第4話 人間を襲って食べる
美夜が来ない。
「あれぇ~? 九時に集合だったよねぇ?」
時計は九時十五分を指している。廃病院前でずっと待っているが、来る気配がない。病院の前は一本道があるぐらいで、それ以外は木々や雑草で覆われた、陰気な所だった。
「ちゃんと地図渡したんだよね?」
次郎が太郎に問う。病院までの地図を描いたのは太郎である。
「ああ、ちゃんと道順を書いておいた」
あの後、美夜は「今日のうちに検証したい」と言い出し、私たちもそれに賛成した。短ければ短いほど、小細工をする時間も取れなくなるからだ。
「……どこで集合って言った?」
太郎は、私に疑いの目を向けてきた。
「え? ちゃんと廃病院って……」
「廃病院の中……って受け取った可能性はないか?」
目的地に来られないわけがない、と太郎は思っているのだろう。
「そうかな……普通に道に迷っただけじゃないの?」
太郎は方向音痴の気持ちが分かっていない。言葉だけの説明で目的地にたどり着くのはとにかく難しい。私自身も、慣れていない場所はよく道に迷う。立地的にも、周りに目印にあたるものがないので、迷うのは仕方ないと思う。
「その可能性もゼロではない……。ここに一人残り、後二人で中を探索するか?」
その提案に、ギュッと心臓が締め付けられたきがした。
「残るの……!?」
独りきりになる、と考えただけで、昨日散々味わった恐怖がよみがえってくる。しかもここはオトケシが現れる可能性が高いと言われた場所だ。どんなにオトケシはいないと言い聞かせても、恐怖を拭える自信がない。
「いや、一人残るのは僕にする。花は次郎と中に行けばいい」
無意識のうちにおびえた顔をしてしまったのだろうか。太郎は入口を背にして、仁王立ちした。
「……ありがとう」
太郎の優しさをかみしめつつ、先も見えない暗闇が広がる中へ、次郎と足並みをそろえて進んでいった。
美夜はいない。
二人で懐中電灯を照らし、周囲を見渡すが、人の気配は一切しない。清掃がロクにされていない病院内は、壊れた器具が地面に落ちていたり、腐敗臭が漂ったりしている。個人的には嫌いでないが、好む人は少ないだろう。
「美夜~! いるぅ~?」
叫んでみるが、声が反響するぐらいで特に反応はない。
「やっぱりいないんじゃないかなぁ……」
そもそも、ここまで暗い所で待つだろうか。窓から微かに光は入ってくるものの、奥のほうは明かりが全く届いていない。待ち合わせにはどう考えても不向きだ。
「もうちょっと奥のほうにいたりして。俺たちを驚かすために」
光をあちこちに当てながら、次郎が勝手に進んでいく。
「あぁっ……! 待ってよぉ!」
「冗談冗談。ほらほら~、上行こうぜ~!」
次郎の調子のいい性格が出てきた。こっちは真面目に解決したいのに。
二人は階段を上り、二階に移動した。
もちろんここにも美夜はいない。
懐中電灯を持っていても照らされるのは前方のみ、横や後ろの様子が全く分からないので、気味が悪い。
わずかでも外の光がほしい。壁を伝い、窓際に向かおうと迫った。
「というか二階にいるわけないし。やっぱりまだ来てないんだって。何かしらの理由で」
「ま、太郎もわりとポカする時あるからな」
幸い話し相手がいるので、無音の恐怖から逃れられる。後方からしっかりと次郎の声が返ってくるだけで、ものすごい安心感を得られる。
「特に花が関わってるときはさ」
「私が? 今は美夜についてでしょう?」
今、私は関係ない。どうして自分の名前が出たのか分からなかった。
「いや、ああ見えて心配してるんだよ。花が夜一人で眠れないなんて言ったらさ」
「まぁ、太郎にそういう一面がなくはないけど……」
「ちなみに俺はもっと心配してるけどね。元気がない花は、花らしくないっていうかさ」
背中をポンッ、とたたかれた。最初はビクりと縮こまってしまったが、すぐに次郎の手だと認識し、体の力を抜く。
「うん。ありがと」
二人とも想像以上に私のことを想っている。確かに、弱い自分を二人に見せたのは初めてだ。オカルトに興味はなくても、いざという時に頼れる存在なのは間違いない。そう感じ取ることができた。
そんな会話をしていると、窓際までたどり着けた。軟い光に吸い寄せられるように外をのぞく。道路を見ると、すぐにその異変に気付けた。
「ん……?」
「どうした?」
「いない、太郎がいない!」
喉を最大級に震わせて叫ぶ。次郎はすぐに駆け寄ってきて、一緒に窓をのぞいてくれた。
「えぇ!? んなバカな……病院の裏側に来ちゃったんじゃないの?」
「目の前の注意書き見てよ! 私たちが入ってきた所にあったのだよ!」
この病院で道路と面しているのは正面のみ。後は荒野や草むらと隣接ばかりだ。さらに注目すべきは〈コノヘンキケン〉という看板、あまりにも具体性がなさ過ぎるので、初見の時に三人で爆笑したものだ。これは次郎も強烈に覚えているようで、すっかり黙り込んでしまった。
「なんで……なんで太郎が……!」
私はわけが分からなくなった。現在、見えているものが真実は思えない。気付くと、太郎がいた場所に戻って確認しようと足が動いていた。
花子は息を荒くさせて廃病院の前に戻った。死に物狂いで辺りを見回すが、太郎が隠れている気配はしない。
「どうしよう……! 何で……?」
太郎はイタズラをするようなタイプではない。こちらが不安がっている状況ならなおさらだ。本当にどこに行ってしまったのだろうか。もしかして、オトケシに襲われてしまったのではないだろうか。
「はぁ……はぁ……。あっ、次郎! 次郎―!!」
呼吸を整えている最中、さらに大きな過ちを犯してしまったことに気付いた。
私は独りだ。独りでここまで戻って来てしまった。これでは自分も、太郎も、オトケシに狙われてしまう。
急いで再合流しなくてはいけない。それなのに、足がすくんで動かない。鉛のように重かった。
涙ぐみながら上を見ると、二階の窓から光が奇妙に揺れているのが目に入った。
「じ、じろ……。次郎……!」
それが生存確認のサインであることはすぐに分かった。次郎のほうは、冷静な判断ができている。
「良かったぁ……」
本当に良かった。今ほど仲間の大切さをかみしめた時はない。吐息とともに、恐怖が外へと流れ出た気がした。
「ごめーん! 今から行くねー!」
とにかく離れていていい事はない。手を口に当てて大きな声を出した。懐中電灯の光がより激しく揺れる。恐らくOKのサインだ。
しかし、次の瞬間。
「えっ……!」
消えた。先ほどまで見えていた光が、一瞬にして消えてしまった。
「どっ……、どおぉ……!」
どうして……!
