第2話

 気がつくと見覚えのある場所に立っていた。

 エントランスホールのようだった。

「…………………………………………は?」

 たっぷり間を挟んで、きょろきょろと周囲の様子を確認して、蓮はようやく文字ひとつ分の戸惑いを口にした。

 高級ホテルのような豪華なつくりのエントランス。吹き抜けの広間は薄暗く、天井のシャンデリアは本来の役目をはたしているとは言えない。

 すなわち、さっき脱出して燃やした洋館の中に、気がつくと舞い戻ってきていた。

「ジェーンさん」

 隣の上司に声をかける。自分ひとりでは、この信じがたい現実を飲みこむことはできそうになかった。

「怪我は」

「えっ」

「足よ。どう?」

「あ、はい。……治ってるっす」

 ズボンをまくって確認してみると、ズタズタになっていたはずの皮膚は綺麗に一枚繋がっていた。

「…………なるほど、そういうことね」

 腕時計を確認して、ジェーンが神妙な面持ちで言った。

 なんのことかわからず、蓮もスマホを確認する。

「…………マジっすか」

 目を疑った。

 時間が戻っていた。

 世界のぐらつく感覚。なんだこれは、と現実感のない現実を前に脳が理解を拒否する。

「そうだツキギメさんは」

 視界を巡らせると、怪盗コンビも蓮と同じように呆然としていた。

 キョロキョロと周囲を見回したツキギメは天井を仰ぎ、数度目を瞬かせた。

「テイソくん。あの少年は?」

「…………ツキさん」

 和装黒髪美少女は、仕事上のパートナーの名を辛うじて口にして目を伏せた。

 そこにこもる感情は喜びか、安堵か、怒りか。

 彼女は数秒間目をつむり、拳を握りしめた。

 やがて顔を上げ、ツキギメをまっすぐに見据える。

 その目に宿る色は、感情を感じさせない事務的なものだった。

「どこまで覚えていますか」

「シャンデリアがあの少年に落ちてきて、彼を救おうと突き飛ばしたのだけれどなぜかまったく動かなかった。ボクはおそらく彼とともにシャンデリアに潰された。と思ったらまるで戻ってきたかのように今ここに立っていた」

