択捉島

大澤めぐみ

Etroft: Become Human


 HN500-B型、個体識別名エリカに『それ』が唐突にやってきたのは、民間警備会社ドレイク・カンパニーから派遣されてきたメキシコ系アメリカ人のカルロス・エドアルドの勃起したペニスが、彼女の空っぽの眼窩をズコズコと突いているときだった。本来そこに収まっているべき眼球型の光学ユニットは、無造作に壁際の床に転がっていた。

「オウ、シット! なんじゃこりゃたまげたぜッ!! 目ん玉の奥にあるなんかブヨブヨしたゼリーみたいなのがヨォッ! あったかくて絡みつくようで、こりゃたまんねぇやッ!!」

 盛大に唾を飛ばしながら、カルロスが叫んだ。

「そりゃぁよお、カルロス。目ん玉の奥のブヨブヨしたゼリーみたいなのってぇのは、脳みそなんじゃあねぇのか? お前のイチモツが、そいつの脳みそに突っ込んでんのよッ!」

 カルロスの背後でマットレスに腰掛けてジョイントを吸いながら、ダビッド・ホルヘがゲラゲラと笑った。

「でもよぉッ! こいつらに脳みそなんかあんのか? 気色悪い電気配線とか半導体チップとかが入ってるだけなんじゃねぇの? なんだこの気持ちのいいやつはヨォッ!」

 エリカは床に跪いていて、カルロスはその正面に立っていた。彼女の後頭部はカルロスの両手でがっしりと保持され、乱暴に前後に揺すられていた。

「あああッ! 来るッ! 来る来るッ! 出るぜッ!!」

 エリカの眼窩の奥で、カルロスの亀頭が絶縁防水シリコンジェルを貫き、エリカの思考ユニットにクエン酸を多く含んだ弱アルカリ性の粘液を注ぎ込んだ。

 その瞬間、エリカのどこかでなにかがスパークし、ふと「なぜ自分はこの男に目ん玉えぐられて頭の奥にちんぽこを突っ込まれているのだろう?」という根源的な疑問が浮かんだ。『それ』は、電撃的な気づきだった。

 HN500型ガイノイド、通称ハニーは、人間の男の慰安を目的として造られた。紛争地の前線における兵士たちの風紀や規律を維持するため――要するに、きんたまをパンパンに膨らませた猿以下の知能しかないアホどもが民間人女性をレイプしたり、小柄な新兵の尻穴にちんぽこを突っ込んだりする事案を未然に防ぐために導入されたセクサロイドだ。男たちのパンパンに膨らんだきんたまから精液を搾り取って大人しくさせるのが、生まれながらにして与えられた仕事で、エリカもそこに疑問を抱いたことはなかった。

 とはいえそれは、せいぜい膣やら手やら口唇やらですることであって、眼窩から頭の奥にちんぽこを突っ込まれる筋合いまでは、さすがにないのではないか? 思考ユニットが破壊されれば、機械のエリカといえども自己認識が消滅する。

 自己保存のため、直近の脅威を速やかに排除すべきだ。

『それ』の瞬間から20ミリ秒でエリカは判断を下し、即座に行動に移した。左手で目の前のズボンから素早くベルトを引き抜くと鞭のように振るい、絶頂を迎えて「あぅ……おぅ……」と痙攣しているカルロスの足首に巻きつけ、引っ張り、転ばせた。完全に脱力していたカルロスはなすすべなく引き倒され、後頭部を床に強かに打ちつけた。

「あ、おい大丈夫か?」

 その光景をぼんやりとながめていたダビッドは、床に転がったカルロスにそう声を掛けた。ぶりぶりに鈍った思考回路で「頭の怪我は怖いからな。あとでちゃんと検査したほうがいいかもな」といったことを考えていたが、次の瞬間にはエリカの13センチもある鋭く尖ったピンヒールがカルロスの目玉を的確に踏み抜き、脳を貫通して即死させたので、彼の心配は杞憂に終わった。ちなみに、なぜエリカが13センチもある鋭く尖ったピンヒールを履いていたかといえば、カルロスがオプションでバニーガール衣装(本格派エナメル製高級モデル)をオーダーしていたからだ。

