第1話

「あぁっ!! 一か月分の給料が!!」

 雑居ビルの二階、その一角にひっそりとたたずむマープル探偵事務所に蓮の悲鳴が響いた。

 粉々に破壊された隠しカメラの残骸を両手に、天井を仰いで神への嘆きを叫ぶ。

「あんた、まだまだ仕掛け方が下手ねえ」

 がっくりと肩を落としていると、銀髪の少女が机の上であぐら組んで、小ばかにするように言った。

「ジェーンさん以外には一回もバレたことないのに……」

「ま、私の目は特別製だから。一般の人にはよっぽどバレない水準ではあるわよ」

 クールに告げてモンエナを飲む灰色の瞳の少女に、蓮は恨めし気な顔を向けながら、己の不幸を呪った。

 公園での最悪な出会いから数か月がたっていた。

 下僕とはどういう意味なのか。あのあと戦々恐々としながら彼女のうしろをついていったところ、この事務所に案内された。

 日本人離れした顔立ちの少女は、自身を探偵だと言い放った。

 思わず笑ってしまった蓮に向けて、大真面目な顔で彼女は異国でつけられた名を告げた。

 ジェーン・マープル。

 失踪した父親を捜すため、探偵業を勝手に継いだのだという。

 助手をしなさい、というのが、彼女の要求だった。

 どうやら、蓮の盗撮技術を見こんで、警察に通報するよりも手下として利用したほうが得られるものが多いと判断したらしい。

 もっとも、提示された労働条件は下僕と呼ぶにふさわしいもので、とりわけ給料はそれはもう低いなんてものではなかった。労基署にタレコミを入れたら一発で勝訴を得られることだろう。が、タレこむことは同時に蓮の社会的な死を意味するわけで、まだ無敵の人になりきれていない彼にその選択肢を取ることはできなかった。

 だからせめてこれくらいの福利厚生は許されるだろうと、雀の涙ほどの給料をはたいて隠しカメラを購入、事務所に設置するというのをここ数か月繰り返していた。翌朝には破壊されるという流れまでがテンプレとなっているのだが。

「私これでも一応19歳なんだけれど、ロリコン的にはがっかりでないの?」

「年齢なんてただの情報すよ。そこに本質はありません。大切なのは俺がこの目に映した姿なんす」

「言い方は名言っぽいけど普通にキモいのよねえ」

 呆れたように言ってモンエナを飲み干す。

「それよりこのカメラ経費で落ちないんすか?」

「落ちるわけないでしょバカ」

「探偵助手としての訓練になってるじゃないすか」

「なら私じゃなくて外のガキども撮ってきなさいよ」

「撮ってきていいんすか?」

「駄目に決まっているじゃない仕事中よ」

「どうしろって言うんすか」

 そんな話をしていると、ぴーんぽーん、とチャイムが鳴った。

「ほら下僕、客人よ対応してきなさい」

「うっす」

 ジェーンの言うとおりに出入口へ向かう。

 扉を開けると、黒いスーツに身を包んだガタイの良い男がふたり立っていた。

 おそらく上司なのだろう、長めの髪をオールバックに固めた男が切り出した。

「マープル探偵事務所というのはここで良かったか?」

「はい、そうす」

「仕事の依頼をしたいのだが、受け付けているかね?」

「えー、ちょい待ってください。先生に訊いてきます」

「いーよー入ってもらって」

 Uターンしようとしたところで、ジェーンの声が響いてきた。

「……とのことです」

「どうも」

 尊大な態度で横をすり抜けてゆく依頼人たち。

「探偵はどこかね」

「私ですが」

 探偵事務所の最奥のテーブルであぐらをかき、モンエナの空き缶をぷらぷらさせて尊大に答える幼女。

 その姿が事情を知らない第三者の目にどう映るのかなど、文字に起こすのは野暮というものだ。ただあえて述べるならば、蓮はこの数か月で幾人もの依頼者の背中を押して退出してもらってきた。

「……ままごとでは、ないようだな」

「ハロウィンパーティの会場でもありませんよ」

「人探しを頼みたいのだが」

「話を聞きましょう」

 どうやら今回の依頼人はジェーンのお眼鏡にかなったらしい。

 応接用のソファで対面すると、さっそくスーツの男が切り出した。

「先日、隕石が降ったのを覚えているか?」

「ええ。当然」

 腕を組んだジェーンが灰色の瞳でじっと見つめながら静かに答える。

 その話ならば、世情に疎い蓮にも記憶にあった。一か月ほど前のことだっただろうか。ちょうど近くの山に隕石が降ってきたとの目撃情報が相次ぎ、ネットを中心にちょっとした話題になっていた。

「あの翌日、うちの者に隕石の回収を命じた。だが、探索に向かってからパッタリと連絡が途絶えちまった」

「その方々を探してほしいというお話ですか。モノを換金してトンズラということでしたら、私にはどうしようもないですよ」

「それはない」

 男はキッパリと言うと、胸ポケットから写真を三枚取り出してテーブルに広げた。

 それぞれにスーツ姿の、いかにもヤクザという風貌の若者が映っていた。

「探してほしいのはこの三人だ。名前と特徴は裏に書いてある。参考にしてくれ」

「彼らの居場所には心当たりがあるのですか?」

 写真の裏を確認しながらジェーンが尋ねる。

「山犬館を知ってるか?」

 男の問いかけに、ジェーンはわずかに眉をひそめた。

「隕石はあの建物に落ちたらしくてな。中に入ってみる、というのが最後の連絡だ」

「そこまでわかっているのなら、ご自身で行かれるなり部下の方を新しく派遣するなりすれば良いのではないですか?」

「今ちょうど忙しくてな。人手不足なんだ。金で解決できる問題は金を使うに限る。だからこうして依頼に来た」

 男の言葉に、ジェーンが鋭い視線を返す。

 数瞬、火花を散らされる。

 やがて小さく息を吐いて、ジェーンが腕組を解いた。

「場所が場所ですから、料金にはいくらか上乗せが発生しますよ」

「当然だ。調査にかかる費用も兼ねて前金は用意してある。足りなければ追加で請求してくれ」

 男の言葉を合図に、うしろで待機していた眼鏡がカバンから分厚い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。

「発見したときはどうしたら良いですか」

「俺のスマホにかけてくれ」

 男はそう言うと、封筒を裏返した。端の方に小さく電話番号が書かれていた。

「生死問わず、身柄を確保して連絡してくれ。こちらから迎えに行く。ひとりでも生きていたら今の倍の額を、全員死んでいても同じ額を出そう」

「わかりました」

「ほかになにか確認しておくことはあるか?」

「今のところは。またなにかありましたら電話します」

「ああ」

 男は短く言うとソファから立ち上がり、さっさと部屋を出て行った。

 一応出口で見送ってから扉を閉め、蓮は開口一番尋ねた。

「いくら入ってるっすか?」

「ほかに訊くことがあると思うのよねえ」

 やや疲れた面持ちで言って、ジェーンはテーブルの上の封筒を手に取った。乱雑に封を破いて、中から札束を取り出す。

「100かしらね。ほら、あんたの取り分」

 ピッと一枚だけ抜き出して渡す。

「えー、そんなたくさん諭吉いるんすから、もう何人かくれてもバチ当たんないんじゃないっすか」

「あんた、私がケチだから給料絞っていると思ってない?」

「違うんすか?」

「これには合理的な理由があるのよ」

 99枚の万札をポーチに放りこんで続ける。

「こんな実験があるわ。参加者をふたつのグループに分け、死ぬほどつまらない単純作業をしてもらう。ただし、片方のグループにはバイト代として時給2000円を支払い、もう片方のグループには100円しか出さない。このとき、どちらのグループのほうが作業にやりがいを見出していたと思う?」

