第4話
気がつくと、見覚えのあるエントランスにいた。
「ツキさん。先ほどなにがあったのか記憶にありますか」
「わりとすぐに死んだような気がするのだけれど、ボクなにかトラップ踏んだ?」
「トラップといいますか地雷といいますか。悪いのはあのふたりなので、あまり気にしなくて良いです」
あのふたり、と指さした先では、
「あいた! いたいっす!」
蓮のふくらはぎをジェーンが無言で何度も蹴りつけていた。
「よくいらっしゃいました」
ショタがいつもどおり現れて、誰も聞く気のないルール説明を始める。
三周目と違ってスムーズに段取りが進み、少年が予定調和にシャンデリアに潰される。ツキギメは相変わらず拳を握りしめてまっすぐに器だったものを見つめているが、ほかの三人は既に無関心の域に達していた。
「さて。今回はどうしようかしらね」
「ジェーンさん今更冷静なフリしても手遅れっすよ」
「うっさいわねあんたは黙って私に従っていればいいのよ」
「いやあ、まさかジェーンさんがあんなに俺のことを大切に思っ足が! 足の骨が陥没する!」
ブーツのかかとで蓮の足を勢いよく踏みつけた。
「勘違いするなって言ったわよね。部下が上司である私を放って商売敵に命張ってるのが気に入らないだけよ」
「わかったっす! だから貫通する前に離して!」
笑みを深めてグリグリとかかとを押し付けるジェーンに、蓮が必死に謝罪を繰り返した。
「さて。基本方針は三周目と同じで良いかしら」
やり直すジェーンの言葉。
残された三人は「それでいいっす」「ほかに手もありませんものね」「よくわからないけれど君たちが賛成するならボクも従うとしよう」とそれぞれ賛成した。
「じゃあ早速行くっすか」
蓮が率先して歩き始め、一番手前、左側の扉に手をかけた。
瞬間。
ゴン、と訊き馴染みのある打撃音がエントランスのほうから響いた。
「……どうします? これ多分止められてるんすよね」
数秒間の沈黙を挟んで蓮が尋ねる。
「さっきみたいに開けた時に作動するトラップがあるのかもしれないわね」
「爆破しますか」
「どっちをよ」
「扉に決まってるじゃないっすか」
「あんたの場合決まっていないのよ」
「この際考えてもしゃーないっす。どうせタイムリープできるんすからやってみましょ。俺が死んだら骨だけ拾ってください」
蓮は軽い調子で言うと、止める間もなく扉を開けた。
半開き状態で中を覗きこみ、次の瞬間、
「っっっ!!」
顔を真っ青にして勢いよく扉を閉めた。
「どうしたのよ」
「いえ、……なにもないっす。次の部屋行きましょう」
「そんな血の気の薄い言葉を信じると思う?」
そう言って、ジェーンが強引に扉を開けた。
幻想的と言うには少々禍々しい、青を基調とした光の粒が四人を出迎えた。
よく見るとそのイルミネーションの源は、植物なのか動物なのかわからない、あえて知っているもので表現するなら人間大ほどの触手だった。
先端から徐々に視線を床へ滑らせ、そこに至ってジェーンは蓮が隠そうとしたものを理解した。
「……依頼完遂っすね」
依頼者から渡された、捜索対象者のうちのふたりの全身から、ソレらは生えていた。
「げえぇっ」
べしゃりと音を立てて、うしろから覗きこんでいた怪盗が吐いた。
無理もない。そう思いつつ幼女ふたりに目を向ける。
助手は平気な様子で怪盗の背中をさすっており、またジェーンは顔をしかめつつも特別血色を悪くする様子はなかった。
「まだあとひとり残っているわ」
じっと中を見つめるジェーンの淡々とした声。
「……ジェーンさん、さすがっす」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
クールに返す名探偵から視線をそらし、改めて部屋の中を観察する。
結構広い部屋に見えた。書庫や毒ガスの部屋と比べて、ゆうに三倍から四倍くらいあるだろうか。ちょっとしたホームパーティくらいなら開けそうだ。
