縋って生きているだけの、実のない一家でございます」

 ペラペラと流れるように告げられた真実を、しかしガザールは飲み込めない。「ん、ん?」と目を白黒させている横、アルデが叫ぶ。

「どうして! あんた伯爵家に養子に行ったって言ってたのに! どうして侯爵家なのよ!」

「勿論わたくしの出来がよかったからですわ」

「テルディラ様は素晴らしいご令嬢ですの」

「公爵夫人が更なる御家を望まれるのも当然ですわ」

 周囲の高位貴族令嬢が次々とテルダを庇う。当然だ、テルダはなるべくして次の社交界のまとめ役となる。それだけの才覚、そして努力の結果がテルダにはあったのだから。

「どうやら当然すぎて蚊帳の外に置かれているようですが、我が国、そして周辺国での社交界は学院卒業の年齢でデビューするようでは最低も最低、出来が悪いことを吹聴するようなものです。学院で行われる程度の基礎学習を終えて合格の証明を受けさえすればいつでも社交界にデビューは可能、わたくしなども十一歳でデビューしておりましてよ」

 余計なことを言えば王太子の社交界デビューも学院卒業と同時なのでガザールが誤解しても仕方がないとも言えるが……つまり、世間を知らないとも同義である。

「嘘よ! そんな子いないわ!」

「低位貴族にはそうそういないでしょう。そもそも勉強の仕方も、習熟範囲も、全てが違うのですから」

 高位貴族であるがゆえにこそ、高位貴族は全ての上へ上へと行かねばならない。テルダはその点、常に研鑽し上を目指し続け、それに見合う評価を得たにすぎないのだ。

 ……高位貴族の中でも異例の早さではあったが、テルダは満を持して社交界に出た。その現実を誰も否定は出来ない。

「高位貴族でわたくしを知らぬ者はいないでしょう。敢えて知らずとも過ごせる者は決まっています。派閥の長に放置されている低位貴族、そして年齢制限はかかるけれど貴族籍さえあれば参加出来る王家のパーティーにしか出れない孤立家……そして、公爵夫人主催の茶会やパーティーに出席を拒否する王家」

 社交界を牛耳る公爵夫人を下には置けぬが構いたくない国王夫妻、特に王妃は公爵夫人主催とする行事には一切出席をしない。だからテルダの存在を耳で知っていても目では知らないのだ。

「公爵家に見初められた子爵家の娘、社交界の次世代のまとめ役。これらの情報と、やたらにデレッセント公爵家次男と相対しながらも避けられているらしいアルファーク子爵家長女の存在を混同されましたわね。いえ、騙されたのでしょうか? とにかく、事実確認はされた方が宜しかったかと」

 公爵家にて見初められておきながら長じて嫌悪され冷遇された、出来のいい子爵令嬢を王子が救い出して結ばれる──。いい筋書きだろう、それが真実であるのならば。

 低位貴族に流れる夢物語に合わせて旨い汁を吸ってきたアルデと、自分の都合のいい現実しか捉えないガザール。それぞれが別の道から流れた話であった筈だけれど、全てが上手い具合に噛み合ってしまった。ある種奇跡的な展開に狂喜乱舞したのはアルデ自身だろう。王子妃になれる──、一瞬でそう思い込めるほど簡単な頭をしているのだ。

 更に頭が痛いのは、国王夫妻はガザールからアルデの話を聞くなり社交界の次期まとめ役とも目されるテルダの存在と誤認し、その行動を後押ししたという事実である。デレッセント公爵家に一泡吹かせ、改めて王家として社交界を牛耳らんと……、結果的に令嬢がどんな姿のどんな娘か、そんな情報すらまともに入らないくらい王家は弱体化しているという証になってしまったわけだが。

 流石に分が悪いことを悟ったのだろう、ガザールはアルデを押しやり「私は何も知らん!」と吼えたが後の祭りだった。

「殿下、申し訳ございませんが全て公文書として残りますわ」

 テルダがひらりと指し示す方向、三人の侍従の一人がとめどなく書き物をしている。

「貴族院の書記官と、その護衛騎士でいらっしゃいます。なお、今回派遣された由も殿下の不審な言動、及び行動に端を発するとて全て公的な記録になっております」

「そ、そんな」

「後日貴族院から両陛下に召喚がございますでしょう。よしなにお伝えくださいませ」

 膝から落ちたガザールをよそに、アルデもアルデで「わた、私だって何も知らないわよ!」と馬鹿のように叫んでいる。せめてテルダ達のように学ぶことと考えることが出来さえすれば違ったのだろうが……これも親の所為で、そしてそれを甘んじて受け続けた本人の所為なのだ。

「テルダ! 妹なら姉を助けなさいよ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ女の醜悪さ。こうなってしまえば最早生来の美しさなど欠片も残りはしない。こういう時に真に日の目を見るのは日頃から叩き込まれた優雅さこそであろう。

