第9話 私が妻です

                                                     

侯爵夫人が用事で外に出かけた午後に、メイドからヴァルが訪ねて来たと知らされた。


レノが大怪我を負ったというのに彼は一度も会いに来なかった。

2か月会っていなかったのに、手紙すら寄こさなかった。

不愛想だったけど、こんな冷たい人では無かった。


元はと言えば、私が悪い。

ヴァルに頼り切って何もしなかった私が悪い。

それでもヴァルは私の夫なのに、私は妻なのに。


小窓から見た彼の笑顔を思い出し、エルシーは唇をかみしめた。



レノが寝かされている部屋にヴァルは通されて、エルシーの顔の痣を見て固まった。


「エルシー・・・」言葉が続かない夫にエルシーは「言いつけを破った私が悪かったんです。レノにこんな大怪我をさせてポールとマーサに申し訳ないです」と目を潤ませた。


「レノが大怪我だって?」


「そうです。聞いてなかったんですか?」


「聞いてない。いや・・・・・・聞いた・・・」



『死にかけたそうだ』


団長の言葉を思い出してヴァルは背筋が冷たくなった。

しかもレノではなく、エルシーだと聞いた。


大怪我と聞いて侯爵家に向かったはずだった、でも行かなかった。


────どうして? 何か変だ。




「レノ・・・眠っているのか」


「昼食の後、痛み止めの薬を飲んだので」


「すまなかった」


「それは何に対しての謝罪ですか?レノを見舞いに来なかった事ですか。勝手に離婚したことですか。」


「離婚はまだしていないが、あの婚姻届はどういう事なんだ。ケーシーが勝手に出したのか?」


「ヴァル、何を言ってるの?」




「ヴァルにぃ? 離婚ってなに?」


「レノ、起きていたの?」


「うん。エル姉は向き合って話すんでしょう?」



ヴァルはレノの傍に来ると「大丈夫か。エルシーを守ってくれたんだな。有難う。本当にすまなかった」とレノの頭を撫でた。


「ううん、エル姉はアイツに殴られたんだ。僕は守れなかった。それより離婚ってどういう事なんだよ」


「俺にはシャリーという子どもがいるんだ。その子の為にも俺は離婚しないといけない」


「本当にヴァルにぃの子どもなの? あの子金髪で全然似てなかったよね」


「あの子は・・・いや、大切な俺の子だ」


「嘘だ。だってヴァルにぃはエル姉が大好きだったじゃないか!」


(俺がエルシーを?)


ヴァルは振り返ってエルシーを見た。


 エルシー


  エルシー


   シャリー


    シャリー


     俺の大事な娘、シャリー。


今もどこかで泣いているに違いない。


眩暈がする・・・こんなことをしている時間は俺には無いんだ。



「ここには離婚届けのサインを貰いに来たんだ。エルシー頼む」


もう向き合って話す余地も無さそうだとエルシーは諦めた。


「ヴァル、わかりました。今まで有難う」


「サインなんかしちゃダメだ。エル姉!」




────コンコンコン



サインする為に机に向かったところで扉がノックされて、エルシーが返事をすると執事と副団長のエイダンが入って来た。


「ヴァル、ケント婦人、お二人に大事な話があります」


エイダンがそう言うと、後ろから神官も入って来て一礼した。


「なんですか。もう退団したから俺は関係ないでしょう。急いでいるんです!」


「まだ団長の承認は貰っていません。私の命令を聞きなさい!」


有無も言わせないエイダンの威圧にヴァルは姿勢を正した。




神官がヴァルの目を覗き込むとヴァルの瞳は細かく揺れた。


「この方は洗脳されています」


エイダンは「やはりそうですか」と納得した。


「ヴァル、心当たりはありますか?」


「洗脳なんてされていません!」


異能を持つ【魔女の瞳】のシャリーはまだ生まれたばかりの赤子なのだ。

一体どうやって洗脳するというのだ。有り得ないだろう。



「いいですかヴァル、貴方の妻は誰ですか?」


「ロージーです。彼女はシャリーの母親ですから」


「よく考えて答えなさい。本当にそうですか?」


「・・・・・はい」




「いいえ、私が妻です!」


エルシーはヴァルの両腕を掴んで訴えた。


「私が妻です!」



「私が妻なのに・・・」



夫の腕にすがる手に力が入って、俯くエルシーの細い肩が震えた。

ヴァルはこんなに感情を剥き出しにしたエルシーを始めて見た。



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