この部屋は扉が大きいし、もしかすると部屋の大きさと扉の大きさが比例していたりするのだろうか、とそんな思考がちらりとよぎる。
広い空間の中心部分。オセロでいうと真ん中の16マス程度の空間。まるで切り取ったかのように妖しく輝く触手たちがひしめき合っていた。
うねうねと動く未確認生命体の多くは石の床に直に刺さっているらしく見えた。それでも倒れたりしないのは、見えない部分で石を砕き分け入っているのか、あるいは石に吸着することができるのか。
それにしても、こうしてまじまじと観察しているとやはり相当にグロテスクな光景だ。喉奥からせり上がってくるものを感じずにはいられない。
一応、他の虫に卵を植え付けたり、キノコが栄養を吸い上げたりといった映像は何度か見たことがある。が、人間の全身から得体のしれない物体が生え、その先端で青く怪しい輝きを放っている光景は、一段も二段も格が違っていた。
猟奇的と呼ぶべきか、あるいは冒涜的と言うべきか。正しい表現が見つからないまま凝視する。
「私は中を探索してくるから、あんたはそこで待っていなさい」
「……ジェーンさんが行くなら俺も行くっす。トラップあるかもですし」
「殊勝な心がけね」
「そんな献身的な部下に特別ボーナスを」
「なにか手柄を上げたら考えてあげるわ」
「うす」
軽い話でむりやり心を奮い立たせ、おそるおそる部屋の中へ足を踏み入れる。
「……」
植物とも動物ともつかないソレはうねうねというかくねくねというか、妙な動きを繰り返すのみで、こちらに反応を示す様子は見られなかった。
と、ほんのわずか警戒心に隙間が生じた瞬間、
「!?」
強烈な破裂音がとなりから響いた。
ジェーンが手を合わせたまま、真剣な顔で目玉だけをきょろきょろと動かしていた。
「ビビらせないでくださいよ」
「音に反応するわけではなさそうね」
蓮の苦情を無視して独り言のように話す。
このモードに入ったジェーンは、こちらの言葉が耳に入らない。経験上そう理解している蓮は改めて五感を研ぎ澄ませた。
観察するようにじっと未知の物体を見つめながら、しかしあくまで近づかないように歩く。
蓮の警戒が功を奏したのか、あるいは徒労に終わったのか、特になにかが起こることもなく部屋を一周することができた。
「ジェーンさん、もう少しいざというときのことを考えてくださいよ」
モンエナを流しこむ上司へしかめっ面で文句を垂れる。
「私になにかあったらあんたが守ってくれるんでしょ」
「俺のこと信用してくれるのはありがたいっすけど、現実問題守れるかは別っすよ」
「それより気づいた?」
未だ不満げな蓮へ、ジェーンが目を光らせて尋ねる。
「おそらく食料よ」
「そんなんあったっすか?」
「あのウネウネしたキモいやつがよ」
「は?」
思わず間抜け面を晒しながら、青い輝きへ目を戻す。
アメリカ産のカラフルでとても食用とは思えない加工食品を食べたことは数度ある。その時は脳が目の前の物体を食べ物と認識しないためバグりそうになった記憶がある。
が、眼前のソレは、明らかにアメリカの食文化の数歩未来を行っていた。
「あれ食えるんすか?」
「おそらくね」
なぜそんなことがわかるのか。そう思いながら触手たちを観察していると、彼女が指を差して言った。
「あれらの根元のほうに破片が落ちていたのよ。まるで食べ残しを肥料にするように」
「そんなのいくらでも可能性考えれません? 種だとか、まだ子供の個体だとか」
「上のほうを見てみなさい。かじられたあとがあるわ」
言われて目を向けると、なるほど、人間のものとも獣のものとも違うが、切り取ったとも思えない、不自然な切れ端が目についた。
「それに、野生のものだとしたらこんな不自然に空間を切り取ったような配置はされていないはずよ。畑や田んぼのように、養殖されていると考えるのが自然よ」
「つっても、こんなの誰が食べるんすか。腹壊すじゃすまないっすよ多分」
「見た目ではわからないわよ。ウニやナマコだって事前知識がなければ食べられるとはとても思えないもの。私たちの知識の外にある食用の生物が存在してもおかしくはないわ」
