第3話 パラドックス
愛梨は、しばらく岡崎と遭うことがなかった。
自分から言い出したにも関わらず、どうしてこんな気持ちになるのか分からなかった。
愛梨は一人で暮らしているわけではないのに、寂しさが募ってくる。そのことを一番分かっているのは同居人だった。
「ごめんなさい。でも、今はこうするしかないの。もう少しの我慢だから、お願いね」
と、同居人はそう言って、ベッドで横たわっている愛梨の背中をさすっていた。
「ありがとう。大丈夫よ。これは私だけのことではないというのは重々承知していることだからね。私よりもあなたのほうが切実なのかも知れないわね」
そう言って、俯いたまま顔を上げることをしない愛梨は、そこまで言うと、次第に悲しいと思っていた感情が薄れていくのを感じた。
「ねえ、私は本当だったら死んでいたの?」
愛梨は気持ちが落ち着いてくると、自分に話しかけてきた相手に返事をした。
「ええ、それは本当のことなの。でも、それまでに子供を宿していて、女の赤ちゃんを産むことになるのよ」
愛梨の部屋は薄暗く、電気をつけていないため、表からの明かりのせいで、二人はシルエットに浮かび上がっている。
「そうなのね。それがあなた……。つかさだということなのね?」
「ええ、そうなの。だから私はお母さんの顔を知らずにここまで生きてきたんだけど、まさかこんな形でお母さんに遭うことになるなんて思ってもいなかったわ」
「あなたが住んでいる未来には、私たちが想像もできないような世界が広がっているのかも知れないわね」
と愛梨がいうと、
「そんなことはないわ。過去に戻った私には、そんなに変わりなく思うもの。でもお母さんにとっては、まるで昨日のこと。早くお父さんを探してあげないといけないわね」
つかさの表現には少し不可解なところがあったが、二人にしか分からない事情なので、二人にとって何ら問題はない。
「お母さんは、本当に覚えていないの?」
「ええ、どうやら、私の記憶はどこかで飛んでしまったような気がするの。あなたから私のことを聞かされても、何も思い出せないの。これは何かの力が働いているからなのかしら?」
「そうかも知れないわ。でも、お母さんと私は、もう戻れないところまできているの。もっともそのレールを敷いたのはお父さんなんだけどね。だから、お父さんを探さなければいけないの。お母さんには申し訳ないと思うんだけど、岡崎さんとは、しばらく遭えないと思ってもらわなければいけないわ」
とつかさはそう言いながら、
――二度と会えないようにだけはしたくないわ。この私が何とかこの場を納めないといけない――
と考えていた。
しかし、つかさにとって一番しなければいけないのは、第一にお父さんを探すこと。そしてお父さんを探したら、お母さんから生まれた自分のこと、そしてお父さんがしたお母さんがどうなったのかを正確に伝える必要がある。今の愛梨には、他の人にはない特別な力があるのだが、それは、父親が施した所業によるものなのか、それとも未来における母親に対して行われた実験のせいなのか、つかさには判断できなかった。母である愛梨は、自分が実験材料としてしばし研究されていたことを知らない。やはり愛梨の記憶は、作為的に消されたものだと思ってもいいだろう。
愛梨は、自分が何者なのか、正確には分かっていない。
娘が未来からタイムマシンを使ってやってきたということ。そして、娘が探しているのは父親であるということ。そして、その父親が何かをしなければ、愛梨はすでに死んでしまっていたということ。そして、愛梨が実験材料に使われて、その記憶を消去させられてしまったのではないかということ。
いろいろな事実があるようだが、つかさには状況は分かっていても、原因や理由については分からない。たぶん、このままであれば死んでしまう母のために、父が行ったことが何か影響しているのではないかと思うのだが、どこで何が狂ったのか分からなかった。
つかさは、自分が生活していく中で、一人の男性と恋に堕ちた。その男性は、苗字を岡崎と言った。