「そりゃ2000円のほうに決まってるじゃないすか」

「ハズレよ。100円のグループのほうが面白かったと答えているの」

「へー、なんでっすか」

「割の良いバイト代という報酬があると、作業のつまらなさを脳が納得してしまうのよ。けれど、たった100円で死ぬほどつまらない仕事をさせられるのは、納得感がないでしょう? だから脳が探すのよ。100円の報酬に納得できる理由として、仕事の中に楽しみを」

「……つまり、俺が一万円しかもらえない理由は、明日の仕事がつまんないってことっすか?」

「探偵の仕事なんて普段からそうでしょう。今回に限らず、あんたの給料を絞っているのは仕事のやりがいを感じてもらうためなのよ」

「なるほど、これがブラック企業の正体なんすねえ」

「あんたがもう少し役に立つようになったら昇給も考えてあげるわ」

 ジェーンは立ち上がり伸びをした。

「さて、準備しなさい」

「なに持ってったらいいっすか?」

「七つ道具と、一応なにか武器はあったほうがいいわね。それとモンエナを二十本くらい」

「武器って、人探しするんすよね?」

「ええ。人探しよ」

「……ヤクザと戦えって言うなら全力で逃げるっすよ」

「そんなのじゃないわよ。ああ、でもそうね。念のためアレ持っていきましょう」

 そう言ってジェーンは事務所の隅の神棚を指さした。

「あんなでかいのさすがに無理っすよ」

「神棚ごと持っていくわけないでしょうおバカ。御守りよ。引き出しに入っているわ」

 指示されたとおりに引き出しを開け、小さな御守りをふたつ取り出した。

 どこの神社でも売っていそうなありふれたデザインで、どうひいき目に見てもなにかの力がこもっているようには見えなかった。

「この御守り、なんか由緒正しかったりするんすか?」

「さあ。おそらく父の手作りじゃないかしら」

「ご利益なさそうって言うと怒られそうっすね」

「そう思うなら口に出すんじゃないわよ」

 嘆息するジェーン。

「占いと同じで、こういうのは心持ちが大切なのよ。それよりほかのもの準備なさい。明日の出勤はいつもどおりよ」

 パンパンと手を叩いて催促され、蓮は倉庫の道具たちを鞄に詰めこみ始めた。


 山を登り始めて三時間。その内半分ほどの時間、道なき道をかきわけ、ようやく見えてきたのは二階建ての洋館だった。

「あれが山犬館っすか」

「おそらくね。私も、初めて見るわ」

「こんな熊も避けるようなとこでどうやって住んでるんすかね」

 秘境駅ランキングの最上位に入ってくるような場所は、鉄道以外での侵入を不可能とされている地がいくつもある。が、ここはその交通網すら絶たれた空間だった。

「住んでいる、人は、いないわよ」

 普段の飄々とした姿からは想像もつかない、登山でボロボロに疲れ切った状態のジェーンが言った。

「ジェーンさん、俺に荷物全部持たせてるくせに疲れすぎじゃないっすか?」

「うっさいわね。私は頭脳担当だからいいのよ」

 杖を山肌に突き立ててじろりと睨みつけてくる。

 それにしても、肉体担当とはいえ探偵の七つ道具とモンエナ缶十本をすべて持たせてくるのはさすがに非人道的と言えるだろう。と文句を垂れたいところだが、リュックの中に十キロ以上の荷物を背負っている蓮よりも、方位磁石以外の荷物を持たないジェーンのほうがヘトヘトになっている現実を前には、開いた口も塞がるというものだった。

「誰も住んでないって、別荘みたいな感じっすか?」

 それにしては景色もへったくれもない立地だが、それ以外にパッと思いつくものがなかった。

「この山犬館は、別名、デスゲームの館と呼ばれているわ」

「デスゲーム……デスゲーム!?」

 素っ頓狂な声を上げる蓮に、ジェーンは杖に体重を預けてしゃがみこみながら答えた。

「この館は、かつて趣味の悪い富豪によって開催されていたデスゲームの会場なのよ。もっとも、今は主が死んで電気ガス水道すべてを失った、役目を終えた箱なのだけれど」

「俺、帰っていいっすか」

「いいわよ。帰れるものならね」

 言われて振り向く。右も左もなく、見渡す限りのクソミドリ。というか見渡すほどの視界が開けていなかった。ここまでの道中はずっとジェーンの道案内に従って進んできたわけで、つまり、ここでひとり引き返せば間違いなく遭難することだろう。

 元デスゲーム会場であるという話を昨日伏せていたのは、つまりそういうことだったのだろう。

「ジェーンさんって性格悪いっすよね」

「探偵にそれは褒め言葉よ」

 涼しい顔、と呼ぶには疲労の濃すぎる表情で言った。

「ジェーンさん俺の弱み握ってるんすから、普通に言えばいいじゃないすか」

「仕事は自発性が大事なのよ。無理やりやらされてこなす仕事なんて生産性がリーマンショックでしょう。けれど私が別称のことを伏せていたからあんたは自発的にここに来たし、仕事のモチベもじゅうぶんにあったでしょう」

