歳月エルフを待たず


 俺達が商人の街を旅立ってから、一年と少しの時間が経った。

 といっても日付を表示してくれる道具など持っていないため、正しく言うと「たぶん一年と少しくらい経った気がする」なのだが。


 この世界では現状“こよみ”というものはさほど一般的ではない。

 カレンダーのような一年を通しての日付が確認できる代物は大商人や上流階級の人々、一部の知識人などが使う特殊な道具扱いで、在庫は希少、お値段も相応だ。


 大半の人々はあまり細かく日付をカウントすることはせず、予定を立てるときも『数日~数十日』といった単位での指定はあっても、『何月何日』のような言い方はあまりしないようだ。長めのスパンの話になると『何々の花が咲くころ』みたいに自然の移り変わりに則った表現になることが多い。

 そう思うと当たり前のように『数ヶ月』といった単位を用いていたタリタ達は、さすが商人といったところだったらしい。


 一分一秒を惜しんで生きていた前世の現代人と比べるとこの世界の人々の時間感覚はとても大らかだが、それでもエルフのそれに比べれば彼らも十分目まぐるしく動いているといえるだろう。

 超ご長寿エルフの里に流れる時間は、大らかを通り越してもはや静止してるような体感であった。人間としての時間感覚を保持したまま生まれ変わってしまった身からすればたまったものじゃない。何も考えずはしゃいでいられたのはせいぜい二十年くらいだった。


 極端に閉鎖的かつ停滞した環境に凡人メンタルが放り込まれるとこんなに精神ぐちゃぐちゃになるもんかと思いながら、ほとんど地獄のような“平和な日々”を過ごした。

 まぁその後、実験体にされて心身を真のぐちゃぐちゃにされたわけだが。実験体ジョークだ。笑うところである。



 書き終えた帳簿を見返し、不備がないことを確認してひとつ頷いた俺は、羽ペンを置いて顔を上げた。

 窓を見れば、すっかり日が落ちて外も室内も真っ暗になっている。不規則に走る稲妻の明かりだけが鮮烈だ。


 この世界には電気がない。

 いや、鳴り響く雷を見て分かるように、自然エネルギーとしての電気は普通にある。だが電力としての電気はまるで発達していなかった。


 何せマナとかいうエコな第三エネルギーが豊富に存在しているので、前世で言うところの電力に近い使われ方をしているのは大体マナなのだ。

 とはいえマナエネルギーを用いた魔法道具の類いはどれも高価で、庶民にとってはあまり一般的なものではない。よって夜を照らすのは主に油やろうそくを用いた燭台やランプだ。


 俺達が泊まっているこの宿も例に漏れず、備え付けの明かりといえばろうそくを用いるランプだった。

 ちなみに肝心のろうそく本体は追加料金を出して受付で買うか、自前のものを使うかの二択となる。

 もう少しランクの高い宿ならそのへんがサービスとして無料でついたり、何なら魔石灯という魔法道具のランプが設置されていたりするのだが、あいにく今の状況ではそんな宿に泊まる余裕はない。


 そもそも人前およびアルテアが起きているときにはランプをつけるが、俺とヴェスだけのときはそうした照明器具は基本使わないことが多かった。

 なぜかといえばぶっちゃけ節約のためなのだが、それを抜きにしてもあまり必要性を感じないというのもあった。


 ヴェスは身体魔法の効果なのか、はたまたダークエルフ特性なのか知らんが、暗くてもわりと見えるらしい。

 俺はそんな暗視ゴーグルみたいな目玉こそないが、なんと魔法で光れる。光魔法というやつがあるからだ。


 本来はわざわざ自分自身が光らずとも光球を出して浮かせたり、部屋全体をうっすら光らせたりすることも可能な魔法なのだが、例のごとくマナの扱いが絶望的に下手くそなせいで、己の表面をぼんやり発光させるのが俺の限界なのである。