彼は、最初こそ、つかさと相思相愛だったのだが、ある日から、つかさを遠ざけるようになる。
「このままなら、近親相姦になってしまう」
未来の岡崎はそう言った。
「どういうことなの?」
とつかさが聞くと、
「過去に起こっていることが微妙に歪を生んでいて、僕の母親は、君のお母さんになってしまう可能性があるんだ。しかも、さらに一歩間違えると、僕は生まれてくるけど、君は生まれてこない可能性も出てくる。今でこそ僕たちは愛し合っていられるけど、つかさはこの世に生まれていなかったり、下手をすると、二人が生まれていても、決して出会うことなく、一生を終えることになるかも知れない。最初から何も知らないのであればそれでもいいのだけど、僕はつかさを知ってしまった。だから、それを意識したまま、出会うことのない人生に変わってしまうというのは耐えられない」
「でも、その時には、記憶はリセットされるんじゃないの?」
「そうかも知れない。でも、リセットされるという保障はどこにもないんだ。僕はつかさを愛したという事実を忘れたくない。だから、何とかしないといけないと思うんだ」
岡崎はそこまでいうと、
「これは、僕のお父さんから聞かされた話だったんだけど、お父さんもそれ以上のことは知らない。ただ、『お母さんはこの世界でも生きている。年を取らずに生きているんだ』って言ったんだ。僕には何となく分かった気がしたんだけど、君はそのことを知っているんだよね?」
という岡崎の話に、つかさは頭を垂れたまま、
「ええ、知っているわ。でも、私もつい最近聞かされたばかりで驚いているの。お母さんは、私を生んでからすぐに死んだって聞かされていたからね。家に仏壇だってあれば、納骨だってされているのよ」
とつかさは話した。
この時代になると、人口の増加が減ってきたかわりに、集合住宅は減ってきた。その影響もあってか、土地は足らなくなり、霊園や墓地に土地を使うことをやめ、お寺に納骨することによって、墓地に対してのお金や土地を使うことは減ってきていた。その傾向は、東京オリンピックの前からあったのだが、オリンピックが終わって、荒廃した競技場を見ることで、土地の利用に対して、国民一人一人が考えるようになった。納骨堂の利用者が増えたのも、その一環であった。
愛梨の死に対して、本当のことを知っているのは、父親と、愛梨の両親だけだった。もちろん、つかさがそんなことを知るはずもなかった。それなのにどうしてつかさが死ってしまったのか、そこには未来の岡崎という男の存在が大きかった。
「俺のお父さんは、お母さんと知り合った時、報道局にいたらしい。だけど、うだつが上がらなかった父だったんだけど、母にインタビューをしてからというもの。お父さんがインタビューをした相手のいうことが皆本当のことになったというんだ。お父さんとお母さんは付き合い始めたんだけど、お母さんにはもう一人気になる男性がいたらしいんだ」
岡崎がそこまでいうと、
「あなたのお父さんは、そのことをすぐに知ったの?」
「ああ、結構早い段階から分かっていたらしいんだけど、お母さんが言わないのなら……、ということで、何も言わなかったらしいんだ。それからお母さんは、何とか自分を騙しながら、お父さんを好きになろうとしたらしいんだけど、限界があったようなんだ。しかも、お母さんは不治の病に冒されていて、もうすぐ死ぬことを本人も知っていたっていうんだ」
「お母さんの病気のことは、聞かされていたわ」
「誰からだい?」
「お父さんからだったんだけど、しつこいくらいに聞かされていたわ。私はその時のお父さんの気持ちが分からなかったんだけど、よほど、お父さんがお母さんのことを好きだったんだということだけは伝わって気がしたの」
つかさは、父親の顔を思い出していた。
あの時の父親の顔は、遠くを見るような目で、お母さんを懐かしんでいるんだと思っていた。それ以上でもそれ以下でもない、そんな表情の父親が、つかさにとっての父親像であった。