「過去形で表現するあたり世界恐慌を引き起こした自覚はあるんすね」

「安心なさい。さっきも言ったとおり、アレはもうなにも稼働していない死んだ建物よ。あんたをデスゲームに参加させるような話にはならないわ」

「滅茶苦茶フラグに聞こえるんすけど大丈夫っすか?」

 そんな話をしながら木々の間と蜘蛛の巣とその他大自然の恵みをかきわけて、館の前へたどり着いた。

 年季の入った建物だった。白を基調とした外観は薄汚れ、ツタが幾本も外壁を這っていた。

 大きさは小学校の体育館ほどだろうか。パッと見一階の天井部に張りが出ているため二階建てと思われるが、それにしては随分と高い構造だ。

 外観自体あまり見慣れないものではあるが、そういうレベルではない強烈な違和感が蓮の脳を焼いた。

「………………そうか。窓っすね」

「あんたどこ見ていたのよ」

 一分ほど考えてようやく導き出した答えに、ジェーンが白い目で突っ込む。

「窓がないなんて普通思わないですもん。ジェーンさんくらいの洞察力があるならともかく、常人にとってはアハ体験みたいなもんっすから案外気づけないすよたぶん」

 それからやいのやいの言いながら館の外周をぐるりと巡った。おおよその大きさ、高さ、材質やひび割れなど、目を皿のようにして観察する。

 ジェーンによって叩きこまれた、探偵業をする上での最重要項目だ。

 そうしてスタート地点に戻ったとき、

「はーっはっはっは!」

 哄笑が響いた。

 反射的にきょろきょろと左右を見回す。

 視界の端のほうから、赤いタキシードをまとった金髪ブロンドが杖をぶんぶん振ってこちらへ駆け寄ってきていた。

 運動場を笑顔で駆けまわる小学生のように全力で走ってくる。

 まさかあんな変人が先の声の主ではなかろう。現実逃避気味に目をそらそうとした瞬間、バチーン☆とウインクされた。

「やあ我が終生の宿敵、名探偵ジェーン!」

 息ひとつ乱さず不審者は蓮たちの前で腰に手を当て、仁王立ちした。

 一番最初に心に浮かんだ言葉は、性別はどっちだ、だった。

 男のものにも女のそれにも聞こえるアルトボイス。190はあろうかという線の細い長身に、さらさらの長い金髪。顔立ちも声の印象にたがわず中性的で、おそろしく整っていた。

「そして初めましてだな下僕くん! 噂には聞いているよ!」

 完璧なプロポーションの不審者が蓮に目を向け、白い歯を見せる。

「蓮入口探すわよ気づいたことはなんでも言いなさい」

 目の前までやってきた性別不明が見えていないはずなかろうに、ジェーンはまるで気づいていないかのように早口に言って洋館の外周を歩き始めた。

「はっはっはっ、我がライバルはどうやら耳が遠いようだ! これはもう一度丁寧に挨拶してやったほうが親切というものだな!」

 ジェーンのうしろにぴたりと張り付いて、真っ赤な不審者が快活に笑う。

「うっさいだまれアホ私はお前を宿敵だと思ったことはない帰れ犯罪者」

「ふふふ、相変わらずのツンデレ可愛いぞ! それでこそだ!」

 嬉しそうに顔をほころばせて、赤色タキシードが言う。

「……で、ジェーンさん、この人誰っすか。芸人?」

「どろぼ「怪盗さ!」

 ジェーンに被せてタキシード仮面が高らかに名乗り、長い金髪をファサァッ! と広げた。

「か……は?」

「……怪盗ツキギメ。ふざけた名前だし一張羅もボロッカスだけれど、一応本業みたいよ」

 苦虫を噛み潰したような声だった。

 ジェーンのクソみたいな紹介に、ニコニコと楽しそうにジェーンの頭を撫でる怪盗へ目を向ける。

 赤いタキシードはところどころ皺が寄っており、すそのほうにはコーヒーをこぼしたようなシミやほつれまでもが見受けられた。なるほど、たしかにボロッカスだった

「えっと、ツキギメさん」

「ボクとジェーンくんの関係を知りたいのかい? そうだね。出会いは三年ほど前のことだったかな」

「無視しろ蓮。こいつの言うことはすべて戯言だ」

 自分語りの止まらないナルシストと、渋い顔の名探偵。

 そんな対照的なふたりの横で、蓮は混乱する頭をなんとか働かせた。

 ジェーンのことだから、この一連の説明は冗談ではないのだろう。まだ短い付き合いだがその点には確信を持てる。

 つまりだ。赤い夢をとっくに失ったこのご時世で信じがたい話だが、金髪よれよれタキシードは本物の怪盗なのだ。

「……いろいろ言いたいことあるんすけど、とりあえずその服で登山ってしんどくないすか?」

「ワークマンで特注したからね。こう見えて伸縮性あるし通気性も良いんだよ」

 怪盗がワークマンの服を着ているとか、嫌な大喜利の答えとしか思えなかった。

「ツキギメさん、怪盗と泥棒ってなにが違うんすか」

「よくぞ聞いてくれた!」

 ツキギメが喜々として杖を地面に突き刺した。

「怪盗とは美学によって定義されるのだよ」

「美学?」

「そうさ」

 演技がかった仕草とともに声高に言う。

「遊ぶ金欲しさにこっそり銀行に忍び込んで盗みを働くような行為に美しさは感じないだろう? けれど、予告状を出し、警察やマスコミを総動員させ、そうして張り巡らせた網の目をかいくぐって華麗に盗み出す。だというのに、それだけ苦労して得たお宝は私腹を肥やすためには使わず、自分以外の誰かを幸福にする。そんな非合理的で非効率な盗みには、ある種の美しさが宿る。それこそが怪盗の美学というやつなのだよ」

「あんたいっつもそんなだからクリーニングに出すお金もないんでしょうに」

 ぼそりと呆れたようにツッコミを入れるジェーン。

 蓮としてはそれも思ったが、それ以上に気になって周囲をキョロキョロと見回した。

「警察どころか人影ひとつ見当たらないんすけど予告状出したんすか?」

「当然さ。もっとも、ボクらの華麗な手際にみな諦めてしまったようだけれどね」

 キラン、と星を目の端から飛ばしながら言う。

 ジェーンの顔をうかがうと、呆れたようにそっぽをむいていた。まぁつまりそういうことなのだろう。

「なに盗むんすか」

「もちろん隕石さ。うっかりこの星に吸い寄せられてしまった彼をふたたび旅に送り出してやるのが怪盗のつとめだと思わないかい?」

「よくわかんないっすね」

「君たちこそ、彼を盗みだしたあとはどうするつもりだったんだい?」

「俺らは隕石じゃなくて、人探しの依頼を受けて来ただけっすよ。目的被んないし、ツキギメさんひとりで盗みなんて大変でしょうし、よかったらジェーンさん貸しますよ。俺はここで待ってるんで」

「不要さ。ボクには優秀な助手がいるのでね」

「助手?」

 蓮がきょとんと首をかしげると、ジェーンが面倒くさそうに言った。

「いるのよ。この甲斐性なしの生活費を稼いでいる子が」

「なにもわかっていませんねエセ探偵」

 上から冷たい水のような声が降ってきた。

 ぱっと仰向くと、一瞬、ひらひらとした布の奥に白いナニカが見えた気がした。

 が、そのわずかな残像は幻覚のように消え去り、かわりに、目の前に、着物姿の少女をよこした。

「ごきげんよう。わたくしは怪盗の助手をしております、テイソと申します」

 しゃなりと、おしとやかな雰囲気でもって流暢に頭を下げられた。

 日本人形かと思った。

 肩口で切りそろえられたおかっぱの黒髪は頭の動きに合わせてサラリと垂れ、目鼻立ちの整った顔は日焼けという概念を知らないのか、白磁のごとき美しさを誇る。

 体格から察するに小学校高学年か、せいぜい中学一年生くらいだろうか。とてもそうとは思えないほどの上品さが、立ち居振る舞いと声に宿っていた。

 教養は滲み出るものと聞いたことがあるが、まさしく彼女を理解するために必要な言葉だった。声の端々や所作に宿るすべてが、彼女の美しさを引き立たせていた。

 すくなくとも、事務所のテーブルの上にあぐらかいてモンエナを飲むジェーンとは対極だった。

 蓮は気が付いたら少女の手を取り、膝をついて、まっすぐに目を見つめて言っていた。

「お嬢さん、結婚しましょう」

「えっ、」

「絶対に幸せにします。たとえ世界中があなたを妬み、足を引っ張ろうとしても、俺だけは絶対にあなたを支えます」

「いえ、その」

「悲しいときも苦しいときも、人生の意味が分からなくなったときも、あなたの隣にいます。あなたが倒れそうなら背負いますし、疲れた時は美味しいごはんを用意します。辛くて辛くてたまらないときは、俺が世界中から横棒をかき集めて幸せにしてみせます。だからぐえっ!」

