第2話

 昨晩遅くまで起きていたのがたたったのか、あやうく寝坊するところだった。

 色々と文章を考えたのだけれども、結局は何も書けず、呼び出して思いを伝える作戦へ変更することにした。


「チハヤ、きょうは朝練行くんでしょ、遅れるわよ」


 母の声が聞こえてくる。

 制服に着替えて、部活の道具をカバンに詰め込むと、わたしは急いで家を出た。

 なにか忘れているような気がしていた。

 でも、急がなければアイツよりも先に学校に到着することが出来なくなってしまう。

 アイツはいつも6時30分には登校している。

 それはアイツが自慢げに同級生へ話していたのを盗み聞きしたから知っていることだった。


 学校に着いたとき、まだ玄関には誰もいなかった。

 昨夜書いた手紙を取り出し、アイツの下駄箱に入れようとしたところ、その手紙が手からするりとこぼれ落ちてしまった。


 あ、やばい。


 そう思った時、校門のところに人影があることに気づいた。

 アイツだ。


 姿を見られるわけにはいかない。

 とりあえず、手紙は後で回収しよう。

 そう決意し、わたしは慌てて下駄箱から離れると、廊下の角に身を潜めた。


 あいつはいつも通り、6時30分に登校した。

 下駄箱のところで靴を履き替えようとしたとき、床に落ちている手紙にあいつが気づいた。

 ちょっと待って、拾わないで。

 わたしの心の叫びも虚しく、アイツは手紙を拾ってしまった。

 それどころか、中も開けて見ている。

 作戦は、みごと失敗に終わった。

 わたしは落ち込みながら、その日の部活の朝練には参加するのをやめようと思った。

 しかし、アイツはなぜか手紙を自分のカバンにしまい込んだ。


 え、どういうこと?


 わたしは困惑した。

 その真相を確かめるべく、わたしはやっぱり朝練に参加することを決めた。


 6時50分。いつものように、わたしは体育館へと入っていった。


「グッモーニン!」


 違和感のないように、いつもと同じ挨拶をアイツにする。

 朝練にはアイツしか来ていなかった。


「おはよう」


 アイツはすでに体を温め終わっているようで、額の汗を拭きながらわたしに挨拶を返してきた。


 く、格好いい。

 汗を拭う姿。それを見ただけでわたしの心はアイツにときめいてしまう。


 でも、わたしは平常心を保ちながら、言葉を返す。


「きょうも早いね」

「まあな」


 アイツはそれだけ言うと、再び竹刀の素振りをはじめた。

 朝練はアイツとふたりっきりだったけれども、特に話をするタイミングはなかった。


 決められたメニューを二人でこなして、汗をかいた。


 どうでもいい話だとすんなりと出来るのに、意識してしまうと急に話が出来なくなってしまう。

 結局、朝練では何も話せないまま、わたしは授業へと向かった。


 放課後、わたしは走っていた。

 手紙で相手を呼び出すことを書いていたのに、自分が出遅れたのだ。

 A棟とB棟を結ぶ渡り廊下を走っていると、どこかから声を掛けられた。


「おーい、チハヤ」


 声のした方に顔を向けると、一階のグランド脇を剣道着で歩いているアイツの姿があった。あいつは、大声でわたしのことを呼び、両手を振りながら騒いでいる。


「どうした、部活に遅刻するぞ」


 どうしたじゃねえよ、お前が呼び止めたんだろうが。

 わたしは、心の中でアイツのことを罵る。

 でも、なんでアイツはグランドにいるわけ? 部活は体育館でやるものでしょ。


「あんたこそ、部活は? どこ行くの?」


 わたしが聞くと、アイツからは意外な言葉が返ってきた。


「ちょっと野暮用があってな……。そうだ、チハヤ、お前も来てくれ」

「え?」

「な、一緒に来てくれよ」

 

 アイツがわたしを拝むようなポーズを取って見せる。


「わかった。行くから、ちょっと待ってて」


 わたしはそう言って、アイツのもとへと向かうために再び走り出した。


 どうして、こうなった。

 手紙はきちんとアイツに渡したわけじゃないのに。

 なんで、あいつは体育倉庫裏に向かっているんだ。


 わたしは訳がわからなくなってきていた。


 一階に降りて、アイツのいる場所に辿りついた時には息が上がっていた。

 考え事をしながら走ったせいで、途中、呼吸のペースがおかしくなっていたのだ。


「実はさ、朝練の前に玄関で手紙を拾ったんだよ」


 アイツはわたしにそう切り出してきた。


 知っているよ。全部見ていた。それにその手紙書いたのわたしだから。

 心の中でわたしはアイツにツッコミを入れる。


「それでさ、手紙には宛名も差出人の名前も書いていないんだ」


 え? その時、わたしは痛恨のミスをしていたことを知った。

 宛名を書いていないのは、アイツの下駄箱に入れるつもりだったからだけど、まさか差し出し人に自分の名前を書き忘れていたとは……。

 痛い、痛すぎる。痛すぎるぞ、わたし。


「だからさ、体育倉庫裏に行って教えてあげようかと思って」


 頼むから、これ以上わたしの傷口に塩を塗るような真似をしないでくれ。

 そう思いながらも、わたしは感情をすべて殺して、アイツに答えた。


「え……。そう、そうなの。わかった、わたしも行くよ」


 アイツとわたしは体育倉庫裏の物陰に隠れた。

 誰も来るはずがないのに、ずっと息をひそめて待っている。


 こんな滑稽なことがあるだろうか。

 そう思いながらも、すぐ隣にいるアイツの横顔をわたしはじっと見ていた。


 長いまつ毛に、すこしだけ高い鼻、唇は薄いし、頬にニキビもある。

 なんでこんな奴のこと好きになっちゃったんだろうな。

 わたしはの横顔を見つめながら、そんなことを思っていた。


 わたしたちは30分ほど、体育倉庫裏の物陰でじっとしていたが、ついにしびれを切らした彼が口を開いた。


「もう時間切れだな」

「誰かのイタズラだったんじゃない?」


 白々しくわたしは言った。


「そういうイタズラがあるのか?」


 どこまで天然なんだ、この男は。そう思いながらわたしは、その発言を無視した。



 その後もわたしは、彼に告白をすることなく高校3年間を終えてしまった。

 でも、彼のことが好きだという気持ちは、いまでも変わらない。


 いまでも時々、彼はわたしに言う。


「あの時の手紙の差出人と受取人は誰だったんだろうな」と。




 -手紙- おしまい

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手紙 大隅 スミヲ @smee

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