つかさが高校生になった頃、大学の研究室で研究を続けている父は、ほとんど家に帰ってこなくなった。
「今は大切な研究をしているので、家に帰ることもなかなかないので、お前のことはおじいちゃん、おばあちゃんに任せているので、かわいがってもらいなさい」
と言われた。
祖父も祖母も、つかさのことを喜んで迎えてくれた。孫が慕ってくれるのは、いつの時代でも嬉しいことだ。つかさも父や母に甘えることができなくてずっと寂しい思いをしてきたので、祖父母に甘えられるのは嬉しかった。しばらくは祖父母の元から学校にも通わせてもらっていて、それが元々だったかのように、すっかり馴染んでしまっていた。
つかさに岡崎という彼氏ができたのは、ちょうどその頃だった。中学の頃から一緒だった岡崎とつかさだったが、お互いに意識することもなかったのに、知り合うきっかけになったのは、岡崎が声を掛けてきたからだった。
それは、最初から告白に近いものだった。
「俺は、つかさのことをずっと意識していたんだぞ」
と言われて、つかさはハッとした。
時々、誰かの視線を感じるようなことがあったが、それがどこからの視線なのか、つかさには分からなかった。
――まさか、あれが岡崎君だったなんて――
と、つかさは岡崎に声を掛けられた時、すぐに視線の主が分かった気がした。
「ずっと、私のことを気にしてくれていたのね」
と、つかさは、自分のことを意識する人間なんか、男女問わずいないと思っていただけに、気にしてくれていたということだけで嬉しくなって、気持ちは舞い上がってしまっていた。
確かに祖父母に甘えながら生活はしているが、祖父母が孫をかわいいと思うのは当たり前のこと、他の人から気にされるのとでは雲泥の差であった。
「つかさって呼んでいいかい?」
「ええ、嬉しいわ」
二人きりでどこかに出かけたのも、そして、岡崎が「つかさ」と呼び捨てにしたのも、結構早い段階からだった。
岡崎はそんなに積極的な男ではなく、つかさも自分からアプローチするわけでもないのに、二人が仲良くなってからは、トントン拍子だった。
「俺はつかさのことなら何でも分かる気がするんだ」
「私も」
そういう会話をした時、二人にファーストキスは訪れた。
どちらからともなく重ねる唇。つかさは目を閉じて、相手を迎える。
お互いに初めてだとは思えないほどの自然な成り行きは、お互いにずっと前から知っていた相手のように思えたからだ。
「つかさって不思議だよな。意識はしていたんだけど、話もしていないのに、何を考えているのか分かる気がしたんだ。それが合っているのかどうか分からないけど、俺にはそれなりに自信めいたものがあったんだ」
と、言われたつかさは、
「嬉しいわ。でも私も岡崎君ほどの思いはないんだけど、でも、ずっと前から知り合いだったような気がして仕方がないの。笑われるかも知れないけど、まるで生まれる前からしっていたような気がするのよ」
その言葉を聞いた岡崎は、複雑な表情をした。
本当は嬉しいと思っているくせに、それよりも、残念そうに感じたのはどうしてなんだろう?
「そうだったんだね。生まれる前から……」
自分に言い聞かせるように復唱した岡崎は、つかさの話を聞きながら、何となく上の空だった。
後から思えば、岡崎はその頃から、自分たちが同じ母親から生まれたのではないかということに気づいていたのかも知れない。
いや、逆につかさの言葉が何となく燻っていた思いに火をつけて、確認することを怖がっていた自分に勇気を与えることになったのかも知れない。もしそうだとすればつかさの岡崎を想っていった言葉が裏目に出て、余計なことを考えさせたともいえるだろう。
だが、その時に岡崎が気づいたのは、偶然ではなかったのではないか。遅かれ早かれ、岡崎が気づかないと、母親を、そして自分を、そして父親を救うことはできないだろう。 そして、それをできるのはつかさ、自分だけではないかと思わせたのも、その時の一連の感覚だったのだろう。
つかさが感じたことを証明してくれたのが父親だった。
父親も、
