2-9 霞家

 

 霞家かすみけは、はるか昔から連綿と続く退魔師の家系だったが、時代の流れに従い退魔の職に就く者がいなくなり、一般家庭になった。とはいえ、退治された側の恨みは消えない。匂いを嗅ぎつけられるのか、忍び寄る魔の手は多く、不幸に襲われる体質だけが残っていた。

 就職しても、人間関係のトラブルに悩まされる。店や事業は失敗する。

 蓮花はすくすくと成長していたが、高校へ上がる頃には家計破綻の危機に襲われた。

 先祖が倒してきた妖どもの恨みが、平穏に生きるのを許さなかったのだろう。街の片隅にある小さな喫茶店にすら、魔が取り憑いた。土地も悪かったのか、あっという間に退去を余儀なくされることとなる。

 イブキの語り口を、蓮花の独り言が止める。


「喫茶店……」

「うん。アットホームで、良い店だった。君がカフェで働いている姿がまた見られて、嬉しい」

「あたしも、働いていた?」

「ああ、そうだよ。両親を手伝っていた。妹と一緒にね」

「いも、うと……?」


 それも覚えていないのか、とばかりにイブキは眉尻を下げる。


。妹の名前は、レンゲ蓮華という」

「!」


 ぶるぶると震え出す蓮花は、自身の左手のひらを開いて見つめた。親指の付け根にある、青い筋彫りの蓮の花。そこから、退魔の妖刀が生えるのを、奏斗も実際に自分の目で見ているから、知っている。そしてその刀を、蓮花は『蓮華』と呼んでいた。


「……っく!」

 

 両手で頭を抱える蓮花に、駆け寄ったのは二神だ。床に片膝を突き、蓮花の左手首をそっと握る。蓮花はそれを、振り払わなかった。


「蓮花さんっ」

「大丈夫だ。思い出した……だけだ」

「……無理はしないでください」

「ああ」


 再びイブキに向き直る蓮花を認めてから、二神は元の席に戻っていく。蓮花は、こめかみを指で押さえながら、記憶を掘り起こすようにして言った。


「店を、襲われたんだったな」

「うん。閉店後のカフェでね。君は幸い、ゴミを捨てに外へ出ていた」


 天がふーっと深い息を吐く。シオンは、目の前にあるオレンジジュースのストローを、意味なくぐるぐると回している。カラカラと無機質な氷の音が鳴って、呪いによってもたらされた奏斗の記憶を刺激した。


「一家惨殺事件……」


 奏斗が呟くと、イブキが頷いた。

 

「九年前の事件だね。大々的にニュースになった。正確には蓮花だけ生き残ったんだけど、マスコミって大げさに書くの好きだから」


 奏斗の脳裏に、鮮明な映像が蘇る。

 学校の教室で好奇の視線に晒される蓮花の姿を見る、蘭の記憶だ。口々に勝手な噂を流す同級生たちに囲まれつつも、蓮花は気丈に学校へ通い続けた。少なくとも蘭が風俗店で教師に見つかり、自主退学するまでは。


「犯人、捕まったんですか」


 気になった奏斗が問うと、イブキが首を横に振る。


「いいや。だって犯人は、妖だからね」

「えっ」

「だからここに引き取られた。退魔師になる方がいい。そうじゃない? 猫又くん」


 シオンが、低い声でぐるると唸る。

 肯定と、同義だろう。


「あたしの過去は分かった。犯人の妖は、どこにいるんだ」


 蓮花の質問に、イブキは小首を傾げて見せる。


「私が犯人だとは、思わないのかな」

「濡女がいなければ、牛鬼は何もできない。貴様が言ったことだ」


 イブキは、肯定も否定もせず、諦めたように笑うだけだ。

 

「レンゲは、幼い頃から妖が見えていた。退魔師の素質があったんだろうね。物心がついて世の中が分かり始めると、妖に命を取られるかもしれないっていう恐怖に、打ち勝てなくなった。家の貧しさにも嫌気が差していた」

 

 イブキが言葉を切ると、蓮花は手のひらからイブキへ目線を移す。その横顔が痛々しいと同時に毅然としていたから、奏斗は中途半端に慰めるのもそぐわない、と言葉を呑み込んだ。

 

「蓮華が、濡女だったのか?」

 

 ぎりり、と鳴る蓮花の歯軋りの音が、葛藤と苦しみを表現している。イブキがさらに口を開きかけると、そこへ――

 

「やれやれ。アタシがいないってのに何を勝手なことを」

 

