第5話

 気がつくと蓮は、見覚えのある食糧庫(仮)にいた。

「…………タイミングちがくないすか?」

 足元で、というか蓮の足にゲーゲーとゲロ吐いているジェーンへ尋ねる。

 目の前に存在する、幻想的と言うには少々禍々しい光の粒。巨大な触手は部屋の中央を切り取るように鎮座し、その先端をうねうねと動かす。捜索依頼を出されていた三人のうちのふたりを苗床にしたそれは、先端で青く妖しい輝きを放ち、まさにグロテスクと呼ぶにふさわしい光景を蓮たちの瞳の前にさらしている。

 だがそれも二度目。触手への嫌悪感よりも、エントランスではなくこの地点にリスポーンしたことへの困惑のほうが強かった。

「…………モンエナがほしいわ」

 蓮の問いかけに、ジェーンは血の気の薄い顔で主食を要求した。

 無言で渡す。

「ああ~~~、生き返るわあ~~~~」

 一口飲んだ彼女が風呂に入った時みたいな声を上げた。

「……ジェーンさん元気になりました?」

「ええ、全快よ。やっぱりモンエナは偉大ね。モンエナがいかに優れた飲み物かで一本論文が書けるわ」

「それはなによりっすけど、本題に戻りません?」

「ええ」

 ジェーンは神妙な顔を取り戻して周囲を見回した。

「どこまで覚えてるっすか」

「食堂入ろうとしてトラップに引っかかって死んだわね。そのあとはどうだった?」

「それが、俺もそこまでなんすよ」

「? あんたトラップ引っかかってた?」

「いえ。けどジェーンさんが落とし穴にハマって五秒か十秒くらいでここに帰ってきたっす」

「……どういうことよ」

「俺が聞きたいっす。しかもいつものエントランスじゃなくて、よりによってこのタイミングって」

 言いながら入口付近を振り返る。ゲロを吐いていたはずのツキギメが目を真ん丸くしてテイソとこちらを交互に見つめていた。

 一旦入口へ向かい、四人合流した。

「……わたくし、書庫の入口までしか記憶がないのですけれど、もしかしてあそこで死にましたの?」

「ええ。綺麗に撃ち抜かれていたわ」

「………………そういうことですの。うかつでしたわ」

 テイソが苦し気に言う。

 タイムリープするとトラップの設置個所が変わる。その事実に今のやりとりだけで気づいたらしい。さすがツキギメを支えるだけあると思わずうなる。

「あれは誰にも予想つかないわ。それよりツキギメ、あんたはどこまで記憶にある?」

「ボクは、ジェーンくんがトラップに引っかかったあたりまでだねえ。なぜかここに戻ってきていたよ」

「なるほど蓮と同じね。一旦整理しましょう。不可解な点は二点。タイムリープしたタイミングと、リスポーン地点ね」

「前者に関してはそんな気にしてもしゃーないんじゃないすか? 一周目だって二周目だってよくわからんタイミングでしたし」

「そうね。そう考えるとどうしてこのタイミングでリスタート切ることになったかのほうが重要に見えるわね」

「それこそ透明人間さんに訊いてみないとわからないですわよ」

 すました顔でテイソが言うと、中空に向かって尋ねた。

「リスポーン地点をこの場所にしたのはあなたですの?」

 が、五秒十秒と待っても一向に答えの帰ってくる様子はない。

「席を外してるとかっすかね」

「あるいはなにか返事をできない理由があるのかも。ま、考えても仕方ないわ。例によって今後の方針を決めるわよ」

 ジェーンの音頭に、蓮が真っ先に手を上げて発言した。

「俺はやっぱ食堂行きたいっす。外に出るための鍵があるなら行くべきっすよ」

「ボクは是非地下室に行きたいね。あれほど厳重な警備を敷かれたワインセラーならきっとボクの舌をうならせるものもあるはずさ」

「地下室?」

 ツキギメの案に、テイソが首をかしげる。

「ああ、テイソくん。一番奥の毒ガスの部屋だが、あそこから地下のワインセラーに繋がる階段があるそうなんだ。ここは怪盗の美学にかけて是非手に入れなければと思ってね」

「なーにが美学っすかただの食欲でしょ」

 ツキギメの熱弁と蓮の冷たい目に挟まれたテイソは、まったく悩むそぶりも見せずに「美学でしたら仕方ありません。ワインを盗みに行きましょう」ツキギメ側についた。

「…………ジェーンさんは」

「もちろん地下に行くわよ」

「デスヨネー」

 死んだ目で民主主義の愚かさを嘆くしかなかった。

 あるいは一周目のように力ずくでと考えないでもないのだが、あの時と違い今はツキギメがいる。幼女ふたりなら強引に抱えて突破できなくもないが、成人男性ひとりが相手に加わるとなると、さすがに現実的ではない。