――この状況を何とかできるのは娘のつかさだけだ――
と分かっていた。
そして、そのために今までまわりに秘密にしてきた事実を娘に明かして、皆を救ってもらうよう話をする時が近づいてきていることに気が付いた。父親が研究している大学には国家機密に近いものがあった。母親が実験研究に使われたのも仕方のないことだが、自分が何と言われようとも自分の意思を通そうとする父親にとって、避けて通ることのできないことであった。
「岡崎君、私が未来から来た人間だと言えば、信じてくれる?」
「どういうことだい?」
「信じてくれないのならそれでもいいんだけど、もし、私がこの時代の人間ではないとしても愛してくれるのかって思ってね」
というと、岡崎は少し真顔になった。
「何を言っているんだい? つかさとはぞっと一緒に育ったじゃないか。未来から来たとすればいつの未来から、いつの過去に来たというんだい?」
岡崎は、混乱した頭でいろいろ考えているようだ。
「私がこの時代にやってきたのは、本当はつい最近なの。でも、岡崎君にとって私の記憶はかなり昔からあるものなんでしょう? きっとそれは私が岡崎君に与えた、私が作り出した記憶なのよ」
「そんなバカな。じゃあ、君のことをずっと意識していたという記憶は、違っていたということなのかい?」
「いいえ、あなたは確かに意識している女性がいたわ。その女性は私と一緒に未来からやってきた人なの。でも、あなたの記憶の中にある彼女は、元々この時代にいたその人なのよ」
「えっ? 言っている意味がまったく分からないんだけど?」
「岡崎君は、杉原修さんという人をご存知かしら?」
「ええ、知ってますよ。僕のお父さんに当たる人ですよね。ただ、実際には僕が子供の頃に別れてから、会っていないんですよ。どうして、お父さんと別れることになったのか、僕には分からないんだ。何しろ子供の頃と言っても、本当に小さな頃だったからね」
「その杉原さんというのは、私のお母さんと知り合ってお付き合いをしていたの。でも、お母さんが大学の頃に不治の病に罹ってしまって、死の宣告を受けたのね。その時、杉原さんは、お母さんを何とか助けたいと思い、その思いがちょうど未来にいた私の元に届いたの」
「君と杉原さんの関係というのは?」
「私のお父さんなの……」
「えっ? ということは、僕とつかさは異母兄弟ということになるのかい?」
「そういうことになるわ」
それを聞いた岡崎は大きなショックを受けていた。そのショックの意味は、自分が好きになり、キスまでした相手が自分と兄弟であるということへのショックだった。
しかし、岡崎はふと気が付いた。
「えっ? でも、僕と君とが兄弟だということは、君は未来から来たといったよね。一体君は本当はいくつなんだい?」
「私は、こちらの時代の時間でいけば、四十歳になるのよ。でも、私は生まれてからお父さんの仕事の関係で、いろいろな時代にタイムスリップしていたの。だから、年を取っていないのよ」
「と、いうのは?」
「アインシュタインの相対性理論をご存知かしら?」
「ええ、知ってますよ」
「光速をはるかに超えるような旅行をすると、普通の時代を生きている人に比べて、時間が経つのが遅いの。そういえば、お父さんがよく言っていたわ『肉体が滅んでも、魂は生き残る』ってね。だから、光速を超えることができるのは、魂だけなのかも知れないわね」
「その話は聞いたことがある。浦島太郎の話をすぐに僕は思い出すけどね」
「お父さんも、よく浦島太郎の話をしていたわ。お父さんは私の身体を、時間旅行に耐えられるようにしてくれたの。そのおかげで、私は実年齢のわりに年を取らないのよ」
「この時代の人間には、理解できないことばかりだね。でも、近未来にそんな時代が来るなんて、少しビックリだな」
