第172話 とろっとろ

 とろっとろ。

 とろっとろのどろっどろ。


 それが今の俺。


 どろどろ沼スライムを泡だて器で優しくかきまぜてふんわりホイップに仕上げました。みたいな感じ。

 思考能力がゼロ。とかじゃなく、思考する生命体ですらなくなったみたいな。

 今考えてるのが自分の意思なのかどうかすら不明。

 どろっどろに溶けた俺は別のものに生まれ変わった感覚。

 まるで宙に漂うふわふわの綿毛。

 ふわふわふわ。

 あったか。

 心地よ。

 ただただ幸せに包まれてる。

 自分と他人の境界線がなくなったような。

 ふわふわどろどろとろっとろ。

 世界と自分が溶け合っていく。


 あ~、もうこの先もずっとこうやって……。


 幸せふわふわ空間に身を委ねようとした瞬間、なぜか頭に浮かぶリサ、ルゥ、セレアナの顔。


 ──ハッ!


 いかん!


 いかんいかんいか~ん!


 このままずっとボケっとしていいはずがない!


 俺はフィード。俺はフィード。俺はフィード! 世界最強、あとはゼウスとサタンを殺してアベルの人格を消滅させるだけの世界最強人間のフィード・オファリング様だ!


 ハァハァ……どうにかギリギリで正気を取り戻せたぜ。

 チッ、しかもなぜか正気に戻るときにリサとルゥ、セレアナの顔が脳裏に浮かんだし。なんなんだよまったく……なんであいつらの顔で正気に戻んなきゃいけないんだよ。


 っていうか。一体なぜ俺は今こんな状態に陥ってるのか。

 なんでこんなどろっどろ状態のメンタルになっちゃってるのか。

 思い返せ。

 冷静に。

 正確に現状把握。

 まずそこからだ。



 そうだ、俺はモモを殺そうとしたんだ。

 話があるっていうモモを誘って、冒険者ギルドから離れて近くの人気のない路地裏にやってきた。


 で、俺はそれまでの道中でモモ殺す計画をしっかり遂行。

 俺の肉体がモモと相性良すぎて殺すのをこの肉体が拒むっていうのであれば、他のやつに殺させりゃいいだけの話。


 かと言って半端な奴に命令しても返り討ちにあうこと必至。

 なんたってモモって女は、あの魔神サタンすら倒すことのできるスキル『聖闘気セイクリッド・オーラ』持ちなんだから。

 たぶん魔王すら簡単に消滅させられる。

 っていうかさぁ、魔王って言っても今の魔王は『アイドル』とかいう踊り子職業やってる人間のメスガキだし。

聖闘気セイクリッド・オーラ』持ちのモモの相手にすらならんだろう。

 で、その魔王タナトアと同じく魔の側の半魔マルゴット、小鬼インプホラム、ゴブリンの王女グローバ、ついでに畜生殺人鬼の人間ミフネまで本能的にモモを避けてる。

 モモが致命的に自分と相性が悪い天敵であることを悟ってるっぽい。


 さて、そうなると使えそうな今の手駒はアホ天使ザリエルしかいないわけで。

 んで、サタンすら倒せるモモをザリエルが殺せるのかっつーと、まず無理。

 まぁつまり、今の『真・アベル絶対殺す団』の連中にモモは殺せないってこと。


 なら、だ。

 それ以外のやつに殺させるしかない。

 しかも俺の目の前でモモが殺されそうになったら、このアベルの肉体はたぶん助けに入る。

 だから俺は誰がいつモモが殺されるかを知っていちゃいけない。絶対に。

 コツは『偶然』、『偶発』、『たまたま』。

 俺すら思いも寄らない突然の事故によってモモが死ぬのがベスト。


 ってなことで、俺は路地裏へとやってくる途中に揉め事になりそうな種を蒔き蒔きやってきた。

 よしよし、だいぶ思い出してきたぞ。


 幸いここは大陸の首都イシュタム。いろんなやつがいる。だから売れる、喧嘩を。いろんな奴に。もちろんモモには気づかれないようにこっそり。

 俺の『狡猾モア・カニング』&『身体強化』があれば気づかれずに喧嘩売りまくるなんて余裕。


 ってなわけで、さぁ起きろ事故。

 俺の予想もつかない事故でモモの命を奪え。

 な~んて気分でウキウキ待ってた。

 そしたら、俺に喧嘩を売られた大工が事故を装ってクソデカ木材を滑り落としてきたわけ。

 おっ、いいぞ。

 モモは魔物相手には強いだろうが、この重量には勝てないだろ。

 ざまみろ。

 死ね、アベルの幼馴染。

 俺の身体をざわつかせるクソ女。

 俺は自分の身に木材が降りかからないよう、『軌道予測プレディクション』で落下位置を予測す……。




「アベル!!!!!!!」



 ドウっ──!