そう言いながらジェーンはナイフを手に触手を切り落とした。
「ほら食べてみなさいよ」
「絶対ヤですよジェーンさんが食ったらいいんじゃないっすか」
「いいわよ」
「えっ」
止める間もなく、手のひらの上で未だうねうね動く触手にかぶりついた。
もぐもぐと咀嚼しつつ、
「……………………」
だんだんと顔色が悪くしていった。
「吐き出していいんすよ」
「…………」
青ざめた顔でふるふると首をふる。
「なに意地張ってんすかどうせ肥料になるんすからそのへん吐き捨てりゃいいんすよ」
呆れたように言うと、ごくん、と嚥下する音が聞こえた。
「……マジすか」
「ほ、ほら、食べられるって言ったじゃおろろろろろろろろ」
ドヤ顔から一転、耐え切れず盛大に青いゲロを吐いた。
吐瀉物が蓮の足元にもろにぶちかかった。
「ジェーンさんこの靴高かったんすよ弁償してもらいますからね」
「あんた……もうすこし、かけるべき言葉があるでしょ」
「見えてる地雷踏んでゲロ吐いてる奴は罵倒していいでしょ。ほら魔剤飲みます?」
「もらうわ……」
ヨロヨロと受け取り、死にそうになりながら飲む。
「ああ~~~~~~~カフェインの味~~~~~~~~~~!!」
「そんで、結局あれはなんだったんすか」
「食べ物よ」
「まだ言うんすか」
呆れる蓮に、ジェーンはしかしハッキリと言った。
「たしかに頭狂いそうなほどにまずかったし、間違いなく人間の食べられる物ではないわ。だから、おそらく人外の食糧ね。たとえば透明人間くんとか」
「……あのぬりかべが透明人間くんならたしかにこんなん食うかもっすけど、でもやっぱ根拠薄いっすよ」
「最終的には第六感ね。根拠が薄いのは否定しないけれど、直感を信じられなくなったら探偵は終わりよ」
「……まあ、ジェーンさんがそこまで言うならたぶんそうなんでしょうね」
「納得してくれたなら良いわ。ここからが本題よ」
「まだなんかあるんすか」
「なぜこんなに大量に食料があるのか、よ」
「たくさん食うからじゃないんすか? さっきの写真の感じ身体大きそうですし」
「それもあるでしょうね。けれどおそらくそれだけではないわ」
首をかしげる蓮に、淡白に言った。
「期間よ。地に根を張って栽培しているんだもの。相当長期戦を覚悟していると見たわ。透明人間くんはこのデスゲームの参加者だと言っていたわね。ひとりではクリアできず、誰かほかの参加者が来るのを待っていたんじゃないかしら」
「いやいやいや、飛躍が過ぎますよ。あれが根っこ生やしてるかもわからんですし、想像に想像重ねたって説得力ないっすよ」
手を振って否定する。
「それに、透明人間くんが運営側って線もまだあるでしょ」
「可能性としてはあるけれど、私は薄いと見ているわ。餅川側だとするなら一周目や二周目の挙動がおかしいのよ」
「ちゃんとした手段で脱出しろって話じゃないんすか?」
「そういうタイプではないわ。餅川は。むしろイレギュラーに愉悦を覚え、あんたみたいなルーニープレイヤーを歓迎するタチよ」
「餅川に詳しすぎません? ていうか運営側だからって同じ考え方とは限らないってジェーンさんが言ったんじゃないっすか」
「そうだったかしら。だとしても餅川だって後継者はきちんと選ぶでしょう」
そう言って、ジェーンは肩をすくめた。
「ま、けれど蓮の言うとおり、どこまで行っても仮説なのはそうね」
ジェーンは両手を肩のあたりで広げてそう言うと、話は終わりとばかりに部屋の外へ向かった。
「テイソちゃん、そいつ動けそう?」
「ええ。なんとかなりそうですわ。それより、次の候補がないのでしたら書庫へ行きませんか?」
「良いと思うわ」
蓮としても特に否定する材料はなく、首肯した。
ツキギメも同様だったようで、書庫へ向かうことが決定した。
書庫へたどり着くと、テイソが無造作に扉に手をかけた。
「待って待って危ない」
慌てて止める。
が、彼女は躊躇せずドアノブを回し、扉を引いた。
