僕とカエルと魔女と先輩と

大隅 スミヲ

【三題噺 #16】「アイドル」「公園」「カエル」

 気がつくと僕はカエルになっていた。

 小さくて可愛らしいアマガエルだ。

 大きくて気持ちが悪いヒキガエルではなかったことが、せめてもの救いだった。



 僕は会社の飲み会に参加していた。

 元々アルコールはあまり強い方ではない。

 乾杯のビールをジョッキで飲んだことは覚えている。

 覚えていることは、それだけだ。



 せっかく、幸田先輩の隣に座れたというのに、なにも覚えていないとは……。



 幸田先輩は僕にとって憧れの先輩だった。

 そんな彼女とお近づきになれるチャンスを僕は見す見す逃してしまった。もしかしたら、彼女といっぱいお喋りをしていたかもしれない。それはそれでいいことなのだが、僕は何も覚えていない。それどころか、目が覚めたらカエルになっている始末だ。



 どうしてこんな姿になってしまったのだろう。僕は指と指の間にある水かきを見つめながら考えていた。もちろん、そんなことを考えたところで何故カエルになってしまったのかがわかるわけもない。

 それにだんだんと考える力も弱くなってきている気もした。

 一定時間ごとに水が噴き出してくる公園の噴水の様子を眺めていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 そちらに目を向けると、総務課の魔女……いや、美魔女と呼ばれているおつぼね……いや、大坪さんが歩いてくるところだった。

 彼女は、韓流アイドルが大好きで、昨晩の飲み会でも僕に色々と韓流アイドルについて語ってきていたような気がしている。

 あとは、本当は50代なのに20代だと偽って大学生との合コンに参加したことがあるとか言っていたような気もしなくもない。



「あら、こんなところに可愛いカエルちゃんがいるじゃない」



 大坪さんはそう言いながら、ぼくのことを素早く捕まえると、空き瓶の中に閉じ込めた。



「逃がしはしないわよ」



 真っ赤な口紅の塗られた唇を歪めるようにして笑みを浮かべた大坪さんは、瓶の中に入る僕に向かって言った。



 そうだ、思い出した。僕は飲み会の時に酔っぱらった勢いで、大坪さんのことを間違えておつぼねさんと呼んでしまったのだ。

 その時、会場は凍り付いたが、彼女は笑って許してくれた。その時は。

 だが、それはみんなの前だったからというだけだった。

 大坪さんは酔いつぶれてしまった僕を介抱するふりをして、僕にカエルになる呪いの魔法をかけたのだ。

 そう、大坪さんは美魔女ではなく、本当の魔女だった。



 カエルになってしまった僕は飲み会の会場から逃げ出した。

 そして、辿りついたのがこの公園だったのだ。



「カエルになっても、あなたはパク・チェに似ているわね。カワイイ」



 瓶の中に入れられた僕の姿を見つめながら、大坪さんはいう。

 パク・チェというのは、大坪さんがハマっている韓流ドラマに出てくる男性アイドル歌手のことだ。その話を僕は飲み会で散々聞かされたことを思い出した。



「あなたにチャンスをあげてもいいわよ。この魔法はある条件を満たせば解けるの。知りたい?」



 カエルになった僕は喋ることは出来ないので、頭を上下に揺らして頷いて見せる。



「それはね、キスをすればいいのよ。美女と」



 笑いながら大坪さんは言う。



「一度だけ、人間に戻してあげるからキスをしなさい」



 そう言って大坪さんは僕のことを瓶から出すと、魔法を解いて人間の姿に戻してくれた。



「時間は30分。30分以内に美女とキスをすれば、もうカエルにはならないわ。簡単なことでしょ」



 僕はその言葉に生唾を飲み込んだ。

 そうか、美女とキスすればいいのか。



「さあ、時間がないわよ」



 大坪さんはそう言って、目を閉じた。



 僕は大坪さんを公園に残し、全速力で飲み会の会場へと向かった。

 そして、二次会の会場に向かおうとするみんなの姿を見つけたのだ。

 しかし、そこに幸田先輩の姿はなかった。

 僕は愕然とした。

 どうしよう。このままじゃ、またカエルに戻ってしまう。

 僕はうなだれた。



 突然のことだった。

 急に後ろから、背負っていたビジネスリュックを引っ張られたのだ。

 僕は何が起きたのかわからず、その場に尻もちをついて倒れた。

 顔をあげると、そこには幸田先輩の笑顔があった。



「え、先輩?」

「逃げるなよ。もう一軒行こう」



 僕は幸田先輩に誘われるがまま、一軒のバーに入った。

 ふたりとも、したたか酔っていた。特にアルコールに弱い僕は世界がぐるぐると回りそうになるのを懸命にこらえていた。



「先輩、僕のお願いを聞いてもらえますか」

「なんで?」

「どうしても、聞いてほしいお願いがあるんです」



 僕には時間がなかった。残り時間は15分を切っている。

 もう背に腹は代えられない。

 僕は思い切って、幸田先輩に言った。



「先輩とキスがしたいです」

「はあ? なんで? 理由を述べよ」

 ケタケタと笑いながら幸田先輩がいう。



 そして、僕が述べた理由が、魔女とカエルの話だった。



「と、いうわけなんですよ。だから、僕にキスしてください、先輩」



 酔った勢いとはいえ、僕は隣に座る幸田先輩に言った。

 幸田先輩もだいぶ酔っぱらっているらしく、目がとろんとしている。



「話は面白かったけれど、そんなんじゃ理由にならないよ。はい、残念」



 笑いながら幸田先輩は言うと、グラスの中のワインを飲み干した。



 結局、僕は幸田先輩とキスをすることはできなかった。

 でも、お局様……いや、魔女の呪いでカエルに戻ってしまうこともなかった。

 幸田先輩とは、また飲みに行こうと約束をしたし、メッセージアプリのIDの交換もすることができた。

 これは、まだチャンスがあるってことだよな。

 いつだって前向きな僕は次のチャンスを虎視眈々と待つのだった。

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