「知りませんわ」

 テルダは実に美しい顔で言った。

「わたくし、姉なんて一人もおりませんの」




「流石にお義母様の御裁可もいただきましたけれど、学院でのことはロビーにも聞き及びましてどうにかしなければと」

 ヨナの手紙と同時、伯爵家の養子となっているロビーからも学院での姉の不始末が知らされていたのである。

 ロビーは実に優秀な子で、幼年の身ながら飛び級で学院に入学し、現在は院生として研究課程に身を置いている。学舎が違うのでアルデとは一切出会うこともなかったが、その噂だけは幾らでも耳にすることが出来たらしい。大人は頑張り屋の小さな子供には優しいのだ。

 テルダは実に恵まれ、多くの情報を得、いよいよ公爵家へ跳ねられる泥を避けるべく立ち上がったのである。

「言ってくれれば私だって手助け出来たのに」

 ヨナは口を尖らせるが、こればかりはテルダがしなければならないことだった。そもそも元の実家の不始末でもあるし、テルダは社交界の女あるじとなるのである。これくらい片付けられるようでなければ何も出来ない。

 あれからすぐに貴族院の召喚があり、国王夫妻は公爵家を二分させようとしたこと、そしてその婚約者を奪おうとしたことの責任を問われ、少なくない賠償金を払う羽目になった。ただでさえ求心力のない王家は金銭的にも満足でなくなり、王太子の婚約者選びも難航しそうだという。勿論アルデとの結婚が叶うわけもなかったガザールは貴族院満場一致によって王位継承権を剥奪され、一兵卒として辺境伯の元に向かわされた。──最早王家の血脈は大事ではないという証左たる結果だ。

 アルデはアルデで爵位返上の憂き目に遭い、商人の後妻にされて国外に出た。勿論両親というコブ付きで、とっくに貯蓄を叩いて縁を切り(これがアルデの入学費用になったようだ)とある子爵家の婿養子に入っていた実兄は安堵の息を漏らしたというのも当然の話である。

「それにしたって、本当にどうするつもりだったのかしら。わたくしの皮を被って子爵男爵平民の間でちやほやされる分にはなんとでもなりましたでしょ? けれど王子を騙すとなると……。その後どうするか決めていたのかしら?」

「決めていなかったんじゃないかな。今までもきっと、口から出まかせでやり過ごしてきたんだろう。だから次もどうにかなると思っていたんじゃないだろうか」

「勢いだらけの成功体験ですわね。実際、あの親子はそうして生きてきたのでしょうが」

 風呂敷を広げたのなら堂々と広げたままでいる努力をせねばならない。そうしていれば結果的に全ては真実になり得た。しかしそれが出来ない人間だから瓦解したのだ。

 テルダは決してそうはならない。テルダは全てを真実にする。大口を叩いてもその裏できちんと足掻いて、いつだって美しく立ってみせよう。──可愛いヨナの為にも。

「うふふ」

「? ふふ」

 にっこりと笑うと、ヨナはテルダに釣られて笑い返していた。ほら、可愛い。

 何はともあれ塵は片付いた。少しばかりかかったがこれで後顧の憂いはない。テルダのことを知らなかった低位貴族達も知らないということが己の家系の実情であると青くなって今後を真剣に考えていることだろうし、テルダと然程近しくなく遠目に見ていたからこそ軽んじていた高位貴族達も王家の顛末に身を固くしている筈だ。

 誰が勝者で、誰が敗者か。その判断が出来ない者は生き残る術がないのと同じ。

 あとはテルダが成人したヨナのパートナーとして王家が主催する〈国の社交界〉に出れば華々しくも舞台は整い、新たな時代が始まるだろう。

「じゃあ、寂しいけれどそろそろ時間だから」

 門限を思って渋々立ち上がろうとするヨナの手をテルダは引いた。そっと、慎ましく。

「お義兄様には既に使いをやっておりますの」

「なんの?」

「あのねえヨナ」

 ──全部片付いたら、ヨナを慰めていいって、ちゃあんとお許しをいただいてまいりましたのよ。

 一拍、天辺からつまさきまで真っ赤に染まったヨナを見、テルダは実に柔らかな、天使のような笑顔を浮かべて両手を広げたのだった。




 ***




 テルダは然して美しく生まれなかった。生まれも中途半端で育ちもよくない。そんなテルダの唯一よかった点は、ヨナという男が愛してくれたことだ。ヨナがテルダを選んでくれたから、テルダの道は拓けた。だからテルダは努め続けた。

 テルダには何もない。ヨナの愛を離さぬ為に努める他、何もない。他に興味をひかれるようなことは、結局何ひとつなかったからだ。

 これでもテルダとてヨナをきっと愛している。だっていつかの日、真っ赤な耳をしてテルダに抱きついてきた時から、ずっと可愛い男の子だなと思っていたのだから。

(可愛いヨナ、ずっとわたくしを愛していてね)

 そうしたら、きっと愛を返せるわ。

 可愛いヨナ、貴方に一生、確かな地位と愛をあげるから。

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