 しかしそのおかげで、真っ暗な室内でも今の今まで帳簿をつけることが出来ていたわけだ。


 全身まんべんなく光ることも出来るが、アルテアを起こさないように今光らせているのは手元だけだ。

 その明かりに照らされた己の顔が、夜の闇で黒く染まった窓ガラスに反射して浮かび上がる。



 そこに映るのは、絹のような金の髪と、瑞々しい若草のようなみどりの瞳を持つ、十四歳くらいに見える美少年だ。

 己の発する光に照らされた金と翠が宝石みたいにきらきらと輝いている。発光の美少年と呼んでほしい。


 髪は襟足が首に軽くかかる程度のすっきりとした短さであるのと裏腹に、前髪はその美しい顔の右側をすっかりと覆い隠す長さをしている。ちなみに隠された右目に封印されし伝説の力とかはない。


 甘やかな顔立ちをしたその美少年は、頭にターバンのような長い布を巻いている。

 側頭部にきている布の結び目がふわりと大きめに作られているのが顔の小ささを強調し、大変あざとくも愛らしい。そう見えるのを知っててわざとやってるわけだが。

 そして今は布に覆われて隠されているその耳の先をあらわにすれば、そこには人間と明らかに異なる、スッと伸びたエルフ特有の長い耳が現れることだろう。


 どこに出しても麗しい美少年。それが今世の俺の顔だ。

 それでも美の暴力界隈であるエルフの里ではせいぜい並でしかなかった顔面力だが、人の世に出せば俺とて並び立つ者のない美の化身となる。

 正直前世の記憶が強すぎていまだに自分の顔という感じがしないのだが、雑魚エルフ俺の数少ない武器のひとつとして、使えるものはどんどん活用していきたい所存である。


 服装は凝った刺繍の入った上下に、ゆったりとした裾の長い上着、その上からストールのようなものを肩にぐるりと巻いている。

 これは前にタリタのところで着ていた見習い商人の服装より、もっと本格的な商人らしい格好だ。

 治安などにもよるが街ではなるべく見栄えの良い上等な服を着ろ、というタリタの教えのもと、人里に滞在するときに着る服は多少無理をしてでも質の良いものを揃えるようにしている。商人にとって見栄みえ見栄みばえも立派な商売道具のひとつというわけだ。


 といっても俺は大抵この上からフード付きの黒いローブを被ってしまうので、見えないおしゃれ的なやつに成り果てていることが多いが。

 それでも目端の利く相手であれば、ちらりと見える袖やら襟から質の高さに気づけるものらしい。商談のときにはそういった情報も役に立つのだとか。


 里ではみんなエルフの伝統衣装的なやつを着ていたし、施設にいた看守は鎧、研究者はペストマスクが似合いそうな黒のコート、と衣服から得られる情報がほとんどない環境にいた俺は、相手の表情や仕草から情報を読み取ることが多かった。

 なのでタリタ達に教わった商人としての視点は、外の世界を生きていく上で色々と役に立っている。返す返すも、初手で最高の長いものに巻かれたもんだ。



 しみじみとタリタ達との有意義な暮らしを思い起こしつつ、文字通りの“手元の明かり”を消した。

 アルテアを落とさないように気をつけながら軽く伸びをして一息つく。


 それから顔を正面に向けると、机を挟んで対面の椅子に腰を下ろしているヴェスことヴェスペルティリオは、不本意そうな渋い顔でひたすら考え込んでいた。


「まだ悩んでるんですか?」


「…………」


 長い耳、褐色の肌、黒髪、長髪(三つ編み)、隻眼、植物で編まれたボタニカル眼帯、と客観的に見てやたら視覚的な情報量が多いその悩めるダークエルフは、無言のまま深く眉根を寄せた。


 マナ保有量の多いエルフ類らしくその男も非常に整った顔立ちをしているが、エルフの繊細な硝子細工のごとき静的な美しさと比べると、ダークエルフのそれは精悍でしなやかな野生動物じみた動的な美の印象を受ける。

 美少年とか美青年というよりは、美丈夫といった感じだ。実年齢は俺と同じく百数歳といったところだが、外見だけなら十八歳前後に見えるだろうか。


 その見た目で唯一情報量が少ないのは、着ているものが上から下まで黒ずくめの軽装なことくらいか。

 それが逆に情報量を増している気もしなくもないが、一応はシンプルな装いであることに変わりはない。


 しかし身体魔法の上とはいえ肉弾戦を主体とする格闘家みたいなものなんだから、手甲なり防具なり身につけなくていいのかと以前聞いたのだが、返答は「むしろ邪魔だ」の一言であった。

