奈落の底

Tempp @ぷかぷか

第1話 奈落

あかね? そんなところで何してるの?」

花蓮かれんさん! 近づいちゃ駄目だ!」

 夜の静寂しじまにさらりと吹いた風が重い雲を吹きちらし、差し込んだ月明かりがその惨劇を明らかにした瞬間、花蓮の口から絹を裂くような悲鳴が上がった。大木の前に立ちすくんでいたように見えた茜はたくさんのナイフでその体を木に縫い留められ、その衣服は赤黒く染め抜かれ濡れそぼっていた。


 そこで舞台は暗転し、今のうちに僕は茜役の小田切一花おだぎりいちかをその背景となっている木ごと担ぎ上げて袖に捌ける。僕らは高校の演劇部で、今日は文化祭だ。演目は『13日の土曜日』。某映画をインスパイアしてこの高校で肝試しをする高校生を殺人鬼が殺して回る話で、茜が最初の犠牲者。一花は木に縫い付けられているから一人では動けない。木ごと運べば結構重い。だから舞台袖の控室に運び終わってふぅと一息ついて違和感に気づく。


壱成いっせい君ごめんね、重いでしょ』


 練習でいつもかけられた言葉がない。

「小田切さん……?」

 返事はなく、恐る恐る振り返るも一花はピクリとも動かない。焦って何度呼びかけても返事はなく、鼻に手を当てても呼吸はなかった。血生臭さが鼻腔をくすぐる。注視すれば腹に刺さったナイフの根元から液体が滴りり、なんの気なしにそれを抜けば、とぷりと赤黒い塊がその奥から湧き出て思わず飛び退く。

 そしてそれはドロリと床に広がった。

「ちょ、小田切さん、冗談だよね?」

 無情にも返事はない。

 本当に? 本当に、えっと死んでる?

 もう一度口の前に手を当てたが呼吸はない。

 血まみれに見える首筋に躊躇して、綺麗な手首で脈を取ろうとしたけれど、やはり、ない。

 その時、控室の扉の外から荒々しい足音が響いた。


「おい佐藤さとう!」

 僕の名前を呼ぶ声。

 控室の扉が開く前に慌てて顔を出せば、不機嫌そうな木原きのはらが僕を睨みつけていた。

「な、何?」

「何って次の4幕の舞台設定が遅れてる。何してる!」

「待って、すぐ行く!」

 僕は大道具係だ。

 だから一花を運んだらすぐ、次のセットを舞台に運び込む用意をしないといけない。けど今、それどころじゃなかった。そしてもっとそれ所じゃないことに気が付いた。5幕では一花の背負った木を再利用する。だから控室に人が入る。控室戻れば一花が死んで……るのがバレる。木原が舞台袖に戻るのを確認して再び控室の中を覗き込んでも、やはり一花はピクリとも動いていない。頭を急いで働かせる。

 一花はいつ、死んだ?

 僕が2幕の最初にダミーナイフの刺さった一花を括り付けた木を舞台に運び入れたときは確かに生きていて、2幕の終了時に運び出すまで一花に触れたのは僕だけだ。その事実に一気に血の気が引く。

 だから、僕が疑われる。

 何とかしなければ。けど、時間がない。

 混乱極まる頭で目についたのは控室の奥の奈落だった。とりあえず隠す。隠してから考える。

 この旧校舎の演劇堂の搬入口から繋がる控室は、高さ2メートル程の地下の奈落舞台下の空間に繋がっている。危険で使用が禁止されているから、いつもは荷物置き場になっていて、誰も覗かない。

 慌てて木から一花を外し、奈落に至る大道具の搬入口を開けて闇の底に一花を投げ入れるとグシャリという音がした。予想外の奇妙な音にスマホのライトを付けて覗き込めば、一花の胸には下に置かれていたと思われる鉄パイプが刺さっていた。

 嘔吐感がせり上がる。

 手のひらにじっとり汗が染みる。

 けれども確認する余裕なんてなかった。投げ入れた反動か、周囲の小道具、例えば本やテニスボールなんかの小道具が散らばり、それをかき集めているうちに再び怒りを隠そうともしない足音が近づいてくる。一花の木を担いで勢いよく扉を開けと同時に怒号が響き渡る。

「佐藤!」

「ごめん! 髪の毛が引っかかって外すの手間取っちゃって!」

 木原の隣を駆け抜け、あとはひたすら何も考えずに手足を動かした。考える暇があれば、パイプで串刺しになった一花の姿が浮かぶからだ。気づけばいつの間にか舞台は終わって反省会となり、一花がいないことに誰かが気がついた。


「あれ? 佐藤、小田切どこ?」

「し、知らない!」

「おかしいな。サプライズするって言ってたんだけど」

「サ、サプライズ?」

「そう、本物の死体の振りをしてお前を脅かすって言ってた」

「な、何で?」

「あれ? してなかった?」

「あいつそういう悪戯好きじゃん。こんな時にやらなくてもいいのにな」

 三々五々にあがる声。

 悪戯? 何のことだ? 一花は死んでいた、よな?

「こ、こんな時?」

「そう、劇本番ってこと」

 木原がじっと俺を見る。心なしか睨まれているようで、居心地が悪くなる。

「そういや佐藤、やけに木を外すのに時間がかかってたよな」

「そ、そうだ。髪が絡まってて外して、僕は時間がなくて木を背負って出て、後は知らない」

「じゃぁどっかに隠れてんのか。ほんと迷惑だな」

 つまらなそうなため息が漏れた。

 ……まさか、本当にあれが悪戯なのか?

 じゃあ、ひょっとして、生きていた?

 でも呼吸も脈も止まっていた。……テニスボール?

 呼吸は手を近づけた時に止めた。脇にテニスボールを挟んで脈を止めることはできるらしい。マーダークライムでは古典的な手法だ。

 まさか。

 まさか。

 まさか。

 最後に見たのはパイプの刺さった姿。

 僕が、殺した?

 その瞬間、奈落に繋がる階段の扉のノブがガチャリと音をたてて回った。


Fin

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