「トラップはなかったで――」
声が途切れた。
部屋の中から飛んできたらしい矢がテイソの頭を貫いていた。
「テイソくん!!!」
「テイソちゃん!!」
天井まで飛び散る赤い液体。
ツキギメの手も蓮の腕も間に合わず、エネルギーを噴出しきった身体が崩れ落ちた。
開いた瞳孔が鮮血に埋もれ、上からどろりと血が溢れる。数度身体を痙攣させ、やがて事切れた。
「テイソくん! テイソくん! 返事をしたまえ!」
抱きかかえたツキギメが何度も呼びかける。まるで名前を呼べばよみがえるとでも思っているかのように。
屋敷中に響き渡るその声は、叫びか嘆きか。
なにも言えず立ち尽くす蓮の前で跪き、ただただ喪失を嘆く。
どれほどそうしていただろう。
次第に声は弱々しく変化し、やがてツキギメはテイソを膝に乗せたまま項垂れた。
そんなツキギメから視線をそらして、ジェーンはゆるりと部屋へ侵入した。
「……ジェーンさん、こんなトラップなかったっすよね」
「そうね。私たちはタイムリープすると知って、無意識的にゲームのギミックが同じであると思いこんでしまっていたわ。あるいは一番最初のあの少年の死にかたが同じだったというのがミスリードだったのかもしれないわね」
「同じだと思いこませて、油断させたところを刈り取ろうっていう魂胆ですか」
「私たちは生きていればタイムリープしても記憶を引き継げるわよね。もしデスゲームを仕掛ける側も記憶を引き継げるのだとしたら、ギミックを変化させて殺しに来るのが一番やりそうな手じゃない?」
「やっぱ性格悪いっすわ」
「この部屋にはまだなにかトラップがあると考えて良さそうね」
「どうするんすか。一旦飛ばします?」
「まさか。こんな面白そうな部屋を抜かすわけがないわ」
「死の恐怖とかないんすか」
「蓮も大概でしょうに。それよりテイソちゃんが確認したかったの、おそらくこれよね」
見覚えのある本を手に取ってジェーンが言う。
幸いなことに本にはトラップが仕掛けられていないようだった。
本の中身は案の定、謎の文字列がひとつ増えていた。
「十二行になってるっすね」
「メッセージというよりは透明人間くんの名前と考えたほうが良いかもしれないわね」
「でも結局、なんで俺たちの名前はないんすかね」
「さあ……。どうしてかしら」
わずかに考え込むようにして、ジェーンは首を振った。
「考えても仕方ないわ。書庫といえば情報の宝庫だし、もう少し漁ってみましょう。あんたは奥のほう調べなさい」
「デスゲームの館で分担作業とか自殺行為じゃないっすか? 時間制限ないんすから一つずつ丁寧にいきましょうよ」
「時間制限ならあるわよ。モンエナが尽きるわ」
「モンエナで生きていけるのジェーンさんだけなんすよ。そういえばショタっ子食堂があるって言ってましたし、あとで寄っていきません?」
「蓮にはプロテインバーがあるでしょう」
ジェーンはそう言うと、手近な本を手に取りぱらぱらとめくり始めた。
蓮としてはあまりジェーンの提案を正着だと思えなかったが、こうして自分の世界にこもられてしまうとどうしようもなかった。
仕方ないので、彼女の指示どおりに奥のほうへ向かい、目についた書物を手に取った。
「…………………………」
ぱらぱらとめくり、手が止まった。
異国の言語で書かれた本だった。
パッと見英語っぽいのだが、ところどころ見たことのない文字が使われていて、それがなんの言語なのかがさっぱりわからなかった。
当然、読めるわけがない。
中身なんてわかるわけがない。
なのに。
なぜか蓮は、恐怖と怯えの宿った瞳でかぶりつくように凝視していた。
その読めない文字列はゴキブリのようにうごめき、どうしようもないほどの嫌悪感でもって蓮の精神を蝕んだ。
これは見てはいけないものだ。本を閉じろ。
本能が警鐘を鳴らす。
なのに、またべつの本能が叫んでいた。
続きを。続きを。もっと。もっと読ませろ。
ふたつに分かたれた心。本能。
どれほどの間戦っていただろうか。
