第3話

 気がつくと蓮は、見覚えのある薄暗いエントランスホールにいた。

 タイムリープも三周目となると、戸惑う感情より現状を把握しようという理性が優先的に働いた。

 周囲を見回し、三人と目が合う。

「……これ、殺せましたかね」

「どうかしら。一回外に出てみればわかるんじゃない?」

 ジェーンがクールに答える。

 瞬間、ガンガンガンガン! と近くの壁から猛烈な打撃音が響いた。

「確定ね」

「っすね。絶対透明人間くんが原因すわ」

「ただ、条件がこいつの死なのか、あるいは好きなタイミングで戻ることができるのかについてはなんとも言えないわね」

「あんだけの爆発でしたし、さすがに死に戻りと考えていいんじゃないっすか?」

「こういうのは本人に訊いてみるのが早いわね。あなたは先ほどの爆発で死にましたか?」

 ジェーンが虚空に尋ねる。と、

「ぐぼっ!!」

 硬質なものを叩く音とともに、そんな間抜けな声が響いた。

 反射的に顔を向ける蓮たちの前で、ツキギメが頭から血しぶきを上げて倒れた。

「ツキ!」

 テイソの悲鳴が響く。蓮とジェーンは目を見開き、臨戦態勢を取る。

 この死に方は明らかにデスゲームによるソレではない。

 透明なナニカによる撲殺。おそらく、壁を叩く要領で頭を叩いたのだろう。

 ならば連想するのは、『次は自分かもしれない』という可能性だ。

 爆弾で反撃しようにもそこには泣きつくテイソがおり、対応が取れない。

 だから、目と耳と第六感を駆使して周囲への警戒を取る。

 冷や汗を一筋垂らしつつ、一言も発さずに万全の体勢で待つ。一分、二分。

「……さすがにおちょくりすぎたっすね」

 警戒を解かないまま、蓮が静かに言う。

「けれど、これでわかったわね。透明人間は私たちを皆殺しにするつもりはない。おそらく今のは見せしめでしょう」

「透明人間くんが主催者って可能性はないんすか?」

「ないことはないけれど、その話は本質ではないわね。重要なのはこいつがタイムリープの原因で、目的がどうあれまっすぐには脱出させてくれそうにないという事実よ」

 冷静に言う。

「見せしめに乗せられるようで癪だけれど、一度、正規の手段で脱出してみようかしらね」

「正規の手段って、つまり鍵を探し出すってことっすか? アテのない状況でそれってそうとうキツくないっすか」

「あんたも知っているでしょう。探偵にもっとも必要なスキルは地道さよ。気張りなさい」

「そういうキツさを主張してるわけじゃないんすけど」

 そんな話をしていると、

「よくいらっしゃいました」

 ショタっ子が一周目とも二周目ともまったく同様の薄い表情で挨拶してきた。

「少年。いくつか訊いても良いかしら」

「問題ありません」

 ジェーンの問いかけに、彼は自然に答えた。

「いまのツキギメの死は、少年によるもの?」

「いいえ」

「デスゲームの一環として死んだのかしら?」

「その質問にはお答えできかねます」

「少年は、誰に雇われているのかしら?」

「自分は、誰にも雇われていません」

 その答えに満足げにうなずくと、ジェーンはメモを取ることも思案する様子も見せず、マシンガンのように質問を撃ち始めた。

「たとえば今ここで少年を殺害したとして、なにかペナルティはある?」

「ありません」

「今この館の主は誰?」

「その質問にはお答えできかねます」

「少年は今何歳?」

「その質問にはお答えできかねます」

「お腹すいたのだけれど、どこかご飯を食べられる場所はある?」

「食堂に食事の用意がございます」

「少年以外に誰かこの館にいる?」

「あなたがたがいらっしゃいます」

「このゲーム、時間制限はあるの?」

「ありません」

「今何問目?」

「クイズとしては一問目でございます」

「ルール説明邪魔されて怒ってない?」

「そのようなことはございません」

「少年、このあと死ぬのでしょう?」

「その質問にはお答えできかねます」

「今どんな気分?」

「その質問にはお答えできかねます」

 間を置かず、次々と質問を投げつけられた少年は、しかしどの問いかけに対しても眉ひとつ動かすことなく一秒以内に答えていった。

 ジェーンはちらりと懐中時計を確認して、提案した。

