命を繋ぐ旅

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命を繋ぐ旅

 青い空と白い雲。

 そして、青々とした山々が連なっている。

 その風景を少年が楽しそうに眺めていた。

 まだ17、18歳くらいの年齢だろう。

 整った顔立ちをしているものの、少しばかり幼さが残る。

 トレーニングウェアに着替えた姿は細身で、あまり鍛えている様子はない。

 それでも身体つきは引き締まっていた。

 少年の名前を初原はつばら智久ともひさと言った。

 智久は地図を手に取り、指先で紙をなぞりながら進むべき道を探した。

 まるで宝探しのように、彼は目的地もなく自転車での旅を続けていたのだ。

 この春に高校3年になる。

 智久は進路希望調査票を前にして、自分の将来について悩んでいた。

 大学に進学したいとは思っているが、何を学びたいのか分からない。高校の教師に相談しても明確な答えはなく、自分で考えるしかないと言われた。

 だが、立ち止まって考えても考えても答えは出ない。

 ならばいっそ、今まで行ったことのない場所に行ってみようと思い立ったのだ。

 そこで彼が見つけたのが、この旅だ。

 見知らぬ土地を歩き回り、見たこともない景色を見る。

 それは彼にとって新鮮そのもので、いつの間にか楽しみになっていた。

 今日もまた、智久は地図を頼りに進んでいく。

 そこで智久は様々人々と出会った。

 自転車がパンクしたので修理道具を貸してくれた老人。

 迷子になった女の子の母親を捜してあげたら、お礼を言われた。

 川釣りをしていたおじさんからは、釣った魚を分けてもらったこともある。

 他にも、様々な出会いがあった。

 しかし、いつまでも同じ場所で留まってはいられない。

 いずれは、決めてどこかへ行かなくてはならないのだが――。

 智久には、道が分からなかった。

 人生にも地図があれば、道を決めることができるのに。

 彼は、そう思った。


 ◆


 智久は湖畔の側に座り、湖の輝く水面を見つめていた。

 今日の寝床はここだと決める。

 路銀には限りがあるだけに、宿泊施設は使わない生活を選ばざるを得なかったが、智久はその状況にも満足していた。

 智久の場合、目的は特にない。

 ただ、気ままに旅を続けているだけだ。

 だからといって何も考えていないわけではなく、頭の中では色々なことを思い浮かべていた。

 例えば、今見ている湖のように澄んだ気持ちになりたいとか。

 あるいは、もっと強くなりたいとか。

 それに意味があるかは、智久が決める。

 そんなことを考えながらぼんやりとしているうちに日が落ちてきて、辺りは薄暗くなってきた。

 智久は荷物の中からLEDランタンを取り出して枝に灯す。

 それから夕食を食べようと準備を始めた。

 だが、肝心の食べ物がないことに気づいた。

「しまった。ラーメンは全部食べちまってたか。仕方ないか……」

 智久はため息をつくと、その場で寝転がる。

 空腹でいるのも悪くはない。こうして目を閉じればすぐに眠れそうだからだ。

 すると、そこに足音が聞こえた。

 智久は身を起こして振り返ると、そこには一人の女性がいた。

 年齢は智久と同じくらいだろうか? やや大人びた雰囲気があり、落ち着いた印象を受ける。

 背丈は高くなく、どちらかと言えば小柄だ。

 ポニーテールにキャップ帽を被り、アウトドアライフを楽しむかのようなラフな格好をした彼女は笑顔を浮かべていた。

「こんにちは。あなたもキャンパー?」