 目をランランと輝かせてプロポーズしていると、うしろから脳天に杖が振り下ろされた。

 ぶたれた箇所を両手でおさえて、涙目で振り向く。

「ジェーンさんなにするんすか!」

「なに商売敵口説いてんのよ。あんた見た目なら私が一番じゃないの?」

「ジェーンさんとこの子はベクトルが違うんすよ」

 言葉に嘘偽りはない。年齢も見た目も、テイソはジェーンに負けないレベルでど真ん中ストライクだった。ジェーンが洋の極致だとすれば、テイソは和の到達点と言うべきだろう。方向性こそ違うものの、その矢印の大きさ自体は差異がわからないレベルで完成されていた。

「あんた私を口説いたことないじゃない」

「だってジェーンさん性格最悪だしぐやっ」

 もう一度頭頂部に杖が振り下ろされた。さっきより気持ち勢いが強かった気がする。

「『性格悪い』は褒め言葉だって言ったじゃないすか!」

「私の性格が終わってるのは探偵をしている間だけよ。普段はそんなことないでしょ?」

「自己評価高すぎあっまってそれ以上は頭蓋骨割れる! 耐久力がもう残ってないっす!」

 三度杖を振りかぶるジェーンを慌てて制止する。

「ていうかジェーンさんもしかして嫉妬してます?」

「は? そのセリフはさすがにキモいわよ。あんたみたいな犯罪者に好かれたいわけないでしょ」

 氷のような冷たい目を向けられた。

「それはそれとして、やっぱり負けるのはムカつくってだけよ」

「なるほど、ジェーンさんらしいっす」

「ふふん、大切な友人のすばらしさを理解してもらえたようでボクも鼻が高いよ」

「間違ってもわたくしと怪盗の関係は友人や親友といったものではないので、勘違いなさらぬようにお願いしますね」

 怪盗を無視してニッコリと言うテイソ。

「……ボクの周りはみんなツンデレで可愛いね」

 すこしだけ寂しそうに言って、ツキギメは肩をすくめた。

「ところでテイソくん、上の様子はどうだった?」

「まさしくでした。隕石の落ちた跡と思しき大穴が開いていました」

「うむ、さすが我が助手だ。ありがとう」

「礼には及びません」

 すん、と冷たく言う。褒められて嬉しいだとか、そういう感情とは無縁なようだった。

「それで、見たところこの館には正面玄関らしき場所がないのだけれど、どうしようか」

「上に穴空いてるならそっから入ったらいいじゃないすか」

 蓮の問いかけに、ツキギメは数度目を瞬かせると、「やれやれ」とあからさまに呆れてみせた。

「言っただろう? 怪盗は泥棒とは違う。こそこそと裏口から入ったり、窓に穴をあけたり、そんな無粋な真似はしない。建物は正面玄関から入るものだ。正しさを押し通してこその美しさなんだよ」

「犯罪行為に正しさって必要っすか?」

「あんたが言う?」

 銀色名探偵がぼそっと呟く。聞こえないフリをすることにした。

「そうは言っても、パッと見正面玄関ないっすけどどうするんすか?」

 一周ぐるっと回ってみたところ、窓はおろか出入り口に相当する場所すら見当たらなかった。

「入口ならあったじゃない。気づかなかった?」

「え」

 間抜けな声が出た。が、ジェーンは意に介した様子もなく、すたすたと歩き始めた。

「ほら下僕、ここ掘れ」

「わんわん」

 館から十メートルほどだろうか。指示された場所を蓮は素直に掘り始めた。

 ほんの数センチだった。金属の壁にぶち当たった。

「なんか埋まってるっす」

「扉よ」

「マジすか」

 せこせこと掘り広げていくと、一メートル四方ほどの金属の扉がその全貌を現した。

「開けなさい。中の空気は吸わないように」

 言われるがままに取っ手を引っ張り、持ち上げる。ジャリジャリと土を噛む音を立てながら、ゆっくりと扉が開く。

 扉の向こうは、階段が続いていた。

「テイソちゃん、酸素の確認してもらっていい?」

「指図しないでください」

 いつもより柔らかい声をだすジェーンと対照的に、テイソは口をへの字に曲げて答えた。が、もとよりそのつもりだったのか、鞄から手のひらサイズの機器を取り出した。

「ツキさん、ステイ。ステイです」

 目を輝かせ我先にと踏みこみかける大怪盗を制止ながら、テイソは酸素濃度測定器を階段の奥へ垂らした。これで着物ではなく作業着を身に着けていたら、ただの現場職の人間にしか見えないだろう。

「……なんか、怪盗ってもっと颯爽と入ってサクサクお宝を奪っていくものだと思ってました」

「怪盗も人間だもの。酸素が足りなければ死ぬし、毒ガスには無力よ」

「ロマン足りて無くないです?」

「あまりに人間離れしては、かえって魅力の減退につながってしまうからね。ひとつやふたつ弱点があったほうが魅力的に見えるものさ」

 ツキギメがふふんと胸を張って言う。

「酸素濃度、硫化水素濃度問題ありません」

「よし、でかしたテイソくん。さあ行こうか」

 ダイソーの懐中電灯をつけ、ふたり意気揚々と足を踏み入れた。

「俺たちはどうします?」

「行くしかないでしょう。ま、向こうが先を歩いてくれるならちょうど良い肉楯になるし、ありがたい話ね」

 そんなことを言いながらジェーンも懐中電灯を取り出した。

 蓮もライトを取り出して、慎重に一歩踏み出す。

 こつん、こつん、とコンクリートの階段を下りる。空気はひんやりとして、汗が冷やされて身体が震える。

 あまり距離自体は長くなかった。数階分階段を下りて、少し進んだらまたすぐに上向きの階段があった。躊躇せず登っていく怪盗組に続いて、蓮たちも歩を進めた。

 開けた空間に出た。

 エントランスホールのようだった。

 高校生のころに修学旅行で泊まったそこそこ良いホテルを思い出す、豪華なつくりだった。が、二階までぶち抜いた広間は薄暗く、天井を見上げると大きなシャンデリアが四つぶら下がっているものの、役目を果たしているとは言えなかった。

