手紙

大隅 スミヲ

第1話 

 その手紙はA棟校舎の中央玄関にある2年生の下駄箱の前に落ちていた。

 宛名の書かれていない白いシンプルな封筒。たしか、購買部に同じものが売られていたはずだ。

 誰かが落としたのだろうか。

 俺は辺りをキョロキョロと見回したが、この時間に学校にいる生徒は俺以外に誰もいなかった。


 玄関のところに掛けられている時計は、6時30分を指し示している。

 朝練がはじまるのは7時だったがおれは、みんなよりも先に登校して体育館の鍵を開けたりするという仕事があったため、早く来ていた。

 もちろん、それは建前であり、ひとりで練習をしておきたいから早く来ているのだ。


 俺は拾った封筒をどうしようかと悩んだ。

 宛名も送り主の名前も書かれていない封筒。

 落とし主には悪いが、中身を確認させてもらうことにした。

 封筒の中には一枚の便箋が入っていた。


『今日の放課後、体育倉庫の裏に来てください。待っています』


 たった一文が書かれているだけ。最後にはきょうの日付が入っていた。

 文字は男が書いたようにも見えるし、女が書いたようにも見えた。こういうのをなんといえばいいのだろう。中世的な字? どちらにせよ、綺麗な字であり、書いた人が几帳面な性格だということは感じ取ることができた。

 中を開けては見たものの、これだけでは誰に出したのか、そして誰が出したのかもわからなかった。


 どうしようか。迷っている時間はなかった。すぐにでも体育館へ行って、入口の鍵を開けなければならないのだ。とりあえず、俺はその手紙を預かっておくことにして、カバンの中へと入れた。


 体育館に一番乗りした俺は、まず体育館をモップ掛けして、それから稽古着に着替えた。おれの所属する剣道部は、毎年ひとりは県大会に出ている強豪チームであり、朝練の他に部活、部活のあとの夜錬なども行われたりしている。部員は全部で40人程度。夜錬ではOBの先輩が稽古をつけに来てくれたりしていた。


「グッモーニン!」


 俺が素振り千回を終えた頃に、ひとりの部員が体育館へと入ってきた。

 赤根あかねチハヤだった。チハヤは女子剣道部のエースで、昨年の1年生大会では見事地区優勝を果たしている。


「おはよう」

「きょうも早いね」

「まあな」


 チハヤとそんな会話をしながら、時計に目をやると6時50分になっていた。あと10分で剣道部の朝練がはじまる時間だ。

 基本的に朝練は参加希望者のみで行われる。

 俺みたいに早くから来ている人間もいれば、チハヤみたいに時間の少し前に姿を現す人間もいる。ただ一つ言えることは、朝練は参加者が少ないということだ。

 その日も結局、朝練の参加者はおれとチハヤだけだった。


 朝練の後の授業は非常に眠い。

 特に苦手な科目だったりすると、100%の確率でまぶたが重く圧し掛かってきてしまうのだ。

 その日も例に漏れず、俺は数学の授業中に意識を失っていた。


 授業を終えて放課後になると、俺は体育館へと向かう。

 放課後は部活の時間なのだ。

 部活は、1年生から3年生までの部員たちが、ほぼ全員参加していた。

 広い体育館であっても40人の剣道部員たちが一堂に会すると狭く感じてしまうほどだった。

 男子更衣室で剣道着に着替えようとした時、カバンのポケットから一枚の封筒がこぼれ落ちた。


 あれ? なんだっけ、これ?


 俺は見覚えのない封筒に戸惑いを覚えた。

 その封筒を手に取り、中身を見た瞬間にすべてを思い出した。


 あ、いけね。忘れてた。


 手紙の存在を完全に忘れていたため、この手紙はのために書いたのかということはわからないままだった。

 とりあえず、約束の場所へ行ってみるか。手紙を受け取るはずの人間は来ないけれども、手紙を出した人間は来るはずだ。そうしたら、手紙を出した人に落ちていたといって返してあげよう。


 うん、名案だ。


 俺はひとり頷くと、剣道着のまま体育倉庫裏まで行くことにした。

 途中、A棟とB棟を結ぶ渡り廊下のところに見覚えのある顔がいることに俺は気づいた。


「おーい、チハヤ」


 俺は大声を出して、両手を振りながらチハヤを呼んだ。

 チハヤは少し慌てた様子で渡り廊下を走っていたのだが、俺に呼ばれたことで立ち止まった。


「どうした、部活に遅刻するぞ」


 俺がそう言うと、チハヤは黙って俺の方をじっと見ている。

 そして、少し考えたような顔をしてから言葉を返してきた。


「あんたこそ、部活は? どこ行くの?」

「ちょっと野暮用があってな……。そうだ、チハヤ、お前も来てくれ」

「え?」

「な、一緒に来てくれよ」


 俺は渡り廊下にいるチハヤに対して拝むようなポーズを取って見せる。


「わかった。行くから、ちょっと待ってて」


 チハヤはそう言うと、再び渡り廊下を走り出した。


 待つこと数分で、チハヤが合流した。走ってきたためか、チハヤは息を切らしている。

 いや、そこまで急がなくても良かったんだけど。

 そんなことを思いながら、俺はチハヤにこれから体育倉庫裏に行くことと、今朝拾った手紙の話を教えた。


「え……。そう、そうなの。わかった、わたしも行くよ」


 ちょっと意外なリアクションを見せたチハヤだったが、すぐに俺の提案に乗ってきてくれた。こういう時に頼れるのは、やっぱりチハヤなのだ。


 俺とチハヤは体育倉庫裏の物陰に隠れて、手紙の差出人が来るのをじっと待っていた。

 もし手紙の差出人が女の子だったら、チハヤに手紙を返すのをお願いしようと思っていた。だって、男の俺が急に体育倉庫裏に現れて手紙を返したら、相手の子もびっくりしちゃうだろうし。

 しかし、待てど暮らせど、その人物は姿を現すことは無かった。

 一応30分ほど、俺とチハヤは物陰に隠れて待っていた。


「もう時間切れだな」

「誰かのイタズラだったんじゃない?」

「そういうイタズラがあるのか?」


 俺の問いにチハヤは何も答えなかった。


 結局、この手紙は何のために出されたのか、この手紙の差出人は誰だったのか、この手紙を受け取るはずだったのは誰だったのか、すべてが謎のままだった。

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