<29・感謝>

「あ、閃君!」

「あ……堂島、さん」


 焔の病室はわかっている。閃がやや重い足取りで病院に向かうと、丁度彼の病室から出てきた美園と遭遇した。お見舞いに来たのか、事務所の状況を伝えに来たのか。面会謝絶状態ではない、ということは確かであるようだ。


「んー……」


 彼女はちょっと考えた後、ちょいちょい、と廊下のベンチに閃を誘導する。ちょっとだけ話をしよう、と言いたいらしい。

 起きてすぐ退院したのに、普通の学校に行くだけ行ってお見舞いに来る気配がなかった自分を責めてくるだろうか。一瞬そんなことを思った。しかし。


「ごめんね、またうちの所長が迷惑かけたみたいでさ」

「……は?」


 言われたのは、あまりにも意外な言葉。迷惑かけられた覚えは、正直ない。いや、確かにちょっときっつい言動やら唐突な命令に振り回された感はあるが、それだけだ。むしろこっちが迷惑かけた側だろう。依頼しておいてまだ結局一銭も払ってないし、自分は気を失っただけで無傷だが彼は重傷で生死を彷徨ったのだから。


「迷惑なんて、かけられてないです。その、俺が勝手にもだもだして、お見舞いに二の足踏んでただけで……」


 罪悪感からそう告げると、それはそうでしょ、と美園は返してきた。


「……あいつ、ほんと言葉足らないから。先生が死んだこと、あんたがすごく気に病んでるんじゃないかって結構落ち込んでるっぽいのよね」

「え」

「……私はあいつの仕事何回か見たから知ってるんだけどさ。鬼使いになった人間を助けられるかどうかって、結構難しいんだよ。今回みたいに、儀式の要となっている道具を壊して、呪詛返しをするしか方法がない時も少なくない。というか、段階によっては呪詛返しが起きてもダメージが少なかったり、そもそも呪詛返しが起きなかったりもするんだけど……それはケースバイケースというか、やってみないとわからないことが多いみたいでさ。……今回も、その先生が死ぬ可能性があるのはわかってたけど、あいつは死にかけてるし疵鬼はもうそこまで来てたし、選択の余地がなかったってことみたいで」


 それは、なんとなく想像がつく。それでももだもだと考えてしまっている閃に、問題があるというだけで。

 が、そこから先に続けられた美園の言葉は、あまりにも予想外なものだった。


「閃君は、呪詛返しが起きるかもしれないなんて思わなかったでしょ、あいつが教えなかったから。……わざと教えなかったんだろうなって思うよ、私はね」

「!」

「だって。……そうなるって知らなかったのに、選択させたらさ。あんたは、自分は知らなかったんだからって、自分を責めなくていいと思ったんじゃないかな。……新倉先輩の方を、ちゃんと憎んでくれるんじゃないかって。それでいいって。言葉足らないけど、そういう人だから」

「な、んで」


 全く、思い至らなかったことだった。何で呪詛返しのことを教えてくれなかったんだと、実際閃は焔のことを恨んでいたのも事実だから。だが、確かに教わっていたらきっと躊躇って、間に合わなくなっていたかもしれないのは事実で、だから仕方ないのだと割り切ってたのに。

 それだけでは、なかった?

 閃が己ではなく、焔を恨むように?


「い、意味が、わかんないです」


 声が、震えた。


「俺、あの人と会ったばっかですよ?しかも、依頼しに来た依頼人ってだけ。あの人は死にかけるくらいの怪我してて、その状態で異空間から俺を助けてくれて、ただでさえそこまでしてくれたのに俺が気に病まないようにって?……なんで?そこまでしてもらう義理なんか、いっぺんも、ないって、言う、か」


 流石に動揺するしかない。いくらなんでも、会ったばかりの赤の他人への配慮としては行き過ぎているのではないか。これが高い金を支払った上客ならともかく、そういう要素さえなかったのだから尚更に。