 どこからか現れた環が、腕を組んで憤怒の形相をしている。悲鳴を上げたのは、天だ。

 

「げえ! おたま!」

「まったく! なんだい、天がついていながら情けないね」

「だってよぉ、俺、こういうの苦手」

「苦手もクソもないんだよ、バカ天狗。その高い鼻は飾りかい。……レンカ」

「はい」

「時が来たら全部話してやるって、約束したじゃないか」

「ごめんなさい」

「アンタは悪くないけどね。ほんっとに、相変わらず寂しがりのヘタレなんだから、牛鬼ってやつは。アタシの目の黒いうちは、レンカに手出しさせないよ」

 

 イブキは環に圧倒されたのか、両手を挙げて降参のポーズをとった。

 

「まいったな。あなたまで出てきたら、もう打つ手はないね」

「ふん。あんたの半身は、もういないんだ。余生を静かに過ごしな。分かったら、さっさと出て行きな」


 環の迫力に抗えなかったのか、イブキは素直に席を立った。


「はい。私の役目は終わりました。あとのことは、お任せします」

 

 ◇


 イブキを最寄り駅まで見送った奏斗と二神は、そのまま駅前のコーヒーチェーン店で一服している。

 二神が心配で誘った奏斗だが、何をどう話せば良いのか分からない。

 

「二神さんは、店には、戻らないですか」

「うん。このまま僕も帰るよ」

「そうですか……蓮花さん、大丈夫でしょうか」

「蓮花さんは、強い人だから」


 二神は言外に『自分は不必要だ』と言っているようだ。悲しくなった奏斗は、堪らず吐き出す。


「強い……でしょうか。二神さんがいるから、頑張ってるんじゃ」

「そんなことはないさ」

「そんなこと、あります。蓮花さんが日曜日にねこしょカフェで働いてるの、二神さんが来るようになってからだって聞きました」

「え?」

「それまでは、時々手伝うくらいだったって。でも、二神さんが日曜日に読書しに来るようになったから、毎週店に出てるって光晴さんが」

 

 二神が、驚いた顔をしている。どうやら知らなかったらしい。

 奏斗は肩に力を入れて、二神に言う。


「昨日も、二神さんが助けに来てくれたから、蓮花さんは理性を保てたんです。どうか、これまで通りにしてください。フェードアウトなんて、ダメですよ」

「まいったな。読まれてたんだね」

「俺、これでも、人の顔色うかがって生きてきたんです」


 母親が理不尽にキレる毎日を、平穏にやり過ごす術なら、いくらでも学んできている。

 誇れるものではないかもしれないが、使える能力ならとことん使おう、と奏斗は思っている。


「嫌いになったとか、怖くなったとか、じゃなければ」

「……怖くは、あるけど。今更だよね」


 ふ、と二神は口角を緩めた。


「ですね。だから諦めないでください。二神さんのことは、俺が絶対守るんで」

「はは。頼もしいなぁ。見違えたね、奏斗くん」

「え?」

「今までは、誰とも関わらない方がいいって思っていただろう?」


 バレていたのか、と奏斗の心臓がドキリと跳ねた。


「だから意外だったな。奏斗くんが自分から、蓮花さんや、僕に踏み込んでくれるのが」

「っ迷惑、でしょうか」

 

 急に自信がなくなってきて、縮こまる奏斗に、二神はふはっと笑った。

 

「いいや。ありがたいよ。とても嬉しい。蓮花さんのことは、イブキというホストに譲るべきかなって思ってたから」

「そんな!」

「僕には理解できないことの方が、多いからね」


 二神の言いたいことも、分かる。

 普通の人間からしたら、妖に関わること自体が荒唐無稽だ。二神はそれでも蓮花のそばにいるから、ものすごい覚悟だなと奏斗は密かに尊敬していた。

 だからこそ、この二人には、離れて欲しくない。妖が関係していても、共に生きられる。そんな二人を見たい、と勝手に思っていた。


「押し付けだったら、すみません。でも、応援したいんです」

「うん。ありがとう。ちょっと僕も伝手を使って、霞家のことを調べてみるよ」

「え?」

「代々退魔師の家系ということは、古くから続く名家と言われる筋とも関わりがあるはずなんだ。特殊な力を持つ血統が潰えるのを見過ごされていたのが、どうにも腑に落ちなくてね。まあこれは、僕のビジネス的な観点だけれど」

「おぉ~」


 奏斗が感嘆の声を上げると、二神は嬉しそうな顔をする。


「ははは。ほんと、心強いなあ……蓮花さんを、頼んだよ」

「はい!」 

 

 

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