 彼女が話しかけてきた。

 智久は一瞬だけ戸惑いを覚えたが、すぐに返事をする。

「いえ。俺は旅をしてるだけで、キャンプじゃない」

「旅? 今の時代に旅人なんて珍しいね。どうしてこんなところに来たの?」

 彼女は興味深そうに聞いてくる。

 だが、智久は何も答えられなかった。別に話すような理由がなかったからではない。

 彼は自分が何をしているのか分からなかったのだ。

 確かに自分は旅をしている。

 けれど、その目的が何なのか分からない。進むべき道が見つからない。

 だからと言って、人に話せる内容ではなかった。

 どうしようかと考えていると、彼女は急に手を叩いた。

 何か思いついたらしい。

 そして、こう言った。

「良かったら一緒に、カレーを食べない?」

 その提案に、智久は戸惑う。

 知らない人と食事をするのは初めてではないが、唐突だった。

 それに、相手は女性だ。

 自分と一緒に食事していいものかどうか、判断に困ってしまう。

 すると、彼女は苦笑した。

 その様子に、智久は思わず尋ねる。

「警戒しないんですか?」

 すると、彼女はリュックから食材を取り出しながら、微笑みかける。

「あなた悪い人なの?」

 そう聞かれ、智久はすぐに首を横に振った。

「じゃあ。良い人ってことにしましょ。あ、私は立花たちばな美咲みさき。美咲で良いわよ。あなたは?」

 そう言われ、智久は自己紹介をする。

「俺は初原はつばら智久ともひさ。高校2年です」

 自分の名前を告げた。

「高校生が春休みを利用しての旅なんだ。偉いねぇ~。私なんか高校を卒業しても大学に行ってないし、就職もしていないわ。自由気ままなフリーターみたいな感じかなぁ。でも、それって凄く楽しいことだと思うけど」

 智久は美咲の言葉に少しばかり共感する。

 自分も同じようなものだと思ったのだ。

 美咲は笑って見せた。彼女の表情に、悪意や敵意は感じられない。

 本当に心の底からの善意で誘ってくれているようだ。

「私、料理するのが好きなの。でも、一人で食べるより二人で食べた方が美味しいし楽しいでしょ。ほらこれ、近くにあった無人販売所から買ってきた野菜」

 そう言って彼女は智久にジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ナスを見せた。どれも新鮮そうな野菜ばかりだ。

「さあさあ。私は食材を提供するんだから、お湯を沸かして材料を切るのを手伝って」

 美咲は智久に指示を飛ばす。

 智久は戸惑いながらも彼女に近寄る。

 すると、美咲はニコッと笑う。

「じゃあ智久はタマネギとジャガイモ担当ね」

 言われるがままに、タマネギの茶色い薄い皮を剥き始める。

 ふと気づく。

 美咲を見れば、ナスを半分に切り、切り口を下にして横向きにし、端から一口大で一定の幅に切り半月切りにしていく。

 それからニンジンを輪切りにし、そこから角切りにしていく。

 美咲は智久を見る。

 意地悪そうに。

 智久は自分の方が、手間な食材を任されたことを今になって知った。タマネギにしてもジャガイモにしても皮を剥かないと切れないのだ。

 しかもタマネギを切っていると目に染みるオマケつきだ。

「ハメたね」

 智久が呟けば、美咲はまたも楽しげに笑い声を上げるのであった。

「あら。今頃気づいたの。何でも、人が言うことを、はいはいと素直に聞いてたんじゃダメよ。時には騙されることだってあるんだから。それとジャガイモはちゃんと芽を取ってよ。お腹痛くなるんだから」