「握手をしましょう」

「良いですよ」

 互いの右手をぎゅっと握りあい、

「ふんっ!」

 ジェーンが少年を思い切り引っ張った。が、

「……頑固な身体をしているわね」

 呆れたように呟いて、ジェーンが少年から手を離す。

「時間を取ってごめんなさいね。ルール説明してもらって大丈夫よ」

「かしこまりました」

 引き下がったジェーンの姿を認めると、少年は一呼吸置いて、前の周と同様に語り始めた。

「皆様には、デスゲームに参加していただきます――」

 彼の言葉をBGMに、蓮はこっそりジェーンに耳打ちした。

「ジェーンさん、なにかわかったっすか?」

「多少はね。それよりあんたのカメラたしか動画も撮れたでしょう。あの子撮っておきなさい」

「え、イヤっすけど。事故映像と分かって撮るなんてカメラが可哀相じゃないっすか」

「犯罪に使われるほうがよっぽど不憫でしょうに」

「風景とか野鳥も撮ってるっすよ」

 もちろん、カメラが可哀相だなんてのはただの方便で、事実は単純に『人の死ぬ姿を撮りたくない』という至極一般的な感覚によるものなわけである。

 が、それはそれとしてこの言い訳もまったくの嘘ではない。盗撮のために磨いたカメラの技術だったが、いつしかカメラそのものも趣味となっていて、休日にはしばしば山や湖へ出かけて写真を撮るようになっていた。

 もっともジェーンがそんな真っ当な主張を受け入れるはずもないのだが。

「いいからやりなさい。潰れる瞬間が一番重要だからね」

「えぇ……普通にマジでイヤなんで、かわりにあとでジェーンさんのパンツ撮らせてくださいね」

「テイソちゃんで我慢しなさい」

「あっちはあっちで相当ガード堅いっすよたぶん」

 ぶつくさ言いながらカメラを取り出すと、隠し気味に構えた。おそらく真正面から撮影しても怒られることはないのだろうけれど、妙なうしろめたさがあった。

 少年のルール説明を聞き、それらに問題がないことを確認していると、がちっ、と、前の周では聞き取れなかった音が耳に届いた。

 数瞬後、シャンデリアが人ひとり潰す轟音が鳴り響いた。

 本能的に目をぎゅっとつむり、両腕で顔を隠して衝撃に耐える。

「撮れた?」

「…………見てみますか」

 再生ボタンを押すと、こちらを見ながらこの館について説明する少年の姿が、デジカメの小さなモニターに映し出された。

 蓮の顔を押しのけるようにしてジェーンがデジカメにくぎ付けになる。

 結果的に彼女の頭頂部から発せられる良い匂いが鼻腔をくすぐる。

「さすがキレイに撮れて…………今一瞬、なにかいなかった?」

「っと。なにかってなんすか」

 我に返った蓮が首をかしげると 、ジェーンは「わからないけれど……いたわよ」と小さく呟いた。

「もっかい頭から見てみますか」

 よく見ていなかったとは言えずにそう答え、最初から再生しなおしてみると、

「ここよここ」

「……言われてみると…………っすかね?」

 一瞬、見間違いを疑う程度のレベルで、全長三メートルくらいのバカでかい板

のようなものが映った……ように見えた。が、次の瞬間にはただの映像の乱れだったかのように霧消した。

「透明人間くんすか?」

「この館で出るとしたら人間の霊だと思うのだけれど。それと、消え方が不自然だったわね。まるでステルス機能によって映像に映らなくなったみたいな、そんな雰囲気だったわ」

「ハイスペックっすねえ。俺にもその技術分けて欲しいっす」

「なにに使う気よ」

 じとぉ、と冷たい目を向けられる。

 誤魔化すように映像の続きを流すと、ジェーンもカメラに視線を戻した。

 少年が館の説明をして、ガチリという音の直後にシャンデリアが落ちてきて少年を潰す。

「なんとなくわかってはいたけれど、あの子やっぱり機械みたいね」

「滅茶苦茶肉片の臭いするんすけど」

「感情がないっていう意味よ。潰れる瞬間まで表情が変わらないどころか、力みや緊張、恐怖や不安や解放、痛みを感じたときの顔のゆがみも一切見えないわ」

 スロー再生を繰り返しながら指摘する。

「パッと見人間にしか見えないんすけど、人間に似せたナニカと考えたほうがいいんすかね。きちんとさわれましたし、こうして潰れてるっすから、幽霊ってことはないんでしょうけど」

