2-10 青鬼の思惑

 二神と別れ、便利屋ブルーヘブン裏の自宅部分へ帰った奏斗は、天がキッチンでお茶を飲んでいるところへ声を掛ける。

 

「天さん、ただいまです」

「おう~」


 奏斗は、洗面所でうがい手洗いを済ませてからキッチンへ戻り、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出す。

 キャップをひねったところで、はたと動きを止めた。


「そういえば天さん。酒呑の匂いって、なんのことです?」

「あ? 気づかなかったんか?」

「はい」

「そうか……酒呑童子の野郎、ホストクラブにいたはずだぜ」

「えっ」

「イブキとカナトから、奴の匂いがぷんぷんしたからな」


 全然気づかなかった、と奏斗が愕然としていると、天は神妙な顔をする。


「気にすんな。ホストクラブってやつは、暗くて、酒やら香水やらの匂いで充満してるだろ。相当気を張ってないと気づかんはずだ」

「そう、ですか。でも俺、何にも、その」


 酒呑童子が自分に執着していることは、自覚している。

 接触してきたならば、何らかの行動があるはずだと思っていた。


「そこが妙なんだよなぁ。何を考えているんやら」

「天さんにも、分からない?」

「おう。俺は、その場に居なかったかんなあ。カナトやレンカの因果を視ることしかできねえ」

「なるほど」


 奏斗も蓮花も、酒呑童子の存在は意識していなかった。神通力といえども、全てを見通すのは難しいのだろう。


「とりあえず、飯、作ります」

「無理すんな。弁当買ってあるから、あっためようぜ。風呂は、沸かしといたしよ」

「あざす」


 大天狗の優しい計らいに、ようやく奏斗が気を抜いた――その時。


「い、て」


 強烈な頭痛が襲ってきた。膝から崩れ、床にうずくまる。キャップを開けたままのペットボトルがごとりと落ちて、中身がこぼれる。じんわりと色が変わっていく床板が視界に入ると、また記憶が刺激された。黒い液体が、眼前を覆っていくようだ。


「おい! 大丈夫か!」

「天、さん……あ……あれ……」


 やがて脳内を支配していく映像は、蘭の記憶だろうか。


「カナト!」

「ぐ、ぎぎ……」

「おい!」


 奏斗にはまったく覚えのない光景が、フラッシュバックのように襲ってきた。


  ◇


 誰もいなくなった、放課後の教室の片隅に、二人の影がある。

 

「何言ってるの? 蘭」

「もう、耐えられない。楽になりたい」


 蘭と呼ばれた女性と一緒にいるのは、蓮花に見えるが、蓮花ではない。よく似ているが、微妙に表情の作り方が違う。


(蓮華、か……!)


 俯瞰でその光景を眺めている奏斗に、衝撃が走る。

 蘭と同級生だった、という蓮花の反応が乏しいと思っていたが、蓮華の方が親しかったのならば納得だ。


「そうだね。耐えていたって、良くはならないもんね。親ガチャ失敗って本当にあるんだ」

「親すらいないんだけど。もうこれ、堕ろすしか……でも病院行くお金もないもん。死んじゃいたいよ」

「そうだね。あたしも決心した。けど、蓮花は巻き込みたくない」


 女子高生二人が悲壮な表情を浮かべ、顔を突き合わせている。

 客観的に見れば、仲の良い友人同士の会話にも見えるが、会話の内容には不穏なものしかない。


(まずいぞ……)


 彼女たちはお互いに頷き合うと、やがてカバンを手に持ち教室を出ていく。

 そして一瞬で、場面が切り替わった。

 真っ暗な建物の中――おそらく何かの店だ――大きく取られた窓から差す街灯の明かりで、床に人間が寝転がっているのが分かる。

 仰向けに倒れている、男一人と、女が二人。それぞれ、頭や首から血が流れ出ていて、瞳孔も口も開きっぱなしだ。

 外をハイビームで走っていく車のライトが強烈に差し込んできて、誰かが一人、立っているのが分かった。逆光で、顔は見えない。


「ふふ。あっはっは! これで、成れる!」


 うぞうぞと黒く蠢く何かが床を這いずり回り、高らかに声を上げた人物の足元に絡みつく。

 