「そんなことはないわ。現に私がこの時代に来ているということは、他の人もこの時代に来れるということなのよ。時間の矛盾さえ問題なければ、未来から来た人の伝授によって、今の世界でも、タイムマシンを作ることは可能なのよ。ただ、それができないのは、タイムマシンを作ってしまうと、未来が変わってしまい、そのせいで、元の時代に戻れないどことか、時間の歪に落ち込んでしまい、抜けられない人が出てくるの。それは下手をすればブラックホールを作ってしまい、すべてが吸い込まれるという仮説が本当に起きてしまうかも知れないのよ」
「でも、どうして君はその話を僕にしてくれたんだい?」
「私はこの時代にやってきたのは、お母さんをこの時代に戻すためだったの。不治の病に冒されたお母さんは、お父さんの研究で冷凍保存されることになったの。その時、お母さんのお腹の中には私がいて、冷凍保存されたまま私の出生は未来まで持ち越されたのよ。でも生まれた時から成長は早くて、気が付けば実年齢になってしまっていたの。未来になると、お母さんの病気は不治の病ではなくなったので、過去に戻って、お母さんの冷凍保存を止めることを私は選択したの。でも、私はその時まだ生まれていない。生まれていない時代に戻ることは開発されたタイムマシンでは不可能だったの。だから、私にはできない」
「じゃあ、どうして、君は今ここに存在できているんだい? 君の話では、まだ生まれることはできなかったんだろう?」
「お父さんはお母さんのお腹の中に子供がいるのは知らなかったの」
「えっ、お父さんに話していなかったのかい?」
「ええ、自分はこれから死を迎えるのに、子供を宿したということを、告げることに戸惑いがあったのね。そのことはお母さんの日記に克明に書かれているわ。でも、お父さんはお母さんに分からないように、冷凍保存を計画していた。お互いに秘密にしたまま計画だけが進行して、私を宿したまま、お母さんは冷凍保存されたのね」
「じゃあ、君のお母さんは目を覚ました時、一気に年を取ったというのかい?」
「いいえ、お母さんは年を取っていないの。冷凍保存をダイレクトで浴びた人は、目が覚めても、年を取ることはない。何しろ、ずっと眠っていたので、まるでタイムスリップしたような感じなんでしょうね。そんな状態で、一気に年を取るということはないらしいのね」
「じゃあ、君だけが年を取って、今の年齢になった?」
「ええ、だから、お母さんと私は、見た目、そんなに年齢差はないの。まるで同級生のような感じというべきかしら?」
「でも、どうして、君はお母さんをこの時代に戻そうとするの?」
「お母さんが元に戻れば、私も普通に生まれてくるのよ。それが一番いい結末だと思っていたの……」
と言うと、悲しそうな顔になった。
「ん? つかさは最初の意気込みとは違ってきたのかい?」
「ええ、本当にこれでいいのか、悩むようになったの」
「どうして?」
「眠りから覚めて、不治の病を治したお母さんは、私を産むと、自分は不老不死を夢見ているというような話をし始めたの。元々自分は大学生の頃に死んでしまうと思い込み、覚悟までできていたのに、お父さんが冷凍保存して延命したために、時代を飛び越えて、未来に出てきたのよね」
「だから?」
岡崎は、つかさが何を言いたいのか分からなかった。
「お母さんにとっては、『ないはずの未来』だったのよ。普通に考えれば、ないはずの未来が開ければ嬉しいし、これからも生きていけることに喜びを感じるはずなんでしょうけど、お母さんは違った。口には出さないけど、お父さんに対し『余計なことをした』と思ったのよ」
「どういうこと?」
「お母さんは、この後の人生を、お父さんには頭が上がらないことになるのよね。しかも自分だけが知らない時間が存在しているということは、お母さんにとってはかなりの苦痛だったの。お父さんにはその気持ちは分かるはずないけどね。なぜなら、自分が命を救ってあげたという思いが強いため、どうしても、新しく開けた世界に順応することはできないの。その気持ちを分かるのは、いくらお腹の中にいたと言っても、一緒に冷凍保存された私だけなのよ」
――確かにそうかも知れない――
と、岡崎は思った。
もし、自分がつかさや愛梨の立場だったらどうなっていただろう?