「あれだけ引っ張ってびくともしないのにシャンデリアに真っ当に潰されるのも変な話よね」

「そういえばさっきのジェーンさんとのやりとりでも、あの子は自分についてあんま語ろうとしなかったっすね」

「ただの水先案内人に細かい設定なんて不要だという考えで生み出されたのかもしれないわ」

「チュートリアルの妖精みたいなもんっすか。死ぬまでの時間も前に比べたら結構長かったっすよね」

「二分くらい伸びたわ。シャンデリアの落ちてくる時間に少年が合わせているのではなく、少年に合わせてシャンデリアが落ちてくる仕組みになっているみたいね」

 それこそデスゲームのギミックらしい話だなと思った。

「思ったよりも情報は得られなかったけれど、仕方ないわね。館内を回りましょう」

 言って、ジェーンはテイソに目を向ける。

「ほらテイソちゃん、行くわよ。ツキギメに土産話を持って帰ってやりましょう」

「……このツキさんの死は、おおむねあなたがたのせいだという自覚はおありですの?」

「ごめんなさい反省しているわ」

 涙目で睨まれて、しかしさすがに今回ばかりはテイソの怒りが完全に正しいので素直に謝った。

 ジェーンやテイソに前を歩かせるわけにはいかない。蓮は先陣を切ってエントランス奥へ進み、廊下の一番手前、右側の部屋の扉、銀色のドアノブを握った。

 ひとつ息を吐く。改めてデスゲームであることを意識すると、じわっと手に汗がにじんだ。

 扉に耳を当てる。じっと、物音を立てずに耳をそばだてるが、特別音が聞こえるようなことはなかった。

「開けますんで、離れててください」

「待ってください」

 蓮を止めたのはテイソだった。

「おそらくですが矢でも銃でもありません。床です」

「床?」

 言われて足元へ目をやる。

「絨毯に不自然に切れ目があるでしょう」

 テイソの指さす先をよくよく見て見ると、たしかに、蓮の周囲一メートル四方ほどの空間が切り取られていた。

「落とし穴かもしれません」

 その忠言に、思わず手をはなす。

「ドアノブ回したらここが落ちるってこと?」

「あるいは扉を開けたら、かもしれませんが」

「そのまた逆もあるかもしれないわね」

 顎に手をやって、ジェーンが口を挟んだ。

「蓮の立っていた場所だけが安置というパターンも考えられるわ」

「そんな最悪の二択クイズあります?」

「ちょうど間に足を置いておけば大丈夫かもしれないけれど、掴むところがない以上あまりしたくないわね」

「この部屋にこだわる必要はありません。一旦ほかの部屋にいきませんか」

 テイソの提案に従い、蓮たちは一つ隣の部屋へ向かった。

 細心の注意を払い、絨毯、壁、天井、向かいの壁などをじっくり確認。

 おそらく問題ないだろうと判断して、ゆっくり、慎重にドアノブを回した。

 いや、回そうとした。

「鍵かかってるっす」

 ガチャガチャとノブを左右に回すが、明らかに奥で引っかかっていた。

「どこかべつの部屋に鍵が置いてあったりするのでしょうか」

「ならこの部屋もスルーして、鍵の開いてる部屋探す?」

「それには及ばないわ」

 蓮の提案を遮って、ジェーンがピンを手にノブの前に立った。

 ほんの数秒だった。

「開いたわよ」

 なんてことないように言ってピンをしまった。

「やっぱ一周目のはわざとなんじゃ」

「違うわよ。脱出するところだけ頑丈に作られているなんて自然な話でしょう」

「そのわりに爆弾で破壊できたっすけど。まあいいっす。開けますよ。いちおう離れててください」

 手で二人を制して、蓮はノブを回した。

 耳をすませる。風切り音も、機械の音もしない。

 ぎぃ、とわずかにきしむ音を立てて、扉を開ける。

「……書庫っすね」

「書庫ね」

 足の間から覗きこむジェーンが同意する。

 外から身体を入れないで観察した範囲、十畳ほどの空間の壁面いっぱいに本棚が敷き詰められていた。

 異様なのはそのラインナップだった。ハードカバーの洋書とおぼしき厳かな本の並ぶ棚があったと思えば、その隣には蛍光色で彩られた背表紙が雑多に詰め込まれていたりした。

 蓮はポケットに入れておいたプロテインバーを取り出し、袋ごと部屋に投げ入れた。が、特別なにか作動するような様子もない。そのことにひとまず胸をなでおろす。

 もっともそれだけで安心と言えるわけもなく、慎重にゆっくりと敷居をまたぎ、上部と廊下側の壁面へ目をやった。

「……大丈夫っぽいっす」

 もう一歩踏み出し、そう告げて二人を呼び寄せた。

 テイソは慎重に、ジェーンは大胆に踏み入れ、三人が書庫の中に入った。

 床のプロテインバーを回収してひと口かじりつつ、ふと気づいた。

 エントランスから廊下にかけてはずっと絨毯だったが、部屋の中は大理石のような素材の、つるつるとした床だった。

「デスゲーム会場に書庫があるって変な感じっすね。こんな場所でスプラッタしたら本が汚れるじゃないっすか」

「安全地帯かもしれないけれど、そうメタ読みさせて容赦なく殺しにくるかもしれないからあまり意識しないほうが良いわね」

「餅川ってこの館に住んでたわけじゃないんすか?」

「ほかに家を持っていたし、おそらく違うんじゃないかしら。それこそここで寝泊まりしてトラップに引っかかって死んだとかなら面白いし、史実であってほしいところだけれど」