 壁には鹿のはく製や絵画など、いかにもなインテリアが飾られており、そのあまりの作り物っぽさにすこし寒気を覚えた。

 ふと隣へ目をやると、ジェーンが顎に手をやって眉をひそめていた。

「……先客がいるようね」

 ふかふかとは呼びにくい程度にへたった赤い絨毯を見やって言う。目をこらしてよく見てみると、わずかに白く埃っぽい空間に、いくつかの足跡らしきものを見つけた。

「肝試しでもしてたんすかね」

「おバカ。依頼内容を忘れたの?」

 言われて思い出す。

「そういえば人探しに来たんでした。手がかりが見つかって良かったじゃないすか」

「……そうね」

 含みのある相槌が帰ってきた。

「よくいらっしゃいました」

 少年っぽい声が聞こえてきた。

 反射的に顔を上げる。

 いつの間に。どこから。四者四葉目を丸くしたり警戒心あらわに戦闘姿勢を取ったりしつつ、突如出現した少年を見つめる。

 体格的には小学校低学年くらいだろうか。ジェーンやテイソよりさらに幼いように見える。

 当然まだまだあどけない顔立ちだが、スーツを身にまとったその姿は不思議としっくりきた。

 少年は蓮たち四人へ順繰りに目をやると、ゆっくり口を開いた。

「皆様には、デスゲームに参加していただきます」

 人間味の薄い表情で、淡々と告げた。

「……ジェーンさんがフラグなんて立てるから」

「正直悪かったわ」

 珍しく気まずそうな顔で謝られた。

 そんな蓮たちのやりとりが終わるのを待ってか、少年はなにごともなかったかのように続けた。

「クリア条件はシンプルです。この館の二階一番奥の扉から外に出ればあなた方の勝利です。建物の構造上非常階段などはありませんので、その場で飛び降りていただくことにはなります。死にはしない高さですのでそのあたりはご容赦を」

「デスゲームって、俺たちで殺し合うの?」

「いえ。あなた方の戦う相手はプレイヤーではなく、この館そのものとなります。誰かを犠牲にしなければならないようなギミックも存在しませんので、是非協力して全員でのクリアを目指してください」

「電気もガスも水道も止まってるって聞いたんだけどデスゲームのギミック動くんだ」

「ええ、もちろん動きますよ。このように」

 言って、少年は人差し指を立てた。つられて首を上向けるのと、ガシャンッという金属の擦れる音が耳に届くのは同時だった。

「危ない!!」

 蓮がソレを知覚する前に、ツキギメの鋭い声が空間を引き裂く。

 薄暗い空間の中にあって、ハッキリと理解できた。四つの内、ちょうど彼の真上のシャンデリアが支えを失っていた。

 ツキギメの声を号令に、バッと蜘蛛の子を散らすように蓮たち三人はその場から離れた。

 三人。

 そう、のこりのひとり、ツキギメは、迷わず少年へタックルした。

 颯爽とした身のこなし。少年は体当たりされるがまま倒れる。

 かと思いきや、

「!?」

 びくともしなかった。

 足を接着剤で固定しているとか、そういうレベルの話ではなかった。

 足だけでなく、全身が微動だにしない。まるでコンクリートの壁のようにツキギメのタックルを受け止め、衝撃を吸収していた。

 蓮が理解できたのはそこまでだった。テイソの息をのむ音をかき消すほどの激しい金属音が、エントランスいっぱいに鳴り響いた。

 残された三人はとっさに目をつむり、腕で顔を隠し、爆風とシャンデリアの破片、そして生暖かいしぶきから身を守った。

 その液体の意味するところは、目を開けた瞬間いやおうなしに突き付けられた。

「ツキ!!」

 テイソの金切声のような悲鳴。

 タキシードにこびりついたコーヒーのシミが、シャンデリアの下で真っ赤に染められていた。

「ツキ! ツキ!」

 取り乱し、一心不乱にツキギメを救出しようとするテイソ。

 自身の身体よりも大きなシャンデリアを持ち上げようと踏ん張る。

「手伝うよ」

 蓮はつとめて冷静に、鉄のにおいのするシャンデリアを掴んだ。

「せーのっ」

 錯乱しながらも、テイソがなんとか蓮の掛け声に合わせてシャンデリアを持ち上げた。ひっくり返すのはさすがに難しそうだったので、ずらして絨毯に置いた。

 先の少年と合わせて二人分の、血まみれの身体が眼前に姿を現した。

「ツキ! 返事をしなさい!」

 テイソは迷わずツキギメの胸元に駆け寄ると、その胸ぐらを掴んで力いっぱい揺さぶった。

 だが、どうやっても目を覚ますことがないことは誰の目にも明らかだった。

 頭が、完全に潰れていた。

 ルパンだろうと十二面相だろうと、あるいは彼らに負けないどんな大怪盗であったとしても、頭が潰れてしまえば人間は死ぬ。

 心臓マッサージも人工呼吸も意味をなさないことは自明で、蓮はただテイソの泣きつく様子を見ていることしかできなかった。

「蓮」

 ジェーンが声を潜めて耳打ちしてきた。

「今のうちに今後の作戦を立てるわよ」

 その表情を見て、絶句した。

 目は真剣そのものだったが、口端が上がっていた。

「ジェーンさん、……その、自覚あります?」

 自分の口の端を人差し指でさりげなく示しながら尋ねる。するとジェーンは鏡写しのようにたしかめ、「ああ、いけない」頬をぐにぐに揉み始めた。

「どんなに愉快でも、それを表に出してはいけない場面があるものね」

「愉快って……もしかしてこれジェーンさんが仕組んだんすか?」

「違うわよ。あいつのことは嫌いだけれど殺したいほどではないわ」

 できるかできないかという点について言及せず否定する。

「ただ、面白いじゃないの。死んだはずのデスゲームの館がまだ生きているだなんて。仕掛けがどうやって動いているのか。さっきの少年は死の直前に何故あれほど平然としていたのか。ツキギメの体当たりに微動だにしなかった理由は。きっとこの先も謎に満ちあふれているわ!」

 テイソの耳に届かないよう声を潜めていたはずが、いつの間にか大きな声で饒舌に語り始めてしまった。

「……今のは探偵としてのジェーンさんすか? 人間としてのジェーンさんすか?」

「さあね。どちらだと思う?」

 挑発的なジェーンの物言いに、ぐすぐすと嗚咽まじりにツキギメを抱きかかえていたテイソが、じろりとこちらを見やった。

「エセ探偵。死んでしまえ」

「ふふん、やっぱりテイソちゃんは可愛いわね。あなたはそういう表情が一番似合っているわ」

 嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべる。

 蓮はそんな彼女の底知れなさに引きつつ、それでも失われない美しさにある種の不気味さを感じた。

「ていうかこれほんとにデスゲームなんすか?」

 ふたりの間に充満する一触即発な空気に、蓮があわてて言葉を挟む。

「そう考えておいたほうがいいのは間違いないわね」

「……だめだ、開かないっすね」

 入ってきた扉を開けようとするが、ロックでもされたのか、びくともしなくなっていた。

 一応スマホも確認してみたが、案の定圏外だった。

「いっぺん、まっすぐ外に出ません?」

 数瞬考えて提案する。

 ぱっと見回した印象、この館は非常にシンプルなつくりをしていた。

 一階部はエントランスから廊下が一本伸び、突き当りまで左右に扉がいくつも連なっている。それだけだ。階段を上った先がどうかはわからないが、そう複雑な構造になることはないだろう。