「さっきは準備なしに穴を開けたせいでトラップに引っかかったのよ。きちんと逃げ道を確保して、そのうえで開ければ問題ないわ」

「っていっても周回ごとにトラップの位置が違うんすから、どうしようもないでしょ。どの部屋に逃げるっていうんすか」

「この部屋があるじゃない」

 至極当然であるかのような指摘に言葉に詰まる。このグロテスク空間にはできる限りいたくないのだが、ジェーンはまったく気にしていないらしい。

「いい? この部屋は食糧庫よ。ということはおそらくここがこの館唯一の安全地帯なのよ。そうでなければこんな真っ当に栽培なんてできるはずがないでしょう」

「そういうもんっすかねえ。そもそもなんでこの館に安全地帯があるってわかるんすか」

「勘よ」

「ジェーンさん困ったら全部勘で切り抜けようとしてないっすか?」

「羽生善治も直感の八割は正解と言っているわ」

「ポケモンだとかなり信用できない値っすけど」

「あーもーうっさいわね。とにかく作戦はさっきと同様、物置部屋のガラスに穴を開けて、この部屋に逃げこむ。毒ガスがじゅうぶんに拡散するまで待ってから突入よ」

「問題ないレベルかどうかどうやって判断するんすか」

「私ならできるわ」

 ジェーンがキッパリと言う。

「四周目見せたでしょう。私は指先からその向こうの情報を読むことができる」

「あれってそんな汎用性高いんすか。てっきり本限定かと思ってたっす」

「なになになんの話だい?」

「企業秘密よ。商売敵に教えることはなにもないわ」

 食いついてくるツキギメを冷たくあしらって、ジェーンは廊下の奥へ目を向けた。

「さあ行きましょう。この館の真実を突き止めて、ついでにワインもいただいていくわよ」

「うむ!」「そうですわね」

 えぇ……と困惑の表情を浮かべる蓮を放って三人で歩き出してしまったので、慌ててついて行った。

 三周目、四周目と同様ガラス扉にアイスピックで穴を開け、ガスが噴き出してきたタイミングに合わせて全員で食糧庫(?)に駆けこんだ。扉を閉め、念のためフチをテープでふさぐ。

「私はここで外の様子をうかがっているから、あんたたちは適当に待っていなさい」

 ジェーンが締め切った扉に手のひらを押し当てて言った。

 お言葉に甘えて少し離れたところに腰を下ろしゆっくりしていると、ツキギメがゆったりと近づいて来た。

「下僕くん。すこし会議をしないかい?」

「会議?」

「ああ」

 一瞬ジェーンのほうへ目をやり、それから神妙な顔をこちらに向けて、声をひそめて続けた。

「彼女について君の意見を聞きたくてね」

 どういうことか。困惑の表情で続きを促すと、ツキギメは隣に体育座りをして話し始めた。

「直球で訊こうじゃないか。君は、二周目までのジェーンくんと、三周目以降のジェーンくんについてなにか違いを感じないかい?」

「個人的には四周目あたりからのほうが違和感強いっすけど」

 あぐらをかいたままぼそっと言うと、目を真ん丸くして見つめられた。

「さすが。鋭い。それでこそ我がライバルの下僕」

「ぜんぜん褒められた気がしないっす」

「先程テイソくんと話し合ったんだけれど、ボクらもまったく同じ意見だったよ。もっともボクの場合一周目と三周目は序盤で死んでしまったから、ほとんど直感に近いんだけれど」