そこで待つにしても、こちらに来るにしても、懐中電灯を消す理由がない。嫌な予感がしてくる。
「次郎~!! 悪い冗談はよしてよ! ねぇ! 冗談って言ってよ!」
どんなに叫んでも反応はない。誰も、何も言ってくれない。
「そんな……嫌だよ……。嫌だよぉ……!」
人の気配が欠片も感じない。独りになってしまったことを、肌が受け取っている。
「ううっ……ぐぅ! ひっぐ、えううううぅっ!」
今すぐ逃げたしたいのにも関わらず、足が動かない。立つこともできなくなり、膝から崩れ落ちてしまう。アスファルトの出っ張りがスネに刺さるが、痛みは一切感じなかった。それ以上に、心臓が締め付けられる想いがした。
二人とも自分のせいだ。オトケシを意識しなければここに来ることすらなかった。もしかしたら美夜も、自分たちより先に来てオトケシに食べられてしまったのかもしれない。
恐怖心と罪悪感の混合物が脳みそを侵食していく。さらに胸が熱くなり、今にも吐き出してしまいそうだ。
どうすれば良い? これから私はどうすれば良い? 何一つできない。このまま死を待つだけなのか?
浮かび上がる涙で視界はゆがみ、何もかもが分からなくなる。
「御手洗さん……?」
その時、何者かの声が聞こえた。聞き覚えがある、優しい声だった。
袖で必死に涙を拭い、希望を見い出すべく顔を上げる。
「うううっっ!! ぜ、ぜんぜぇ……!!」
そこにいたのは上田先生だった。コートのポケットに手を入れ、驚いた形相をしている。
「どうしたの? 話を聞かせてくれる?」
先生はすぐに座り込み、目線を合わせてくれた。
「ううぅぅあぁあん!! うぐううぅぅう……!!」
目の前に味方がいる。その事実に激しく感動し、花子は言葉が出なかった。
私の話に対し、上田先生はしっかりとうなずいて聞いてくれた。
「うんうん。分かったわ。怖かったわね」
上田先生は泣きじゃくる私に背中を擦り、抱きしめる。先生の温もりが、とても心を落ち着かせてくれる。昨日の母親と同じだ。体を包み込まれるだけで、どうしてここまで安心した気持ちになるのだろう。
「ここに来たのは悪いことだけど、二人がいなくなったのは御手洗さんの責任じゃないわ」
耳元で優しく甘い言葉がささやかれた。息を吹きかけられ、体に小さな電流が走る。
「きっとね、はぐれちゃったのよ。怖いって思うから怖いことを想像してしまうの」
上田先生は私の髪の毛をなでながら、話を続けた。
「単にトイレ行っている間に道に迷っちゃったとか、いくらでも可能性はあるでしょう?」
そうだ、まだオトケシに襲われたと決まったわけじゃない。何度も唱えているが、オトケシの話には矛盾がある。ウソなのだ。ウソは真実に変わらない。下手な思い込みはせず、現実的な推測をすれば、特に怖がるものではない。
「ひっぐ……。うん……」
やっと涙も引いてきた。呼吸の乱れも治まり、平常時に体の調子が戻りつつある。垂れていた鼻水を力強くすすると、目の周りが軽く痛んだ。
「だからしっかり深呼吸して、まずは心を落ち着かせることが大事」
言われた通り、深く息を吸ってはいてみた。一度そうするだけで、心臓の鼓動はだいぶ落ち着きを取り戻した。
「先生……?」
さらに前方から、耳をなでられるような、柔らかい声が聞こえた。一度聞いたら忘れられない声、誰が発したかはすぐに分かった。
「美夜……?」
顔を上げると、上田先生の背後に美夜がいた。ポツンと棒立ちをしていて、不思議そうに首をかたむけていた。
あまりの嬉しさに、私は飛びついて美夜に抱き着いた。首に腕を回し、力強くその存在を感じ取った。
「花、どうして泣いているの?」
「うん、いろいろあってさ! とにかく生きてて良かったぁ! また会えて嬉しい……!」
花子の落ち着いた心拍数は、別の理由で再び高まってしまった。
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