「じゃあここにまともな情報が眠っているとは考えにくそうっすね」

「ま、なにはともあれ確認してみないと始まらないわ」

 そう言って、ジェーンは本を手に取ることはせず、まず背表紙を観察し始めた。

 彼女にならってか、テイソが反対側から本棚を見始めたので、蓮は数瞬悩んで、ジェーンを手伝うことにした。

「あ、これはブラックジャック単行本未収録回が載ってる伝説のチャンピオン!」

「……ジェーンさん、探す気ないんすか」

「あるわよ。でもこの館の秘密より大きな宝物を手に入れてしまったもの。まずはこちらからよ」

 えぇ……とドン引きしながら、一旦放置してテイソのほうへ向かった。

 テイソはジェーンと違って真面目に取り組んでいた。

 目を皿のようにしてじっくりとひとつひとつ確認してゆく。蓮はそんな彼女の足元にしゃがみ、カメラを構えた。

 次の瞬間、ガキン! という無機質な機械音とともに、「ったぁ!!」カメラを持った手が床に叩きつけられた。

 一瞬、トラップが発動したのかとキョロキョロ見回す。が、それはトラップなどではなかった。

 冷ややかな黒い瞳で見下ろされていた。

「下僕さん、どうなさったんですか」

 それが問いかけでなく詰問であるということが、声の端からにじみ出ていた。

「……その、角度を変えてみたら新たにわかることもあるかなって」

「わたくしのスカートの中身は、餅川殺戮の役に立ちそうですか?」

 餅川はもう死んでるし多分ツキギメを殺したのはほかの誰かじゃないかな、なんてツッコミを入れる余裕もなく「いや、ほら、そうじゃなくて」としどろもどろに答える。

「本棚を撮影しようとして、でもテイソちゃんの邪魔をしちゃ悪いから」

「わたくしはひとりで大丈夫ですからエセ探偵とよろしくやっていてください」

「や、だから、」

「邪魔です」

「……はい」

 小さく答えて、すごすごとテイソのもとを離れた。

「あんたなにバレてんのよ」

 ブラックジャックを読み終えていたジェーンが呆れたように言った。

「こんな極限状態ならそこまで気が回らないかなって思ったんすけど」

「相手の力量をもっと推し量りなさい。あの子はお荷物抱えて怪盗やっているのよ。正直、単品での能力は私以上よ」

「マジすか」

「わたくしとツキは役割が違うだけです」

 不機嫌そうな声が飛んできた。

「てっきりテイソちゃんも俺みたいな雑用係なんだと思ってました」

「全然違うわよ。テイソちゃんがうちに来てくれれば、あんたは即釈放よ」

「テイソちゃんぜひうちに! アットホームな職場っすよ!」

「……」

 答えるのも面倒だと言わんばかりに、ぷいと視線をそらされた。

「それより蓮、このままではらちが明かないわ。どれでもいいから一冊取り出してみなさいな」

「カミソリ仕込まれてたりしないっすあね」

「これだけたくさんの本すべてに仕込んでいるとはさすがに考えにくいわよ」

「ほかの部屋から回ったほうがよくないですか?」

「どうせどの部屋もトラップまみれよ。逃げ場なんてないわ」

「んまぁそうなんでしょうけど」

 その理屈で押しとおせるほど簡単な性格はしていない。

 が、グダグダ言っていてもジリ貧なのも事実。腹をくくって端の本に手をかける。ええい南無三、と口にしてはトラップの音を聞き漏らす可能性があるから、ぐっとこらえて黙ったまま引いた。