「胎の中のモノも、くれてやるぞ。さあ、喰らえ!」

 

 ぶじゅるぶじゅるる、と生理的嫌悪を沸き上がらせる奇妙な音がして――


  ◇


「ウクックック。バレちゃったかぁ」

「貴様、今度はホストのフリしやがって。何考えてやがる」

「助けようとしてるのに、酷い言い草だね」

「信じられっかよ」


 奏斗が気づいた時には、なぜかホストクラブ『エウレカ』の店の前に立っていた。

 すぐ側に天と、新人ホストのアオイがいる。


「え? あっ、あんたは!?」

「あ。やっと戻ってきたね。茨木いばらき童子どうじ

「カナトだっつの。……うん、大丈夫そうだな」


 アオイも天も、それぞれ勝手なことを言うから、いまいち状況が掴めない。


「俺、家に帰ってたはず……」


 戸惑う奏斗に、天は八重歯を見せながらあっけらかんと告げる。

 

「ああ、苦しそうに倒れたと思ったら、フラフラ家を出ていくからよぉ。慌てて追いかけたら、エウレカ、エウレカってなぁ。歩いて行こうとすっから、車に押し込めて連れてきたってわけよ」

「そう、だったんすね……」


 ようやく意識が完全に覚醒して、新人ホストとして以前紹介されたアオイが自分を『茨木童子』と呼んだことに気づく。

 

「ってかまさか、酒呑童子!?」


 奏斗がアオイの鼻先を人差し指で指すと、アオイは愉快そうに笑うだけだ。


「ウクックック。久しぶりだなあ。会いたかったよ」

「いやいや。え? 天さん? なんでのんびり話してるんすか?」


 天は、ガシガシと後頭部をかきながら苦笑する。


「それがよぉ。今回ばっかりは、どうやら敵じゃねえ」

「は?」


 奏斗が目を剥いてアオイを見やると、ただ肩を竦められた。


「敵じゃねえ、て言われても」

「どうやら一枚噛んでやがるのは、間違いねぇけどな」

「まあ、まあ。立ち話もなんだし。飲んでいかない?」


 くいっと親指で店を指すアオイは、胡散臭いことこの上ない。

 

「……男二人して、入っていいんすか」

「大丈夫ですよ、私のお客様ですから」


 エスコートします、とばかりに礼をするアオイの仕草は、様になっている。その証拠に、道を歩いていく女性たちがキラキラした目を向けていて、居心地が悪い。

 不本意そうだが、天の足は既に店の方と踏み出された。それならばと、奏斗も従う。

 案の定、入り口にいた黒服からは怪訝な顔をされたが、アオイが気にするなとばかりに手を振った。

 何かの術かもしれない。それ以降、誰にも何も言われなくなった。


「ちっ、相変わらずえげつねえことしやがる」

「ん~? 言うこと聞かして記憶もいじって、のこと?」

「気安く人間の頭、いじるんじゃねえよ」

「天狗がそんなこと言うなんて。おっかしいねえ~」

「うるせえ」


 店内一番奥のブースに歩いていくまで、奏斗の前を歩く大天狗と酒呑童子がそんな言い合いをしていて、「これは夢かもしれない」と奏斗は思わざるを得なかった。

 だが――


「あ? てめえ、懲りもせずまた来たのかよ」

 

 ナンバーツーのトワが肩を怒らせて近寄ってきて、現実だと悟った。

 酒臭い息を吹きかけられ、気安く肩に肘を載せられる。もっとも、身長百八十二センチの奏斗に対してそんな態度を取るには、つま先立ちになっているようだが。


「えーっと、どうも」


 イブキが店を辞めたのならば、今は実質ナンバーワンのはずである。

 ところが、トワは不機嫌だ。


「てめえらが来てから、おかしなことばかり起きやがる。アオイも、勝手に入れてんじゃねえよ」


 新人に絡む先輩ホストのダサい言動を、アオイはスルーするどころか、はじめから奏斗しか見ていない。

 

「ウクックック。さあ。もう我慢しなくていいよ。好きなように、やっちゃいなよ」


 奏斗は戸惑うと同時に、下腹部が異常に重たくなったのを感じた。


「酒呑、貴様!」

「しぃー、天。邪魔はなしだよ。未練は、良くないからね」

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