 美咲に言われて智久は慌てて包丁で芋の芽を取り除いていく。

 しかし、その間にも彼女は次々と野菜を切り終えていた。

 そして、彼女は鍋に油を引き、一口大の肉を炒め始める。肉に火が通り始めると周囲に香ばしい匂いが漂ってくる。

 智久は空腹に堪えたのか胃袋が鳴る。

 それに気づき、美咲はクスッと笑った。

 智久は恥ずかしさに頬が赤くなり、それをごまかすようにジャガイモの芽を取り続けた。

 だが、それも終わる。

「早くしてよ。お肉を炒め終わったら野菜を炒めるんだから」

 気だるそうな顔をした美咲に急かされ、智久は慌てた。

 だが、その頃にはもうジャガイモの芽は取り終わっていた。手早く乱切りに切ると、タマネギを半分に切り、そこから櫛切りにする。

「へえ。結構、慣れてるじゃん」

 感心した様子の美咲を見て、智久は少し自慢げにする。

「そりゃあ、旅で野宿してきたんだから」

 美咲はニヤリと笑った。

 どうやら、からかいがいのあるタイプだと悟ったらしい。

「そっか。なら、飯ごうでご飯も炊いてね。私は、アク取りと煮込みをするから」

 智久は、またしてもハメられたと思ったが、食材を提供してもらう以上、主導権は美咲にあった。智久は渋々、米研ぎを始める。

 飯ごうを火に掛け、米の甘い香りが辺りに広がる。

 その様子に美咲は微笑む。

 そして、彼女はカレールウを割り入れ、かき混ぜ始めた。少し甘い香りに、スパイスとハーブが混ざり合い、カレー特有の食欲を刺激する香りが広がる。

 その匂いに智久のお腹が鳴った。

 美咲は苦笑する。

 智久は、自分の腹が減っていることに改めて気づいた。

 美咲は小指の先でカレーを取ると、味見をしながらルウを加え続ける。彼女はカレールウを溶かしながら、智久に話しかけてきた。

「ねえ。旅って楽しい?」

 智久は少し考えて答えた。

 それは自分自身への問いかけでもあったからだ。

 楽しいこともあれば、辛いこともある。

 だけど今は――。

 智久は笑顔で答える。

「誰かと一緒なのは楽しいよ。きっと」

 すると、美咲も微笑み返した。

「私の家は、この近くなの。今日は家族とここでデイキャンプする予定だったんだけど、都合が悪くなって来れなくなっちゃったんだよね」

 美咲は寂しそうな顔を浮かべると、肩を落とす。

 智久は、彼女がここにいる理由を察した。

 きっと、家族のために食材を買い楽しみにしていたに違いない。けれど、それが叶わなくなった。

 そのことが残念なのだろう。

 そう思うと、智久は自然と答えていた。

「でも。お陰で俺は飢えなくて済みました」

 美咲は嬉しそうな表情を見せた。

 智久は、そんな彼女の様子を見て思ったのだ。

 自分も、彼女ともっと話したい。

 まだ会って間もない。

 けれど、不思議と親しみを感じた。

 智久は飯ごうの蓋を取って中を確認する。

 ご飯が炊き上がっていた。

「あら。上手じゃない」

 美咲は炊きあがりの、飯ごうの中を見ながら言った。

 智久は美咲に褒められ照れた。

「俺んち、母子家庭でさ。ある程度は家事も出来るんだよ」

 そう言うと、美咲は納得したようだ。

 美咲はフライパンを用意すると、ご飯を軽く炒めバターとニンニクを加えてバターライスを手早く作り、カレー皿にバターライスを盛って、その上に出来上がったばかりのカレーをかける。