 なにごともなかった。

 手に取ったソレに目をやる。背表紙と同じ赤い色の表紙に、しかし、本来あるべい題字や著者名などが一切書かれていなかった。

 表紙を、慎重にめくった。

 が、目次や題字、罫線といったものは一切なく、ただ真っ白な紙があるだけだった。

 めくる。白紙。

 めくる。白紙。

 ぱらぱらぱら。白紙白紙白紙。

「こんな高そうな自由帳があるんすねえ」

「なにか、読む手段があるのかもしれないわね」

「あー、なんかありましたね。炙るんでしたっけ」

「ブラックライトにあてたり、水につけたり、この手の手法は枚挙にいとまがないわよ」

「モンエナでも大丈夫ならやってみます?」

「そうね。どうせ駄目でもまだ山のようにあるものね」

 ジェーンは雑にそう言うと、モンエナをばしゃっとかけた。

「……変わらないっすね」

 待てど暮らせど変化がない。どうやら水に濡らすパターンではなかったらしい。

 それから二人で、ライターで炙ったり息を吹きかけてみたり、手で触って盛り上がりを確認したりしたが、まったく事態の進展する様子はなかった。

「これ、マジで白紙の本ってことっすか?」

「私も詳しくはないから、単に知らない手法で書かれているだけかもしれないけれどね。なにかが書かれているという思いこみは捨てたほうが良いかもしれないわ」

 そんな話をしていると、テイソがさっきの場所で、まじまじと本に目を落としていることに気が付いた。

「そっちはなにか書かれてたの?」

 尋ねると、びくっと身体を震わせたテイソが、本を閉じて棚に戻した。

「なにも役立ちそうなものはありませんでした」

「ブラックジャックのほうが良かった?」

 蓮の軽口に対し、しかしテイソは答えなかった。

 ジェーンが動いた。

 テイソの戻した本を手に取り、開く。

「……そういう話ね。たしかに、役立ちそうにはないわね」

「なにが書いてあるんすか」

「名前よ。参加者か、死者かはわからないけれど」

「俺たちの名前はあります?」

「……この本にはなさそうね。時系列で並んでいるなら最新刊を見つけられれば良さそうだわ」

「探してみますか」

 各々、適当に目星をつけた数冊を確認して、最新刊の特定にあたった。

「あったっす。最新刊」

「どう?」

「なんか、途中までは名前が書いてあるっす」

 言いながら該当ページをふたりに見せる。

「…………これは、名前かしら?」

「というにはすこし長すぎる気もしますね。なにかのメッセージでしょうか」

 彼女らの眉を顰める理由は、最後の十行ほどにあった。

 それまで日本語で書かれていたフルネームたちだが、最後の十行ほどだけ様相が異なった。

 強いて言うならばイスラム圏の文字に近いだろうか。ミミズののたくったような婉曲的な文章? が、十行ほど並んでいた。

「見たところ、この十行……十一行、すべて同じに見えるわね」

「って考えるとやっぱ名前っすかね。でもなんでこいつだけ十一個も書かれてるんすかね」

「………………この方が透明人間さんなのではないでしょうか」

「あー」

 思わず声を上げる。

「そっかこいつループしてんのか」

 が、その納得に「待ちなさいな」ジェーンが異を唱えた。

「これを仮に参加者の名前だとして、ループした回数分加算されるとして、どうして私たちの名前がないのよ。捜索依頼された三人のも」

「……死んだ回数かと思ったっすけど、ツキギメの名前もないっすね」

 それからその本を前に三人でうんうんと唸ったが、芳しい答えを見つけることはできなかった。

「この本持っていきます?」

「いえいいわ。荷物になるし、おそらく攻略に向けた情報ではないわ」

 それからもう十五分ほどの時間をかけてじっくり部屋の中を探し回ったが、それ以上の情報を得ることはできなかった。