「そのとおりです。わたくしの記憶にはツキさんの死んだあとの話も残っていますが――」

「よくいらっしゃいました」

 いつのまにいたのか。意識の外から現れた少年がうやうやしく挨拶する。

 その妖艶な男児を知覚した瞬間、テイソはバールを取り出し、

「――その話はこいつを殺ってからにしましょう」

 無表情に殴りかかった。

「待ちたまえテイソくん!」

「テイソちゃん! いっかい落ち着いて!」

「はなしてください! こいつのせいでツキさんが! 許しておけません!」

 蓮がうしろから、ツキギメが前から羽交い締めにして押さえ込む。

「見たまえ! ボクは今ここにいる! こうして君に触れることができている! ならば彼を責めることはないだろう!」

 ツキギメの必死の説得。

 それはそれでおおらかすぎないか、と少し思ったが、ツッコミを入れるのも野暮というものなので黙ってテイソの細腕を握る。

 歯を食いしばって必死に逃れようとするテイソだが、幼女の力では抜け出せるはずもない。

 少年の口から淡々となされるルール説明をBGMに抵抗するが、やがて心のほうが折れた。

「……ツキさん」

 バールを持つ手から力が抜ける。

「なんだい?」

「わかっているでしょう。おそらくこの少年を救うことはできない。RPGなら彼の死は確定の演出です。このままわたくしに触れていてください」

 ルール説明をする少年の前でテイソが告げる。

 彼女の声音に宿る感情は、説得というよりお願いに近かった。

 ツキギメは一瞬目を丸くした。

 眉間に皺をよせ、目をぎゅっとつむる。

 金色の美しい髪をぐしゃりと握り、やがて呟くように言った。

「わかった」

 その言葉とシャンデリアが支えを失う音は、同時だった。

 ツキギメの右足が一瞬浮く。

 きっと本能なのだろう。

 が、彼の理性がテイソの肩を掴んで離さなかった。

 コンマ数秒。

 シャンデリアの墜落に合わせて発生した轟音と破片の雨の中。ツキギメはまばたきすらせず、真っ赤な肉塊の生まれる瞬間をじっと見つめていた。

 まるでそれが己に課せられた使命であるかのように。

 静寂がエントランスを包み込む。

「さて」

 沈黙を破ったのはジェーンだった。

「みんな覚えているみたいね。一度、それぞれの認識をすり合わせましょうか」

 ぐるりと見まわし、鷹揚に言う。

「ツキギメがここであのクソガキを助けようとして死んで、私たちは二階奥の扉を爆破して脱出した。この館に火をつけたあたりまでは記憶にあるのだけれど、みんなはどう?」

 ジェーンの視線に、蓮とテイソが目を合わせ、ともに首をひねる。

「俺もそこまでっす。で、気づいたらなんかここに戻ってきてたっすね」

「わたくしもですわ」

 ふたりの回答に、ジェーンは満足げにうなずく。

「信じがたい話だけれど、私たちはどうやらタイムリープしてきたみたいね。

「なんで戻ってきたんすかね。正規のルートで脱出しないと駄目ってルールがあったりするんすか?」

「どうかしら。それならそれで脱出させないように殺しに来れば良いと思うのだけれど。あるいは全員生きるか全員死ぬかという展開しか認めてないのかもしれないわ」

「餅川の掲げるコンセプトと違くないすか?」

「奴はもう死んだのよ。誰があとを継いだのか知らないけれど、今このやり取りを眺めながら酒でも飲んでいる暗黒金持ちが同じ思想とは限らないもの」

「まあそれはそうっすけど。あと、電気ガスも通ってないって話でしたけど、デスゲームのギミック動かすなら必須っすよね。どっか発電機でもあるんすか?」

「タイムリープをさせてくるような奴が相手よ。超能力的ななにかでシャンデリアを落としてきたとしても不思議ではないわ」

 そんな身も蓋もない理屈があるか、と思ったが、否定できる材料がないこともまた真であった。

「今回どうするっすかね。せっかく四人そろってるんですし、俺はもっかい外に出るのを推したいんすけど」

 三人を改めて見回して提案してみた。

 あからさまに渋い顔を浮かべるゴスロリ名探偵をつとめて無視して続ける。

「ジェーンさんの言うように四人そろってないと認められないパターンも考えられるわけっすよね。仮に違ったとしても、脱出して戻ってくるぶんには損がないわけで、脱出し得だと思うんすよ」