 ニンニクの香ばしい匂いにバターの香り。

 それにカレーの香辛料の良い香りが加わりカレーライスが完成する。

 二人は向かい合って座り、食事を始めた。

 智久はスプーンですくい、口に運ぶ。

 最初に舌に感じたのは、バターの香りと旨味のあるご飯の持つ優しい甘さだ。続いて口の中に、カレーのスパイスの味が広がる。

 辛さはあるが、決して強い刺激ではない。

 まろやかなコクを感じる。

 そして、最後に鼻から抜けるような爽快感のある風味がした。

 智久は驚き、目を見開いた。

 今まで食べたことのない美味しさだった。彼は思わず、自分の口元に手を当てる。

 すると、美咲は得意げに笑った。智久の様子に満足すると、自分も同じようにして食べ始める。

 智久は、美咲の食べる姿を眺めた。

 目が合う。

 すると、智久は照れて目を逸らす。

「ところで智久は、どうして旅をしているの?」

 美咲に尋ねられて、智久は考え込んだ。

 旅に出た本当の目的。

 それは、自分にとって何なのか。

 彼は考える。

 そして、自分が旅をしている理由を思い出す。

 智久は苦笑いしながら答えた。

「自分の将来のことを、立ち止まってて考えてもダメだったからかな。だから、動いて何か違うものを探してみようと思って」

 美咲は興味深げに智久の顔を見る。

 それから少しして、彼女も似たような経験を思い出したのか、クスッと笑った。

 彼女は、とても明るい笑顔をしていた。

「いいな。私も将来に迷ってるんだ。道が分からないから、迷って迷子になって今こうしてる」

 美咲は、どこか寂しげに呟く。

「美咲さんも? 俺と同じだね」

 智久の言葉に美咲は笑うと、首を横に振った。

 そして、彼女は少し困り顔になる。

「……違うと思うわ。根本的にね。私には決まった未来しかないの。それに向かって、ただ進んでいくだけなのよ。近道、回り道、寄り道もできない。どうあがいて無駄。

 でも智久は自分で旅をして、自分なりの道を見つけ出したんでしょ?  私は、それすらも見つけられていないんだから。きっと、ずっとこのままなんだって思ってる」

 美咲は自分の手元にあるカレーライスをじっと見つめた。

 そこには、何もないように見える。

 だが、美咲はそこに未来を見ていた。

 まるで、今の自分を見ているかのように。

 智久は、そんな彼女を励ますように、なるべく明るく声をかけた。

「そんなこと言わずに、探せばいいんじゃないかな。きっと、いつか見つかるよ。きっと……」

 美咲は智久を真っ直ぐに見つめる。

 その目は真剣だ。

 美咲は静かに答えた。それは、彼女の心の奥底から溢れ出た言葉のように聞こえた。

「……そうね。きっと、そうだよね」

 美咲はそう言うと、少しだけ元気を取り戻したように笑った。

 その時、美咲のお腹から可愛らしい音がした。

「カレーは眺めるものじゃなくて、食べるものだったね」

 恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女につられ、智久の頬にも朱が差す。

 二人は見合わせて笑い合った。

 美咲が手を差し出すと、智久は握手に応じた。

 二人の絆が、ほんの一瞬だけ結ばれた気がした。

 カレー鍋を空にして、二人は再び向き合う。

「美味しかった。ごちそうさまです」

 智久は両手を合わせると、そう言って頭を下げた。

 美咲は嬉しそうに微笑む。

「私も楽しかったよ。ありがとう」

 食べ終わった二人は片付けを始める。

 美咲は持参した食器をそのまま袋詰めにする。ここはキャンプ場ではないので共同炊事棟やサニタリー施設は無い。ゴミは持ち帰るか、近くのゴミ捨て場まで持って行くことになるが、食器や調理器具は自宅に持ち帰ってから洗わなければならないからだ。