 ついでに何で黒一色なのか訊ねたら「返り血が目立たないから」という戦闘狂界のテンプレートみたいな回答も頂いた。


 ヴェス自身は返り血まみれだろうが内臓まみれだろうがどうでもいいんだろうが、人里で無駄に騒がれるのが煩わしいのだろう。

 服選びのときの迷いのなさを見るに俺と会う前からずっとこのスタイルであった可能性が高い。


 そんな視覚情報の多い男ではあるが、仮にヴェスを指名手配もとい尋ね人とするとしたら『隻眼・長髪・ダークエルフ』の三点を抜粋するのが一番的確かもしれない。

 ダークエルフは必要以上に髪を伸ばす習慣がないというから、なんなら『長髪のダークエルフ』だけでも十分特定できる可能性が高い。閑話休題。


「名前の代わり決めるくらいでそんな懊悩おうのうします?」


「名に“代わり”などない」


「こだわりが強い」


 自力じゃ妥協できないパターンだなこれは。

 とはいえそもそもの話、ヴェスとしては一欠片も妥協したくないらしい事柄にどうにか妥協点を見つけろという難題を押しつけてしまったのは俺だ。

 言い出した手前、少しは協力しなければフェアではないか、とひとつ息を吐く。


「ヴェス」


「なんだ」


「ふざけません。遊びません。今度はちゃんと真剣に考えます。その上で今後しばらく僕が思いつく端からあれこれ提案してみるんで、ヴェスはその合否だけ判断してくれませんか。もちろん納得いかなければ何度でも却下してもらっていいんで」


「…………………………………………分かった」


「苦渋~~~」


 すげぇ渋い顔するじゃん。


 ちなみに真剣に考える気があるのは本心だが、最悪こうやってぐだぐだ迷っている間にアルテアが成長して、しれっと本名呼べるようにならんかなという遅延戦術の意味合いも含まれている。

 ヴェスとしてもそういう俺の意図まで含めて察した上での苦渋の決断っぷりなのだろう。さもありなん。



 力なき幼児の身でありながらクソ強ダークエルフを力一杯懊悩させることに成功しているアルテアは、完全に熟睡中だ。


 ぷうぷうと間の抜けた寝息が聞こえてくる胸元を見下ろせば、ふわふわの短い銀髪がまず視界に入る。

 起きているときはきらきらと俺を映す大きな青い瞳は、今はすっかり瞼に隠されていた。


 そう、銀髪に青い瞳、である。


 そのカラーリングは、俺の中で人間トマト祭りの映像と共に記録されていた。


 俺にこの子供を押しつけてきた張本人スラファトとまったく同じ色合いを髪と目に持つアルテアが、無関係だとは思わない。

 あの状況で二人ともたまたま同じ色なんですはさすがに無理がある。どう考えても血縁だ。

 この世界がファンタジーでなくSFだったなら、実はアルテアがスラファトのクローンでしたという可能性もゼロではないかもしれないが、順当に考えれば姉妹といったところだろう。


 それが何をどうしてこんな見ず知らずの雑魚エルフに、損なわれちゃ困る大事な妹を託したのかは知るよしもない……と言いたいところだが、あの施設で行われていたことと、人間であるはずのスラファトの異常な膂力、そしてアルテアの胸にある手術痕を見れば、彼女の意図は推して知るべしといったところか。

 全ては俺の推測なものの、おそらくそう的外れでもないだろう。



 現在、商売で金を稼ぎながら当てどもなくあちこち渡り歩いているが、今のところ俺達を力尽くで連れ戻そうとしたり、分かりやすく処分しようとするには遭遇していない。

 それを見逃されていると取るにしろ、泳がされていると取るにしろ、今の俺に出来ることは結局アルテアの育児くらいのものだ。


 アルテア本人は己の周囲を取り巻くきな臭さもどこ吹く風といった様子で、元気にすくすくと育っていた。

 いつの間にか掴まり立ちをマスターしたかと思えば、あっという間におぼつかないながらも二足歩行を覚え始めている。

 言葉のほうもご存じの通り、最初はあうあう言っていたと思えば今や舌が回らないながらも俺たちの名を認識して呼び分けるようになった。そのせいで発生しているヴェスの呼び名問題はまぁご愛敬だ。


