私が妻です!
ミカン♬
第1話 王都へ行ったら夫が愛人と暮らしていた
乗合馬車に揺られてエルシー・ケント子爵夫人と護衛役の少年レノは王都を目指していた。
王都には来てはいけないと夫から厳しく言われていたが、エルシーには言いつけを破る理由があった。
エルシーの夫ヴァルは何の連絡もなく2か月近く帰宅していない。月に2度必ず帰宅していたのにこんな事は初めてで、エルシーは夫が病気か怪我をしているのではないかと心配していたのだ。
王宮騎士の夫から遠征に出るとも聞いていない。手紙も3度出したが返事はない。
更に、三日前に従兄のオリバーが村に来た。彼は2~3か月に一度、曾祖父の墓参りと称して村を訪れるが、お目当てはエルシーとお茶の時間を楽しむことだ。
金糸の髪に薄い碧の瞳、小柄なエルシーは初々しい美少女のまま。
そんなエルシーへの欲望をオリバーは隠さない。
最近は露骨に言い寄ってきて、エルシーの体に触れてくることもある。
「やめて、触らないで!もう来ないで!」
「まだヴァルとは夫婦でいるつもりか? もう別れて俺の元に来い」全身を嘗め回す様エルシーを見て「まだ奴とは寝てないんだろう?」と下卑た笑みを向けてくる。
屋敷には使用人夫婦が傍にいるので襲っては来ないが、出したお茶を飲み終えて帰るまでエルシーは苦痛でたまらない。そんなエルシーを眺めてオリバーは楽しんでいる。
オリバーはエルシーが10歳の時に性的悪戯をしようとしてエルシーを男性恐怖症にした元凶だ。
未遂で終わったのだが、そのせいでエルシーは、夫を2年も受け入れる事が出来ないでいた。
オリバーの執着を断ち切る為にも、夫と本当の夫婦になりたいと思い始めていた。
ヴァルと本当の家族になって、子どもだって欲しい。彼は良い父親になってくれる。
そう思っていた矢先に連絡が途絶え、不安になったエルシーは王都に行く決心をしたのである。
使用人夫婦の反対を押し切って屋敷を出ようとすると、彼らの息子レノが護衛を申し出た。
「僕がきっと奥様を守りますから付いて行かせて下さい。お願いします」
レノはまだ13歳の少年だが父親を凌ぐ剣の腕前を持ち、頭も良い弟のような存在だ。きっと頼りになるだろうとエルシーは王都への同行を許可した。
半日かけて王都に到着し、街で宿屋を探して軽食を済ませ、ヴァルの住む住宅街へと向かう。
会えるかどうか分からないが夫の無事を確かめられれば、それで良いと思っていた。
場所は簡単な地図で示されている。
「こっち、こっちです!」
大通りから住宅街に入ると通りには露店が少し並んで、店の老婆が売れ残った野菜を片づけていた。立ち止まると、どこからか赤子の鳴き声が聞こえてくる。
「えっと、・・・あそこの青い屋根です!」
レノがメモを見ながら指したのは、燐家と連なる古くて小さな平家。
ドアの前に立つと赤子の鳴き声はこの家からだと分かった。
嫌な予感がしてドアをノックするのを躊躇っていると中から声がした。
「ヴァル、おむつを替えてくれる?手が離せないの」
「ああ」
間違いなく夫の声だった。エルシーはそっとドアから離れてレノを見た。
レノは目を見開いて壁の小窓を指さしている。
レースのカーテンの掛かった小窓を覗くと夫が赤子のオムツを替えていた。
以前より伸びた黒い髪に青い瞳。いつもは無表情な顔が─────微笑んでいた。
とても幸せそうに、エルシーが見た事のない顔で。
ライトブラウンの長い髪の美女が奥から歩いて来て、後ろから夫に抱き着くと頬にキスをした。
「オムツを替えるの上手になったわね。ねぇ夕飯は何がいい?」
「なんでもいい」
小心者のエルシーに、この家を訪ねる勇気は無かった。
王都に来るなと言ったのは愛人と暮らしているから?
中に入って、ヴァルになんて言えばいいのか。
即刻離縁されるかもしれない。
「奥様?」
「出直しましょう。今は何を言っていいのか分からない」
「は、はい」
来た道を戻ると屋台の老婆がまだいた。
「すみません、あそこの青い屋根の住人は・・・ご夫婦ですか?」
「あ?ああ。最近赤子が出来てね、泣いてうるさいんだよ」
「ご主人は王宮騎士の人ですか?」
「ああ、そうさ。あんた、旦那がいい男だからって横恋慕なんてするんじゃないよ?」
「いえ、失礼しました」
近所の人にも夫婦だと認識されているらしい。
夫とどう話し合えばいいのだろう。
太陽が沈みかけて、住宅の通りは夕飯支度の匂いが漂っている。
大通りに出て宿屋に足を向けた。
(レノが一緒で良かった。一人だと歩けなかった)
夫の笑顔を思い出し胸がズキリと痛む。
時々振り返りながら黙々と先を歩くレノの背中を追いかけながら、エルシーの心は重く沈んでいった。
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