 腹に衝撃。

 モモが俺の胴体にタックル。

 ゴロゴロゴロ。

 転がる二人。

 舞う砂埃。

 予想外からの攻撃に一瞬呆けてから頭を上げると、目の前にはモモの顔が。

 この世で一番可愛らしく美しい顔。

 匂いもヤバイ。ヤバイっていうのはいい意味でもヤバイ。

 天界帰りの俺だけど「あっ、これ天上の楽園に咲き乱れる花の芳香だわ」と確信。それくらいい匂い。いや、匂いっていうかむしろ麻薬に近い匂い。ヤバイ。

 で、そのままモモのうるんだ瞳と見つめ合うわけ。その間わずか0.0000001秒。一瞬という言葉すら当てはまらない一瞬。その一瞬の間に俺はどろっどろの粘体物質に成り果てていたってわけ。


 思い出した。


『遺伝子同士の相性が抜群』


 こういうことかよ……。

 なんだよこれ……。

 こうやってモモとくっついたまんま一生離れたくねぇ気持ちヤバすぎるだろ……。

 今だって「俺とモモはこうなるべき! ずっとこうするべき!」って本能が強く訴えかけてきててこの絡み合った腕も離れないし、俺の脳みそも精神もまたどろどろに溶けちゃいそうなんだが……。


 いや、しかしアベル。

 あのアホと思ってたバカ正直なだけのガキ。

 あいつどうやってこのヤバすぎる誘惑から逃れて人間生活送ってきてたんだ?

 ただ耐えてたっていうなら意思が強いってレベルじゃないだろ。

 あの鈍感さはただの馬鹿だと思ってたけど、実は異次元レベルの超次元最強鈍感だったのか……。



「アベル、大丈夫?」



 少しかすれたモモの声は俺の鼓膜を震わせ、全内臓を震わせ、俺の心を震わせた。

 なにこの天上の調べのような可憐な声。

 全天使が一斉に神の琴を奏でてても絶対に超えられない美しさ。

 さらに甘い吐息が、密着するモモの肌の感触が、そのからだの温かさが、波打つ鼓動が、俺の五感を通じて柔らかな稲妻となって全身を貫く。


「クモノス、な」


 かろうじてそれだけを返すも俺の意思は再びとろっとろに溶けかけていた。


「あっ、ごめ、クモノス」


 そう言って少し身を捩るモモ。

 触れ合った肌と肌がゆっくりと擦れる。

 俺の全身に激しい衝撃が走る。


(な、なんだこれぇ……!)


 快感。

 至高の快感。

 抱き合ってじっとしてたらふわふわ幸せ。

 抱き合って動くとめくるめく快楽。

 なんだこれ。

 こんなの……耐えられるわけ……。



「ねぇ、クモノス。本当のことを話して? なにがあったのか」



 はぁ? そんなの話せるわけ……。


 わけ……。 


 ……。

 …………。

 ………………。






 話した。

 話してしまった。

 魔界の学校で監禁されたこと。

 スキル奪取の能力【吸収眼アブソプション・アイズ】が覚醒したこと。

 校庭での◯×ゲーム。

 リサ、ルゥ、セレアナのこと。

 大悪魔のダンジョンに飲まれたこと。

 ローパーの王国。

 パルのこと。

 ライバルであり、友でもあったウェルリンのこと。

 地獄のこと。閻魔のこと。

 地獄のさらに下にある超次元空間と魔神サタンのこと。

 鑑定士である俺が神と魔神のゲームのコマであったこと。

 俺とモモの遺伝子とやらの相性が完璧らしいこと。

 いかにしてダンジョンに戻り、そして脱出したか。

 神官ラルクとメダニアのこと。

 そこで神ゼウスによって俺とアベルの二つに分断されたこと。

 天界で再び監禁されたこと。

 ザリエル。三馬鹿天使。クモノスと名乗ることになった経緯。

 地上から逃れてきたゴブリンの姫グローバ。

 地上に戻ってきて出会ったミフネ、魔王タナトア。

 そして俺はアベルと行動を共にしてるサタンとゼウスを殺して「鑑定士をコマにしたゲーム」を終わらせる。

 さらにアベルからスキルを奪って殺そうとしてることも。


 話してしまった。

 一気に。

 抱き合ったまま。

 止められなかった。

 耐えられなかった。

 もしかしたら俺は、隠し事やはかりごとばかりしてた俺は、本当は誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。

 

(終わった……)


 冷酷、冷徹、非情な俺。

 その俺が、遺伝子のどうのこうのに流されてすべてをぶっちゃけてしまった。

 終わり。

 きっと怒ったモモによって俺は殺されるし、魔王のタナトアや魔物のグローバ、悪魔のホラムやマルゴット、殺人鬼のミフネも殺されるか捕らえられるだろう。

 俺の「鑑定士」というカルマから解き放たれるための計画もすべてが水の泡。

 終わった。

 色香──色香というにはあまりにも強烈すぎる衝撃にも似た幸福感に包まれて俺の人生終わっちゃったよ……。

 でも無念って感じはしない。

 このままモモの腕の中で終われるならそれはそれでいいじゃないか。

 だって人はいつか必ず死ぬ。

 ならここで死ぬのが最善では?