 しかし健全なご家庭であればそのひとつひとつに大喜びされたであろう子供の成長過程を、こんな最悪エルフと最悪ダークエルフのもとで披露する羽目になっているのにはさすがの俺も同情を禁じ得ない。

 絶対これ委託する業者選び間違ってるだろ、どう考えても俺じゃないだろ、とスラファトを問いただしたいところであるが、連絡手段がないので業務内容の照会も出来ないブラックぶりだ。

 いや、たとえ連絡がついたとしても俺は長いものに巻かれたいプライドゼロの社畜なので、結局イエスマンならぬイエスエルフするだけに終わるのだろうが。


「うーん、クロとかどうですか。もしくはジョン。またはポチ、ハチ、コロ」


「おい」


「ああそうですね、コルが呼べないんだからコロもきっと呼べませんよね……じゃあクロも怪しいかな……」


「私がもの申したいのはそこじゃないと分かっていて言ってるだろう」


「分かってて言ってますけど、ふざけてはないですよ本当に」


「……それは、……分かっている」


 今のはひとまずアルテア側からの呼びやすさを優先してみた結果だ。

 犬につける名前の定番とは要するに呼びやすい名前ということなので、まずそちらの方面から攻めてみた次第である。一応真剣な提案だったがまぁ嫌がるだろうなとは思った。

 しかしこうなったら数撃ってみるしかないだろう。下手な鉄砲が一発当たれば儲けものだ。


 インクの乾ききっていない帳簿はそのままに席を立ち、羽ペンとインクを片付けてから、俺はそっとヴェスの隣に立った。


「まぁまぁ、気長にやりましょう。というわけでハイこれ」


「は」


 そして眠れる幼児を流れるように手渡すと、とっさに受け取ってしまったらしいヴェスがやや雑にアルテアを抱えたまま目を丸くする。


「情報収集がてら商人ギルドの支部に顔出してきます。その間アルテアのことよろしくお願いしますね」


「っ……、…………!」


「ははは嫌そう。でも天気がご覧の有様なので……って話はこの街に来てからもう聞き飽きてますよね。子守りに慣れろとは言いませんので、僕が戻るまでの間だけちょっと頑張って耐えててください」


 これだけ深く寝入っていれば、俺から引き剥がしてもおそらく目は覚まさないだろう。

 ただしベッドに置いた瞬間なぜか起きたりするので、静かに過ごしたいならばヴェスがそのまま抱えているしかない。


 元々子守りについては、ヴェスが心底嫌だというなら俺一人でこなそうと思っていた。

 最初期こそ俺の体がまともに動かなかったので色々手伝ってもらったが、今となってはそんなこともないのだし。第一スラファトと契約したの俺だし。

 確かに一人だと不便なことは増えるが、実験体時代の日々のお勤めやら命がけの媚び売りに比べればアルテアの世話など気楽なものだ。大変には違いないが、大変さのベクトルが大違いである。


 なので旅に出たばかりのころに一応アルテアの育児に関わらない選択肢をヴェスに提示してみたのだが、「やりたくはないがやらないとは言っていない」という回答のもと助力を約束されたので、幸いにも俺はワンオペ育児を免れている。

 だから今もこうして遠慮無く、アルテアをヴェスに預けていけるというわけだ。


「帰りに何か食べるもの調達してきますから、二人とも良い子で待っててくださいね!」


「なぜ良い子そこで私もひとまとめにした」


「んふふ」


 しいて言えばアルテアと二人きりにされて置いていかれるヴェスが、知らない家で留守番させられる犬みたいな途方にくれた顔をしていたからだろうか。

 そこはあえて言葉にしなかったものの、かのダークエルフはすべてを察したような面持ちで深々とため息を吐いたのだった。

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ゼロエルフ! ~エルフに生まれ変わったけどプライドゼロなのでうまくやります~ ばけ @bakeratta

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