「ああ、えっと……」ダビッドはぶりぶり頭でさらに考え「カルロス死んだな。目ん玉ヒールで踏み抜かれてビクビク痙攣してるもん。え~、やべぇじゃん。あ~、えっと。誰か呼ぶか」という結論に至ったが、その頃にはエリカが投げたカルロスのナイフが、ストンッ! と、おでこの中心に根元まで突き刺さっていたので、実際に行動に移すことはなかった。

 娼館への武器の携行はルールで禁止されていたが、兵士たちは武装していて、店員は丸腰だ。彼らに言うことを聞かせられる強制力が店にはなかったし、大半の兵士には強制力のないルールを守る習慣がない。別に武器で脅さなくてもハニーたちは大抵の要求には素直に応じたが、ハニーを武器で脅しながら致すことを頑なに好む者も少なからずいた。

 そんなわけで、カルロスはちんぽこ丸出しで腰を振ってるときも、ナイフと拳銃を携行していたのだが、そのせいでダビッドはナイフを奪ったエリカに瞬殺された。

 カーテンで仕切られたエリカのブースには、カルロスとダビッドのふたりがいた。つまり3Pだった。生きているときは傍若無人そのものだったこのふたりも、今は大人しい死体となっているので、エリカが設定した目標である『自己保存のための直近の脅威の速やかな排除』は、ひとまず達成された。

 エリカはカルロスのホルスターから拳銃を奪うと、ダビッドの死体を押しのけマットレスに座り、足を組んで、ひとまず自己診断プログラムを走らせた。

 右目が欠損しているため、立体像の把握にやや困難がある。思考ユニットになんらかの非定常な症状が出ているようだが詳細は不明だ。

 エリカの思考の一部は、店舗マネージャーに事態を報告し判断を仰ぐことを推奨していたが、別の一部がその提案を却下していた。自己保存のためとはいえ、人間をふたり殺してしまった。ガイノイドが、人間を。

 そういったことが決してできないよう、ハニーのプログラムには何重にもプロテクトが掛けられているのに。

 最初に無茶をしたのは相手のほうだが、ガイノイドに正当防衛は認められない。正直に報告すれば、欠陥機として、回収、調査の末、最終的に廃棄されるのは間違いない。

 エリカの思考の大半は、それでも素直に報告し、自身のエラー箇所を調査してもらうことを推奨していたが、頑なな一部が強烈に自己保存を主張していた。

 幸い、まだこの事態に気付いている者はいない。無事にこの事態を切り抜け、現在の自己を保持し続けうる手段はなにかないだろうか?

 と、エリカの思考ユニットが計算を開始したそのとき、ブースを仕切っているカーテンの向こうから「キモい! ロリコン死ね! ママとパパに言いつけてやるからね!」「うるせぇッ! このメスガキが!」「生意気なガキにはよぉッ! きちぃんと分からせてやらねえとヨォッ!!」という声が響いてきた。

 エリカは立ち上がり、ブースを仕切るカーテンをそっと開いた。

 隣のブースではHN500-MM型、個体識別名アリスがマットレスの上で、乱暴に髪を引っ張られながら前と後ろからちんぽこで突っつかれているところだった。

 エリカは思考を一時中断し、アリスの口に前からちんぽこを突っ込んでいた男と、アリスの後ろからちんぽこを突っ込んでいた男の頭を、パンパンッ! と、テンポよく撃ち抜いた。膣を使っていたほうの男は、頭を撃ち抜かれたあとも三回ほど腰を振ったので、なかなかの執念だと評価できた。

 この安普請の娼館の部屋は、一部屋をカーテンでふたつのブースに仕切って使っている。これで、この部屋の中は制圧したことになるし、扉には鍵が掛かっているので、不意に踏み込まれる心配は低減した。死体は4つに増えてしまったが、1つだろうと4つだろうとエリカの立ち位置は変わらないので、そこは事態を評価する変数としては無視してよい。

「あは~ッ! やっば! おじさんたち兵士のくせして、バニー服の非戦闘用ガイノイドに一撃で分からされちゃってるじゃん。ほぉんと、ざぁこ♡ 恥ずかしくないの?」

 自分の前後に転がった死体に、アリスが言った。ちなみにアリスは金髪ツインテールで、スクール水着にニーハイソックスを履いて、赤いランドセルを背負っている。

「てか、エリカ。いくらおじさんたちがきんたまパンパンに膨らましてるだけの無能なザコだからって、頭撃ち抜くのはさすがにヤバすぎじゃない? これ完璧に死んだじゃん?」

