ケーキの謎【三題噺 #57】「予定」「ケーキ」「沈黙」
待ちわびた桜がようやく満開になりましたね。
早いもので、もう四月も十日ほど過ぎてしまいました。新しい生活を始められた皆さんは、慌ただしい日々を過ごされていることでしょう。毎日お疲れ様です。
ちょっと一休みしたい時には、ぜひ喫茶オールド・ベルへお越しくださいね。マスターが厳選したこだわりのコーヒーと甘いおやつ、そして日常にちょっとした刺激を与える「本日の謎」を用意して、精一杯おもてなしいたしますよ。
あ、扉のベルが鳴りました。初めてお目にかかる女性のお客様です。ピカピカのスーツを着ていらっしゃいます。きっと今年から新社会人になられたのでしょう。
スーツとは裏腹に、表情は非常にどんよりとして、お疲れのご様子。さっそく私なりのおもてなしを始めたいと思いますが、まずは確認をしなければなりません。
「いらっしゃいませ。ランチはやっていないのですが、大丈夫でしょうか」
言いながら私は、壁に掛けた黒板のメニュー表を手で示しました。
「うちの店はメニューが三種類だけなんです。本日のコーヒーと、本日のおやつと……」
「外の看板見たからわかってます。食欲ないんです。甘いものとコーヒーがあればそれで。いろいろ選ぶのも疲れるので、メニューも最小限で逆に助かります」
小声で口早に言うと、お客様は二人掛けの丸テーブルに身を投げ出すようにして座られました。うちの店はランチが終わったタイミングでお客様が増え始めますから、今は他に誰もいません。
「では、ご注文は本日のコーヒー‶ガブリエル〟と、本日のおやつ‶タルト・タタン〟でよろしいですね」
「ええ……あの、タルト・タタンってなんですか? ケーキ?」
「リンゴのタルトケーキです。砂糖とバターで煮たリンゴの上にタルト生地を乗せて、オーブンで焼き上げてから、上下をひっくり返して完成なんですよ」
「へえ、面白い。タルト生地の上にリンゴを乗せるんじゃないんですね」
お客様の顔に少しだけ生気が戻りました。興味の湧く話題だったようです。
貸し切り状態のフロアで沈黙を味わっていただくのも素敵ですが、なんとなく彼女は、本来お喋りが好きな方のように感じます。もう少し会話を続けてみましょう。
「食欲がなくなってしまうなんて、よっぽどお疲れなんですね。今年から社会人になられたのですか?」
「うう、そうなんです。見ての通り私、スーツもまだ板についてないし、ピカピカの新人で。インターンシップの時は楽しかったのに、正式に働き始めたらもうすごいんです。オフィスに飛び交う言葉が暗号みたい。上司も先輩も全然遠慮がなくなっちゃって、ついていくのに必死で……」
はあ、と溜息を漏らしながら、お客様は喋り始めたら止まらなくなりました。
「新人のくせに頭が固いとか、毎日のように言われるんです。若手にはもっと柔軟なアイデアを期待しているって言うから、じゃあと思って奇抜なことを言うと、それはそれで現場を知らないって鼻で笑われるんですよ。もう、どうしたらいいんですか。まだろくに経験も積んでないのに、何か提案しろって言われても困りません? まだ四月半分も過ぎてないのに、すっかり疲れちゃった。ここ数日は失敗続きで、怒られてばっかり。向いてないのかなって、どんどん嫌になって……」
糸の切れた人形のように急にがっくりと首を落とし、テーブルに突っ伏すお客様の元へ、私はコーヒーとタルト・タタンをお運びします。
ついでに気分転換も、ご提案しちゃいましょう。
「もしよろしければ、『本日の謎』をご注文なさいませんか?」
「本日の謎?」
「ええ、頭の体操のようなものです。無料でご提供しているんですよ。たまにはお仕事と全然関係ないことに思いを巡らせて、リフレッシュしてみませんか?」
謎解き……と呟いて、お客様は少し考えていらっしゃいましたが、やがて頷きました。キャラメリゼされたタルト・タタンの表面をフォークでつつきながら、
「いいかもしれません。謎解きに挑戦すれば、私の固い頭も柔らかくなるかも」
まだお仕事のことを考えていらっしゃるようです。
でも、提案に乗ってくださったのは嬉しいです。さっそく始めましょう。
「本日ご用意した謎は、このタルト・タタンに因んだものなんです。私にはパティシエをやっている友人がいるのですが、彼女がちょっと変わっていて、携帯端末でアプリを介してメッセージのやり取りをしていると、たまにケーキ暗号でしか喋らなくなるんです」
「ケーキ暗号?」
「ええ。たとえばこんな感じです」
私はエプロンのポケットから一枚の紙を取り出しました。その友人とのやり取りが表示されている、携帯端末の画面を印刷したものです。
まず、「スーツケースの大きさはどれくらい?」と聞いている私のメッセージがあります。次に、相手から送られてきたケーキの写真が三つ並んでいます。写真の下にはケーキの<名前>と、各写真の間を結ぶような
生クリームの上に苺が乗っている三角形の<ショートケーキ>
=
チョコクリームの上に削りチョコをまぶした<チョコレートケーキ>
=
黒いスポンジの中からガナッシュが流れ出ている<フォンダン・オ・ショコラ>
「これがケーキ暗号です。友人がなんて答えているか、わかりますか?」
「え、これが答えなんですか?」
お客様は端末の画面をじっと見つめましたが、すぐに首を傾げてしまいました。
「イコールってことは、何かが同じなんですかね……?」
「いい視点です。これは例題なので、答えを言っちゃいますね。
お気付きの通り、三つのケーキの共通点を探せばいいんです。わざわざ名前を書いてくれているので、そこに着目してみましょう。三つのケーキの名前の中に、共通する一文字があるのがわかりますか?」
「えーっと……あ、このヨですね。小さいヨ……」
そこまで言ってお客様は、ピンと来られたようです。
「小さいヨ、つまり『小さいよ』と答えているのでは!?」
「正解です! これでケーキ暗号がどんなものか、わかりましたね」
パチパチと小さく拍手をして、私はポケットからもう一枚紙を取り出しました。
いよいよ本題。「本日の謎」のご提供です。
「これは、今見せたケーキ暗号よりも少し前のやり取りです。
私たちは一緒に海外旅行をする予定を立てていました。どの国へ行くか、私が候補を三つの国に絞って、彼女に選んでもらったんです。
彼女の答えはケーキ暗号で返ってきました」
私はおもむろに紙を開き、印刷された携帯端末のアプリ画面を見せます。
まず一番上に、「イギリス、フランス、スペイン。どこにする?」と尋ねる私のメッセージがあります。次に、相手から送られてきたケーキの写真と<名前>が。
先ほどと違って間に
最後にカトラリーの絵文字が加わっています。
ケーキ写真、<名前>、絵文字、‶繋ぎの文章〟の並び方は、次の通りです。
①パイ生地にリンゴを包んで焼き上げた<アップルパイ>
②シュー皮の切れ目にカスタードクリームをたっぷり挟んだ<シュークリーム>
‶を〟
③薄いパイ生地にクリームを乗せ、その上にまたパイ生地……と層を重ねて作られる<ミルフィーユ>
‶にして〟
④煮リンゴの上にタルト生地を乗せて焼き上げ、ひっくり返して完成の<タルト・タタン>
‶のように〟
⑤左にフォーク、右にナイフが並んだカトラリーの絵文字。
‶エレガントに召し上がれ〟
「この問題は紙に書いた方がわかりやすいので、メモとボールペンをお貸ししますね。さて、友人はどの国を選んだと思いますか?」
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