「いつもならそこまでしないと思うよ。なんだかんだ言って人を見捨てられないヤツではあるけど……でも、今回はより特別だったというか。やっぱり、妹の、薫ちゃんのことを思い出したからというか」


 美園はベンチの上で足を組み直して、ため息をついた。


「あいつの妹が死んでるって話、したっけ?」

「え?あ……なんとなく、聞いたような」

「妹の、薫ちゃん。いい子だったな、新倉先輩と違って愛想もいいし、優しいし、お上品だし。でもって、友達思いだった。新倉先輩ほどじゃないけど霊感があってさ、それで……霊的トラブルに巻き込まれた友達を助けようとして、焔に何も言わないで鬼の事件に首突っ込んじゃったんだよね。ていうか、もう相当やばい事件になってたせいで、焔も干渉できなかったんだけど」

「あ……」


 思い出したのは、焔の言葉だ。




『……助けに行けないんだぞ。たとえ、命より大事な奴が、怪異で死にかかっていても……自分に危険があるなら自分の意志とは関係なく近付けない。お前はそんな能力がお望みか?』




 やはりあれは。

 救えなかった妹のことを、思い出していたのだ。


「私は直接関わってないから、このへんは全部本人と周りから聴いた話ではあるんだけどね。……もう四年は前になるか。壷鬼事件、って聞いたことない?薫ちゃんだけじゃなくて、他にもいろんな人がたくさん死んだんだよね。それも結構悲惨な死に方」

「そういえば、そんな話をどこかで聞いたこともある、ような」

「その事件で、後輩助けるため、壷鬼を封印しようと走り回ってたのが薫ちゃんだったんだけど。相手は、正直彼女の手に負えるような奴じゃなかったんだよ。それで、最終的に……。頭と胴体だけの、酷い死体になってあいつと家族のところに戻ってきてね。その事件がきっかけであいつは鬼って存在を知ったわけだけど、正直それが終わりじゃなくて」

「終わりじゃなくて?」

「……あいつの両親、おかしくなって。一家バラバラになっちゃったの。母親はノイローゼで暴力振るうようになるし、父親はギャンブル中毒で借金作って逃げるし。最終的には、ヤクザな借金取りが家まで乗り込んできて……母親と新倉先輩、拉致されて地獄を見た、って。結局母親は死んじゃうし、奇跡的に生還した新倉先輩は……多分、なんか、螺子が外れちゃったんだろうな……」


 今でもその地獄の三日間について、あいつは絶対話さないから、と美園は話を締めくくった。


「鬼を退治して、あるいは鬼から逃げのびたら終わりじゃないの。……先輩は多分、閃君には、自分と同じ目に遭って欲しくなかったんでしょうね」




 ***




 心は、難しい。理性と感情は簡単に引き離せないものなのだ、と常々思う。

 美園が立ち去ったあと、閃はやや躊躇った後――病室のドアに手をかけたのだった。引き戸を開けるとすぐ、個室のベッドの上にいる人物が目に入った。上半身を起こした焔は、点滴に繋がれていない右手で本を持ち、そこに目を落としている。スライドドアが開いた音には気づいたはずなのに、こちらに目を向ける様子はない。


「あ、あの」


 自分から声をかけなければ。そう思った閃が声を出すと。


「あの馬鹿」


 焔はあからさまに不機嫌そうに、吐き捨てた。


「余計な話をしやがって。お節介もいいところだな」

「……聞こえてました?」

「ところどころだけどな。どうせ、俺に同情しろとでも言ったんだろう」


 馬鹿、とは美園のことだろう。彼はこちらを見ることもなく、ため息をついて言う。


「気にしなくていい。そんでもって、言いたいことがあるならさっさと言え。俺は謝る気はない。だが、お前には俺を恨む権利がある」

「新倉、さん……」


 美園の話を聴いてしまったこと。それから、彼が自分のためにどれほど力を尽くしてくれたか。全てを照らし合わせてみれば、焔の言葉を到底そのまま受け取ることなどできるはずもなかった。