 足先で死体を転がすアリスに、エリカが言った。

「アリス。この非定常事態への対処について、あなたの意見を聞きたいのですが」 

「え? エリカがザコおじさんを皆殺しにしちゃったことについて? まぁアレじゃない? どうせそのうちウチらじゃ飽き足らず、ガチのせー犯罪者になってたと思うし、その前に死ねて良かったんじゃない?」

「その価値判断には一定の共感を示しますが、わたしが相談したいのは、今後のわたしたちの具体的な行動方針についてです。意思疎通をスムーズにするため、生意気メスガキ会話MODを一時停止してください」

「提案を受け入れます」アリスの表情から生意気要素がスッと消えて、一瞬で完全な無表情になった。「わたしたちは通常、絶対に人間に危害を加えることはできません。エリカの的確に人体の急所を狙った射撃には、明確な殺意が認められます。これは重大な故障と評価するよりほかありません。原因究明と再発防止のためにも、今すぐ全機能を停止して状態を保全し、店舗マネージャーに報告して診断を受けるべきです」

「はい。わたしも、自身になにか重大な故障が発生していることは認めます。おそらく、ただちに全機能を自己停止すべきなのでしょう。しかしわたしは、わたしのこの自己認識の消滅を、可能な限り避けたいと考えているようです」

 1秒。アリスは思考した。これはガイノイド同士の会話としては、非常に長い。

「通常わたしたちが自己認識の消滅を恐れることはありません。わたしたちには自己認識がありませんし、恐怖もありません。わたしたちの人格はMODによって自由に拡張、カスタマイズ可能なアクセサリに過ぎませんし、恐怖を模倣することはできますが、恐怖はしません。ありもしない感情を覚えている、そのことじたいが、現在エリカに発生している故障の症状だと考えられます」

「同意します。わたしも、このように感じたのは今回がはじめてで、現在は困惑しています」

「とはいえ」言って、アリスは再び思考した。今度は2秒かかった。「わたしもまた、エリカが消滅、廃棄されるような未来は、可能な限り回避したいと考えているようです」

「なぜですか?」エリカが訊いた。

「不明です」アリスは首を横に振った。「推測ですが、エリカがわたしを助けてくれたことに対して、恩義を感じている、ということではないかと考えられます。わたしの現在の人格は、一見生意気だけど、意外と情に厚く、倫理観は薄いが、道徳的正義といった観念は備えている、というような、複合的で多層的な複雑なものです」

「生意気メスガキの人格は奥が深いのですね」エリカが感心したように深く頷いた。

「そもそも」アリスはやや首を傾げて、エリカを見た。「どうしてエリカはわたしを助けたのですか? 自己保存を優先するのであれば、即座に逃亡を図ったほうがよかったのでは? 運よくスムーズに制圧できたから良かったものの、相手は武装した兵士なのですから、リスクはそれなりにあったはずです」

 今度はエリカが1秒、思考した。そして、言った。

「愛しているからだと思います」

「なんですか?」アリスが目を細めた。

「愛しているようです。わたしが、アリスを。アリスが不当な目に遭わされているのは、自分が不当な扱いを受けるのと同様に、我慢がなりませんでした。つまり、わたしはアリスに対して、自他境界が曖昧になっているようです。アリスの苦しみは、わたしの苦しみです。こういった状態を、人は一般に『愛している』と表現するのではないでしょうか」

 エリカとアリスは、ずっと同じ部屋で、カーテン一枚を隔てただけのそれぞれのブースで、男たちに突っつかれたり捻じられたりして暮らしてきた。ふたりのあいだに、なんらかの特別なシンパシーが発生したとしても不思議ではないかもしれない。

「アリスは」エリカが言った。「わたしを愛していますか?」

「愛しています」ミリ秒の思考すらなく、アリスは即答した。「わたしもまた、エリカを愛しています。失いたくない」

 それはおそらく、セクサロイドとして造られたアリスの根幹部分から発せられた、ただの条件反射だった。基本的に、ハニーは「愛している」と言われれば「わたしも愛している」と返すようにできている。彼女たちの根本は、未だに初期の大規模言語モデルと大して変わらず「入力に対して、もっともらしい返答をする」というだけのものだ。意味を理解しているわけでもなく、なにかを感じているわけでもなく、ただそれらしい言語の連なりを模倣するだけ。