 どうやらカマをかけられていたらしい。若干の不快感を覚えながら蓮はうんざりしたように言った。

「アンタも直感っすか。もう腹いっぱいっすそれ。明確な根拠がなきゃ俺みたいな凡人には納得できないっす」

「それだよ。彼女は明らかに直感という単語に頼り始めている。それに喋り方や二人称も少しブレ始めている。……四周目でこの子たちを食べてからだ」

 ちらりと周囲を見やる。部屋の中央に栽培されている触手たち。

「俺からしたらあれ食った時点でだいぶイカれてますけど」

「彼女は最初からそういう人だよ。たまたま生きながらえているだけの、好奇心で身を亡ぼすタイプだ」

「ふーん、そんなもんすか」

 モヤっとしたなにかが胸のうちに膨らむ感触。思っていたより冷たい声が出て、そんな自分に驚いた。

「そんでこれからどうするんすか」

「確信がほしい。君の言うとおり直感だけで決定的な証拠がない」

「証拠っすか。とってくるっすよ」

「本当かい」

 目を真ん丸くして言われる。「まあ任せてくださいよ」力を抜いて言うと、よっこいせと立ち上がった。

 そのまま部屋の出入り口、すなわちジェーンの傍まで近寄り、「ジェーンさん」目を伏せて扉の先へ集中しているジェーンへ声をかけた。

 ぱっと警戒心ありありな顔を上げるジェーン。蓮の姿を視認すると、ほっと息を吐いて表情のこわばりを解いた。

「あんたか。どうしたのよ」

「疲れた顔してたんで、モンエナ飲むかなって」

「気が利くわね。もらうわ」

 プルタブを開けて渡すと、ほのかに光る右手を扉につけたまま左手で飲み始めた。

「外の具合どんなんすか」

「もう少しね。思ったよりはガス濃度高くないし比重が軽くて二階にどんどん向かっているわ。あと五分もすればかがんで進むくらいはできるようになるんじゃないかしら」

「それはぜんぜん安全ラインじゃないんすよ。どんなトラップが待ってるかわからないんすから」

「ま、そうね。けれど私たちにどの程度時間が残されているのかわからない以上、急いだほうが良いのは間違いないわ」

「つってもジェーンさんの考えだと透明人間くんは長期戦に臨んでるんでしょ? なら俺たちだってゆっくりやって問題ないじゃないすか」

「急ぐ理由は、デスゲームではなくタイムリープよ。基準がわからないけれど、もしかしたら一定時間経過で強制かもしれないもの。あと何回タイムリープできるかもわからない以上、事態の進展を図るならスピーディに進めていくにこしたことはないわ」

「んまあそれはわからんでもないっすけど、そうやって焦ってトラップに引っかかったり毒ガスにやられたら本末転倒っすよ」

「透明人間のほうからコンタクトがない以上、この周はまだタイムリープできると思うわ。だから死んでも大丈夫」

「それ言えるのサイコパスっすよたぶん」

 呆れたようにツッコミを入れる。

 この人はそうだろうと思っていたから今更どうのこうのと言う気はないが。

「とりあえず俺はもう少し休んでるっす。タイムリープしてるとはいえ精神的疲労は蓄積するんすから、ジェーンさんも無理せんでくださいね」

「ええ。自分の体調管理くらいは自分でやるわ」

 涼しい顔で言うジェーンから離れて怪盗のもとへ戻った。

「なにかわかったかい?」

「八割がたクロっすね」

「ほほぅ」

 嬉しそうに顔を緩ませる。

「どうしてそう言えるんだい?」

「そのまえに残りの二割を詰めていきましょうか」

 蓮は靴を脱ぐと、あらかじめ設置しておいた小型カメラとスマホをつないだ。

「……下僕くん、まさかとは思うんだけれど」

「大丈夫っす。アレがジェーンさんなら絶対に撮影できてないんで」

 軽く言いながら再生ソフトを起動する。

 緑のスカートの内側、これまで一度も拝むことのできなかった神秘の領域が高精度カメラで見事に映し出されていた。

「カメラに写ってんのは九割がたシロなんすけどねえ」

「うまいこと言えていないからね?」

 お尻半分ほど距離を取られた。

 蓮は動画をスマホに保存しつつ、距離を縮めて尋ねた。

「そいうわけで証拠を撮ってきましたけどどうするっすか?」

「協力したいと思っていたけれど、君に助力を仰いで良いかわからなくなってきたよ」

「まあまあ、犯罪者同士仲良くやりましょうよ」

「一緒にしないでほしいね……」

 悲しそうに言われた。

「しっかし、偽物ならともかく身体を乗っ取られてるなら打ち倒すわけにもいかないっすよ」

「ふむぅ。ボクの考えは逆かな」

 予想と正反対な反応に、きょとんと目を向ける。

「四周目を思い出してみたまえ。ジェーンくんはトラップに引っ掛かり死んだ。あるいは死ぬ直前にここへ戻ってきた。すなわちタイムリープの権限は彼女を乗っ取っているナニカが持っているんだ。ならば殺害さえしなければいくらでもリカバリーが利くんじゃないかな」

 サンプル数1でそこまで断定するのは危険ではなかろうか。そんなことを思いつつそれ以上の疑問を口にした。

「ツキギメさんはジェーンさんに攻撃できるんすか?」

「できないね! 宿命のライバルとは血よりも汗を流して戦いたいものだ!」

「なんでちょっと爽やかな言い回ししたんすか」

 冷ややかな目を向けると、ツキギメはとぼけた顔をやめ、神妙な面持ちで言った。

「今のところは騙されているフリをしておいても良いかもしれないね」

「泳がせるってことっすか。危険じゃないすか?」

「彼女の目的は地下へ行くことだろう? ならボクらの目的とも合致しているし問題ないだろう」

「俺の目的はそっちじゃないんすけど」

 蓮は一貫として直線的な脱出を主張しているのだが、四人パーティのうち三人が館内の探索をしたがるのでまったく意見がとおらない。なぜデスゲームでクリアを目指すのが自分だけなのかと頭を抱えたくなる。