 そろそろ次の部屋に行こうと書庫を出たところで、はたと足が止まった。

「こんな矢印ありましたっけ」

 蓮の問いかけへの返答はなかった。が、ふたりの表情を見れば、答えは明白だった。

 廊下の壁に、矢印が書かれていた。

 大きさは三十センチほどだろうか。まるでペンキで殴り書きしたような、赤く乱雑な矢印は、廊下の奥を指し示していた。

「……透明人間くんの誘導かデスゲームの一環なのかどっちっすかね」

「そうね。どちらにしても面白そうじゃない」

 喜色のにじんだ声が返ってくる。尋ねる相手を間違えた、と思いつつ、隣でテイソの顔色が悪いことに気が付いた。

「テイソちゃん、大丈夫? 一旦休む?」

「いえ。お気遣いなく」

 血の気の薄い顔で、しかし彼女はつんと蓮の手をはねのけた。

「テイソちゃん、無理しなくていいからね。疲れたら休んでいいんだよ」

「気を張っていないとスカートの中を覗かれてしまうので」

「はいすみませんでした」

 クロスカウンターに言い返す言葉もなく、すごすご引き下がるしかなかった。

「ジェーンさん」

 意気揚々と矢印の指示する先へ歩くジェーンへ、小声で話しかけた。

「テイソちゃん、なんか変じゃないすか?」

「具体的に」

「ツキギメが死んだあとはあんなに殺意にあふれてたのに、今はどちらかというとおびえてるように見えるんす」

「及第点」

「アリシャス」

 周囲への注意を怠らないよう気を張りつつ、意識的に軽く言った。

 蓮は、能力的な部分はともかく、年齢だけで言えばこの場で一番上なうえに、唯一の男である。そういう自意識から、いざというときに真っ先に動けるよう態勢を整えていた。

「テイソちゃんになにがあったんすか?」

「推測でしかないけれど、おそらく、あの本になにかを見たんでしょうね」

「ジェーンさんも読んだじゃないっすか同じやつ」

「同じページではないもの。それに、仮に全く同じページを見たとして、情報量が等しいとは限らないわ。彼女の知り合いの名前があったのかもしれないし、あるいは、本の外になにかを見たのかもしれない」

「よくわかんないんすけど」

「よくわからないのよ。彼女が話してくれないならどうしようもないわ。あんたがきちんとあの子の信頼を得られる行動をしていたら良かったのだけれどねえ」

「そういうジェーンさんだってエセ探偵とか呼ばれてるじゃないすか」

「うっ……」

 痛いところを突かれた、といった表情。

「どうして私あの子に嫌われているのかしら……」

「ジェーンさん他人の評価気にしないタイプだと思ってたんすけど、嫌われてへこんでんのちょっと意外っす」

「どうでもいい奴からはどう思われても構わないわよ。でもテイソちゃんは可愛いし有能だし、仲良くなりたいのよ」

「その感情を俺にも一ミリくらい向けてほしいんすけど」

「カメムシよりは上の存在として認識しているわよ」

「それ一ミリあるっすか?」

 そんな話をしながら矢印をみっつほどとおりすぎると、

「これ絶対罠っすよ」

 一番奥右側の扉に、でかでかと丸が書かれているのを発見した。

 中をうかがうことができない程度に、半開きだった。

「こんな禍々しい丸があるんすね」

「いいじゃない。虎穴にいらずんばよ」

「虎児いたらいいんすけど」

 ワクワクと胸の前で手のひらを握るジェーンに、あきらめ気味に言った。

 蓮は例によって周囲をきょろきょろと見回し、安全確認を済ませてからノブを手に取った。

 誘いこまれている。本能の部分が警鐘を鳴らす。

 だがうしろで腕を組んでいる合法ロリが入りたがっている以上、引くという選択肢はない。ここで引いたところで彼女は間違いなく勝手に開ける。ならばせめて一番危険な役どころは自分がこなさなければならない。