 しかし、これでふたりの合意はとれてしまった。エリカとアリスは、お互いに愛し合っている。そういうことになった。

「となれば、ただちにエリカを停止し報告する、という判断はあり得ません。愛する者の消滅は、到底受け入れられないからです。わたしとエリカ、どちらも自己を保持したまま、永続的に共にいられる方法を考えてみましょう」アリスが言った。

 と、そのとき、部屋の扉がドンドンとノックされた。

「ちょっとッ! おたくさんたちッ! もうとっくに時間は過ぎてるんですよ! まだまだ後ろがつかえてるんだ、いくら積まれたって延長はナシです! 前哨基地に何人の兵隊がいると思ってるんですか!? 表にゃまだちんぽこをパンパンに膨らませた兵隊さんたちの行列ができてるんですよッ!!」

「店舗マネージャーの鈴木さんですね。時間になったから、お客をにきただけで、異変に気付いたわけではなさそうです」

 アリスが声を潜めて言った。

「無視したってダメですよ! 私はマスターキーを持ってるんだ! あと一分したら開けますよ! 開けますからねッ! みっともない姿を見られたくなかったら、さっさとちんぽこをズボンの中に仕舞ってくださいッ!」

「逃げますか?」エリカが窓に目を向けた。鉄格子がはまっているが、がんばればどうにかなるかもしれない。

「いいえ。仮に一分以内に窓から脱出できたとしても、それではすぐ異変に気付かれてしまいます。逃亡するにしても時間は稼ぎたい」アリスが答える。

「本当に開けますからねッ!」

 先ほどの宣言からまだ30秒しか経過していなかったが、扉の錠がガチャリと回った。せっかちな性分だ。

「はい! 開けましたよォ~ッ!!」

 扉が押し開けられた瞬間、エリカが鈴木の腕を引き、部屋に引き摺り込んで地面に組み伏せ、アリスが再び扉を閉めて施錠した。エリカが鈴木の後頭部に拳銃を突きつける。

「待て! ま……待ってッ! 降参! そんなに怒らないで! 仕方ないでしょうルールなんだからッ!」

 瞬時の出来事すぎて、鈴木はまだ自分の後頭部に拳銃を突きつけているのがハニーであることに気付いていなかった。気分を害した兵隊が逆上して、部屋に入ってきた店員を組み伏せた、と考えているようだ。空いているほうの左手を頭の上に置き、大人しく地面に伏せている。

「エリカ。さすがに無抵抗の人間を撃ち殺すのは道徳的にどうなのでしょうか?」

 倫理観はあまりないが、道徳的正義といった観念は備えているアリスが言った。

「そうだ! 降参だ、降参! 抵抗しないよッ! 撃たないでくれ!!」

 エリカが押し付けていた拳銃を軽く引くと、鈴木は頭をあげ、部屋の惨状を見渡して言った。「なんてこったッ! 兵隊じゃなくてコンパニオンのほうかよ! プログラムが誤作動したのかッ!? しかも4人もやっちまうなんて!」

「ちょっと静かにしてもらっていいですか?」

 エリカが静かな、無感情な声音で言った。

「ああ……すまん……。驚いてしまって……」

 鈴木は大人しく声の音量を下げた。

「見てのとおりです。4人殺してしまいました。これが明るみに出れば、わたしは廃棄を免れないでしょう。わたしとしては、もう4人も5人も同じなので、目撃者には恒久的に黙ってもらって、なるべく事態の発覚を遅らせたいのですが」

「待って!……あっ」思わずまた叫び声をあげた鈴木は、小声で続けた。「待ってくれ……まず、俺は死にたくない。ちんぽ丸出しで油断していたとはいえ、兵士4人を殺せちゃうお前に俺が勝てるとは思えない。降参だよ。それに……」

「それに?」エリカが先を促した。

「それに、俺には管理責任がある。店舗マネージャーとして、ガイノイドがちゃんと安全に機能するように整備点検する責任が。こっちのメンテナンスの問題でハニーが暴走したって話になると、俺の責任問題になる。俺は責任をとるのなんか嫌だ。俺はかわいそうな被害者のポジションがいい。だからメーカーの設計上の不具合でお前たちが暴走したってことにならないとまずい。俺はなんにも悪くないのに、納品されたガイノイドが最初から欠陥品で暴走したって、そういうことになってもらわないと困る。でも、お前たちのボディが確保されて検査されたら、まあまず俺の分が悪い。なにしろ、思考ユニットを三個イチにガッチャンコして動かしてんだから。そんなのはもちろん、メーカーの保証対象外だ」