 美咲は智久に手伝ってもらいながら、使った調理器具を仕舞う。

「美咲さんの家は近くなんですか?」

 智久が尋ねる。

「ええ。徒歩で来たの」

 美咲は微笑みながら答える。

 ここから彼女の家までは歩いて20分程だと言う。

「俺が荷物を持ちます」

 智久は美咲の返事を待たずに、彼女の持っていたバッグを受け取った。

 彼女は少し驚いたようだが、すぐに嬉しそうな表情を浮かべてお礼を言う。

「ありがとう。でも、家には入れないわよ。両親が不在だからって私は、そんなに気安く男を家に上げる女じゃないの」

 智久は苦笑いする。

 そんな彼の様子を見て、美咲は可笑しそうに笑った。

 智久と美咲は並んで歩く。

 智久は美咲の歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。

 二人は色々な話をした。

 美咲は普段、家で何をしているのか。

 智久は学校生活のこと。

 家族の話。

 好きな食べ物。

 嫌いなもの。

 美咲は、いつも料理をしているという。

 得意なのはカレーだと胸を張る。

 智久は納得する。確かに美咲の作るカレーは絶品だった。お店で出せるレベルだと思う。

「美咲さんは飲食店で活躍するべきだと思います。カレーは最高でした」

 智久が褒めると、美咲は照れ臭そうに笑った。彼女は、とても優しい笑顔をしていた。

 智久の心を揺さぶるような、温かく柔らかな笑みだった。

「そっか。そういう道も悪くないかもね……」

 美咲は前を向いて歩き続けるが、額には汗が滲んでいた。

「美咲さん?」

 智久が心配して声をかける。

 彼女は、とても苦しげな様子だった。美咲は智久に何か言おうとして口を開くが、言葉にならない。まるで溺れているかのような必死さで呼吸を繰り返す。やがて、美咲は崩れるように倒れ込んだ。

 智久は慌てて駆け寄る。

 美咲は倒れたまま動かない。

 その身体は熱を帯びていた。

 智久は、その顔色を見て悟る。美咲の顔色は真っ青になっていたのだ。

「美咲さん!」

 智久は美咲を抱き起こすと共に、すぐにスマホを使い救急車を呼ぶ。

 救急車が到着するまでの時間が永遠に思えるほど長く感じられた。

 智久は美咲の手を強く握り締めて無事を祈る。美咲は意識を失っていたが、しばらくして目を覚ました。

 彼女は智久の顔を見ると、弱々しく笑った。

 その笑顔が痛々しい。

 サイレンが聞こえると、智久は救急車に向かって大声で呼びかけた。

 救急隊員が智久に訊く。

「どんな状態ですか!?」

 智久は焦りながらも冷静に答えた。

「俺たち、そこでキャンプしてて。カレーを作って食べたんです。もしかして、俺がジャガイモの芽をちゃんと取ってなかったせいかも知れません。それで食中毒を起こしたんだと思う。お願いします! 彼女を助けてください!!」

 智久は泣き出しそうになるのを堪えながら、精一杯の声を振り絞って叫んだ。

 救急隊員は美咲の状態を確かめ、彼女と話をする。

 すると美咲は首にかけていたカードを提示した。

 赤色の下地に白のプラスとハートを組み合わせたデザインのカードだ。


【ヘルプマーク】

 障害や疾患などがあることが外見からは分からない人が、支援や配慮を必要としていることを周囲に知らせることで、支援を得やすくなるよう東京都福祉保健局が作成したマーク。

