解答編🍰ケーキの謎

※このお話は横書きで読むことを推奨します※


 お客様はコーヒーを飲み、タルト・タタンを食べ、ケーキ暗号の謎が印刷された紙を見つめて、時折「うーん」と唸っていらっしゃいます。

 私は一度カウンターの中に戻り、仕事をしながら様子を窺います。


 そろそろランチタイムも終わりの時刻ですが、大丈夫でしょうか。

 新人さんが遅刻するなんてもってのほか。声をかけた方がいいかもしれません。


「お客様、そろそろ……」


 カウンター脇の出入り口から一度廊下に出て、お客様のいらっしゃるフロアに足を踏み入れた時です。


「わかった!!」


 店中に飾られている大小様々な鐘が共鳴しそうなほど、大きな声が響きました。

 どうやら答えがわかったようです。お客様は今までにないキラキラした瞳で、歩み寄る私を見つめてくださいます。


「お姉さん、答えはフランスですね?」


 私は大きく頷きました。

 でも、これは三択の暗号問題。肝心なのは正解までの道のりです。

 ちょっと問題をおさらいしてみましょう。


①パイ生地にリンゴを包んで焼き上げた<アップルパイ>

②シュー皮の切れ目にカスタードクリームをたっぷり挟んだ<シュークリーム>

‶を〟

③薄いパイ生地にクリームを乗せ、その上にまたパイ生地……と層を重ねて作られる<ミルフィーユ>

‶にして〟

④煮リンゴの上にタルト生地を乗せて焼き上げ、ひっくり返して完成の<タルト・タタン>

‶のように〟

⑤左にフォーク、右にナイフが並んだカトラリーの絵文字。

‶エレガントに召し上がれ〟


 端末の画面には、ケーキ写真、<名前>、絵文字、‶繋ぎの文章〟が、こんなふうに並んでいます。


「どうしてそう思われたのか、ぜひ聞かせてください」

「<アップルパイ>と<シュークリーム>を<ミルフィーユ>にして、<タルト・タタン>のようにするんです!」


 そう言ってお客様は、メモ用紙を見せてくださいました。


 上に<シュークリーム>

 下に<アップルパイ>

 横書きで重ねて書かれています。


 そこから矢印が引っ張られて隣には、


 上に<アップルパイ>

 下に<シュークリーム>

 最初とは上下が逆になったケーキの名が書かれています。


「まず、ケーキの名前に‶繋ぎの文章〟を入れて読んでみました。

 <アップルパイ><シュークリーム>を<ミルフィーユ>にして<タルト・タタン>のように、と書かれています。

 だからまず、最初の二つのケーキを重ねてみたんです。ミルフィーユにするためには、パイの上にクリームが乗った方がいいと思って、そうしました。

 それから<タルト・タタン>は上下をひっくり返して完成なのだと、最初にお姉さんが教えてくれました。だからひっくり返してみたんです。そしたら……」


 お客様は上下を逆にして重ねたケーキの名前の、ある一点を指差します。

<アップルイ>

<シュークーム>


「見てください。ここにパリって! だからフランスだと思ったんです!」

「なるほど、そこで正解に辿り着かれたんですね。でも、残ったカトラリーはどうしますか?」

「え? ああ本当だ。カトラリーの絵文字が残ってる……!」


 嬉しそうだったお客様の顔が、みるみるうちに青ざめていきます。


「あー、こんなところでもやっちゃった。ゴールが見えたと思うと嬉しくて突っ走って、仕事の最終段階で取り零しがあるのが私の悪い癖なんです。詰めが甘い、結論を出す前に振り返りをしろって何度も叱られているのに、やっぱり向いてないのかな。今の会社は辞めて地元に帰った方が……」