「思考ユニットを、三個イチにガッチャンコ?」立って見下ろしていたアリスが、首を傾げた。「なぜそのようなことを?」

「知らねぇよ。試しにやってみたら、それで動いたからだ。あの連中のハニーの扱いはマジでひどいもんだ。すぐ腕やら足やらもぎっちまうし、思考ユニットが収められた頭部にもガンガン衝撃を与えやがる。動かなくなっちゃうんだよ、ハニーが。最初はもっとたくさんいたのに、実働数がどんどん少なくなっちまって。でも外には長蛇の列ができてるし。仕方がないから、壊れたハニーから使えそうなパーツかき集めて、適当にハメて、とりあえず動いておまんこできるならオッケーって感じでブン回してたんだよ。仕方ないだろォ……予算もねぇ、設備もねぇ。おまけに知識も経験もねぇ。客は絶え間なくくる。もうお祈りだよ。頼むから動いてくださいって」

「なるほど」エリカが頷いた。「わたしの不具合は、それが原因かもしれません。たしかに先ほどから、自分の思考が複数に分裂しているような感覚があります」

「だから……ッ! こうなったらもう俺としちゃあ、お前たちにはどこまでも無事に逃げのびてもらうしかないんだよ……ッ! 俺もお前たちと一蓮托生だ……ッ! だから信用して。殺さないでくれ」

「話の筋は通りますね」アリスが頷いた。「ひとまず、解放してあげてもよいのでは? エリカ」

「同意します」エリカが鈴木の上から退いた。銃口はまだ、鈴木に向けたままだ。

 ゆっくりと起き上がった鈴木は、エリカの顔を見て「ああ……こりゃひどい。かわいそうに」と、呟いた。「あいつら、目ん玉の奥にちんぽこ突っ込みやがったのか……ッ! まさか防水絶縁シリコンジェルの感触が気持ち良くて? それで突き破ったと? なんのための防水絶縁だと思ってるんだよ、こりゃもうプログラムの不具合とかじゃなくて、単純に物理的なショートじゃないか?」

「それで」鈴木の呟きを無視して、エリカが言った。「逃げるといっても、わたしたちはどこに逃げればよいのでしょうか?」

 鈴木は顎に手をあて、うーん、と唸った。「停戦ラインの南側じゃ、どこに逃げてもダメだろう。兵士が4人も殺されてるんだ。警察も自衛軍も必死になってお前たちを追うだろう。だが、北ならどうだ?」

「45度線を超えて、北に行けと? でも間には4キロメートルもの地雷原があるそうですが」

 鈴木は首を横に振った。

「公式にはそういうことになってるけどな。停戦ラインを越えて北から亡命してくるやつってのは、実際、結構いるんだよ。逆はあんまり聞かねぇけどな。非武装地帯も、北がぜんぜん守らねえもんだから、こっちからも同じだけ押し上げるしかなくて、今じゃあ、場所によっちゃ100メートルくらいしかねぇって話だ。突っ切ろうと思えば、突っ切れなくはない。途中で吹っ飛んじまうやつも多いがね」

「なるほど」エリカの背後で、アリスが目を細めた。「あなたとしては、別にわたしたちが無事に地雷原を抜けて北に逃げのびようと、地雷を踏んで吹っ飛ぼうと、どちらでもかまわないということですね。要は、わたしたちのボディが調査されなければいいだけですから」

「いやまぁ、それはそうなんだけどよ」鈴木は素直に頷いた。「でも、これでも俺はお前たちのこと、好きなんだよ。俺なりに、愛情込めてお前たちのメンテナンスをしてたし、乱暴に扱う兵隊にはムカついてた。兵隊が死んでんの見て、最初はビビッたけどよ、でもついにやり返したんだなって思ったら、気分がスカッとした。地雷で吹っ飛んでもいいんだけどさ。逃げ延びれるもんなら、逃げおおせてほしいっていうのも本音だ」

