第5話 逃げられた人はいない

 美夜にも一部始終を話し、三人で太郎と次郎を探すことになった。


 上田先生は先に私たちを家に帰すべきか悩んでいたが、最終的には一緒に探す許可をしてくれた。私の熱意に負けたと言っていたが、本当は単にオトケシが怖かっただけなのかもしれない。

「…………」

 窓から入る微光のみでも、美夜が緊迫した顔でこちらを見ているのが分かる。美夜もまた責任を感じているのかもしれない。オトケシの話をした張本人だし、廃病院に入るきっかけも美夜が遅れたからだ。

「べ、別に美夜が落ち込むことはないよ。全部始めたことだから」

 結局、美夜は単に遅れて来ただけだったようだし、要するに太郎の早とちりだったということになる。これが後で笑い話になってほしい、そのためにはみんなが無事で帰らなきゃいけない。

「先生はどうしてここにいたの?」

 美夜が上田先生にライトを当て、尋ねる。

「え? あぁ、実は御手洗さんたちが話してるの、たまたま聞いちゃって。お昼休みに悪巧みしてたでしょう?」

 上田先生は苦笑いをして答えた。

「悪巧みではないけど……」

「それでここに集まるって知ったの。でも、もっと早く来れたら良かったわね……ごめんなさい」

 申し訳なさそうに、顔をうつむかせる。私には責任を感じなくていいと言っていたが、代わりに上田先生が感じていては元も子もない気がする。

「先生は悪くないですよ」

「そうだよ。上田先生がいてくれて、今はすっごい頼もしいし」

 大人がいる、というのは想像以上に勇気づけられる。美夜と二人だけだったら、病院に入る決断はできなかったかもしれない。

「それなら良かったわ」

 と言った会話をしながら病院内を探索し続けたが、手掛かりすら見つからなかった。


 時刻が進むにつれ、気温も下がっていく。一応パーカーを羽織って出向いたが、夏がまだ訪れていない時期の夜は、それ以上に寒かった。

「…………」

 お腹の下のあたりから、じんわりと重さを感じる。体内に溜まった水分が圧迫する感覚は、一気に襲ってきて、今にも破裂しそうな気分になる。ギュっと筋肉に力を入れて我慢をしているが、これがいつまでできるかは分からない。

「御手洗さん、もしかして……」

 上田先生の声が急に耳元で聞こえてきた。

「えっ!? えっ、なんですか?」

 あまりにも急だったので、驚いてうずくまった。ただでさえ我慢をしているのに、しゃがんだせいでさらにお腹の下が圧迫される。

「その……おトイレ、いきたいのかしら?」

 上田先生は見抜いていた。

「なぁっ! どうしてですか?」

 何で気付いたのだろうか。耳の裏まで、顔がとにかく熱くなる。

「私も分かった。もじもじしてた」

 美夜がライトを私の股間に当てる。周りに尿意を察知されるだけでも十分な恥ずかしいのに、そんなことまでされたらただの恥辱。顔から火が出る、とはまさにこのことだ。

「そう……」

 避けるように一歩だけ横に移動し、ライトが当たらないようにした。それにしても、二人にバレていたとは。そんな振る舞いを見せていないつもりだっただけに、余計恥ずかしさが増幅する。

「ちょうどここがトイレだね」

 美夜は懐中電灯を上方に向ける。男女に別れたマークが、トイレであることを教えてくれた。

「いや、でもここは……」

 廃病院である。トイレだったとしても、トイレの機能が備わっているとは思えない。

「あぁ、水が流れないわね。……まぁいいじゃない、私たち三人の内緒ってことで」

「えぇ……」

 教師の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。確かにバレはしないが、環境的に問題がないのか心配である。

「我慢するほうが体に悪いんだから。さ、入って入って」

 上田先生に背中を押され、強引にトイレの敷地に足を踏み入れてしまった。

「わかりました……。で、でも、先生と美夜も来て……。はぐれたくないから……」

 独りになるのだけは、避けたかった。




 トイレには三つの個室があった。手前二つが洋式、一番奥が和式である。普段なら洋式を選ぶ所だが、何年もろくに掃除もされていない場所に直接肌を付けるのは抵抗がある。そのため、今回は和式トイレを使うことにした。

「絶対にいかないでね。ちゃんとドアの前にいてね」

 念を押したうえで、個室のドアを閉める。トイレットペーパーホルダーの上に懐中電灯を置き、最低限の明かりは確保した。

「あぁぁ……。ふぅ……」

 解放感とともに、力が抜けていく。便器の中に水がないせいか、音が全然広がらない。これなら、扉の奥に美夜と上田先生がいても、恥ずかしさはだいぶ和らぐ。


 独りでいる時間は極力短くしたい。終えたらすぐにズボンを履き、ドアノブに手を掛ける。

「…………」

 その時、異変に気付いた。


 二人とも静かすぎないだろうか。入った瞬間は確か会話をしていたはずだが、いつの間にか全くの無音になっていた。

「ねぇ、大丈夫? せんせ~い……、美夜ぁ……」

 語りかけてみた。だが、反応はない。


 怖い……。二人ならオトケシが来るはずもない。一体何があったのだろうか。


「なんで……どうして……」

 考えていても恐怖は増すばかり、勇気を出して扉を開けた。

「あ、出た」

 トイレの奥に美夜が立っていた。いや、美夜しか立っていなかった。

「先生は……?」

 恐る恐る、尋ねる。

「オトケシに襲われちゃった」

 美夜は生気のない表情で答えた。

「うっ……ウソでしょ? やめてよそういうの!」

 必死で否定した。私が聞きたい答えじゃない。他のトイレを使っているとか、別の部屋に向かったとか、そういう現実的な回答である。

「オトケシなんて……本当はいないんでしょ? 悪い冗談はやめてさ、本当に先生はどこにいるの?」

 納得のいかず苛立ちを覚える。その苛立ちをぶつけるように叫んだ。

「オトケシはいるよ。どうしていないと思うの? 私の話、信じられない?」

 美夜が首をかしげる。

「だって……だって……、美夜の話が本当なら、うわさを広める人がいないじゃない! みんな死んじゃってるじゃない! 誰が広めたって言うのよ!」

 急に不安が襲って来た。美夜の目を見るだけで、あらゆる感情が吸い込まれ、恐怖だけが残る感じがした。

「どういうこと? ちゃんとうわさを広められる存在はいるじゃない?」

 最初は意味が分からず、数秒間固まった。

「死んでないでしょ?」

 死んでない――その一言が突き刺さるように思考を刺激し、太郎の主張していた矛盾がひっくり返されることに気付く。


 確かに、話の中で死んでいないヤツがいた。


 だが今更気付いたところでどうしようもない。完全に手遅れの状況だった。ここはトイレの個室、逃げることはできない。体の震えは止まらず、冷や汗がダラダラと額から湧き上がる。心拍数は急上昇し、首をつかまれたように喉が息苦しくなっていく。


 助けて……、誰か助けて……!


 花子は、断末魔の叫びすら上げられなかった。
































































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音消 ――オトケシ―― フライドポテト @IAmFrenchFries

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