しおひがり
真花
しおひがり
力の塊のような太陽が、雲ひとつない空の真ん中に鎮座して、海岸沿いの道を歩く二人を白く焼く。
前にも後ろにも、二人を除いて誰もいなくて、海風がそのスペースの全てをさらう。発泡スチロールの箱を持った
久美が歩くスピードをさらに緩めて、大輔の横に並ぶ。
「お父さん、どうだった?」
「腰が痛くなったけど、結構面白かったね。最初全然獲れなくて、ポイントを変えたらザクザク獲れた」
久美は大きく頷く。
「ね。私は腰は痛くないよ」
「若いからね」
「もう十歳だよ。……私も楽しかった」
「狩猟本能って奴が刺激されたのかもね」
久美は、そうだね、と言ってから黙る。車道が隣を走っているが、車は来ない。道沿いに小さな居酒屋のようなところがある。誰が来るのだろう、と大輔は思って、連想して、口を開く。
「このアサリ、家に帰ったら
もちろん、最初からその予定だ。
「そうだね」
久美は斜め向こうを向いたまま返事をする。
「土瓶蒸し。みそ汁。ボンゴレ。考えるだけでよだれが出るな」
「そうだね」
それ切り二人とも黙って、ペタペタと足音をさせながら歩く。久美は少し前に出て、その後ろ姿に、背中と後ろ頭の間辺りに、渦が生まれている。渦は徐々に大きくなっている。陽光も海風も海の匂いもその成長を妨げることは出来ず、大輔にも手立てがない。久美の渦を見るたびに大輔は胸の内が削られるような気持ちになる。でもそれは久美と綾子が解決するしかない問題だから、歯痒くても出しゃばったことは出来ない。久美から見えないことをいいことに、大輔は家では絶対にしない、落胆した表情を作ってみる。表情に気持ちが引っ張られると言うけどそれが嘘だと言うことが分かった。落下し切った顔のパーツは大輔にむしろ開き直った穏やかさをもたらした。
久美の渦がどんどん成長する。
そして、大きくなった渦が、弾けるように消えた。久美の声が風に乗って届く。
「綾子さんも一緒に来たらよかったね」
大輔と二人だけで行きたいと強硬だったのは久美だ。最初に三人での小旅行を大輔は提案し、その時点では綾子も参加する気だった。だが、久美の気持ちを大事にしたい、と綾子は参加を辞退した。……何を言っているんだ? 胸の中で呟いた声に怒気が混じっていた。大輔はそれを飲み込んだ。久美が言葉を継ぐ。
「私、変な意地を張っていたみたい」
久美の声は澄んでいる。
「そうか」
「子供だったと思う」
「そうかもな」
「帰ったら、綾子さんに謝る。決めた」
久美は右の拳を胸の前に掲げる。
「そうか」
久美の後ろにはもう渦はない。久美がポーズを解きながら言う。
「来年もしおひがり、来ようよ」
「いいよ」
「二年連続で同じ絵日記ってのも悪くないと思う」
「来年は綾子さんも一緒じゃないのか?」
「あ、そうだ。じゃあ絵が違うね」
久美は歩くのをやめて、振り返る。目が合って、大輔は柔らかく微笑む。久美は少し顔を紅くさせて、私、と大事なものを丁寧に差し出すように言葉を大輔に渡す。
「そのときは、お母さんって呼べるかも知れない」
胸を殴られたような感覚、打たれたところが熱い。だが、それは未来の可能性の話だ。大輔は堪える。
「そうか。来年が楽しみだね」
「それより今はお料理が楽しみ。私、おみそ汁がいい」
二人は横並びになって、足音を鳴らしながら歩く。太陽は変わらずに二人を白く焼き、海風も変わらずに吹いている。
(了)
しおひがり 真花 @kawapsyc
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