 つまり、先の少年の言葉が正しいのならば、初手で出口の扉にアタックをかけることは可能なわけだ。

 そう思っての提案だった。が、案の定ジェーンの口元がへの字に曲がった。

「RTAじゃないのよ」

「ジェーンさんだって死にたいわけじゃないでしょ」

「もちろんよ。けれど死は平等におとずれるわ。早いか遅いかだけよ」

「それ言うのだいたい殺す側っすよ」

「できればツキギメみたいにさっくりと苦しまずに死ねると良いわね」

「俺はロリっ子をむざむざ死なせる気はないっす」

「私だってこんな面白い機会をみすみすドブに捨てる気はないわ」

「ここにいるのはジェーンさんだけじゃないんすよ。俺を巻き込むだけならいいっすけど、せめてテイソちゃんは外に出してあげましょう」

「関係ないわよ。この子も覚悟もなしにここにいるわけじゃないわ」

 それに、とジェーンがちらりとテイソを見て言葉を続ける。

「最愛の人を殺されて、黙って逃げるようなタチじゃないわよ」

「……あなたにわかったような口をきかれるのは心外です」

 ようやく落ち着いてきたテイソが、目の端をぬぐって不機嫌そうに吐き捨てる。

「ですが、今回ばかりはあなたの言うとおりです。ツキを殺した真犯人を見つけて同じ目に遭わせてやります」

 絶対に許さない。大きな黒い瞳が告げる。

「……………………はあ~~~~~~~~~~~」

 腰に手を当てた蓮は深く、深くため息をついた。

 ジェーンの腰を掴み、「えっ、蓮なに」構わず右腕で抱え上げた。

「脱出するっす」

 短く言って、テイソも左腕で同様に持ち上げる。日ごろから鍛えあげた肉体を存分に駆使して、暴れる彼女らを脇に抱えたまま廊下を歩いた。

「蓮! 放しなさい!」

「下僕さん下ろしてください!」

 左右で暴れまわる幼女ふたりを無理やり抱えたまま、蓮は注意深く階段を上り始める。

「今回ばかりは聞けないっす。俺は世にはびこる悪たちから幼女を守るためにこの肉体を鍛えてきたんす」

「あんたに悪を糾弾する資格なんてないわよ!」

「絶対にジェーンさんもテイソちゃんも死なせないっすよ」

 ギャーギャーとキレ続けるふたりを無視して、慎重に階段を踏み上げる。

 最近ジムに行けていなかったから心配だったが、ふたりとも身長の割にほっそりとしているようで、問題なく運ぶことができた。

 階段を登りきったところで蓮は思わず足を止めた。

 先までジタバタしていた両脇の幼女たちも、その動きを止めてじっと奥を見つめた。

 扉の連なる一階部とは対照的に、左右にバカでかい扉がひとつずつと、奥にひとつ小サイズの扉があるのみだった。

 そしてなにより、奥の扉の手前。

「……そういえば隕石が降ってきたんでしたっけ」

 巨大な穴が開いており、天井だったと思われる瓦礫たちをサンサンと日差しが照らしつけていた。

 明かりも窓もないこの館である程度視界が利くのは、ここからの日差しが届いていたということなのだろう。そんなことを考えながらふたりを両脇に抱えたまま前進する。

 瓦礫をよけて一番奥にたどり着き、そこでようやく両脇の荷物をおろした。

「ふたりとも軽すぎっすよ。ちゃんと飯食ってます?」

「モンエナがあれば人間生きていけるのよ。そんなことよりテイソちゃん、この穴が入る前に言っていたところ?」

「……おそらくは、ですね」

 和服のすそをぱっぱっと払って整えながらやんわりと肯定する。

「隕石が落ちてきたにしては妙ね」

「やはりそう思いますか」

 独り言のようなジェーンの言葉にテイソが頷いた。

「妙ってなにがっすか」

「これだけ派手に穴を開ける勢いで落ちてきたら、ここも貫通して一階まで落ちていくのが自然でしょう。そうでなくても傷痕くらいはついているはず。なのにこの絨毯にはなにかが衝突したような跡が一切ないのよ」

 言われて再び上空を見やる。コンクリート造りの天井はミサイルでも打ち込んだかのように力任せにぶち破られ、内部の鉄骨がへし曲がった無残な状態だった。

「もしかしたら瓦礫の中でへこんでいたりするのかもしれないけれど、重機でも持ってこないとそのあたりはわからないわね」

「まあ、それはいいんすよ。それよりゴールってたぶんここっすよね」

 蓮は話を本筋に戻した。

 一般的な洋館というものを知らないが、それでも眼前の光景が変であることはハッキリとわかった。

 こげ茶色の艶やかな扉に、金色の丸いドアノブがひとつついており、文面だけ見るとごく一般的なはずなのだが、サイズ感が明らかに間違っていた。まるで小学生のみが暮らす空間として設計されたかのような大きさだ。ジェーンとテイソなら少し首を倒すだけで問題なくとおり抜けることができるが、蓮はかなり身体をすぼめなければ難しいだろう。