 ああ、でも怒ったモモに嫌われるのが嫌だな……。

 せめて一度でもアベルを騙った俺じゃなくて、本物の俺を、フィード・オファリングを愛してほしかった……。


 そう思ってそっと目を閉じる。

 最後の時を迎えるために。

 さぁ、殺せ。

 おそらくお前は一番俺を殺す動機がある。

 なんたって愛してる幼馴染の体を奪っただけでなく、その精神さえも殺して消し去ろうとしてるんだからな。

 だが。


 お前に殺されるなら、俺は幸せだ。


 そう思って幸せほわほわとろっとろに溶けていると。



 唇が、溶けた。



 いや、溶け合った。

 溶け合ったような気がした。

 モモと。

 モモの唇と。


「……ッ!?」


「大丈夫! 私が元に戻してあげるから!」


 へ?


「辛かったよね! 怖かったよね! ごめんね、私が守ってあげるって言ったのに守れなくて!」


 ん?


「私がアベルを守れなかったせいで、アベルは二つに分割されちゃったんだね! 大丈夫! どっちも守る! あ、でもその神と魔神っていうのは私が倒すね!」


 い?


「アベルもクモノスもフィードも全部私が守るから安心して!」


 お?


「アベル……ごめんなさい……! ほんとに……ほんとに私……もう絶対にアベルのこと離さないからぁ……!」


 モモは俺の顔を抱いてギュッと胸で包み込む。


「ちょ……!」


 胸で包まれた至福よりも混乱のほうが先に来て、俺は抱き合って以来初めてモモの腕を振りほどいた。


「俺の手伝いをしてくれるってのか? 『真・アベル絶対殺す団』として? 俺はアベルじゃなくてフィードなんだぞ? お前の愛するアベルを殺そうとしてるんだぞ?」


 あっ。


 モモの顔を初めて冷静に見てわかった。

 この強固な意思の俺様が遺伝子のなんたらでとろっとろになってるんだ。



 なら、



「うん、フィードもアベルの中の一つなんだよね? だからフィードのことも絶対守りゅ。アベルもフィードもぜ~んぶ守って、悪い魔神と頂上神は私がやっつける。だから、お願い。もう絶対離れないって約束して?」


 く……。

 くくく……。


 くははははははははは!


 なぁ~んだ、こいつ!とろっとろじゃねぇか!

 そりゃそうだ!

 遺伝子の相性が完璧にぴったりってことはそういうことだろ!

 屈強な俺の意思ですら抗うのが難しかった、この引力にたかが人間の女ごときが抗えるはずもねぇ!

 あ~、笑けてきた。

 くっくっく……。


 最後のアベル殺害だけは邪魔するらしいが、それ以外では使える。

 使えるぞ、この女。

 ここに来て俺は最強の手駒を手に入れたぞ!

 魔神を倒せし者。

 モモ。

 こいつには『魅了チャーム』も言いくるめる必要もねぇ。

 俺の言うことなら何でも聞く傀儡だ。


 あぁ、俺はもうとろっとろなんかじゃねぇ。

 カチンコチンだ。


 アベル。


 お前の幼馴染は、 俺 が 寝 取 る 。


 さぁ、アベル。体の皮膚、爪、髪、そのひとつひとつ、一本一本から惹かれていた幼馴染が俺のものになったと知った時、お前はどんな反応をする?


 あぁ。


 あぁ……。


 お前がこのことを知った時のことを思うと、今から笑いがとまんねぇ……。 



 【あとがき】


 掲載間隔が空いて申し訳ありませんが、ここで『向かえ、怨敵アベル編』は終わりです。


 次から

 閑話(フィードことクモノスが首都イシュタムでこの後なにをしたか)や

 閑話(ローパーのパルが援軍を要請に向かった魔界もとい地獄や超次元空間の様子)や

 閑話(メダニアに残ったD&Dや、メダニアに向かった黒騎士ブランディア・ノクワールの様子)

 を挟んで、アベルとフィードが直接対決する『激闘王都編』に突入します。


 ただ、ちょっとプロット整理のために時間がかかりそう。

 伏線というか要素を大ボリュームにしすぎた……。


 なので10話~20話くらいは書き溜めてから再開したいと思います。

 その間にカクコン用の新作1本(去年は10本くらい書いて体壊したので今年は1本に集中)と、文芸用の公募も並行して書いていってるので、そちらの方も(公開になるのはカクコンだけですが)お楽しみにしてくれると嬉。


 さいごに。

 PV、ハート、ギフトをくださる皆様のおかげで書けてます!

 本当にありがとうございます!

 感謝です! 多謝! 多多多多多謝! 愛してます! ラブ!

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へなちょこ鑑定士くん、脱獄する ~魔物学園で飼育された少年は1日1個スキルを奪い、魔王も悪魔も神をも従えて世界最強へと至る~ 祝井愛出汰 @westend

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