「待って、これは単なる謎解きです。お遊びですし、ちゃんと正解ですよ!」


 思ったよりも闇が深そうです。私は急いでカウンターに手を伸ばし、天使の羽の持ち手がついた金色のベルを持ち上げて、チリンと鳴らしました。


「でも、カトラリーの絵文字の謎が残っていますから、もう一度最初から一緒に考えてみましょうか」


 ランチタイムが終わろうとしています。私はなるべく簡潔になるよう、急いで説明を始めました。


 まずパイを下にして、最初の二つのケーキを重ねます。


 <シュークリーム>

 <アップルパイ>


 ミルフィーユに必要なのはパイとクリームですから、それだけ残しましょう。


 <   クリーム>

 <    パイ>


 パイからはみ出したクリームは落ちてしまいますから、残るのはこれだけです。


 <リー>

 <パイ>


 これをタルト・タタンのようにひっくり返すと、こうなります。


 <パイ>

 <リー>


 ここでカトラリーの絵文字が登場です。

 左にフォーク、右にナイフ。そして‶エレガントに召し上がれ〟。


「ナイフとフォークを使ってエレガントに食べるって、どういうことだと思いますか?」


 尋ねると、お客様はちょっと怯んだ顔をしながらも、空中でナイフとフォークを動かすような仕草をされました。


「マナーはよく知らないけど、確かこう……テーブルに置かれていた通り、ナイフは右に、フォークは左に持って、左端から一口分ずつ切って食べるんですよね」


「その通りです。魚でも肉でもケーキでも、最初に全部切り分けてしまうのはマナー違反とされています。フォークを右手に持ち替えるのもいけません。エレガントに食べなくてはいけないので、そうしたマナーを守る必要があるんです。

 では、このケーキをどう食べましょう?」


 コンパクトになった四文字だけのミルフィーユを見て、お客様はハッとした顔をされました。空中でナイフとフォークを動かしながら、表情を輝かせます。


「左端から縦に切って食べる……つまり、左から縦に読む?」

「大正解です! これで完璧に暗号が解けましたよ!」


 私は大きく拍手をしました。そう、まさにその通り。

 残った四文字を左から縦に読むと「パリ、イー」つまり「パリいい」となります。

 パティシエの友人は海外旅行の目的地として、私が提示した選択肢の中から、パリのあるフランスを選んだのでした。


「ああスッキリした! 謎が解けるって、いいものですね!」

 お客様は晴れやかな表情で残ったケーキを口に入れ、コーヒーを飲まれました。


「タルト・タタンって初めて食べたけど、とっても美味しかったです」

「それは良かったです。毎年うちは、この時期になるとタルト・タタンをお出しするって、決めているんですよ」

「へえ、林檎が旬でもないのに、どうしてですか?」

「このケーキが、失敗から誕生したと言われているからです」


 帰り支度を始めていたお客様は、それを聞いてお顔を上げました。

 私はにっこり微笑みます。


「フランスに昔、タタン姉妹と呼ばれる人たちがいて、ホテルを経営していました。

 ある日姉妹の一人が、お客様にお出しするお菓子を作ろうとして、林檎を焦がしてしまいました。失敗を取り返そうと上にタルト生地を乗せ、そのままオーブンに入れてみたところ、お客様に大評判の味になりました。

 または、タルトを間違えてひっくり返してしまい、勿体ないのでそのまま焼いたところ、美味しいお菓子になったという説もあります。

 どっちにしろ失敗が元で、こんなに素敵なケーキが出来上がったんです。

 だから、くよくよする必要なんてないです。

 失敗がいつか成功に繋がること、きっとありますよ」


 お客様の瞳がちょっと潤んだように見えたのは、気のせいでしょうか。

 鼻をぐずつかせ、「花粉症かな」なんて言いながら、お客様はお支払いを済ませました。そして深々と一礼。


「コーヒーも謎もおやつも、とっても美味しかったです!」

「まあ、恐縮です。ゆっくりしていただけて良かったです。また疲れた時には、ぜひお立ち寄りくださいね」

「はい、また来ます。もうちょっと自信をつけてから、きっと」


 上げられた顔は、最初にいらした時とは打って変わって、明るいものでした。

 フレッシュなスーツに包まれた体をピンと伸ばし、扉を押し開けて颯爽と出ていく背中に、私も深々と一礼します。


「ありがとうございました。新生活、頑張ってください」


 頼もしい社会人の顔になった彼女に再び出会えるのは、そう遠くないことのような気がしますよ。



<了>

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喫茶オールド・ベル 鐘古こよみ @kanekoyomi

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