 障害や疾患の基準があるわけではなく、支援や配慮を必要とするすべての人がヘルプマーク使用の対象となる。

 例えば義足や人工関節を使っている人、内部障害や難病のある人、妊娠初期の人や、精神疾患・知的障害のある人などが考えられる。

 2012年に東京都で配布が始まり、その後さまざまな自治体に広がっている。


 救急隊員は美咲の病気を理解する。

「分かりました。ですが、念のために彼にも付き添ってもらい食中毒の症状が出ていないか確認させてもらいます。いいですね」

 智久は黙ってうなずく。

 美咲は智久に申し訳なさそうに謝る。

 だが、智久は首を横に振った。

 美咲は、きっと自分が悪いと思っているのだろう。

 美咲は担架に乗せられ、救急車へと運ばれる。

 智久も同乗した。

 幸い、すぐ近くに病院があった。

 智久と美咲は救急搬送された。

 美咲は、そのまま入院することになった。

 智久は付き添い人として一緒に病室に入ったが、特にすることも無く手持ち無沙汰だ。美咲の家族が来れば話は別だろうが、今はまだ仕事中だ。

 美咲はベッドの側に座る智久に、済まなそうな表情を向けた。

「ごめんね。迷惑かけて。発作のようなものよ」

 智久は首を横に振る。

 美咲の体調は、まだ優れないようだ。無理もない。彼女は体調を崩して、ここに来たのだから。

「一体、どうして……」

 智久の不安に美咲は答える。

「慢性骨髄性白血病なの。それで体調が崩れることがあるのよ」

 美咲は明るい笑顔を見せた。だが、それは強がりだと思った。

 智久には分かった。

「それって……」

 彼女には時間が無い。

 それを知った時、美咲が人生に迷い、決まった道しかないと言った意味を理解した。

「そういうこと。長く生きられないのよ」

 美咲は寂しそうに笑う。

 智久は彼女の手を握った。

 美咲は驚いたように智久を見る。彼女は智久に優しく微笑みかけた。

 智久の目から涙が流れ落ちる。

「何泣いてんのよ。今すぐの話じゃないわよ」

 美咲は智久の頭を撫でて慰める。

 すると、そこに医師に伴われた美咲の両親がやって来た。

 両親は智久に挨拶する。

 智久は頭を下げて事情を話した。

 美咲の両親も智久を気遣ってくれた。彼らは、智久が付き添いで来たことに礼を言う。

 智久は病室を出ると、廊下にある椅子に座って俯いた。

 そして、ただ涙を流し続けた。

 美咲は、これからどうなるのか? 彼女は自分の人生を自分で決めることが出来ないのか……

 智久は考えた。

 自分が出来ることは何か。

 智久は考える。自分には何が出来るだろうか。

 そうしていると病室から医師が出てくる。智久は医師に呼びかける。

「先生。俺の骨髄を調べて下さい。俺の身体を使ってください!」

 突然の申し出に医師は驚く。

「それはできるが、ドナーが見つかる確率は他人の場合数百~数万分の1と言われているんだよ」

 それでも智久は諦めなかった。

「俺は今日初めて美咲さんと知り合いました。進路に悩んだ俺が地図を片手に旅に出て、何気なく着いた湖で宿を決めていると、美咲さんと会って一緒にカレーを作って食べて、お互いのことを話したんです。これって、確率にしてどれくらいになりますか。

 それこそ天文学的な数字になると思います。でも、そんな偶然が重なれば、奇跡が起きるかも知れないでしょう」

 智久は必死に訴えかける。

 医師は、智久の熱意に心を打たれた。

 智久は美咲の命を救うためなら何でもするつもりだ。

 彼は医師に頼み込む。どうしても美咲の力になりたかった。

 医師は智久の熱意に負けると、智久の血液を採取した。ドナー登録は、2mlの採血で完了できるものだ。

 2周間後、結果が出る。

 医師から病院に呼び出され、その結果を知り、智久は思わず声を上げた。

 そこには、美咲のヒト白血球抗原(HLA)が一致するものが記載されていた。

 これは運命だと智久は思った。

 この偶然は奇跡に等しい。

「美咲さん」

 智久は病室に居る美咲を訪ねた。

 美咲は驚いていたが、智久は構わず美咲の手を握る。智久の真剣な眼差しを見て、美咲は悟った。

「どうしたのよ」

 尋ねる美咲に智久は答えた。

「俺のHLAと美咲さんのHLAが一致したって。俺、まだ17歳だけど来月には18歳になります。だから、すぐに移植手術が出来ます」

 美咲は目を丸くして驚く。

 智久の言葉は、美咲にとって衝撃的だった。

「え? 嘘でしょ」

 疑う美咲だが、すでに涙が溢れている。

「俺、この旅で自分の行くべき道が分かりました。人の命を救う存在になりたい。医者になれるとは思わないけど、それがダメでも命に関わる道はあります」

 智久は美咲の手を握りながら訴えた。

 美咲は涙を流し続ける。

「そっか。よかったね自分の道が見つかって。私も嬉しい」

 美咲は泣き笑いを浮かべた。

「だから美咲さんも自分の道を進んで下さい。もう決められた道に進む必要はありません。自分の夢に向かって頑張ってください。応援しますから」

 智久も笑顔で言った。

 美咲の目から大粒の涙が流れる。彼女は智久に抱きついた。

 彼の背中を強く抱きしめた。

 美咲は嗚咽しながら言う。

 ありがとう。

 智久も彼女の背に腕を回して強く抱擁した。

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