岡崎はその時まだ、愛梨のことを何も知らなかった。つかさは愛梨に岡崎を会わせようとはしない。どうしてなのだろう>
「僕には、つかさの気持ちが分かる気もするんだけど、どうして、せっかくこの時代にお母さんを連れてきたのに、冷凍保存から、開放してあげようとしないの?」
「もし、冷凍保存から開放してしまうと、私はそのまま生まれてくることになる。あなたと同じ時代を生きることになるんでしょうけど、私は、同じ時代を生きていたとすれば、あなたに出会うことはないような気がするの。私がこういう境遇だから、あなたに会ってあなたと仲良くなったの。きっと、普通に生まれていれば、同じ時代を生きていくうえで、二人が会うことは許されない気がするの」
「どうしてだい?」
「もし、出会ったとしても、それは悲惨な末路が待ち構えているように思うの。お父さんが不倫をして生まれた子供が私なのよ。あなたに対して許されないことなんだわ」
「じゃあ、どうして、今はこうして出会えているんだい?」
「それは、きっと『何となく歪んだ未来』ができてしまったからなんじゃないかな? もともとの冷凍保存という考えが間違っていたのかも知れないわ。でも、私にはお父さんの気持ちが痛いほど分かるの。責めることはできないわ」
「お父さんも、僕のお母さんも、そして、君のお母さんも、それぞれに歪んだ未来があって、僕にもつかさにもあるんだろうね」
「でも、歪んだ未来が悪いとは思わない。未来なんて分からないからいいのよ。分かってしまうと、何が正しいのか自覚できなくなってしまう。だから、『何となく歪んだ未来』というのが、本当の姿なのかも知れないわね」
「つかさがお母さんを冷凍保存する前に戻したいという気持ちはよく分かった。でも、それを躊躇っているのはどうしてなんだい?」
岡崎の一番聞きたい話はそこだった。
「あなたには分からないの? 私はあなたに会えないのが一番辛いのよ!」
つかさは、自分の気持ちを搾り出すように言った。
その声は魂の叫びでもあり、女としての気持ちの苦しさを味わっている自分を傍目から見ていて、どうしてこんなに苦しいのか、分かるはずの思いが分からない自分に憤りを感じていたのだ。
「でもね、つかさ。君の話を聞いていると、僕たちは一緒にはなれないような気がするんだ。それは血の繋がりなんてものに左右されるものではないんだろうけど、こうやって会えたことが奇跡であり、それ以上でもそれ以下でもないと思うんだ」
「じゃあ、私は今のこの時代から先に進みたくはないわ」
「どうするんだい?」
「私がお母さんの代わりに冷凍保存されるわ」
「そんなことをすると、君が目覚めた時には、同い年の君が未来にいることになるんだよ」
「いいの、きっとそうなると、どちらかは、別の時代に行かなければいけなくなるの。それって私にもう一度この時代にやってきて、岡崎さんと出会うということを暗示しているんじゃないかって思わない?」
つかさが、この短い間に、そこまで頭が働くというのには、さすがの岡崎もビックリした。
――さすが、科学者の父の血を引いているだけのことはある――
と、感じた。
そうなると、岡崎も自分の頭もつかさに負けず劣らずの発想があるのではないかと思えてきた。
そこまで考えていると、自分とつかさは、この時代で一緒にいてはいけない気がしてきた。
「僕とつかさが一緒にいられる時代はここじゃない。もう少し未来にいくと、きっと出会えるような気がするんだ」
と言うと、つかさは考え込んでしまった。
すると、無言でつかさは、冷凍保存されているところに岡崎を案内すると、
「今から、お母さんを助け出します。そして、不治の病の薬を与えて、生き返ってもらいます」
つかさは、未来から持ってきた機械を使って、テキパキと、冷静に事を進めた。
「お母さん。がんばって私を産んでね」
と言って、つかさは母親を助け出すと、自分がそのまま冷凍保存の機械に入って、眠りに就いた。
岡崎は、それを見ていると、後ろから一人の男性がやってくるのを感じた。
愛梨は、助けられて、そのままフラフラと椅子に倒れこんだ。
その男性は、岡崎に向かって、
「そこから離れなさい。今からこの装置を爆破します」
「えっ?」
その男性は顔がハッキリと見えなかったが、どうやら、自分の父親であることに違いはなかった。岡崎は、そのことに触れることはない。
男が装置を爆破すると、つかさはこの世から消えた。
「彼女は、未来に生まれてくるのさ。生まれ変わりになるんだ」
その言葉を聞いて、岡崎は、未来になると、つかさに会えるように思えた。
「岡崎君、それが、時間を繰り返すというようなものなんだよ」
「どういうことですか?」
「岡崎君の未来はこの僕であり、つかさの未来は、彼女になるのさ。この世の中での輪廻のようなものだね」
そういって、彼は冷凍保存から助けた女性を抱き起こし、どこへとも消えて行った。
岡崎は、その時の女性と将来出会うような気がした。
将来レポーターになった岡崎は、自分がインタビューした最初の相手がその時に男が助けた女、つまりはつかさの母である愛梨であるということを、分かっていた。
「お父さんは、結局『何となく歪んだ未来』を作っただけなんだな……」
と、岡崎は呟いたのだが、本当に声になっていたのかどうか、分からない……。
( 完 )
なんとなく歪んだ未来 森本 晃次 @kakku
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