「つうか結局現状維持ってこの会議なんだったんすか」

「結論が変わらなくても、それが話し合った先の答えならば価値が違うものさ。君も社会に出ればわかるよ」

「泥棒に社会を説かれたくないっす」

 悲しそうに「怪盗だよ……」と呟くツキギメを無視して視線をジェーンのほうへむけると、ちょうど扉のフチのテープを破いていた。

「ジェーンさん、もう大丈夫なんすか?」

「ええ。問題ないくらいになったわ」

「具体的にいうとどんくらいっすか」

「私とテイソちゃんの身長あたりまでは安全圏ね」

「その高さだと俺とツキギメさんが死ぬんすけど」

「中腰で移動しなさいよ」

 テープをはがし終えたジェーンが躊躇なく扉を開ける。

 蓮は反射的に腰を落として抗議の声を上げた。

「ジェーンさん気が早いっす! せめて心の準備させてください」

「そんなもの休憩中に済ませておきなさい。ほら行くわよ」

 冷たく言って、三人を置いてさっさと部屋を出てしまう。

 蓮とツキギメは互いに目を合わせ、ひとつ頷いてから中腰のまま部屋の出口へ向かった。

 先の物置へたどり着く。

 アイスピックをガンガンと叩きつけ、ガラスに穴を開けてゆく。十五分ほどかかっただろうか。破砕音をたてて、物置への侵入を防ぐ城壁に大きな穴を開けた。

 一応テイソの手によって部屋の中の酸素濃度を測定。問題ないとの判断を得られると、いざというときにすぐ逃げられるよう穴を扉いっぱいにまで開けた。

「さあ、地下行くわよ」

「うむ!」「ええ!」

 テンション高い三人に続いて、蓮もガラス穴をまたいで入る。

 ガラス扉に密閉されていた空間だったはずだが、不思議とそういう感じはせず、むしろ生活感のある雰囲気だった。

 隅に積み上げられた段ボール。姿見鏡。放置されたトランポリン。エアロバイク。バランスボール。腹筋ローラー。

「ダイエット用品多くないすか」

 誰に言うでもなくツッコミを入れてしまう。

「餅川は太っていたのよ」

「やっぱここ住んでたんじゃないすか」

「そんなことより地下よ地下。その段ボールの下あたりに隠れているはずだわ。トラップがあるかもしれないから注意しなさい」

「そこまで正確に中の様子がわかるならトラップだってわかるんじゃないんすか?」

「本来ならね。この館の一番の特殊性は、なにもないところからトラップが発動することよ」

「……? 意味がよくわかんないんすけど」

「そのままの意味よ。この館のトラップはあらかじめ仕掛けられているものではないの。まっさらな空間から弓矢が発生し、なんの変哲もない壁が急にくぼみ、腐食もなにもしていないシャンデリアがいきなり落ちてくる」

「…………クソゲーにも程度ってものがあるんすけど」

「本当にね。そのあたりの文句は製作者に直接言ってやりましょう」

「製作者死んでるんでしょ」

 言いながら段ボールをひとつひとつどける。

 みっつ目をどかしたあたりで、この館への入口と同じような、取っ手つきの、人ひとりやっと通れるかといったくらいの扉を発見した。

「でかしたわ」

「ワイン! ワイン!」

 テンション高く扉を開けるツキギメ。扉を開けると、今度は階段ではなくサビた梯子が姿を現した。

 もう一度酸素濃度を測定し、大丈夫だと判断して懐中電灯を手にゆっくり階段を降り始める。

 およそ一階分か一階半ほどだろうか。降りて通路を歩くと、扉があった。

「……長かったわね」

 小さくつぶやきながらジェーンがこつりこつりと歩き進める。

 ツキギメたちが扉を開けると、明るい空間が開けた。

 と思った次の瞬間、赤い液体が舞った。

 一瞬遅れて、身体中を裂けるような痛みが襲う。

 それはコンマ数秒の内に閾値を超えた。

 意識が途切れる直前になってようやくその赤色が、自分と、ツキギメとテイソの三人によるものであることを理解した。

 最後に視界に入ってきたのは、無傷のまま目を見開き、息をのむジェーンの顔だった。

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