何時間も呆けていたような気もするし、ほんの数秒だったと言われても納得してしまいそうだ。
これ以上潜ったら帰ってこれない。底なし沼に片足を突っこんだような恐怖心が、好奇心をかろうじて打ち破った。
本を閉じ、ちらりとジェーンのほうを振り向く。
「……………………ジェーンさん、なにしてるんすか」
彼女は本の背表紙に指一本触れた状態で、じっと目をつむっていた。まるで本からなにかエネルギーでも得ているかのように。
蓮の問いかけに、答えは返ってこなかった。
突っ立ったまま、眉間にしわを寄せ目を伏せ、人差し指で緑の背表紙をなぞる。
ぽわり、と、一瞬光ったような気がした。本から指へ、なにかが流れてゆくような錯覚。
「ジェーンさん……?」
蓮の声が宙に浮いたまま、居心地悪そうにおろおろと彼女を見つめる。
何秒ほど経っただろうか。祈るような姿勢で本と向き合っていたジェーンが、灰色の瞳を見せた。
ばっちり視線が合った。
「…………」
「…………」
「…………なにか情報あった?」
「あ、いえ、読めなくて。ジェーンさんは、その、なにしてたんすか?」
「すこし眩暈がしただけよ」
「なんか指先光ってましたけど……」
「なに言っているのよ」
「なんか、本からジェーンさんに流れてましたけど」
気がする、程度の感覚だったが、確信を持っているかのようにカマかけしてみた。
「はあ~~~~。仕方ないわね。言うわよ言えばいいんでしょう」
カマに獲物が引っかかった。
ジェーンは深いため息とともに投げやりに話した。
「私は、本にふれることで直接情報を吸収することができるのよ」
「中を見てなくてもすか?」
「そうよ」
「……さすがに冗談としか思えないんすけど、その辺は置いておいて、ひとつ。なんで隠してたんすか」
「そういう反応になるからよ」
「……それはそうっすね」
納得したようないまいち飲み込み切れていないような、複雑な顔で言う。
「ま、まあいいっす。俺の読んだ本ってどれもよくわからん国の言葉で書かれててなんもわからんかったんすけど、ジェーンさんのは日本語でした?」
「この力を使うと言語ではなく本質が脳に叩きこまれるから、何語で書かれているかはわからないのよ」
「そんな便利な能力があるんすねえ羨ましい」
「もっとも、そのせいでわかったらいけないこともわかったりするのだけれどね」
「…………その本に書いてあったこと、聞かないほうがいいやつっすか?」
「問題ないわ。この館について書かれていたものだもの」
「館内図とかありました?」
「ご明察。あんたも勘が働くようになってきたじゃない」
「そりゃあ勘が鋭くなきゃ盗撮なんてやってらんないっすよ」
「私の感心を返して欲しいわ」
呆れたように言って、ジェーンがぱらぱらとめくった。該当のページをすぐに開き当て、蓮に見せてきた。
「日本語っすね。たすかる」
館の成り立ち、設計図などが書かれた本だった。
最重要項目と思われる館内図に関しては、一ページ丸々使って地下一階から二階までの図を描き、右側にそれぞれの部屋になにがあるのかの情報が記載されていた。
実際の洋館らしさを演出するためか、応接間やトイレ、キッチン、食堂、風呂、子供部屋、使用人室、物置などが一階にあり、二階はパーティルームがふたつとなっていた。地下はワインセラーひと部屋のみで、奥の物置部屋から行くことができる。
「奥の倉庫、地下に繋がっていたのね」
「つってもあそこ入れないっすよね。それより鍵っすよ。食堂にあるみたいですしそっち行きましょ」
蓮の提案に、しかしジェーンはぱらぱらと本をめくって言った。
「よく考えなさい。食堂の鍵を手に入れて出口の扉を開けてクリアなんて、そんな単純な構造のはずがないじゃない。お腹が空いたから食堂に行って、たまたま鍵を見つけたらクリアしただなんて興ざめも良いところだわ」
「けど行ってみないことには情報も得られないじゃないすか。あとふつうになんか食いたいっす」
「モンエナで我慢なさい」
