第6話 それぞれの朝
翌日、エルシーは警備隊からオリバーが釈放されたと聞かされた。
平民のレノが伯爵に体当たりして打撲を負わせたので護衛に殴られた。
エルシーが夫の浮気を知らされて取り乱したので頬を殴ったと言い張ったそうだ。
悔しいが相手はリーブ伯爵家の長男。勝てる相手では無かった。
報告を聞き終えて、肩を落としてエルシーは眠るレノの傍に付いていた。
今日も医者に診てもらってレノの容態は安定している。
「レノ君の具合はいかがかしら?」
時々夫人も様子を見に来てくれる。
「お医者様は安静にしていれば直ぐに良くなると仰いました。本当に有難うございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「いいのよ。私はお節介なの、気にしないで」
エルシーは夫人に深々と頭を下げた。
初日に逃げずにヴァルと話し合えば良かった。
そうすればレノがこんな目に合わなかったし、周りの方々に迷惑をかけなかったのに。
いつも逃げてばかりだからヴァルにも愛想を付かされ、オリバーにも付け入る隙を与えてしまうのだ。
昨夜遅く、侯爵家に帰宅した次男のエイダンから聞いた話に夫人は酷く驚いた。
「詳しい説明は聞けなかったのだけど、妻はロージーさんだと言ってるそうよ。ご主人は婚姻証明書を提出するまで停職処分ですって」
「そんな、妻は私です。嘘ではありません」
「勿論エルシーを信じるわ」
婚姻証明書を見れば一目瞭然なのに、何故ヴァルがそんな嘘を言うのか。
婚姻証明書は村の屋敷のヴァルの部屋に保管してある。
もしかして勝手に離婚届を出して、ロージーと再婚しているのだろうか?
────それ以外考えられなかった。
痛み止めの薬を飲んでぐっすり眠るレノの傍に腰かける。
「レノ、それでも貴方はヴァルを信じるって言うかしら?」
レノの髪を撫でながら沸々と怒りが沸き起こる。
手紙の返事をくれていたら王都にも来なかった。
バルにとって自分は妻どころか、邪魔な存在になっていたのだ。
結婚してからはヴァルには感謝しかない毎日だった。
恨むなんて間違ってるだろうか?
でも離婚するなら一言くらい相談して欲しかった。
オリバーも許せない。
あの男はいつまで自分を支配できると思っているのか。
今の自分を変えなければ、一生弱者の惨めなままだ。
エルシーはこの朝、生まれ変わろうと心に決めたのだった。
***
住宅街には今朝も赤子の鳴き声が聞こえていた。
オリバーは以前来た時もうるさく泣いていたのを思い出した。
エルシーを取り返すためにヴァルを失脚させてやろうとオリバーはロージーとの接触を企んでいた。
(愛人とくっ付けばいい。そうすればエルシーは俺のものだ。騎士団もクビになってしまえ)
ヴァルの家の扉を勝手に開けると、激しく赤子が泣いている。
舌打ちしながら部屋に入っていくとキッチンで女性が倒れているのが見えて、オリバーは一瞬ひるんだ。
「あ? ロージーって女じゃないか。手首切ったのか。おい、おい!今死なれちゃ困るんだよ!」
確認すると、腕から出血していたがロージーは生きていた。
オリバーは面倒に巻き込まれる前に逃げようとしたが、なぜか赤子が気になってベビーベッドに近づいた。
「うるさいな! え・・・こ、これは・・・」
オリバーは呆けたように赤子の顔を見つめていたが────
「そうか、お前のママを苦しめているのはエルシーか。憎いよな、俺に任せておけ」
唐突にオリバーの中にエルシーへの憎しみが沸いてきた。
「あいつ、なんでいう事を聞かないんだ。俺を舐めてるんだな」
赤子をシーツで包むと抱きしめて、オリバーは外に出て歩き出した。
「おや、うるさい泣き声が止んだね」
屋台の老婆が野菜を並べる横をオリバーは護衛と並んで静かに歩き去った。
暫くするとヴァルの家に通いのアン婦人が来て、倒れたロージーを発見し、赤子がいないことに気づいたのだった。
*****
雨も明け方に止んでヴァルは出立の用意をしていた。
最近は寝不足が続いていたので昨夜はぐっすり眠り、つい寝坊をしてしまった。
長居してはマーサに殺されるかもしれないと急いで屋敷を出ようとした。
書類を持ってエントランスに向かう。
「旦那様、馬の準備は出来ています」
玄関扉を開けてポールが見送ってくれる。
「昨夜はマーサが失礼致しました。でも妻はエルシー様を思って申し上げました」
「わかってる、もちろん今後も面倒はみる。王都でレノの様子も見ておくよ」
「そうですか、お気をつけて。息子が役に立たず申し訳ありません」
「もう気にするな」
馬に跨ってヴァルはぬかるんだ道を急いだ。
たった一晩だ。ロージーは大人しく待っているだろう。
エルシーにも会わないと行けない。
離婚してロージーを正式に籍に入れれば大丈夫だ。
シャリーは俺の子なんだから。
決して浮気なんてしていない。
団長も分かってくれる。
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