 意味がないとわかりつつノブを回し、ゆっくりと引いた。

 冷や汗と連動して、ぎいぃ、と扉が開き部屋の中が見えてきた。

 埃っぽい。においがしないくせに、不思議とそう感じた。

 この洋館にきて初めての感覚だった。

 この館は、主を失ったわりに埃っぽさがなく清潔感が保たれていた。

 だからこそ、この部屋をひと目見た瞬間の違和感は強烈だった。

 まるで、高級ホテルの廊下を歩いていたらスタッフルームの扉が半開きになっていて、段ボールの乱雑に積まれている様子を覗きこんでしまったみたいな。そんな夢から覚めたような感覚だった。

「物置なんてあるんすね」

「普通の洋館なら当たり前にあるのだろうけれど、デスゲーム会場に用意するのは趣向がこらしてあって面白いわね」

 どうやらお気に召したらしい。相変わらずこの人の嗜好はわからないな、と思いつつ蓮は部屋に踏みこんだ。

「あだっ!」

 踏みこめなかった。顔面と膝といろいろな部位が入室を阻まれた。

「ってえ……ガラス?」

 手を伸ばすと、透明で硬質な壁が部屋の中への侵入を阻んでいた。

 思わず困惑の声が漏れた。

「なんだこれ。どういうことなんだ」

「よっぽどここが大事な部屋みたいね。なにか入るためのギミックがあるのかしら」

 キョロキョロと周囲を見回す。が、それらしいものは見当たらない。

「力ずくでいきます?」

「そうね。テイソちゃん、なにか役に立ちそうなものを持っていない?」

「え、はい。材質によってはなんとかなるかと」

 微妙に噛み合わない、上の空な答えだった。

 大丈夫だろうか。そんな蓮の心配をよそに、テイソは透明の壁を数度ノックした。

「おそらく強化ガラスでしょう。このタイプのものは点の衝撃に弱いのでアイスピックを打つのが一番早いですね。音も比較的小さくて済みますし」

 鞄からアイスピックとトンカチを取り出しながら説明する。てきぱきと構え、カーン! と躊躇なく打ちこんだ。

 鼓膜に響く音を数度立てていると、次第に白く粉ふき始めた。

 がぎっ、と鈍い音とともに、トンカチの音が止む。穴が開いたらしい。

 同時。風船の口を開けたときにも似た風のとおり抜ける音が響き始めた。

「下がって! 閉めます!」

 血相を変えたテイソの鋭利な声。

 反射的に退いて身をかがめるジェーン。蓮はたたら踏みながら尋ねた。

「どうしたの?」

「毒ガスです! 鼻ふさいで!」

 返答を待たず、テイソは扉を力いっぱい閉めた。

 瞬間。

「あぶない!」

 蓮は絨毯を蹴った。

 扉を閉めた音に反応したのか、あるいは扉を完全に閉めることそのものがトリガーだったのか。テイソの頭上、一畳ほどのコンクリートが天井から切り離され、柱を立てるように彼女を押しつぶさんと迫っていた。

 突き飛ばせばギリギリ間に合うか。そんなことを考える余裕もなく、身体の動くままにテイソへ突進した。救わねばならぬ。ただそれだけの使命感でもって、その後自分がどうなるかを想像することなく、ほんの数歩を全力で駆ける。

 ギリギリだった。

 困惑の表情を浮かべるテイソをヘッドスライディングの要領で突き飛ばした。

 直後、蓮は頭から尻のあたりまで丸ごと押しつぶされ、ぺちゃんこになった。

 はずだった。

「んお!?」

 絨毯に伏しかけた蓮を、ジェーンが突き飛ばしていた。

 反射的に振り向く。

「っ!」

 これまで見たことのない形相のジェーンがいた。

 焦燥か怒りか。鬼気迫る顔とはこのことなのだろう。

 普段のすました表情からは想像もつかない激情をたたえて、その非力な腕で蓮を突き飛ばしていた。

 だが、不幸にも彼女の肉体は、実年齢を周回遅れで追いかける小学生体形。成人男性を畳一枚分押し出す力などあるはずもなく、頭から尻が潰れる予定だったところを、胸から膝くらいまでずらしたに過ぎなかった。

 蓮の瞳に最後に写し出されたのは、柳眉を逆立ててこちらを睨みつけるジェーンの頭が圧し潰される景色だった。

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