「…………ジェーンさんがモンエナを俺に……………………!?」
「私だってたまには下僕に施すことくらいあるわよ」
目をまん丸くして驚愕する蓮に、ジェーンは憮然とした表情で早口に言った。
「それより私はやっぱり地下室が気になるわね」
「気になるったってあんなの無理ゲーじゃないすか」
「あのトラップは急激に扉を閉めたから作動したのよ。毒ガスが噴き出るといっても、館全体に広がるほどの質量が詰め込まれているとは思えないわ。二階の奥に大きな換気口も開いているし、噴き出させておけば良いのよ。少年も全員死ぬようなトラップはないって言っていたし。それに、そもそも今回も同じトラップが用意されているとは限らないわ。さっきのテイソちゃんの例とは逆で、今回はなにも仕掛けられていない可能性だって考えられるわよ」
「それはそうっすけど、希望的観測が過ぎません? ジェーンさんらしくないっすよ」
「あんたに私を推し量られたくはないわね。食堂に行くにしても、一度物置の扉を破壊してガス抜きを始めてからのほうが効率いいわ」
「……それはまあたしかにそうっすね」
なんとなく釈然としないものを感じつつ、コスパ面を考えるとそのとおりだったので消極的に同意した。
ジェーンは涼しい顔で「決まりね」と言うと、いまだ項垂れるツキギメに声をかけた。
「ほら、ツキギメも立ちなさい。どうせタイムリープしたら生き返るんだから、土産話を用意してあげたほうがいいでしょう」
「ジェーンくん……そうだね。いつまでもメソメソしていてはテイソくんに怒られてしまう」
かなりデリカシーのない発言だったが、ツキギメは怒る様子もなく、力なく同意した。
彼女の亡骸をそっと床におき、ポケットからしわくちゃのハンカチを取り出して顔に被せる。
「よし」
一瞬目を伏せて、二度、三度深呼吸。頬をぺちぺちと叩き、数度顔を横に振って、
「さあ、行こうか」
揺れ動く金髪が静まる頃、平常どおりの顔を作って言った。
三人で廊下の最奥、因縁の部屋へたどり着く。
三周目と同様半開きの扉を前に、ツキギメが作り物の明るい声で尋ねてきた。
「ここにはなにがあるんだい?」
「ワインセラーっすね」
「ほう。それは聞き捨てならないね。ボクはワインには目がないんだ」
「へえ。なんか、初めて怪盗っぽい発言聞いた気がするっす」
「もともと高級ワインを盗むために怪盗になったからね」
「やっぱただの泥棒じゃないっすか」
どこまでも怪盗感のないツキギメに、呆れるしかなかった。
「俺とジェーンさんはさっきここで死んだんで、気を付けたほうがいいっすよ」
そんな話をしながら周囲を確認する。特に扉上部は念入りに注視する。が、切れ目のようなものは見当たらない。果たして本当に落ちてくるのか、と疑問が湧いてきた。
「開けるっすよ」
率先してドアノブを握り、ゆっくりと引く。
ドアの向こうは先と同様の光景が広がっていた。
「やっぱガラスもあるっすね」
手でぺたぺたとふれる。
「アイスピック貸してください」
ツキギメから穴を開ける道具を借り、蓮がカンカン大きな音を立てながらガラスに突き立てた。
念のためジェーンとツキギメは少し離れた場所からその様子を眺める。少しずつピックが深く刺さり、やがて音の質が鈍く変わった。
「穴空いたっす。引き抜くんで、逃げる準備しとってください」
無言で首肯するジェーンたちにひとつ目配せし、引き抜いた。
しゅううう、と空気の漏れる音が響く。
全員でダッシュで逃げる。食堂の扉を開け、ぱっと入る。入ろうとした。
「ッッッ!!」
ジェーンの立っていた床が消えた。
落とし穴だった。
支えを失った身体が重力に従って落ちる。思考をする間もないコンマ数秒のうちに、下で待ち構えていた鋭利な無数の悪意が彼女の全身に突き刺さった。
「ジェーンさん!!」
乗り出した蓮が必死に手を伸ばす。
が、力を失ったジェーンの手のひらに届くことはなかった。
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