「賛成です」

 蓮の提案にテイソが真っ先に乗った。

「わたくしたちは一刻もはやくこの館を出るべきですわ」

「ええ!? テイソくん、隕石はどうするんだい!?」

「わたくしたちの求めるものはおそらくこの館にはありません」

「ならばどこにあるというんだい?」

「ツキさんはもう死んだのですから発言権はありません。口を閉じていてください」

「むぐー! むぐぐー!」

 律儀に口を閉じて抗議するツキギメ。そんな名怪盗を放置してテイソがジェーンに向き直った。

「エセ探偵はどうお考えですの」

「……抵抗しようとしてもどうせ蓮に無理やり連れて行かれるものね。大人しく従っておくわ」

 やけに素直な反応だった。

 蓮は一瞬目を丸くしつつ、「うし、じゃあ出るっすか」都合は良いので意図を掘り下げるのはやめておいた。

 そうして歩き出して数歩。

 ガァン! と、なにか壁を殴ったような硬質な音がうしろのほうから響いた。

 反射的に振り向く。

「……今のなんすかね」

「なにかのトラップかしら」

 血にまみれたシャンデリアが落ちているのみで、風景にこれといった変化は見受けられない。

 不可視の音源へ、ジェーンが灰色の瞳をじぃいいい、と射抜くように向ける。

 ツキギメとテイソにも視線を移すが、ふたりも同様首をひねるばかりで、音の正体には心当たりがないようだった。

「……まあ、いっすか。さっさと行きま――」ガァン! と再び鈍い音が鳴り「そこっす!」蓮は鞄に忍ばせておいた爆弾を音源と思われるあたりへ投げつけた。

 瞬間。

「    」

 気のせいだろうか。なにか聞いたことのない、えたいのしれない空気の振動を感知した。

 本能的な恐怖に身体が一瞬震える。

 が、ゆっくりおびえている暇などない。巻き起こる爆音と閃光はコンマ数秒もなく襲いくるのだ。

 おのが身を守るべく、頭を抱えて縮こませ、なんとか爆発をやり過ごす。

「蓮! あんたなにしてんのよ!」

 爆発がおさまって開幕、半ギレのジェーンに詰め寄られた。

「絶対なんかいますよここ! さっさと出ましょうこんな場所!」

 手を振り回し、周囲の危険をアピールする。

 勢いで押しきるように階段へ足をかけ登り始めると、一瞬遅れてジェーンが、そのうしろから怪盗組も追いかけて来た。

 足早に登る蓮をひぃひぃと追いかけながらジェーンが不満げに尋ねた。

「こんな広い空間でどうやって隠れているっていうのよ」

「わからんっすけど、タイムリープさせてくるような奴っすから、透明人間だったとしても不思議じゃないっすよ」

「それはそうかもしれないけれど、だからといっていきなり爆破するのはさすがにどうかと思うわ」

「こういうのはやられる前にやり返さないと駄目っす。って俺の育ての親が言ってました」

「テロ組織の人間に言われると説得力が違うわね」

 そう言って、呆れたようにため息をついた。

「あんたの主張もある種正しいけれど、向こうの意図が攻撃かどうかもわからないうちからの反撃は戦争の火種になりかねないわ」

「そもそもこんな館に閉じ込められた時点で俺たちは被害者ですし問題ないでしょ」

「それを言いだすと私たちは不法侵入者だから、なんて言われてしまうわよ」

 そんな話をしているとあっという間に二階にたどり着いた。

 と同時。

 先までの硬質なソレとは違う、金属とガラスの跳ねる音が響いた。

 思わず音の方を見やると、シャンデリアが大きく体勢を崩していた。

 まるでスローモーションのように支えを失ったシャンデリアが重力に引かれる。

 数瞬後、轟音をまき散らしてエントランスへ着地した。

 蓮はやはり、躊躇しなかった。

 どっごぉぉぉおおおおん! と、位置エネルギーが加わったからか先より大きな爆発が起こった。

「わーバカバカ! だから爆弾はやめなさいって!」

「やっぱなんかいますよここ! ジェーンさんとテイソちゃんは俺が守るっす! だから大人しくうしろでじっとしててください!」

「あんたが一番危ないのよ! いいから一旦冷静になりなさい!」

 不毛な言い争い。そのさなか、

「どなたか存じ上げませんが、ごきげんよう」

 テイソの落ち着いた、しかしよく通る声が不思議な響きで虚空に鳴った。

 思わず顔を見合わせる蓮たちに構わず、彼女は言葉を続けた。

「あなたは姿を現すことはできないものの、わたくしたちになにかを伝えようとされているのですね?」

「そうなのかい?」

 とぼけた顔で尋ねるツキギメの言葉を無視して、ジェーンが指を立てた。

「これからいくつか質問をいたしますので、イエスなら一回、ノーなら二回、どちらともいえない、あるいは答えられない場合は三回、先ほどのように音を鳴らしてください」

 そこまで言って、一旦言葉を切る。

 果たして反応は。ハラハラしながら待っていると、やがて、

 ゴン

 と、一回、壁を殴ったような音が鳴った。

「ありがとうございます」

 テイソは満足げにうなずくと、あごに指をやり、一瞬思案顔を浮かべてから尋ねた。

「まず、あなたはこのデスゲームの主催者、あるいは運営側の方ですか?」

 二回音が鳴った。否定。

「あなたはこのデスゲームの参加者ですか?」

 一回だけ鳴った。肯定。

「わたくしたちは先ほど脱出をしたあと、なぜかタイムリープしてこの館に戻されました。これはあなたによるものですか?」

 二回鳴った。否定。

「あなたはこのタイムリープの原因がわかりますか?」