 ドアノブを捻ろうとして、がちりと奥の方で阻まれる。

「やっぱこれ鍵かかってるっすね」

「蓮、絶対罠よ。すべての工程をすっ飛ばしてゴールにたどり着けるわけがないわ」

「そう思わせておいて、なんていう展開も考えられるっすよ。どうせ開ける技術持ってるでしょ? 開けてください」

「そこまで私のことを理解しているなら、この流れで素直に従うわけがないこともわかるわよね」

「ジェーンさんが開けないなら俺がやるっす」

「あんた鍵開けなんてできるの?」

「できないんで殴り壊します」

「は?」

 ぽかんと口をあけるジェーンの横で、蓮は助走をつけて力いっぱい蹴りを扉に放った。

 があん!! と木の衝撃音が廊下いっぱいに鳴り響く。

 思わず耳をふさぐジェーンとテイソの姿を確認しつつ、蓮は二発目、三発目と蹴りつける。

「や、やめなさい。そんな簡単にいくわけないでしょう」

「そうみたいすね。ビクともしないっす」

 よっぽど丈夫な木材を使われているのか、鍛え上げた大腿筋たちをもってしてもピンピンしている扉に、蓮は蹴るのをやめて鞄を置いた。

 昨日ジェーンから言われて用意した武器――手製の爆弾をひとつ、ふたつと取り出した。

「人力での破壊は難しそうなんで爆破しましょうか」

「あんた正気?」

「戦う相手は館だってショタっ子も言ってたじゃないすか。なら設備そのものを破壊するのは理にかなってるでしょ」

「全然かなってないわよおバカ。この館が燃えたら私たちだって死ぬのよ」

「ジェーンさんとテイソちゃんはなにがあっても外まで送り届けますよ。俺は炎くらいで止まるような男じゃないっす」

「わかった。わかったわ。私が悪かった」

 両の手のひらを挙げて降参の意を示す。

 このバカはこうなったら言うことを聞かない。短い付き合いだが、ジェーンにはそのことがすでにわかっていた。

「鍵開けしてあげるからその危険行為をやめなさい」

 しぶしぶ言いながらジェーンは鍵開け用の器具を取り出し、ドアノブを覗き込んだ。

 ガチャガチャと数分間試行錯誤。

 が、

「おかしいわね。開かないわ」

 首を捻って呟いた。

「どういうことすか」

「もう少し試してみるから爆弾を取り出すのをやめなさい」

 扉のサイズ以外なんの変哲もない鍵穴に針を刺しながら、ジェーンは耳をそばだててカチャカチャといじる。

 手持無沙汰になってしまった蓮は、周囲を興味深そうに観察するテイソに声をかけてみた。

「テイソちゃんって普段から和服なの?」

「それがなにか」

 明らかに冷たい目が帰ってくる。

「や、怪盗やるならもっと動きやすい服にしたらいいのにって思って」

「人の服装にケチをつけないでいただけます?」

「そ、そういうんじゃなくて……」

 つん、とそっぽを向かれる。不機嫌そうに腕を組み、唇をとがらせる。

 あわあわとフォローしようとして、どうしていいかわからず言いよどむ。

 いかんせん、話題選びをどうしたら良いのかがさっぱりわからない。今日出会ったばかりの怪盗助手なんて趣味嗜好もわからないし、肝心の怪盗が死んで傷心中である手前仕事の話も振りにくい。この年齢で怪盗助手をしていることを鑑みると、過去の話も掘り下げるとどこで地雷にぶち当たるかわかったものではない。

 せっかくこれほどの美幼女が隣にいるというのに、仲良くすることができないどころかろくに会話すらできないとは。ロリコン失格だなと自嘲する。

 と、そうして気まずい沈黙が流れていると、

「あっうそ」

 ジェーンの短い声がやたらと大きく響いた。

 ぱっと針から手を離して振り向いた彼女は困ったように眉尻を下げた。

「ごめん、抜けなくなった」

「……力ずくじゃ抜けないんすか?」

「無理ね。良くてちぎれるか鍵が壊れて開かなくなるか」

 それは、この扉からの脱出が事実上不可能になった事実を示していた。

 仮に正しい鍵を見つけてきたところで、差す場所が埋まっていれば用をなさない。

 すなわち、彼らは詰んでしまったのだっ「やっぱ爆破しますか」

「気が早いのよ。一旦落ち着きなさい」

 ジェーンが呆れたように言う。

「なにかほかに抜け道があるかもしれないし、最終手段は最後まで取っておくべきよ」

「なに言ってんすかデスゲームっすよ。最後の前に最期がきたらどうするんすか」

「あんたが今私たちの命を終わらせようとしているのよ。なんなら壁をよじ登ってこの吹き抜けから脱出する方がまだ安全策よ」

「それっす!」

 蓮は名案だと言わんばかりに目を輝かせ、テイソに向き直った。

「怪盗ならあれあるんじゃないっすか? 縄の先に鉤爪がついてひっかけられるやつ」

「当然。七つ道具のひとつですわ」

「よし、それで脱出しよう。出して出して」

「イヤです」

 つん、と冷たくあしらわれた。

 蓮は彼女の意図がわからず、首をかしげて言った。

「お金なら払うよ。ジェーンさんが」

「わたくしはまだ脱出する気はありません。それにあなた方とは商売敵です。力を貸すわけがないでしょう」

 怪盗死んだのにまだ商売敵なの? とはさすがに口にできず、かといってほかに反論する言葉もなかった。

 困って黙りこんでしまった蓮のかわりに、ジェーンが立ち上がって冷静に言った。

「一旦整理しましょう。そっちではないわ」

 鞄に手を突っこむ蓮に冷たい目を向けて、ジェーンが嘆息する。

「テイソちゃん。力を貸してとは言わないわ。けれど情報交換くらいならしても問題ないでしょう?」

「……そうですね」

「この館について知っていることを私から話すから、訂正や加えることがあったら教えて」

 渋い顔で首肯するテイソに、ジェーンは一呼吸置いて語り始めた。

「この館は山犬館が正式名称だけれど、別称としてデスゲームの館と呼ばれることも多い。その名のとおり五年ほど前まで実際にデスゲームを開催していたけれど、この館の持ち主にして主催者の餅川が突然死し、以後開催されることはなくなったわ。今は持ち主不在の死んだ洋館よ」

 不用意に歩き回るようなこともなく、その場から一歩も動かないまま淡々と語る。

「餅川の死についていは謎が多く、警察は心臓麻痺による死と結論づけたけれど、実際は殺されたのではないかという噂もある。個人的にはそちらを推したいところね。餅川はいわゆる闇金業の経営者で、重負債者から主にデスゲームの参加者を選んでいたみたい。ただ時折一般人を拉致してきて参加させることもあり、そんなときは必ず若い女をターゲットにしていたそうよ」

 昨日の今日でどうやってこんなに調べたのか。相変わらず良く回る舌と頭脳に驚嘆しつつ、蓮は尋ねた。

「デスゲームは資金回収のための興行目的だったってことっすか?」

「違うわ。おそらくただの趣味でしょうね。本人の交友関係が狭かったのもあって、ゲストを呼んだという話は聞いたことがないわ。だからデスゲームの内容を知っているのは生還した参加者と一部の部下だけ。具体的にどんなトラップがあったのかまでは私も知らないけれど、さっきのクソガキの言ったとおり必ず犠牲を強いるようなギミックは好まなかったみたい。実際、全員で生還したこともあったそうよ」

「性格いいんだか悪いんだかわかんないっすね」

「こういうのは『いい性格をしている』って言うのよ」

 なるほどうまいことを、と思わずうなってしまった。

「餅川は人の死ぬのが好きというより、死に抗う姿や死の恐怖に錯乱する姿が好きだったのかもしれないわね」

「だから殺人鬼じゃなくてデスゲームなんていう面倒なものをやってたんすねえ」

「それともうひとつ重要なことがあるわ。餅川は、もしかしたら魔法かなにかを使えたのかもしれないわ」

 至極真面目な表情で突拍子もないことを言い出した。

「……ジェーンさんってそんな冗談も言うんすねえ」

「この館に仕掛けられたギミックを考えるに、どうしても現代科学では説明のつかないものがいくつかあったらしいの。私もいくつか考証してみたけれど、たしかに現代の技術レベルでは不可能と言って良いものがあったわ」

「それが魔法だと」

「本当のところどういった名称なのかは不明だけれどね。噂話の中で、暫定的にそう呼称されているだけよ」

 あまりに信じがたい話だが、電気もガスも死んだはずのこの館でデスゲームのギミックが動いている現実を前にすると、なるほどもしかしたらそうなのかもしれないと思わされるだけの説得力が帯びた。