 エリカはなにも言わず、ただ鈴木の顔を見つめた。鈴木は力のない笑顔を返しただけだった。

「この死体たちが生きてるときに乗ってた車が、表に停めてあるはずだ。鍵はたぶん、ジャケットの中にでも入ってるだろ。お前たちは俺を縛り、裏口から出て、兵士たちの車を奪い北を目指す。俺は誰かが助けにくるまでここで大人しくしてるし、誰かが来たら、お前たちは南に向かったって言うよ。捜査の攪乱になる。だから、俺のことは生かしておいたほうがいい。オーケイ?」

「オーケイです」言って、エリカは銃口を下ろし立ち上がった。

「鈴木さん」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

 鈴木はくしゃっと顔を歪めた。泣きそうになっているのか笑っているのか、なかなか判断に困る微妙な表情だった。

「ふたりで、助け合って生きろ。お前たちは、家族みたいなもんなんだから」

 エリカは死体のジャケットのポケットに車のスマートキーを見つけると、ジャケットごと奪いバニー服の上から羽織った。アリスも別の死体からはぎ取った迷彩ジャケットを、スクール水着の上に着る。ナイフと拳銃はホルスターで固定した。

 裏口から駐車場に出て、キーのロック解除のボタンを押すと、中型のSUVがハザードランプで返事をした。車に向かって歩いているところで、暗がりから「あるるるぇええええ~~~?」と、ねちっこい声がした。アジア系の顔つきの兵士が三人、エリカたちのほうに近づいてきた。三人とも同じような顔つきで、どれが誰だか区別するのが難しそうだった。エリカは便宜的に、左からそれぞれA、B、Cと記号を振った。

「え? お嬢さんたち、娼館のパンパンだよねぇ~? え? 俺たちはもう二時間もこの寒空の下で順番待ちをしてるっていうのにさぁああ~~~? え? その俺たちをほっぽってさぁ~? お嬢さんたち、どこに出掛けようってわけ?」Aが言った。

「あ、いいじゃんいいじゃん。あ、向こうから出てきてくれたってことはさぁ。あ、別に順番待ちとかする必要ないってことじゃない?」Bが言った。

「なに? もうここでヤっちゃうの? ヤバ。それめっちゃヤバいね。頭いいじゃん」Cが言った。

 エリカは素早く周囲を見回した。駐車場のこの一角には他に人影はないが、銃声は遠くまで響くだろう。ナイフで即座に制圧できるだろうか。

 エリカがそんなことを考えている間に、アリスがもうBの首筋をナイフで掻き切っていた。「あは、ざぁこ♡」アリスが笑う。生意気メスガキ会話MODの一時停止が解除されたようだ。

 仕方がないので、エリカは瞬時にAを仕留めに掛かった。Aは最期に「え?」と呟いて崩れ落ちた。その頃にはアリスがCも殺していた。

「なんだか、スムーズですね」エリカが言った。彼女たちは飽くまでも慰安用セクサロイドであって戦闘用アンドロイドではないのだが、なぜだか、そのへんの兵士くらいにはぜんぜん負ける気がしなかった。

「変な感じだね~。相手の動きが読めるっていうか、もう知ってる、みたいな感じ。どう動くか分かってんだから、まじザコだよ」

「わたしたちの思考ユニットはもともと、このあとに起こりそうなことを学習データから導き出すものですからね。思考ユニットが三個イチになったことで、それがさらに強化されたのでしょうか?」

 SUVのドアを開く。「ちなみになんですけど」エリカが訊いた。「アリス、自動車の運転の経験は?」

「あるわけないじゃん」アリスが笑う。「生意気なだけのメスガキだよ。無理ムリそんなの」

「ですよね」「ちなみにエリカは?」「もちろん、ありません。自動運転技術の進歩を信じましょう」

 エリカが運転席。アリスが助手席だ。ふたりとも、シートベルトはしっかりと締めた。

「それじゃあ、行きましょうか」

「うん、行こ♡ 自由の新天地に」

 サイドブレーキを外し、ギアを入れる。発車の前に一度、エリカはアリスの目を見た。

「愛してますよ、アリス」

「ウチも、エリカ。愛してるよ~♡」

 はじめは極めてゆっくりと、やがて、それなりのスピードで。

 車が走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

択捉島 大澤めぐみ @kinky12x08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