 二回鳴った。否定。

「あなたはタイムリープ何回目ですか? 回数分だけ叩いてください」

 五回鳴った。

「けっこう多いっすね」

「それもだけれど、今の答えだけ少し間があったわね。数えていたのか、あるいは」

 ひそひそとやり取りをしていると、構わずテイソは質問攻めを続けた。

「先日この館になにか巨大な物体が落ちてきたようですが、あなたと関係ありますか?」

 先と同様、わずかな間を挟んで二回鳴った。否定。

「あなたの目的はこの館からの脱出ですか?」

 一回鳴った。肯定。

「あなたは脱出できたことがありますか?」

 二回鳴った。否定。

「ふぅむ……先ほどわたくしたちが脱出したとき、どうして一緒に脱出できなかったのでしょう。拘束でもされていたのでしょうか」

 思案顔でひとりごちるテイソ。

 彼女の横からジェーンが一歩踏み出すと、「それより私にも質問させてちょうだい」と好奇心に目を光らせて言った。

「あんた、透明人間なの?」

 一回鳴った。肯定。

 マジか、と目を真ん丸くする蓮のとなりで、ジェーンは「ふうん」と不思議そうに首をかしげた。

「不思議ねえ」

「なにがっすか」

「透明人間なんていうのは、物理的に不可能なはずなのよ。瞳を透明にしたら入ってきた光を反射できないから、視覚を保てないの」

「ドラえもんの石ころぼうしみたいに、透明っていうより見えてるけど意識できないみたいになってるかもっすね」

「ああ、実質そうだから肯定しただけで、正確には透明ではない可能性もあるのね」

 納得したように言って、ジェーンは再びエントランスのほうへ目を向けた。

「ところで、さっき私たちが脱出しようとしたところで鳴らしたわよね。あんたは私たちの脱出を防ぎたいわけ?」

 また数瞬おいてから三回鳴った。

「どちらともいえない……っすか」

「あるいは、答えられない、ね。まあ、そういう回答になるわよねえ」

「むぅ……」

 ジェーンとテイソのうなる声。

 それからしばらくジェーンによる質問攻めを続けたが、どうも要領を得ず、だんだんと状況が煮詰まってきた。

 水平思考ではクリティカルな質問が出しにくい。頭脳担当たるジェーンとテイソが黙りこくったことで、久方ぶりに沈黙がおりた。

「……ふたりがなにを訊きたいのかよくわからないのだけれど、」

 静かな空間を割ったのはツキギメのきょとんとした声だった。

「結局のところこの透明人間くんはボクらの味方なのかい? 敵なのかい?」

「……このクソバカが。それを判断するためにいろいろ婉曲に訊いていたんでしょうが」

「ならもっと伝わるように訊くべきじゃないか。透明人間さん、君はボクらの味か「そんな訊き方して否定するバカがどこにいると思っているのよバカ!」

「ジェーンくんせっかく美しい顔をしているのだから、そんな言葉づかいをしていてはもったいないよ」

「うっさいわねあんたは私の親か!」

「違うよ宿命のライバルだよ」

「知っているわよ違うライバルではないわ!」

 と、ぎゃあぎゃあと言い合っていると、今までで一番長い空白を経て返答がきた。

 ゴンゴンゴン

「三回……」

 水を打ったように静まり返った空間に、ジェーンの呟くような声が響く。

「同じデスゲームの参加者なのに敵か味方かどちらともいえないなんてことあります?」

「あるわよ。なにしろ透明人間の最終目的がデスゲームのクリアかどうかはわからないもの。そこの怪盗組のように、この館のナニカを目的としているかもしれないわ。だから私たちの一部の味方で一部の敵であるとか、単純に敵でも味方でもないという可能性だって考えられるわ」

「味方じゃないなら爆殺すればいいんじゃないっすか?」

「あんたテロ組織が嫌になって逃げ出してきたのにどうしてテロリストそうろうな発想しか出てこないのよ」

「ほら、虐待されて育った子供は親になったとき虐待するようになるって言うじゃないっすか」

「その話は笑えないのよ」

「そもそも爆弾は効くのでしょうか」

 テイソがふたりの間に入って疑問を呈した。

「透明人間さんが実体を持っているとは限りませんわ」

「でもさっきの一発目は手ごたえあったっすよ」

「投擲武器に手ごたえなんて概念はないのよ。ま、それはそれとして個人的解釈でいうなら、幽霊相手にも爆弾は有効だと思っているけれどね」

「実体がないのにかい?」

「私たちの世界に干渉してくる手段がなにかしらあるんだもの。ならこちらから覗きこむ方法もあるはずよ。爆弾をただ放り投げて効くかは疑問だけれど、効くように工夫することはできるわ」

「塩まぶしてみるっすか」

「いいわね」

 そんな話をしていると、どぉん! と一発、今までで一番大きな音が鳴った。

「今のはなにに対する返答っすかね」

「塩が効くかかしら。弱点を教えてくれるなんて親切ねえ」

 二回、荒っぽい音が鳴る。

「あら今度は否定ね」

「親切じゃないって謙遜してるんすよきっと。死んでもなおこの奥ゆかしさ、ジェーンさんにも見習ってほしいっすね」

 ドンドンドンドン! と無限に音が鳴り響き始めた。

 だが、

「釣れたっすね」

 計画どおりだった。

 爆弾を投げる。

 壁を殴っているのか、なにかそういう機械を使っているのかは知らないが、どうあっても逃げるのは一手遅れる。

 これで勝ちだろう。蓮は心の中で勝ち誇った。

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