「今のところ役に立ちそうな情報はこのくらいかしら。餅川については興味があって一時期よく調べていたのだけれど、これ以上はあまり役に立ちそうにないから割愛するわ」

「……さすがですわ。魔法の件も噂話程度にしか知りませんでしたが、あなたが肯定的な立場をとるならば信じて良いかもしれませんね」

「対価として教えて欲しいのだけれど。上から見ていた時の感覚と照らし合わせて、この扉を抜けたら外? あるいは部屋がありそう?」

「部屋になるほどの空間があるようには見えませんでした。が、外壁に扉のような輪郭も存在しませんでしたので、もしかするとこの扉の先に階段があって、そこで地下まで降りるというようなことはあるかもしれません」

「そう考えると、あるいはどこかの部屋から地下に繋がるルートがあったりするかもしれないわね」

 そんな話をしているふたりの横で、蓮は「よし」と声を上げた。

「爆破準備できたっす。ジェーンさんテイソちゃん、下がっててください」

「あんたいい加減にしなさ「はい点火! 逃げるっす!!」

 ジェーンの抗議を無視して導線に火をつけると、ふたりを抱えて一目散に逃げた。

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 罠を踏むかもしれないという恐怖もありつつ、それ以上の危険を背に全力で逃げる。両脇に幼女を抱えたまま階段に差し掛かろうとしたところで、「耳塞いでてくだ」ドッカアアアアアアン!! と派手な爆発音と、一瞬遅れて強い風圧を背中に感じた。

 沈黙なのか、あるいは耳が馬鹿になって聞こえていないだけなのか。爆発音のあとの数秒間の無音を経て、蓮はふたりをその場でおろした。

「ケガはないすか?」

「…………おかげさまでね」

 ぶすっとむくれながら言うジェーン。テイソのほうも不満げに視線をそらしつつ「ありません」と小さく言った。

 そんなふたりから目をそらして奥のほうを見やると、だんだんと晴れてきた粉塵の向こうから、長方形に切り取られたクソミドリが姿を現した。

「やりましたよジェーンさん」

「……それよりあんたその足どうすんのよ。痛くないの?」

「死ぬほど痛いっす」

 ドン引きしながら見てくるジェーンに、苦笑いを向ける。

 日本昔話で動物がかかっているタイプの、ギザギザの刃で脚を挟み込んでくるトラップ。蓮の右足は見事にそれを踏み抜いていた。

 バネが強力なのか、割としっかり皮膚の奥まで刺さっていて、血もだらだらと流れ始めていた。

 両手で引きはがそうとするが、ぬるぬるとした感触で手が滑るうえに思いのほか強烈に挟み込まれており、わりとでどうしようもなかった。

「俺はあとで行くんでふたりは先に脱出しといてください」

「だから脱出したいのはあんただけなのよ」

 呆れたように言って、ジェーンが蓮の足もとに手をかけた。

「っだぁ!! いだいいだいいだい!!」

 容赦なく罠に触れる。あまりの痛みに声を上げるが、まったく気にした様子もなくジェーンはぐにぐにと動かした。

「なにこの罠。どこにも繋がれていない欠陥品じゃない。もうあんたこのまま歩きなさいな」

「よしんば俺がドMだったとしても、この仕打ちしてくる幼女にはやんわりとキレますよ」

 脂汗をにじませながら息絶え絶えに言う。

 だがジェーンはまったく気にした様子もなく、しげしげとトラップを観察した。

「それにしても、デスゲームだからといってすべて即死級というわけではないのね」

「こうして足止めをしてる間に追撃が、という可能性も考えられます。たとえば巨大な岩石が転がってくるなど――」

 テイソがおしとやかに言いながら振り向き、続く言葉を失った。

 どうしたのかと蓮も顔をあげ、目玉が飛び出た。

 本当に巨大な岩石が転がってきていた。

 ガチのマジで緊急のとき、声を出している余裕などないことを蓮はこのとき知った。

 硬直したふたりを両脇に抱え、全力で出口へ向かう。

 右足をえぐる痛みなど知ったことではない。おそらくはドバドバ分泌されるアドレナリンで吹っ飛んでいった。

 ふたりを両脇に抱えてむりやり扉をくぐり、飛び降りた。

 重たい音を立てて、「ぐえっ」「ぎゃっ」華麗に着地。

「~~~~~~ッッッ!!」

 右足に走るあまりの激痛に、しかしなんとか仁王立ちを保った。

 天を仰ぎ、深く、深く息を吐いて、それからふたりを地面にゆっくりと下ろした。

「……あんた大丈夫?」

「鍛えてるんで」

 どれだけ鍛え上げた肉体でも裂傷には耐性などつかない。それがジェーンにわからないはずがない。だから蓮は笑って見せた。

「それよりこれからどうするっすかね」

「もう一回チャレンジと言いたいところだけれど、さすがにその出血は放置できないわ。まず山を下りましょう。依頼人への説明はまたあとで考えるわ」

「了解っす。テイソちゃんは?」

「わたくしは……」

 振り返り、館を見上げる。

 いまだ冷めやらぬ怒りを黒い瞳に宿し、力強く言った。

「やはり、首謀者を殺してやらなければ気がすみません」

「復讐はなにも生まないけど、スッキリするっすからね」

 テイソは答えず、かわりに蓮の足元にしゃがみこんだ。

「下僕さん座ってくださいまし。罠を外してさしあげます」

「え、うん。はい」

 突然のことに戸惑いつつ、足を刺激しないよう慎重に尻をつく。

 テイソは着物の内側からドライバーを取り出し、蓮の右足を噛む罠を観察し始めた。

「テイソちゃん急にどうしたの」

「一応、礼です」

「俺が勝手に爆弾投げてトラップに引っかかっただけなんだけど」

「そうですね。ですが、おかげでわたくしも少し頭を冷やすことができました。冷静に考えて、あの館の中に首謀者がいるわけがありませんから。あそこで意固地になっていたらきっとわたくしもツキさんと同じ場所に行っていましたわ」

「……こんなこと聞いていいかわかんないんだけど、君とツキギメさんは結局どういう関係なの」

「わたくしはただの助手ですわ」

「君くらいの年代の子が怪盗の助手をやってるって時点で納得感ないんだけど」

 それ以上に、彼女からツキギメへ向けられる矢印は、明らかに助手の範疇を超えているように感じられた。

「あなたに理解できる話ではありませんわ。あの人がわたくしを必要としてくれる。助手をする理由はそれだけでじゅうぶんですの」

「……そっか」

 それ以上なにかを言うのも憚られて、蓮は黙って彼女の華奢な指を見つめた。

 かちゃかちゃと金属の触れる音が、木々のざわめきに紛れる。

「お待たせいたしました」

 テイソが達成感のこもった声で言って、バラバラになった罠を持ち上げる。

 彼女の言うとり、蓮の足は見事に解放されていた。

「ありがとう。さすが器用なんだね」

「ツキさんが不器用でしたから」

「そっか。じゃあかたき討ちになるかわかんないけど、とりあえずこの館燃やそっか」

「良いアイディアですね」

 ニヤリと笑んで、テイソが答えた。

 三人はそれから屋敷をくべるための薪をあつめて、火をつけた。

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