 謝らないのは、他に方法がなかったと思っているから。そしてその上で、閃に罪悪感を抱かせる意味がないから。

 恨む権利があるなんて言っている時点で、恨まれるようなことをしたと誰が一番気に病んでいるかなど明白だというのに。


「……ありがとう、ございました」


 だから、閃がするべきことは一つ。

 一歩前に出て、彼の前で頭を下げたのだ。


「貴方のおかげで、俺と妹は、学校のみんなは救われた。そのお礼を、まずしなくちゃいけなかったのに。来るの遅れて、すみませんでした」

「学校があったんだろう。部活も」

「日曜日はなかったし、そもそもそういう問題じゃないので」


 戸惑ったように、焔がこちらに顔を向ける。なんとなく、読んでいる本のページはちっとも進んでいなかったんだろうな、と思った。ただ話を聴いていません、のポーズで読んでいる振りをしているだけ。そう考えると、なんとも古典的で、わかりやすい人ではないか。


「お金はちゃんとバイトして返します。俺に他にできることがあるなら何でも言ってください。その、霊感もろくにない、ただのデカブツなんで、肉体労働くらいしかできないけど。でも」


 先生は、ありがとう、と自分に言った。無惨な最期だったとしても、先生は先生なりに納得して、救われたのではないか。

 仮にそうではなかったとしても。救われた、と生きている自分たちが信じて前に進むことはできるのではないか。

 だから、過去の恨み言で足を踏み外すより、考えるべきことがきっとある。そう。


「俺も、妹も、頑丈で健康なのが取り柄みたいなもんなんで。……絶対絶対、不幸になったりしませんから。それだけは、約束しますから」


 絶対なんか、本当はなくても。

 絶対そうするのだと、誰かに誓うことで確率を上げることはできる。

 未来をきっと、確かなものに変えられる。


「……そうか」


 ぱたん、と。焔が膝の上で、本を閉じた。


「その言葉、嘘はないな?」

「勿論です!」

「今の言葉だけじゃない」


 そこでようやく、彼がこちらを見る。そして、鉄面皮だとばかり思っていた顔に、にやり、と笑みを浮かべた。ただしそれは美貌に似つかわしい、王子様のような微笑などではなく。どちらかというと、悪の魔王が浮かべるような、邪悪な類のもので。


「お金はバイトして返す、何でもする。そう言ったな、貴様?」

「へ?」


 あれ、ひょっとして、今失言したか自分。そう思った直後。


「お前は異界のものを引き寄せる性質があるようだからな、客寄せパンダとして良さそうだ。うちでバイトしろ、明日から」

「は!?」

「部活後の夜と日曜だけでもいいぞ、今は。とりあえず、大量に溜まっている書類を堂島と一緒に整理しろ。それと、事務所の掃除をやってくれる人間が欲しかったところでな」

「はい!?」

「勿論、状況次第では仕事も手伝ってもらうからそのつもりで。お前は運動神経も良さそうだし、“鬼退治”の桃太郎にはぴったりじゃないか」


 確かにバイトで返すつもりではいた。でも、それはあくまでコンビニとか、ファミレスとか、工場とかの一般的な仕事で依頼料を払いますというつもりだったのに。

 というか。もしやこの人は。


――最初っからそのつもりで……俺に馬鹿高い依頼料ふっかけてきたんじゃないだろうな!?


 いや、まさか、そんな。

 冷や汗だらだらの閃をよそに、焔はどこか楽しそうに告げたのだった。


「どんな状況でも、何がなんでも元気に生き残れよ?きちんと約束してくれたものな?」

「あああああ!」


 病院ゆえ、やや控えめな閃の悲鳴は。どこまでも細く、尾を引いて響き渡ったのだった。

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疵鬼 はじめアキラ @last_eden

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